2008年7月



「ナタリア…」
「…あら? どうしましたのルーク?」
「あ、い、いや、あのさ…なんか、オレに出来ることがあったら言えよな? オレじゃ、頼りねぇかも知れないけどさ」

 頭の中をよぎる名前。
 自分と違う、けれど同じ人間。
 無意識に、唇を噛む。
 彼ならきっと、ナタリアにこんな顔させないのに。
 いるだけで、ナタリアは喜ぶにちがいないのに。

「…ルーク」
「おっ、おお」
「お気持ちだけで十分ですわ。だって、わたくしは貴方がいるだけでとても助かっているのですから」

 にこりと微笑んだ王女様の瞳に嘘はなかったから。
 なんだか、胸の奥によどんでいた何かが軽くなった。





...モドル?
2008年9月



 つんとした横顔を見せたまま、決して振り返ろうとはしないナタリアにジェイドは苦笑する。
 大したことではなくて、いつものようにジェイドがナタリアをからかって、その結果だ。
 だから本当に大したことじゃなくて、その証拠に、周りの仲間たちも呆れまじりの苦笑。もっとも一緒に騙された人間もちらほらと混じっていたりする。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
「知りません! もう、話しかけないで下さいなっ」
「おやおや、これでも私は結構貴女の事を気に入っているんですがねぇ」
「またそんな嘘ばっかりおっしゃって!」
「嘘だと思いますか?」

 不意に、真面目な顔になったりなんてするから、ナタリアは瞬きを繰り返す。けれど、その一瞬後には既にその顔は崩れて、にこりと、ジェイドはいつもの正体の知れない笑みを浮かべた。

「まぁ、99%程は嘘だと思いますが」

 ぬけぬけと言い切った男に、最早口を開くのも億劫なほど呆れてしまって、ナタリアは大きく大きく息を吐いた。

「ナタリア」

 そんなナタリアを苦笑と共に眺めて、眼鏡の奥の瞳を細めた男は腰を屈め、ナタリアの耳を掠めるように、して、囁いた。

「100の愛の言葉を繰り返せば信じてくれますか?」

 嘘と本気の入り混じった、甘い甘い、戯言。





...モドル?
2009年4月



「ルーク!」
「げっ、なっ、ナタリア…っ」
「まぁ…! げ、とは何です、はしたない!」
「はしたないとは何だよ! 別にいーだろ!」
「よくありませんわ! 貴方はわたくしの殿方となられるのですよ? それに王族としての自覚を…」
「だー分かった! 分かった! ったくもー聞き飽きたっつーの。くっそガイの奴ばらしやがって…!」
「あら、ガイじゃありませんわよ?」
「は? じゃあ誰が」
「ペールですわ。それに、メイドの方々も仰っていましたわ」
「だーーーー。皆ナタリアの味方かよ!」
「ふふ。人徳ですわ」
「あーくそっ。マジうぜー! それで、なんなんだよ!」
「何がですの?」
「何が、って、なんか用があったから来たんじゃねーのかよ」
「…ああっ。そうでしたわ!」
「んで、なんだよ」
「………あら? 忘れてしまいましたわ」
「はぁ!? んだよそれ!」

 ―――だって、伝えたらすぐに逃げてしまうのでしょう?





...モドル?
2010年3月



「ナタリア」
「―――っっ。る、ルーク?」

 突然呼びかけられて、ナタリアは素直に驚く。
 何故ならここはナタリアの自室だ。広い部屋の中からの呼びかけ。ルーク・フォン・ファブレは部屋の奥、壁に背を預けて立っていた。
 呼びかけたくせに、顔は思いっきり横を向いている。

 その態度に思わず眉をひそめるが、男が妙にそわそわと居心地悪そうにしているのに気づき、首を傾げる。
 別にナタリアの部屋に入ったのがはじめて、というわけでもない。
 ルーク・フォン・ファブレはナタリアの正式な婚約者なのだから。

 昔のように長く伸びた綺麗な赤髪を、無造作に掻き毟ってから、ようやくルークはナタリアの顔を見た。何事かを決心したその様子に、つられてナタリアも真剣になる。

「な、ナタリアっ」
「―――はい」
「―――その…。―――これを、やる」
「?」

 形ががたがたのクッキーが、皿の上にのっていた。
 皿だけはとても豪華で、けれどもその上にあるのはとてもみすぼらしい崩れに崩れたクッキー。

 まじまじとそれを眺めて、ナタリアはルークを見上げる。
 こちらを見ていた筈のルークはまたも視線をはずしていて、そのくせ反応を窺うようにちらちらと目を動かしている。落ち着きのないその様子は、まるで子供のよう。

「貴方が、作りましたの?」

 一番ありそうで、一番なさそうな結論。
 ルークの落ち着きのない態度を見ているとそうなのだろう。クッキーなんて、彼が作っているのを見た事がない。旅の途中だって、そういったお菓子類は作ろうとしなかった。
 そもそも、料理が不慣れな自分達にとって、お菓子は高度すぎるのだ。
 ―――アッシュはどうだったのか分からないのだけど。

「でも、どうしてですの?」
「―――お前が」
「はい」
「その、疲れている、から」
「―――え?」
「っっ!! だからっ、疲れてる時には甘いものが良いって言うだろ! 別に作る必要なんてなかったのに母上が言うからわざわざっっ」

 ポカンと固まってしまったナタリアに、ルークはまるで駄々っ子のように言い募ったが、唐突に言葉をとめる。
 ナタリアの細い指先が、ルークの唇を押さえていた。
 目の前にあるきらきらした大きな翡翠の瞳に、ルークは息を呑む。

「勿論、いただきますわ。だって貴方がわたくしの為に作ってくれたのでしょう?」

 たとえ見た目が不恰好でも、味が美味しくなかったとしても、それを食べて貰えるのは嬉しいことだと、もう二人は知っている。旅の間にどれだけ失敗して、どれだけ迷惑をかけたか分からない。

 心底うれしそうに微笑むナタリアに、ルークは照れくさくそっぽを向いた。

 そんなルークを見上げて、ナタリアは微笑んで、皿には不釣合いなクッキーを一枚、口に運んだ。

 不恰好で粉っぽいクッキーは、不器用な自分達に少し似合わない、甘い甘い味がした。





...モドル?




「かき氷食べようぜ! ナタリア!」
「あらルーク、かき氷とはなんでしょう?」
「見れば分かるって! 俺もこないだ初めて食べたんだ!」

 そう手を引く赤い髪の少年。
 そう手を引かれる金の髪の少女。

 楽しそうに、無邪気に笑いながら、"かき氷"を食べに行く。

「まぁ…冷たいですわね」
「だって氷だし、いいから食べてみろよ」

 少女の手には赤色になったきらきら輝く氷の姿。透明の器がいかにも涼しげ。
 少年の手には緑色の氷。食べたくてうずうずしているけど、少女の反応を見たいらしく変な風に氷が崩れてる。

 少女の手が小さなスプーンを取って、氷をすくう。そうして口に入れたら、まん丸の瞳がさらに大きく見開いた。

「冷たいっ」

 くすくすと笑って、氷の感触を口の中で楽しむ。溶けた氷とイチゴ味のソースが交じり合ってのどをすり落ちる。

「美味しいですわっ」
「だろ!?」

 自分のことを褒められたみたいに、楽しそうに笑った少年。
 2人並んで、かき氷を口に運ぶ。

「沢山食べると頭が変な感じですわ」
「なんか、キーーンっってするよな」
「きーん…そう、そんな感じですわ。不思議ですわね」
「だよなー!」

 笑って、笑って。

「「ご馳走様でした!」」

 そう手を合わせた。





...モドル?