6月
むくわれない男
「あたし、思ったの。あたしは一生結婚しないほうがいいんじゃないかって」
別邸でする3人でのお茶会。
真剣な表情をしたミレーユが重々しくそう言ったのを、フレッドとリヒャルトが驚いた顔で見つめた。
「そりゃまた、どうして?」
「だって、あたしって舌の感覚がおかしいみたいじゃない?実際、あたしが作ったパンでたくさんの人に迷惑かけたし……。旦那さんになる人はそんなあたしの料理を毎日食べなきゃいけないのよ?それはさすがに悪いと思って」
あたし、一生結婚しないわ!と宣言する妹とショックを受けている友人を見比べてフレッドは笑った。
「まぁまぁ、そう早まることはないって。ミレーユが味オンチなら、旦那さんも味オンチの人を選べばいいんだよ。ねっ、リヒャルト」
「……そんな人、いるかしら?」
無自覚な妹のその一言に、明るくなったリヒャルトの表情がまた暗くなった。それを横目で見てしまい、フレッドは報われない友人につくづく同情した。
「結構、身近にいるもんだよ。きっとね……」
言ったフレッドの笑顔は若干引きつっていたという。
10月
ハロウィン
「トリックオアトリート!」
「はい、どうぞ」
「うわ、本当に持ってた!」
そんな会話が聞こえて、2階の窓辺で転寝していたフレッドは目を覚ました。
テラスから中庭を見下ろせば、テーブルセットを庭に持ち出してお茶をしているらしい親友と、自分の双子の妹の姿。
ミレーユが「トリックオアトリート」と言う度に、リヒャルトは持っているお菓子をミレーユの口に入れてやっている。
そういえば、今日はハロウィンだったか。
「うーわー、あてられるねぇ……」
2人とも非常に楽しそうだが、それぞれきっと楽しんでいるところが違うに違いない。
リヒャルトはミレーユに手ずからお菓子を食べさせられるから楽しくて、ミレーユはただ単にお菓子を食べられるから喜んでいる、ように見える。色気のない妹だ。
だがきっとそのうち我に返って照れだすのだろう。
「さーて、そろそろ邪魔しに行こうかね」
昼寝にも飽きたし。
親友に援護射撃をしつつからかう、なんて楽しそうなこと滅多になさそうだ。
昼寝で少し崩れた服をなおしながら、フレッドはうきうきと中庭に向かった。
3月
かーなーり、未来の話
「ミレーユ、はい、どうぞ」
「あ、ありがと…」
父がはい、と手にしたお菓子を母の口へ。
「はいっ、どーぞ」
「ありがとう」
母がえいっ、とこれまたお菓子を父の口へ。
小さい頃から当たり前のように繰り返されてきた光景を眺めながら、彼らの息子はため息をついた。
(知らなかったなぁ…)
夫婦なら当たり前のようにしていると思っていたこの、『お菓子の食べさせあい』が自分の父と母独特のものだったなんて。
いつか自分も誰かをお嫁さんにしたとき、するんだと思っていたのだけれど。
(こんなことやってるの、父上と母上だけだったんだ)
それを教えてくれたのは、新しい家庭教師だった。
家族のお茶会に招かれたその家庭教師は、いつものように食べさせあいをした彼の両親を見て、真っ赤になって絶句していた。
その後、坊っちゃんはそんなこと人前でしてはいけませんよ、と釘を刺されたのだ。
小さい頃から当たり前に行なわれていたその行為が、世間一般にとってはかなり恥ずかしいものだったのだと知ってかなりの衝撃だった。
「はい、どーぞ」
ふと気付くと、青い瞳を嬉しそうに輝かせた母が自分にお菓子を差し出していて。
反射的に口をひらくと、手ずからお菓子を食べさせてくれた。ナッツ入りのクッキーだ。
「おいしい?」
「うん」
頷いて、お返しとばかりに母の口にもクッキーを放り込む。
幸せそうに食べる母を見て、その光景を見つめていたらしい父と、悩んだ。
やっぱり、父にもするべきだろうか。
悩みつつ父にもお菓子を差し出すと、「ありがとう」と父は鳶色の目を嬉しそうに細めて微笑んだ。
そして父からもお菓子を貰う。
(ま、いっか)
これが自分達の家族のかたちなのだと思うから、これまでどおりでいいじゃないか。
少し世間の常識を手に入れた少年は、幸せそうな両親を見てそう思った。