アーモンドとオリーブ







「アルダ・ココ、今日ルダート王子にこれをもらった。アルダ・ココからお礼を言っておいてくれないか」

 そう言ってヨールが口にくわえたアーモンドを見せたのは、アルダ・ココ達がデムナ婦人の荘園に滞在し始めてからしばらくのことだった。

 晩餐が終わって、もっとゆったりした服に着替えようと準備していたアルダ・ココは眼を丸くして、ぽとりと床に落とされた齧りかけのアーモンドの実を見つめた。

「あらヨール、ルダート王子と仲良くなったの?いつの間に…」

「仲良くなったというほどのものでもない。晩餐のときにいつもいろいろと投げ与えてくれるのだがな、その中のひとつだ」

 退屈しているようなときによく投げてくるぞ、とヨールが言うとアルダ・ココはヨールは犬じゃないのに!と怒ったように呟いた。

「いつももらってたの?」
 なんでもっと早く教えてくれなかったの。お礼言わないといけないのに。そうぶつぶつ言うアルダ・ココにヨールは苦笑したようだった。

「いや。いつもオリーブの実やら葡萄やらを投げてくれるのだが、必要がないので返していたのだ。…だがこれは歯触りが良いのでな」

「貰うことにしたの?本当にヨールは変わった食感の食べ物が好きなのね」

「うむ。しかしそれから何度も貰うようになったのでな。もちろん私からもお礼はするが、アルダ・ココの方からも伝えておいてくれるか」

「わかったわ。今度会ったときにでもお礼を言っておくわね」










 そんな会話が交わされた次の日。

 ヤギの小屋に向かおうとしていたアルダ・ココは庭でばったりルダートに出会った。
 ルダートはこれから遠乗りに行くらしく、赤い乗馬服を凛々しく着こなしていた。

「やぁアルダ・ココ、これからヤギの乳搾りかい?こんな時間からご苦労様だね」

「いいんです、好きなので。それにこの荘園のヤギ達は本当に乳の出がいいんですよ。お乳がたくさん出ると私も嬉しくて」

 ヤギの様子を思い出して自然と笑顔になるアルダ・ココを見て、ルダートも笑った。

「それは喜んでもらえてよかった。召使たちの間でもアルダ・ココの乳搾りが上手いって評判になってるよ。僕ですら知ってるくらいだ」

 そう言うルダートは、晩餐のときの微笑みとは違う微笑みを浮かべている。
 ルダートとは、この荘園に来てから、晩餐のときくらいしか顔を合わせていなかったアルダ・ココは少し見慣れない印象を受けた。
 ……そう、晩餐のときよりもくつろいでいる感じがする。

「そうそう、この間はヨールにアーモンドをくださってありがとうございました。なんでもオリーブや葡萄も貰っていたみたいで…」

「いいんだよ、好きだから」
 ヨールにアーモンドを投げてないと食事をしてる気がしなくてね。

 アルダ・ココの口調を真似ておどけるルダートに、アルダ・ココは笑った。
 ……やっぱり晩餐のときよりも表情が柔らかい、気がする。
 はっきりとは、分からないけれど。

「それよりオリーブやらも投げてるのによく気付いたね」

「ヨールに教えてもらったんです」

「君たちは本当に仲がいいね。羨ましいよ」

 ルダートはしみじみとそう言うと、そろそろ行こうかな、と呟いて手に持った乗馬用の鞭を軽く振った。

「ヨールもルダート王子にお礼をするって言ってましたよ」

「それはそれは。ヨールにはもっといいアーモンドを送らなきゃいけないね」

 ルダートはそう冗談交じりに言って笑う。


「アルダ・ココ、馬には乗れる?」

「え、ええ…」

 唐突な話題の変化についていけず目を瞬かせるアルダ・ココに手を振って、ルダートは去っていった。

「今度、僕のお気に入りの場所に連れて行ってあげるよ」
 連れて行きたくてもついてきてくれる人がいなくてね。

 そう、どこか寂しげな微笑みを残して歩き去っていくルダートを、アルダ・ココも手を振り返しながら見送った。
 ルダート王子はもしかしたら、とても孤独な人なのかもしれない…。そう思いながら。










「なんだか緊張したわ…」

 ルダートと別れたアルダ・ココはヤギの小屋には行くのをやめて少し庭を散歩することにした。

 目的もないまま庭を歩いていると、ガサッと茂みが揺れてヨールが現れる。
 口に何かをくわえている。

「ヨール、なにを持っているの?」

「ちょっとな。ルダート王子にお礼の品だ」

 言ってヨールはニヤリ、と笑ったように見えた。
 地面に置いたのは立派な枝ぶりの木の枝。実がたくさんついている。

「これはオリーブの枝だ。山から分けてもらってきた」
 いつもオリーブを貰っているからな、と笑うヨール。

 なんだかいつもよりもうきうきしているように見える。例えばそう、悪戯をしようとする子供のようなはしゃぎようだ。

「さて、では部屋の前に置いてくるとするかな」

 足取りも軽く駆けていくヨールを、アルダ・ココは呆然と見送った。










 乗馬から帰ってきたルダートが部屋の前に鎮座ましていたオリーブの枝を見て何を思ったのか、アルダ・ココは知らない。
 ただ、ヨールによると食事中オリーブが投げられる回数が増えたらしい。
 オリーブの枝のお礼のつもりだろうか、とヨールは笑っていた。


 数年後、デムナ婦人の荘園では、1本の見事なオリーブの樹がたくさんの実をつけたという。
2007年8月4日

王子ってのは寂しい存在だと思います。ルダート王子もそれを表には出さないけど寂しがりやなんじゃないかな、とか。
ルダート寂しい→ヨールにちょっかいかける→律儀に答えてもらって嬉しい。
なんじゃないかな、と(笑)

だって食卓にでなくてもわざわざアーモンドをハンカチに包んで持ってくるくらい楽しみなんですよ!(笑)


浅羽翠