『か弱く、ずるく、卑怯に』
あんなに好きだったのに。
あんなに愛していたのに。
もう何も思い出せない。
記憶はこんなにもはっきりしているのに、どうして好きだったのかがもう分からない。
どうしてあんなに好きだったんだろう。
どうしてあんなに愛していたのだろう。
もう、分からない。
ねぇ。
ウルファ―――。
「アルダ・ココかい? もしかして」
「っっ」
突然後ろから呼びかけられて、びくんと身体がはねた。アルダ・ココにとっては聞き覚えのある声だ。慌てて涙を拭ってから振り返る。
「ルダート王子」
「…久しぶりだね。何かあったのかい?」
すぅ、と瞳を細め、そう問いかけたルダートに、アルダ・ココは小さく首を振る。どう見ても何もないという顔ではなかったが、ルダートは何も問わず、手に持った花を手渡す。それはどこかそこら辺で買ってきました、という風情の可愛らしい花束だった。
「ヨールにあげようかな、って思ってね」
「そう、ですか」
「アルダ・ココも行かないかい?」
「…はい」
素直に頷いて、2人、ヨールの元へ向かう。もう一度石となったヨールに会いに行くのは、これが初めてではない。けれど、ウルファと2人でないのは初めてだ。
いつも、ウルファと一緒にヨールの元へ向かった。
でも、もう、いない。
自然、頭が俯き気味になってしまう。
「あ、そうだ。アルダ・ココ」
「あ、はい。何でしょう」
「王子、って付けるのは止めて欲しい。そう、前も言ったよね」
「あっ…」
つい、アルダ・ココはルダートのことを癖で『ルダート王子』と呼んでしまうが、今の彼はもう王子ではない。罪を問われ王宮を追われた筈の身で、もう王位継承権は持っていない。もっとも、表向きだけの話なのだが。今やルダートを王子、と呼ぶのはアルダ・ココくらいだ。
「す、すみません。つい癖で…」
「そうして畏まるのも止めて欲しいな」
「あっ…。で、でもやっぱりなんか恐れ多いような気がして…」
「うーん。でも、アナンシアにはもうちょっと砕けていたような気もしたけど?」
「そっ、そうでしたか?」
「うん。だったと思う」
それでも結局は丁寧語から抜け出なかったが。
「ああ、アルダ・ココ。アナンシアからの手紙を預かってたんだ」
アナンシアという名前が出てきて思い出したのか、アルダ宛の手紙を取り出した。国の次代の王としての立場からか、アナンシアは中々王宮を離れられない。対して既に王位を持っていないルダートは、かなり身軽な立場である。彼はその立場を利用して、斥候のようなこともしているらしく、ちょくちょく各地を回っていた。
「ありがとうございます」
礼を言って受けとり、けれど、開かなかった。
多分、色んなことが書いてあるんだろうと思う。…その中には、ウルファとのこともあると思うから。
今はどうしてもウルファの事を詳しく考えたくない。
「開かないのかい?」
「…あとで、ゆっくり読みます」
アルダ・ココの言葉に、ルダートは何も言わず、結局それからは無言で2人歩いて、ヨールの元へ向かった。
ルダートの持ってきた花を足元に置いて、ヨールを見上げる。
彼は、どう思うだろうか。今の自分と、ウルファの状態を知ったら。
ヨールの横顔がひどく悲しげに見えて、その背にすがりつく。
どうしてこんなことになったのだろう。
初めは本当に小さなことだったのに。
けれど、その小さなことが積み重なって、同じような内容の言い争いも、本心を明かしてくれないウルファも、何もかもが嫌になって、もう顔を見たくなくなって、行くあてもないのに飛び出した。追ってきてはくれないウルファも、きっと自分と同じ気持ちなのだろう。
旅が終わって3年。ウルファと一緒になって2年。
たったのそれだけ。
それだけしか経ってないのに。
あんなに沢山あった愛情とか、恋心は、いつの間にか置き去りにしてしまった。
もう、あの頃に戻る事なんて出来ない。
ウルファの顔を思い浮かべても、言葉を思い出しても、優しい腕を思い出しても、もう、何も思わない。
いつも一緒にいて、小さなことに喜んで、幸せな家庭をつくろうね、と笑いあった。
子宝には恵まれなかったけど、それでも幸せだったし、ずっとそうなのだと思った。
けれど。
駄目だった。
確かに相手の事を想って、一緒にいたのに。
気がついたらすれ違って、毎日喧嘩ばかりになって互いに家を空けてばかり。
最初はなんとかしようと努力したし、それが実りもした。
けれど、そんな一時しのぎじゃ通用しなくなって。
ウルファも、アルダ・ココも、駄目になってしまったのだ。
「…ねぇ、アルダ・ココ。泣いたらヨールが心配するよ」
絹のハンカチを差し出されて、初めて自分が泣いていたのだと気付く。
涙にかすんだ視界の中、ルダートが困ったように首を傾げる。途方にくれたような、その表情。
ああ。この人はあの頃から何も変わらない。
一番最初、初めて会ったときから、ずっと。
受け取らずに、見つめていただけだったハンカチで、涙を拭ってくれる。
アルダ・ココの手を取って、ヨールから離れ、
「じゃあ、また来るから」
バイバイ、と手を振った。
そのままアルダ・ココの手を引いて十分にヨールから距離を取り、視線は動かさないで言った。
「アルダ・ココ。家まで送るから、帰ろうか」
「―――っっ!!!」
びくんっ、と身体が跳ねる。
その様子が、見なくても、繋いだ手から伝わった。
「ああ、そうだアルダ・ココに見せたいものがあったんだ。ちょっと宿まで付き合ってくれるかい?」
まるで何でもないように、ルダートは続けて、ようやくアルダ・ココを見る。子供にするように、アルダ・ココの前にかがみこんで、下からその目を覗き込んだ。
ハンカチでアルダ・ココの涙を拭いながら苦笑する。
「まだ泣いているのかい? お嬢さん」
「…こっ…子供あつか………しないで下さい…っっ」
しゃくり上げながら言い返すアルダ・ココに、ルダートは笑って、よしよしと撫でて立ち上がる。更なる子ども扱いに唇を尖らせて、アルダ・ココはルダートが触れた髪を触る。ぬくもりはもう残っていない筈だけど、どこか温かい気がした。
「それで、付き合ってくれるかな? アルダ・ココ」
「………はい」
どの道行くところなんてないから。帰るにしても出来るだけ帰りたくない。ウルファと会いたくない。
「じゃあアルダ・ココ。ちょっと背中に乗ってくれないかな?」
「え?」
「ちょっと、注目集めそうだから」
アルダ・ココの目を指差して、苦笑する。どう見ても泣きはらしました、という顔のアルダ・ココは単体でも目立つし、それに眉目秀麗なルダートも十分に目立つ。セットでより目立つだろう。
おんぶしているのも相当目立つだろうけど、怪我をしたか気分が悪くなった人間を背負っているのだと思われるだろう。
泣き腫らした目で街を歩くのと、おんぶされて街を歩くのと、どっちがより恥ずかしいか考えて、迷った末におんぶを取る。ルダートの背中でずっと顔を見せなければ、誰かも分からないだろうし。
頷いて、屈んだルダートに乗らせてもらう。こうやって誰かに負ぶさるのは初めてじゃない。ウルファにしてもらったこともあるし、昔子供の頃には近所のおじさんなんかにもしてもらった。
すごく細いのに、思ったよりも広いルダートの背中に少し驚く。全然運動なんてしないんじゃないか、って思うくらいに頼りなさげに見えるのに、しっかり筋肉はついていて、とても大きい。肩に頭を乗せて、周りから表情が見えないようにする。ルダートが動くと、上体がふらついたので、腕をちゃんと首に回した。
軽々とアルダ・ココを背負ったルダートは、何も言わずに宿まで歩いて、その間中、ずっと彼の体温を感じていた。涙が出るほどに、温かかった。
最後にウルファの熱を感じたのはいつだろう。
思い出せないくらい遠いのは確かだった。
「……ウルファ」
どうして。
駄目になってしまったのだろう。
もう分かってる。
絶対に取り戻すことなんて出来ない。
彼と愛し合っていたことは確かなことで、でももうそれは過去のことなのだ。
もう、絶対にないんだ。
もう、おしまい。
だって、ウルファの名前を呼んでも、愛しいなんて思えない。
無邪気に彼を愛していた頃に戻りたい。
もう失ってしまった恋心が欲しい。
そうしたら、きっとやり直せるのに。
でも、もう、ないから。
何も思わないから。
おしまいなんだ。
「また、泣いているのかい?」
困ったようなルダートの声に、顔を上げた。
もう今は宿の中。ルダートのとった部屋だろう。豪華、とまでは行かないが、それなりに上等な部屋だ。
ルダートが腰を下ろして、ちょうどその後ろにベッドがあった。そのまま腰掛ける。
「ねぇ、アルダ・ココ。………ウルファと、何かあったのかい?」
「―――っっ!!!」
まっすぐに、アルダ・ココの瞳を見て、ルダートが問いかける。怖いくらいに真摯な瞳だった。逸らすことは許されなかった。しっかりと、頬を手で固定される。温かい手だった。温もりに、また涙が零れてしまう。
「泣かないで。アルダ・ココ。僕はご婦人方の涙に弱いんだ。言いたくないならいいんだ。けれど、話して楽になることなら言った方がいいと思うよ」
協力出来ることがあるなら、するしね。そう付け加えて、ルダートが笑う。
この人は、本当に自分を案じてくれているんだ、と感じて、どうしようもなく胸が痛くなった。
どうしてこんなに優しいんだろう。
「…もう、駄目…な、んです……っ」
次から次に零れ落ちる涙を、必死に手で拭って、それでも流れるから、もうどうしようもない。
「落ち着いて、アルダ・ココ。ちゃんと聞くから、ね」
「思い…出せないんですっ。どうして、ウルファが好きだったのか。あんなに好きだったのに。愛していたのに―――っっ」
見ているほうが痛々しいほど、必死に、言葉を紡いで、その様子に、うん、とルダートは頷く。
泣きじゃくる少女の背中をさすって、見守る。
始めは、ウルファとアルダ・ココの喧嘩だと、思った。結構小さな諍いはこれまでにもあったし、アルダ・ココが逃げてウルファが捕まえる、そのパターンだと思った。だからそんなに心配してはいなかったのだ。
けれど、何かおかしいと思ったのは、アルダ・ココがヨールにすがって泣き始めたときだ。アルダ・ココは人に心配をかけないように、できるだけ涙を見せまいとする。ヨールの前でだってそうだし、自分の前でもそう。
その自制心が追いつかないほどに、傷つき、苦しんでいるのだと、気付いた。
ウルファとアルダ・ココがお互いを想いあっているのは、一目瞭然だったし、旅を終えた後には、恋人同士なのかそうでないのか有耶無耶な状態で周りをヤキモキさせたものだ。そうしてその一年後には見事ゴールイン。良かった良かったと皆喜んだものだった。
それが、いつの間にこうなってしまったのか。
ルダートがアルダ・ココやウルファに前回会ったのが半年前。丁度近くまで来たものだから、2人の様子を見に寄った。そのころはまだ仲睦まじく見えたし、明るい顔を見せていた。
それからしばらくは色々忙しくて会えずじまい。今日、こうして顔を見せてみれば、雲行きが急に怪しくなっていた。
どうしたものか、とルダートは困り果てる。
こういうことは同性のアナンシアなんかの方が余程向いていると思うが、今この場にいない人間を思っても仕方がない。
アルダ・ココの告白は続く。
「もう、帰れない。ウルファが好きな頃には戻れないっ。ウルファだってもう私のことはどうでもいいんだものっ」
後で、ウルファに会いに行こう。
直接会って、聞いた方が早い。
ただのすれ違いで修復できるものならしたいが、そう出来ない場合はどうしようか。王宮に連れて行ってアナンシアに引き合わせるか。
色々考えて、憂鬱な気分になる。なんて、面倒な。
面白いことなら大歓迎だが、こんなのは全然面白くない。
アルダ・ココの言葉が切れて、嗚咽だけになったのを見計らって、切り出す。
「アルダ・ココ、一回、落ち着こう。今日は、ここに泊まっていいから」
一日置けば、少しは頭も冷えるし、状況を整理することが出来るだろう。そう判断して、ルダートは踵を返す。ひとまずウルファにその旨を伝えなければ。あと、もう一部屋空けてもらわなければ。
扉の前で振り返って、アルダ・ココに「少し待っていて。手続きをしてくるから」そう伝えようとして、固まった。
振り返った、その目の前に…正確には、あごの先辺りに、涙に濡れた深緑の瞳があった。がたん、と扉にぶつかる。小柄なアルダ・ココの身体があまりにも近く、息を呑んだ。
強く腕を引かれる。
痛いほどに強く、強く、握り締められて。けれどその手は細かく震えていた。
「行かないで…」
ささやき声のような、小さな声に、ルダートは首を振る。
これが本当にあのアルダ・ココなのか、と軽く困惑する。
ルダートにとってのアルダ・ココは、強く固い意志を持ち、それを貫き通すだけの力を持った人間で。だから彼女には沢山の庇護者がいたし、その優しい心根に多くの者が惹かれていた。
その、アルダ・ココが、たった一人で、自分の腕を必死に掴んでいる。以前に比べてグンと大人びた顔が、ひどく幼く見えた。
「すぐに帰ってくるから」
おだやかにそう言って、だから大丈夫だと、諭す。けれどアルダ・ココは腕を解放してくれない。濡れた瞳を隠すように、ルダートの胸に頭を押し付け、首を振る。
「一人に、なりたく…ないんです。お願い、です…」
か細い響きに、息を呑んで、途方にくれる。
ここまで弱っているとは思わなかった。
「アルダ・ココ」
アルダ・ココの耳を、低い声がくすぐる。ウルファとは全く違う声質。
自分が触れた場所以外に、ルダートが触れる事はない。
それが寂しいと思ってしまうほど、今は人肌が恋しかった。
「落ち着いて。本当に、すぐ帰ってくるから」
「………」
動かない。
動けない。
しばらく無言の状態が続いて、根負けしたようにルダートが息を吐いた。妙な硬直状態にあった空気が溶けて、ふと、柔らかになる。
「アルダ・ココ。逃げないから、僕を放してくれるかな?」
くすくすと笑いながらそう告げたルダートに、アルダ・ココは頬を赤く染める。どれだけ大胆で、どれだけとんでもないことをしているのか、分かっている。
ウルファにも、こんなことはしたことない。
早く帰ってきて欲しくても、笑って送り出した。
長く帰ってこなくて、どれだけ寂しくても、帰ってきてくれたらお帰りなさいと笑った。
いつも、笑っていた記憶がある。
ウルファが気持ちよく家を出れるように。ウルファが心配しないように。ウルファが安心して帰ってこれるように。
好きだから。好きだったから。
迷惑をかけたくなかった。絶対に。
「アルダ・ココ。もう寝ようか。こんな日は早く寝てしまうに限るよ。悩みすぎても身に毒だしね」
小さく笑って、ルダートはそう持ちかける。アルダ・ココは、ただ、頷いた。
もう既に外は暗く、寝る時間として遅くはない。いつの間にこんな時間が経ったのだろうか。家を飛び出したのが昼過ぎだった。それから何も食べていない。
…それは、要するに、飛び出してすぐに出会ったルダートも何も食べていない、ということではないだろうか?
自分勝手な都合で、この優しい人を振り回しているのだと、改めて知る。
ひどく申し訳なくて、それでも…。
唇を、噛む。強く、強く、噛み締めて。
どこに寝ようか、と思案している様子のルダートの、意外にも広かった背中。
手を伸ばす。
ゆっくりと、ルダートに向かって指先が、軽くその背に触れた。
温かい。
「………アルダ・ココ?」
息を呑んで、動きを止めたルダートは、振り返ることが出来ずに、ただ名を呼ぶ。アルダ・ココの体温が、背中から伝わる。初めは指先。指先が手のひらになって、頬が、腕が、背に触れて。
先ほどとは別の意味で、息を呑んだ。
小柄な少女の、長い黒髪からほのかな香りが立ち上っている。昔、彼女に感じたのは、土の…大地に芽吹く、草葉の香り。今彼女が漂わせるのは、少女の域を抜けた、大人の女の香りだ。
振り返ってしまったら、呑まれる。
それを直感した。
あの、涙に濡れた深緑の瞳に見つめられれば、もう逸らすことが出来なくなるだろう。
「――― ………」
ほんの小さな物音にかき消されてしまうような、その頼りない声は、ルダートの元へ届いてしまって。
良い意味でも、悪い意味でも、このアルダ・ココという占い師は女になったのだ、と知る。
硬直は、長くて。
ルダートが振り返れば、そこには思ったとおりの弱弱しい深緑の瞳があった。乱れた黒い髪の一筋が顔の前に垂れていて、それをすくう。
必死な、目だった。
吸い込まれるような、深く、鮮やかな色彩を写す深緑の瞳。涙で潤んだ瞳はあまりにも艶かしく、妖しい魅力を放っていえる。以前に比べて、ずっと手入れの行き届いた滑らかで、柔らかい、黒い髪。色を失った頬はただ白く、触れると、ひどく冷たかった。
唇を噛んだのか、歯の跡が残っている。まるで血の色のように、見事な真紅になっていた。指先を触れさせれば、柔らかいその感触が残る。
思う存分その感触を楽しみ、温かな身体をかき抱き、思うが侭に蹂躙すれば、この少女は満足するのだろうか?
顔を寄せれば、アルダ・ココは瞳をゆっくりと閉じた。
その眦から、一筋の涙がこぼれて、ルダートの指先を伝っていく。
―――違うだろう?
軽く、アルダ・ココの前髪に口付けて、頭を撫でる。
「眠ろう。アルダ・ココ」
驚愕に目を見張る少女に笑って、その手を引く。小柄な少女はそれだけで簡単に引きずられてしまう。
「あ…。る、ルダート王子…?」
「うん? なんだい?」
「あ……その…。………なんでも、ありません」
「そう」
十分な広さを持つベッドに、アルダ・ココを先に導いて、部屋の明かりを消す。いきなり真っ暗になった部屋に、目が慣れる事も出来ず、アルダ・ココは身をすくませた。その隣、ルダートが横になる。特に寒い地域でもないから、かけ布は必要ないくらいだった。
「お休み。アルダ・ココ」
「えっ。あ」
あの、と続けようとして、アルダ・ココは思いっきりルダートに引き寄せられる。
一瞬で、これから先に起こること、先ほど自分で言ってしまったことを考えて、息が詰まる。身を強張らせ、普段感じることのないルダートの、甘い何かの香の香りに顔が熱くなる。
腕の中が、ひどく温かい。髪を撫ぜられる感触が気持ちよくて、瞳を閉じた。
なんだろう。これは。
ひどく安心して、緊張に固まっていた体の力が抜ける。
温かくて、気持ちよくて。
―――やけに心臓の音がうるさい。
そんな気がする。
「お休み、お嬢さん」
ルダートの言葉を最後に、アルダ・ココの意識は睡魔に刈り取られた。
元々疲れていたのだろう。深い眠りに落ちたアルダ・ココの髪を梳きながら、そう思う。
泣く、ということは結構体力を消耗させるし、食べるものも食べていない。
小柄な身体を置いて、窓を静かに開ける。
夜空に星が瞬いて、暗闇を満月が明るく照らしていた。
暗闇の中、ルダートは何かを探すように首を巡らし……小さく、笑った。
「ごめんね、アルダ・ココ」
本当に微かなささやき声でそう告げて、ルダートは部屋の扉をあけた。
「久しぶり」
ルダートの声に、返事はない。ただ、戸惑うような空気が伝わってきた。
「何で、こうなったのか…聞かせてはくれないかい?」
やはり返事はない。
ルダートは壁に寄りかかり、小さなため息をついた。
今日一日、どれだけこの夫婦に振り回されればすむのだろうか。
「………アルダ・ココは」
「寝てるよ。泣きつかれて」
「………」
「………………ウルファ。一つだけ、聞かせて欲しい。今、彼女のことをどう思っている?」
真っ暗闇の中を照らす大きな満月に視線を上げる。隣の人物もまた、それにならった。
長い、沈黙の後、ポツンとこぼした。
「………好き…"だった"」
短い、それだけの言葉に、ルダートは嘆息した。
何故?
そう、問い詰めたい。
2年だ。
2人が仲間以上の関係になり、身を固めたのは。苦難を共に乗り越え、共に喜びを分かち合ってきた2人が、たったの2年で駄目になったのだ。
余人が踏み込んでいい領域ではないだろう。けれど、彼らははたから見ていて本当に仲が良かったし、幸せそうだと誰もが言っていた。誰よりも納得がいかないのは本人たちだろうが、どうにも釈然としなかった。
「もう、駄目なのかい」
「……だと、思う。………もう、きついんだ。一緒に居るのも、あいつの顔を見るのも………」
「………アルダ・ココは、このまま王宮に連れて行こうかと思う。アナンシアたちに会えば気も紛れるだろうし」
「…頼む」
「……何か、アルダ・ココに伝えることはないかい?」
「………"悪かった"」
「分かった。君はどうするかい?」
「…………」
ウルファは頼りなく頭を振った。
彼もまた弱っているのだと、ルダートは思う。暗闇の中でも、彼の頬がこけ、青白いのは分かる。いつものしかめ面もどこか弱弱しい。
「あの家に居るのは…嫌だ」
アルダ・ココと2人で過ごしたあの場所は、彼女を感じるものが多すぎて。いろいろなことを考えてしまう。考えすぎてしまう。
もう、考えてもどうにもならないことを。
「…なら、旅をしてみたらどうだい?」
「………それもいいかもな」
「ウルファ。いつかはアルダ・ココも君も、笑って会えるようになるだろう。あの家に帰ることも出来るようになるだろう。時間が経てば、気持ちに整理がつけば、いつか…ね」
「…フン。体験談か?」
「どうだと思う?」
「知るか……」
ウルファが軽く苦笑して、それにほんの少し安堵する。
アルダ・ココもそうだが、この青年も、気負いやすい。
関係ないことにまで気を回して、必要以上に責任を感じる。そんなことをしても何の解決にもならないのに。余計自分が辛くなるだけだというのに。
それが、このウルファという人間でありアルダ・ココという人間なのだ。それは美徳ではあるが、優しいだけでは駄目だと、そう、思わないでもなかった。それが図らずとも実証されてしまい、複雑な気分である。
しばらく2人、夜空に輝く満月を見つめ、身動ぎ一つしなかった。
やがて、ウルファが宿の窓に視線を向け…何か言おうと口を開き、けれどもそれは音にならずに散った。全てを断ち切るように首を振って、ルダートに背を向ける。
「ルダート…あいつを、頼む」
それだけ言い残して、闇の中へ消えていく。
残されたルダートはその背を眺めて、力なく笑った。
「頼まれても困るんだけどねぇ…」
これ以上深入りをすると、この泥沼の様な状況から抜け出せない気がして。
あの、深緑の瞳に絡め取られて、動けなくなりそうだ。
それは自分にとって歓迎することではないのだが。
部屋に戻って、アルダ・ココの寝顔を見つめる。
初めて会ったときの子供子供した印象に比べれば、ひどく大人になった横顔。
―――抱いてください。
あの時囁かれた言葉に、一瞬ゾクリと身が震えた。
嫌になるほど色気のある声だった。
娼婦が閨で囁く睦言のように。
寂しいだけ。
悲しいだけ。
甘えたいだけ。
慰めて欲しいだけ。
人肌が恋しいだけ。
愛しい人を失った穴を埋めてほしいだけ。
愛してほしいだけ。
その相手は誰でもいいのだと知っているのに。
「女は…ずるいね」
それでも男は騙されてしまうのだから。
ずるいんですよ。
そう、言われたような気がした。
2006年12月7日
お、終わり…?uu
うーん。なんか…すいませんでしたっ!!
謝るべきポイントは沢山あるんですけどっ。
ええと、とりあえず、空空…アルダ最終巻立ち読みちょっとしただけっす!!
ので、分かってません!誰がどうなったのか簡単にしか分かってません!ので、結構色々作ってます。
そんでウルアル破局ですみません。
一応ちゃんとラブラブをして、結婚して熱い新婚生活過ごして、その後みたいなもんですから!
これから先ちゃんとルダアルになるのかどうか…どちらかというとアルダ・ココにかかってる気がします。ルダはとことん逃げそうなんで。
問題?の夜シーンはもういっそ襲った方が話すんなり進みそうだし、いいんじゃないの?とか。
男ならいっそずばっと襲った方が…とか。
据え膳なのに…っっ!!このへたれ!!…とか。
まぁ色々と葛藤がありました。
空空汐