『化け物の微睡み』











「キファ」

 眠そうな顔で、眠そうな声で、夢うつつ交じりの呼びかけを、ライナ・リュートという男は、目の前で鼻歌交じりに動き回る女にかけた。
 くるりと半回転してライナの目と、彼女の赤瞳があう。ふわりと勢いのついた、癖のあるセミロングの赤髪が、彼女の周りをふらふらと揺れて輪郭を覆った。柔らかそうな、けど芯のある綺麗な赤髪。彼女の流す赤よりもずっと夕日に近くて、林檎のように艶めいて、薄くのった淡いルージュのように美味しそうな。とても彼女らしい色。
 そんな一瞬に過ぎない動画を、ライナはだらしなく机に突っ伏したまま鑑賞していた。両腕を机の上に預けて、その上に頭をうずめたような、起きたばかりなんですけど何か?みたいな体勢。
 ていうか、なんでわざわざ呼んだんだっけ?
 ああそうだ、とライナは思い出す。眠る前はいなかった相手が、起きたら存在していた。だから呼んだだけ。それだけの話だった。それだけの話なのだが。

「ライナ?」

 呼んだまま、半開きのまま唇を動かそうともしないライナに、キファ・ノールズは不思議そうに首をかしげる。その目はきらきらと輝いていて、ライナに対する嫌悪感とか憎悪とか失望とか、そんないろいろなものがなくて。それどころかもう、大好きです、といわんばかりの、凄く綺麗な真っ直ぐな瞳で。それを真っ直ぐに返すのはライナには割と難しい話で。だから、困ったような顔で、疲れたようないつもの顔で、曖昧に焦点をぼかして彼女を観察する。

「ん〜」
「どうしたの?」
「眠い」
「えーそれっていつもの事じゃない」

 口調はあきれているのに、その表情は困ったような笑顔なのに、なぜかもうとんでもなく幸せそうに蕩けそうな表情で。直視してなくてよかった、とライナは更に視線を落として。でも落としたはずの視線を無理やり上に向かされてしまう。両頬に、温かい細くて白い、けれど戦う人間の指先。一メートルちょっとの机を乗り越えるような体勢で、ちょっと中途半端な前かがみで、キファがライナの顔を両手で持ち上げている。そうして目の前には宝石みたいに輝く赤い瞳。ライナの不審な態度の真意を見抜くような、鋭い、けれど、不安げにゆれる視線。
 心配しているのだと、不安にさせてしまっているのだと、よく分かる揺れた瞳。
 そんな瞳が本当に目の前にあって。

(あ、やばい)

 なんて、ライナは思う。
 そんな顔させたくないから。キファ・ノールズは化け物のライナを愛してくれた、とんでもない人間だから。
 ………アイシタトカ。いやいやもうそんなの―――えーもうどうすりゃいいわけ?
 突き詰めて考えると(考えなくても)うがーっと、わけが分からなくなるから、それはとりあえずおいておく。

 とにかくキファはライナにとって大事な大事な人だから、いつも笑っていて欲しい人だから、いつも一緒にいて欲しい人だから。

「キファはいつも楽しそうだな〜」

 へらりと力なく笑って、だらしなく預けた机から右腕を離す。重力に逆らって重たげに持ち上がった右腕は、ライナのものじゃないみたいにスマートに、キファの髪をすいた。赤くて、柔らかくて、嘘みたいに滑らかで、寝癖まみれのライナの黒髪からはかけ離れた感触。ちょっと同じ素材で同じ性質の同じ名前のついたものとは思えない。
 心配することなんてありませんよーと、誤魔化したかったのと、ちょっと驚かしたかっただけの意味の無い行動だったわけだけど。

(おお、気持ちいい〜)

 さらさらと指どおりのいい感触に夢中になって、「らっライナ?」とか「ど、どうしちゃったのかなぁ?」とか、慌てすぎて混乱状態のキファの声は聞こえなかった。
 そのくせ自分の指が、無防備にもさらされている状態だから、キファの顔の熱まで感知してしまっていて、うっかりその人差し指の腹が彼女の柔らかな頬に触れてしまって。

「ん、」

 なんて、顔を真っ赤にしたキファがなんだか堪えるような顔で、体をびくって跳ねさせて、ぎゅっと目を瞑ったら…。うっかりそんなものしっかり見てしまったら。もう、ぞわぞわぞわっ、と電撃じみたものが足のつま先から脳髄まで駆け抜けていった。
 えええええ何コレ何コレどういうことっ、とか混乱状態なのはライナも一緒で。

 気がついたら、ライナの手のひらはキファの両頬を挟んでいて。
 気がついたら、キファの手のひらはライナの両頬から外れていて。
 その手は机の上で、色んな書類をぐしゃぐしゃにしちゃってて、あーあどうしようかななんて場違いなこと考えて、でもキファの顔が赤くて、その頬がものすごく柔らかくて吸着力があって弾力もあって気持ちよくて、あと両胸挟むみたいな前かがみ状態だから、なんていうかそのものすごく柔らかそうなものが衣服の上からでもはっきりが押し出されていて、インクがちょっと書類に滲んじゃってるのに気がついて、自分の髪が邪魔くさくて、インクの匂いに混じって花のような優しい香りがして、キファが凄く近くて、キファの息が熱くて、あれ俺何してるんだったっけ????






「―――っ!!!!!!!!!!!!」






 かたん、と椅子が倒れる音がした。
 ライナ・リュートは動かない。
 キファ・ノールズも動かない。
 世界が止まったような空間で、ライナの思考が完全凍結して。
 化け物とか女神とか勇者とかそんな、頭の中住み着いて離れないキーワードもふっとんで。人を愛したりなんてする資格なんてないのに、なんて思って。でももう逃げないって誓ったんだっけとかなんとか思って。

 わけの分からない頭で、眠そうな顔で、いつもどおりに目の前を見たら。

 キファが、泣きそうな顔をしていたから。
 キファが、震えていたから。
 儚い瞳がライナを優しく見つめていたから。

 もう一回、キファとの距離を0にした。


 2011/12/18

 かっとなってやった、的な?
 正直立ち読み状態がとっても長いので、場所も時間軸も総無視で、ある一種の異種間レベルの感覚でお願いします。
 キファ大好きですよっ!


空空汐