「遊び、だったのよねぇ…あたしにとって」

 クリスティナ・シエラの言葉に、ラッセ・アイオンは雑誌から顔を上げた。
 今現在休憩室と呼ばれる空間にいるのはラッセとクリスティナの2人だけだ。
 唐突過ぎる台詞に眉根を寄せた。反応するタイミングを逃して、クリスティナのため息が重く散る。

「なんでかな、絶対に、死なない、って思ってたのよ。だから、怖くなかったし、皆が怪我しても他人事で居られた」

 とても冷たいことをクリスティナは軽く口にして、もう一度ため息。
 勿論、同情はしたし、とても悲しかったけど、自分の身に起こる事は絶対にないと思っていた。

 子供の頃、強盗事件とか、戦争とか、殺人とか、映像や紙の上で語られるそれらは、自分にとってどこまでも関係なくて。
 クリスティナにとってソレスタルビーイングで行動するのは、それくらい関係の遠い世界。

 本当は、その世界のど真ん中にいたのに。

「プレマイトスが攻撃された時ね、やっと、気付いたの。ああ、これは遊びじゃないんだなぁ、って。本当に、死ぬかもしれないんだなぁ、って」
 
 それはとても滑稽なことかもしれない。
 世界の混乱の一端を握る当事者が、誰よりもそれを理解していなかった。

 初めて死を身近に感じた。

 そうしたら、急に怖くなった。
 怖くて、怖くて、何も出来なくなった。

「フェルトに怒られて…あたしね、あの時すっごく恥ずかしかった」

 新しく出来た妹みたいに可愛がって、何かあったら守ってあげたいな、って思って。
 でも、いざとなったら、フェルトの方がずっとしっかりしていて、自分は何も出来なかった。

「…あの子は、ずっと覚悟してたんだよね…。いつか、そういう時が来るかもしれないって」

 それはとても凄い事だ、とクリスティナは思う。
 本来ならば、未だ義務教育課程すら終えていないような少女の方が、ソレスタルビーイングで戦う、ということの意味を理解していた。覚悟を決めていた。

 とても凄いけど、とても強いけど、とても、悲しいことだ。

 本当なら、何も考えないで学校に通って、友達と笑って、夢を語って、恋をして…そんな沢山の未来を持つ年頃なのに。

「なんだか、やり切れないなぁ。そういうのって」

 両手を伸ばして机に突っ伏してため息。
 栗色の波打つ髪を見て、ラッセは雑誌を閉じた。
 なんて返すべきなのか、彼にはわからない。
 クリスティナとラッセは特別仲が良いわけではなく、大して話すこともない。
 同じプレマイトスクルーのフェルトやリヒテンダールは彼女と親しいが、ラッセは全然そんなことないのだ。そんな、親しくもない人間に愚痴をいきなり聞かされても、どう反応すればいいのか分かるはずもない。

「…そういう弱音は、好きな男の前でしたらどうだ」

 俺に言うな、という意を込めて息を吐き出す。完全に匙を投げた。
 小さな呟きに栗色の頭が大きな反応を返した。机の上の長い腕を軸にして、むくれた顔が持ち上がる。

「嫌よそんなの。好きな男の前で、こんなとこ見せたくないもの」
「だったら、散々慰めてくれそうなヤツにしろ」

 しみじみとしたため息と共に吐き出されたラッセの言葉に、クリスティナは眉根を寄せる。

「もっと嫌。期待させてポイ、なんてひどい話じゃない」

 ポイするなよ、と心の中で突っ込む。
 ラッセの脳裏にも、クリスティナの脳裏にも、丁度同じ人物が浮かんでいたので、なおさら。

「…中々、良い男だと思うが?」
「そう? うーん。確かに顔はいけるんだけど、なーんか、好みじゃないのよねぇ」
「ひどい女だな」

 同僚の不憫さに、つい声が尖った。
 隠される事のない棘に、クリスティナはむぅ、と唸ったきり頭を伏せる。
 彼女自身分かってはいたので、それだけで、終わる。
 けれど何か一つくらい言い返してやりたくて、言葉を捜した。

「あんたもひどい男だわ」

 女が落ち込んでいるんだから慰めてしかるべきだと、クリスティナは言う。

「お互いさまというやつだろう」

 ラッセは平然と返して、クリスティナはため息をついた。
 また沈黙が訪れる。
 ラッセは何事もなかったかのように雑誌を開き、クリスティナは自分の髪をくるくると指に巻きつけた。
 別に、何が解決したわけでもなんでもないけれど、ほんの少し、2人の間の空気が軽くなった気がした。