「ティエリア」

 切迫感と共に吐き出された声は、本人の予想よりも大きく響いた。
 届くかどうかも分からないほどの距離にいた紫の髪がぴたりと止まる。どうやら聞こえたらしい。

「どうした、フェルト・グレイス」
「見て」

 ハンディコンピュータを抱えて、ほんの僅かな時間さえも惜しいと言うように、ティエリアの腕を軸に止まるとそのままディスプレイを指し示す。
 ふわりと目の前を掠めた桃色の髪をのかして、細い指先を追った。

 画面に踊る文字という文字の中、一部が拡大されて表示されている。
 その名前は、アレルヤのものではなくて。

「……マリナ、イスマイールだと…?」

 僅かな驚愕と共に、ティエリアは呟く。
 何故、と。

「理由は、よく分からないの。調べても何も出てこなくて…」

 ティエリアの疑問に答えるようにフェルトはそう急いでつけたし、十分な戸惑いを含む視線を上げる。彼女をどうするのか、そんな事を問いかけようとして。けれど、すぐ間近にあったティエリアの顔に、どきりと息を呑んで、すぐに逸らした。その不自然な行動にティエリアは気づかない。画面の名前に気を取られていたから。
 フェルトは跳ねた心臓と、熱を持った顔に驚いて、それからようやっとティエリアの腕を掴んでいる事に気が付いた。
 あんまり急いでいたから、ティエリアの腕につかまることで自分の動きを止めた。無重力なこの場所なら、一番早くて確実だったと思う。

 変に思われないように、そろりと腕を離す。つと、ティエリアの視線が向いたような気もした。分からない。ちゃんと顔が見れなかったから。

「……刹那には?」
「えっ。…あっ…まだ」
「そうか。それならいい。僕から伝えておこう」

 くるりと、簡単にティエリアが踵を返して、フェルトは息を呑んだ。
 何か言おうとして、言葉にならないままに気持ちは散ってしまった。
 紫色の髪は立ち止まらなかった。

「……ティエリア…アーデ」

 遠く細い後姿が消えて、フェルトは戸惑いと共にその名前を唇にのせた。
 とくんと心臓が鳴った事に気が付かなかった。