*迷子捕獲2回目*




「またか」
「現八さん…古那屋に行きたかったんですけど…ここ、どこでしょうか?」
「古那屋は反対側だ。…しかし、アンタみたいなお姫サマが一人でふらふら歩いているのはさすがに危ないな。帝都もそこまで安全じゃないからな」
「そう、でしょうか?」
「ああ。次からはもう一人で出歩くな。古那屋の2人も心配するだろ」
「あっ…ごめんなさい」
「謝る相手が違うな」

 例え一人で古那屋にたどり着いたとしても、元守人の二人は弥奈を心配したことだろう。押し売りや詐欺、女子供を狙って襲うもの、帝都の犯罪も後をたたない。あと人外も多いため何が起こるのか分からない。多少過保護とはいえ、ついこないだまで神社から一歩も出たことのない、世間知らずの箱入りお姫様なのだ。過敏になるのも仕方ないことだろう。現八とて、相手が弥奈でなければそう気にしない。
 
 はい、と神妙にうなずいた弥奈だが、その表情は明るい。本当に分かっているのだろうかと、現八が不安に思うのもまた仕方がないことだった。

 現八は馬から手を伸ばして、弥奈を馬上に引き上げる。二度目のことで、今回は弥奈も心得て、すぐに体重を現八に預けた。ちなみに前回は自分自身の力で頑張ったは良いが、全く体力のない弥奈は馬の上まで届かず、結局身体ごと抱き上げることになった。信乃にするように手綱と腕の中に収めると、前回同様弥奈の身体が硬直する。さすがに制服姿では馬をまたぐことも出来ないので、横座りになる。普通に馬に乗るよりさらに安定感が悪く、お尻をもぞもぞさせながら身を強張らせている姿は、現八的に割と面白い。

「そう緊張するな。前も落とさなかっただろう」
「無理です! やっぱり緊張します! その、まだ二回目だし、それに落ちるのも怖いですけどっ」

 弥奈を乗せた異物感に「春雷」の名を持つ牝馬は、ぶるりと小さくいななく。その振動と、支えるため腰に回された現八の腕に、弥奈はびくりと震えて口をつぐんだ。
 地に足が付かない馬上は、非常に安定感がなくて頼りない。無意識に、弥奈は現八の服を思いっきり握りしめる。前回も弥奈はこうして学校まで帰った。寮の門の前で中々帰ってこない弥奈を心配して待っていた浜路は、大きな目を真ん丸にして驚いていたものだ。その時の様子を思い出して、弥奈は小さく笑う。少しだけ肩の力が抜けて、それに気づいた現八は、弥奈の腰に回した手を緩める。
 馬上の人間が緊張すれば、馬もまた緊張する。そうすれば現八も「春雷」を操りにくく、気を使う。前回はなかなかに大変だったが、今回は楽そうだ。
 
「………現八さんが近いのも、緊張する原因なんですが」

 普段触れることなどない異性の体温や鼓動をじかに感じてしまえば、弥奈でなくてもたいていの少女は緊張するに違いない。ただでさえ現八は目を惹く端正な顔立ちをしているのだ。現八にとっては信乃を馬に乗せるのと大して変わらず、弥奈の言うことの半分も理解していなかったが。ふむ、と一人ごちて、肩を竦める。

「そうか? まぁ弥奈サマを落とすわけにもいかないしな。我慢してくれ」
「はい。そうします」

 わずかに硬いながらも、にっこりと笑った弥奈に現八は目を瞬く。さっきも感じたことだが、叱ったり我慢しろと窘めている筈なのに、弥奈はひどく嬉しそうだった。何がそんなに嬉しいのか分からない現八は内心首をかしげる。もっともその表情は微動だにしなかったが。

「なぁ、弥奈サマ。あんた迷子になっていた割には、さっきから楽しそうだな。何かいいことでもあったのか?」
「はい。たくさん!」

 今度は、全開の笑顔。
 弥奈は本当によく笑うようになった。
 まるで今までの人生の分を取り戻そうとするように、弥奈は毎日を懸命に送っている。
 それは、おそらくずっと昔に現八が失ったもの。

「だって、また現八さんが見つけてくれました。…迷子になっていると本当に心細くて、すごく不安で泣きそうになるんです。このまま帰れなかったらどうしよう、誰も見つけてくれなかったらどうしようって、そんなことばかり。だから、この前も、今日も、現八さんがきてくれて凄く嬉しかったんです」
「それから、馬に乗るのは怖いけど、動物に近づけるようになったのは嬉しいです。私が生き神だったころは動物に嫌われていましたから」
「あと、現八さんが、沢山心配してくれるのも嬉しいです。――-本当に嬉しいんです」

 ゆっくりと歩を進める春雷の上、弥奈は言葉通り、嬉しそうに幸せそうにとろけそうな笑顔で現八を見上げている。
 何一つ濁りのない真っ直ぐな弥奈の言葉は、ひどく優しく現八に降り注いで、胸の奥に納まった。
 春雷の蹄の音を聞きながら、現八は、自分が弥奈の笑顔から目を逸らせないでいることに気づく。もっと言えば、もっと単純で分かりやすく言えば、現八は確かに弥奈の笑顔に見惚れていた。

 現八はこういう笑い方をする少年を知っている。

 愛られていることを知っていて、愛することを知っている、どんな苦難も困難もものともせずに前を見据える強い少年の笑顔。
 
「―――驚いたな」
「何がですか?」
「アンタ本当に変わったな。前はそんな顔絶対に出来なかっただろ」

 柄にもなく、現八は感動していた。
 自分の腕の中で混乱して泣き喚いていた少女とは思えない。

「そうですね…でも、全部、信乃や現八さんのおかげですよ」

 彼らが村に訪れなかったら、今頃弥奈はここにはいない。
 ヤナが弥奈の願いを聞くこともなく、弥奈は死に、次の弥奈姫が生まれたはずだ。
 感情を殺して、兄や姉の願いも聞き入れず、ただ、弥奈姫として生きる。当たり前だと思っていた最期。

「今は知らないことばかりで少し大変ですけど、兄さんと姉さんがいてくれますし、皆優しいです」

 弥奈は今幸せだ。
 初めて見るもの、初めて学ぶもの、初めて触れるもの、初めて話す言葉、初めて食べるもの、初めての生活、初めての感情。
 そのすべてが輝いて見えるのだと、少女は語る。
 今この瞬間、現八に抱えられて馬に乗っていることもまた、幸せでたまらないのだと。
 そんな小さな事すら大層に思えるほど、弥奈という少女に自由はなかったのだ。
 かつての弥奈の表情がふと頭をよぎり、現八はそっと弥奈の頭に手を伸ばした。突然のぬくもりに弥奈は驚いて現八を見上げたが、男の腕そのものが妨げになって顔は見えなかった。見えなくとも、弥奈の頭を撫ぜる手は大きく、温かい。弥奈はほんのりと顔を赤く染めつつ、男の緩やかな接触を歓迎した。

「良かったな」
「はい!」

 幸せだと笑う少女を見守る眼差しは、男にしてはとても温かなものだった。
 もちろんそれは、弥奈から見ることは叶わなかったのだが。

 実に幸せそうな2人の姿に、様々な憶測と噂が飛び交うのはまだ先の話。
 2015/04/01