8月
その1 ヤドアティ
「ああ、お帰りなさい」
そう迎えた男に、アティはにっこりと笑った。
その笑顔はひどく無垢で、純真で、見ている方が幸せになるような朗らかなもの。
闇から抜け出すようにするりと出でた彼女の姿に、ヤードは笑う。
太陽のもとで華やかに輝く赤い髪は、鈍く月の光を反射する。
大きなベレー帽は彼女のその髪の色と大差ない色。
赤を基調とした服は更に赤く染まる。いつもの白いマントがあれば、尚華やかに赤は映えるのだろう。
全く日に焼けていない白い面に付く点々とした赤。
それは、あまりにも鮮やか過ぎて逆に嘘っぽくすら写る血の跡に他ならない。
「お茶が入っていますよ」
「ありがとうございます」
真っ暗な夜の世界で、何故か差し出されるティーカップを疑問に思うこともなく、アティは満面の笑顔を浮かべた。
それを言うなら、アティの格好に対してのヤードもそう。
明らかに異常なアティの格好に、ヤードは何一つ動じない。
何もかも分かっているというような顔で、にこやかに笑って、自らもお茶をすする。
木の陰に座り込んでの真夜中のティータイムは、明らかに異質で、異常な光景。
「どうでした?」
アティがカップを置いたタイミングを見計らって、ヤードは穏やかに問いかける。
「はい。沢山殺しましたよ」
生徒に見せる満面の笑顔で、アティは言った。
「それは良かったですね」
ヤードもまたいつもの穏やかな笑顔でそう告げる。
真っ赤な赤い髪は尚も赤く血を吸い、アティの笑顔を華やかに染めた。
その笑顔を両手で包み込んで、ヤードは何よりも真っ赤な場所へと口付ける。
口内を浸す血の味と、鼻をくすぐる鉄臭い香りに尚も深く笑った。
「では奇麗に着替えましょうか」
「ええ。血の匂いなんてしたら皆に心配させちゃいますものね」
アティの着替えの入った袋をヤードは示し、立ち上がる。
そうして彼らは闇へと姿を隠した。
気配もなく、音もなく、ただただ静かに。誰にも気付かれること、なく。
「あっ、ヤードさん、おはようございます!」
「おはようございます。アティさん」
明るい太陽の下で、今日も彼らは笑いあう。
誰も知らない夜と同じように。
8月
その2 ヤドアティスカ
スカーレルは目の前にある洗濯桶を見て頭を抱えていた。
それを持ってきた人物は、まずごめんなさいと頭をさげたのだが、反省の色は全くなかった。
「まった派手に汚したのねぇ」
「あはは、はは…つい☆」
「ついじゃないわよ! ついじゃ! アティ! あなた女の子なんだからもっと身だしなみに気をつけなさい!」
「ごっ、ごめんなさいっ」
「まぁまぁスカーレル、そのくらいにしておいて下さいよ」
「ヤード! あんたも甘やかさないの! 見なさい!!!」
ばんっ!! とスカーレルが広げたのは、普段アティが身に着けているハイネックのワンピース。
真っ赤な生地で出来たそれは、今や真っ黒に染まっていた。
3人にとっては言わずもがな。
血である。
それはもう、見事な血の跡だ。
ついでにスカーレルはもう一つ持ち上げて見せた。
元は真っ白だったはずのそれ。
今は何がなんだか分からなくなっている赤とも茶色とも付かないそれは、アティのいつも被っている白い帽子に他ならない。
「こっちは赤いからともかく! こーんな白い生地をこれだけ汚して!! 大体血は落ちにくいから付けちゃダメでしょう!?」
「ごめんなさいっっ。つっつい!」
「アティさんは返り血避ける気がないですからねぇ」
朗らかに述べたヤードにアティは真っ白になって、スカーレルは真っ赤になった。
「今度、こんなに血で汚してきたらぜーーーーーったいに洗わないからね!!」
「あああごっごめんなさいスカーレル!! でもこれからもお願いします!! 気をつけますから…っっ」
「気をつけるんじゃなくて、絶対に汚さないの!!! 大体なんであたしに持ってくるのよ!!!」
「スカーレルじゃないと汚れがちゃんと落ちないんですもん! 私もヤードさんもお洗濯下手ですから!!!」
「自慢する事じゃないわよ!!!」
喧々囂々やり合う2人の横でヤードはのんびりまったりお茶をすする。
3人分入れたお茶はヤードの分以外はすっかり冷めてしまった。それを残念に思いながらも目の前の2人を見て、朗らかに笑う。
「あはははは」
「笑い事じゃありませんよ!」
「そうよヤード! 貴方どっちの味方なわけ!!」
「嫌ですねぇ2人とも」
睨みつける2人に、全く持って裏表のない朗らかな笑顔でヤードは告げた。
「両方に決まってるじゃありませんか」
11月
その3 ヤドアティスカ
「私の優しさは後付けなんですよ」
にっこりと、アティは笑う。
それはスカーレルの『センセーはさぁ、なんであの子達を守りたいわけ?』という、ささやかな問いかけに対する答え。
"先生"は、眼鏡の奥の瞳をゆるりと細めて、目の前の光景を眺める。
"生徒"である少年と、この島の子供たち。それと、大人げのない海賊たち。
一緒くたになって戯れている、そんなひどく微笑ましい光景。
「後付けだから、本物が守りたいんです」
駄目ですか? そう言うかのように、アティは長い髪を翻して、スカーレルに笑いかける。
分かるような、分からないような答えに、スカーレルは「ふぅん」と気のない返事を返し、お茶をすする。
一目で上質と分かる香りとティーカップ。どこからこんな上等の茶器を取り出したのか、と言われれば、元無色の召喚士どのに聞くしかない。
一息でお茶を飲み下し、次を要求するように、くるりと椅子越しに振り返る。
当たり前のようにスカーレルのティーカップにお茶を注ぐ長身の召喚士。
それにスカーレルはにやりと笑い。
「じゃあ、あんたは? ヤード」
「私、ですか?」
「そ、あんたよ」
問いかけられて、青年は生真面目に考え込む。もちろんティーポットは優雅な一本足のテーブルに置く。その繊細な彫り細工の施された机も、何処から取り出したのか、なんてヤードしか知らない。
「罪滅ぼし、ですかね」
自分でも少し疑問に思っているような口調でヤードはそう笑い、スカーレルはもう一度「ふぅん」と同じ返事を返す。
同じ口調同じ言葉。だけど少しだけ違う声音。
「貴方はどうなんですか? スカーレル」
問われ、スカーレルは頭の中に浮かんだ言葉を選択する。
「…笑顔が好きだから、かしらねぇ」
誰も笑わない環境の中にいたから、裏表のまるでない純粋な笑顔は、何よりも貴く、得がたいものに映る。
それぞれの答えは三者三様、そして抽象的。決して分かりやすいとは言えない言葉ばかり。
けれども3人は疑問は挟まずに笑う。
どこかしら通じるものがあるから、3人は一緒にいる。
分からないような、分かるような。
なんにしろ、この、喧騒から離れた場所で上質のお茶を飲み、ゆるりと過ごす空間はあまりにも和やかで、幸福に満ちた時間。
だからそれは、何を置いても守らなければいけないものであり、それを邪魔すると言うのなら排除するだけの話。
それだけの話だから、彼らは今日もゆるりと笑った。
1月
その4 スレヤドスレアティ
「あー明けましたね」
やれやれと腰を持ち上げる青年。
肩に担いだ杖を軽く振り払い、くるくると回す。
目の前にあるのは死骸。先程まで人だったモノの成れの果て。
血が体に、服に、こびりついていないか確認して、ふぅ、と息をつく。
視線を巡らせば、すぐに求める姿を見つけることが出来た。
何故なら、あの人はひどく目立つからだ。
「アティさん、終わりましたか?」
「あっ、はいヤードさん。今日はこれで終了ですっ」
にっこりと笑う赤い女。
ヤードとは対照的に、全身くまなく真っ赤に血を浴びている。ただでさえ赤い髪はもはやどす黒い。
それでもまぁ、服は前に敵から奪ったもので、汗くさいそれをしっかりスカーレルが洗ったものであるから、アティは体についた血を洗い流すだけでいい。服は使い捨てだ。
「それじゃあ帰りましょうか? あんまり一緒にいなくなったままだと冷やかされてしまいますし」
のほほん、と、召喚士でありながら、まるで召喚しなかった(使えば目立ちすぎるからだ)男は提案する。
だが、アティは少しだけ不満そうに眉をしかめて、頬をふくらます。まるで子供のような仕草に、ヤードはあっけに取られた。例えその顔が返り血で染まっていても、可愛らしい動作だ。
「アティ、さん…?」
「…私と冷やかされるの、ヤードさんは嫌なんですか?」
「……………は?」
完全に思考が止まる。
完全に動作も止まる。
ええと。
今、なんと言いましたか?
固まったヤードをアティはちらりと見上げ
「ヤードさんは私より皆と一緒に居る方が楽しいんですか? 私と一緒に居るの、嫌なんですか?」
なんて、とんでもないことを言ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいアティさん!! 一体どうしてそうなるんですか!?」
まだまだ言い足りないというように、何か言おうとしていたアティをヤードはなんとか押し止め、悲鳴に近い声を上げた。
普段冷静なこの男を、本当の意味でここまで動揺させる事の出来る人物は非常に少ない。
「だって、今日はお正月なんですよ? 無礼講なんですよ!? 好きな人と一緒にいたいって思うのが当然なんじゃないですか?」
「あっと、いやあの、あ、アティさん?」
「それともなんですかヤードさん! ヤードさんは私のことが嫌いなんですか? そういうことなんですか? 年明けを一緒に過ごす価値もないということですか!?」
「……って、なんでそうなるんですか」
段々と加熱していくアティに対して、ヤードは段々と頭が回り始める。
はぁ、と息をついて、手を伸ばした。
「大体ヤードさんはむぐっ」
「嫌いなわけないじゃないですか」
思いっきり抱きしめると、長身のヤードの胸の中にアティは収まる。
咄嗟に顔を上げて、また押し付けられた。
常にないヤードの乱暴な動作に、アティは大人しくなる。むぅ、と口を尖らせながらも、返り血以外の意味で、その頬は赤い。
いつもお茶の香りを漂わせる男の香り。血の海に立ちながらも、男からは確かにその香りがした。
「どの道私もアティさんも血の匂いがするわけですし、朝まで一緒に居ましょうか」
「―――はい!」
いつもなら絶対にこんな後で面倒引き起こしそうなことはしないけれど。
けれども、今日の仲間たちは散々アルコールが入ってかなりのハイテンションだし、抜け出した自分たちに気が付いたメンバーが何人いたかも分からない。島上げての宴会はしっちゃかめっちゃか。それを壊そうとする輩はここに屍と化した。それなら少しだけ、自分たちだって羽目を外そう。
眩しいまでの初日の出を見ながら、血の海の上でヤードとアティは唇を合わせた。