2011年1月



「―――あら?」

 ジュディスが年賀状を取ろうと思って外に出ると、世界は一面銀世界だった。
 真っ白に世界を染め上げた雪が朝日を浴びて輝いている。
 眩しさに目がくらんで軽く頭を振る。

「ジュディ」
「……ユーリ?」

 顔を上げたそこに、いつの間にか現れた幼馴染の姿。
 幼馴染、といっても年は向こうの方が2つ上だ。

「いい天気だな」

 黒いタートルネックのセーターに黒いジーンズ、しかも男の癖にやたらと長い髪も黒と、全身真っ黒づくしの人間から発せられる、爽やかな台詞にジュディスは小さく笑う。
 くすくすと笑いながら雪を踏みしめる。

「ええ、そうね。どうしたの」

 かたん、と郵便受けをあける。
 年賀状の束が辞典ほどの分厚さになって入っている。
 自分と父と腹違いの妹と、たったの3人分にしては随分と多いと毎年ジュディスは思う。
 腹違いの妹はともかくとして、父とジュディス自身がマメに書いて送る方だからなのかもしれないが。

「偶然通りかかったんだよ」

 ジュディスの持つ年賀状を覗き込みながら言うユーリを見上げ、小さくふきだした。

「…なんだよ?」

 訝しげに眉をひそめるユーリに手を伸ばして、その頭に積もったまま忘れられた雪を払ってやる。
 お互いの家はほんの2,3分でたどり付く距離で、とっくの昔に雪は降っていなくて、こんな防寒のしっかりしていない格好で。。

「偶然?」

 雪で濡れた手をそのままユーリの頬に当てると、雪よりも冷たい。両手でその頬を挟み込む。
 ユーリの手がジュディスの腰を抱えて、引き寄せる。倒れこんだジュディスを抱きとめて、ユーリはくつくつ笑う。

「偶然外に出たい気分になって、偶然雪で遊びたくなって、偶然この家まで来て、偶然ジュディに会いたくなった」
「あら…素敵な偶然ね」

 満面の笑顔でそう返すと、ユーリは愉快そうに「だろ?」と声をあげて笑った。





...モドル?
2011年2月



 冬の、きんと冷えた空気を感じながら玄関を出て、遠く寝ぼけた妹の悲鳴を聞いた。
 ほぼ毎日の恒例行事に、ジュディスはくすくすと笑いながら時計を確認する。ぎりぎり学校には間に合うだろう。
 冷え切った空気が肌に痛くて、両手を吐いた息で暖める。ジュディス自身はまだまだ余裕がある。ジュディスの通う高校の方が、妹の通う中学よりも近いから。
 家の門を出て道を曲がるとすぐに、見覚えのある姿を見つける。
 2つ年上の幼馴染。
 長い黒髪のブレザー姿。整った顔がジュディスを見て眉をあげる。
 手に持つ学生鞄とは別の袋を握る手に、一瞬だけ力が入った。

「…ユーリ?」
「よっ。ジュディ」
「ええ。おはよう、ユーリ。それで、こんなところでどうしたのかしら?」

 当然とも思える疑問にユーリはにんまりと笑い、壁に預けていた背を浮かしてジュディスへと向き直る。

「今日、何の日か知ってるだろ?」
「2月14日ね。それがどうかしたのかしら?」
「…分かって言ってるだろ、ジュディ」

 ユーリとジュディスの距離が縮まる。
 近づいた分、ジュディスの笑みは深くなって、ユーリもまた笑う。
 額と額が触れそうな距離で、互いの吐息を感じながら、ゆっくりとジュディスは唇を動かした。

「欲しいの?」
「当然」
「あら…素直なのね」
「嘘は苦手、だからな」

 ジュディスのよく言う台詞を使って、ユーリは目の前の唇との距離を0にする。
 甘く柔らかい唇に触れて、求めて、求められて、味わって、堪能する。
 冷静な部分でここは朝の通学路だと警告を鳴らし、それでも人通りの少ない場所だと知っているから遠慮はしない。

「一つだけ、条件があるわ」

 唇がわずかに離れた瞬間をついて、ジュディは囁く。
 その言葉に一瞬ユーリは眉をよせるが、次の瞬間には傲岸に笑って続きを促した。
 甘い甘いチョコレートのように囁く睦言の中身にユーリは―――。






 黒髪の青年の下駄箱にチョコレートが詰まっていた。
 その机の中にも上にもロッカーの中にも満遍なくチョコレートが置いてある。
 これは2月14日の毎年恒例の姿であり、漫画の世界でしかありえないような現状。

 そして、その現状に、愕然と立ち尽くす黒髪の青年の姿があった。





「ユーリ先輩! こっ、これっ…って…っえ!? ゆ、ユーリ先輩っ!?」
「悪い! 急いでるからまた明日な!」

 呼び止めた女の子が驚くのも構わず、ユーリは全力疾走の如く廊下を突っ走る。
 何が何でも止まってたまるものかといわんばかりの動きに、女の子はあっけにとられ、周囲もそれをぽかんと見送った。
 黒髪の青年が手に持っているのは大きな大きな紙袋。
 ぼこぼことゆがむ紙袋の中身は、まぁ、チョコレートだったりする。
 普段のユーリなら一個でも多くのチョコを受け取ったことだろう。
 甘いものが好きなユーリにとって、この日ほどありがたい日はないのだから。
 それでも彼は突っ走る。
 決してチョコを受け取らないようにして。
 唖然とした学園の生徒の目も全く気にせずユーリは走り続ける。
 本来「廊下を走るな」と注意する教師たちもあっけに取られて見送ってしまう。

 ようやく辿りついた目的の扉をぶち破るような勢いで開いて、息をつく。
 後ろ手に閉めた扉に鍵をかけるのも忘れない。

「ユーリどうしたんだい?」

 扉を開けた先の落ち着いた親友の声に、ユーリは無言で手にもつ紙袋を差し出した。

「?」

 首を傾げながらもフレンは紙袋を受け取る。

「うわ、これ全部チョコレートかい? 凄いね」
「人気ナンバー1の生徒会長様には言われたくねーっての」
「君にはかなわないと思うけど…」

 袋の中のチョコレートを机の上に出しながら呆れた声を出すフレンに、ユーリは意を決して言う。

「頼む、フレン…! 何も言わずにそのチョコを貰ってくれ!」
「………………はぁ!?」
「頼む!」

 実に珍しい、というかありえない親友の姿に、フレンは完全に言葉を失った。




 それはユーリにとって悪魔の囁きに等しかった。

「今日一日、私以外からチョコを貰っちゃダメよ」

 くすくすと笑う彼女の言葉に、ユーリは愕然とし、その言葉の撤回を求めたがジュディス相手に上手くいくはずもなく。

「出来たらご褒美に上げるわ」

 そうして妖艶に微笑まれてしまったらユーリに対抗手段なんて残る筈もなく、今日一日地獄へと突き落とされてしまったのだ。





「…約束守ったからな」

 不貞腐れたユーリの言葉に、ジュディスは実に楽しそうに微笑んで。
 朝から持っていた袋を差し出したのだった。





...モドル?
2011年3月



「ジュディ」

 呼び声に振り向けば、飢えた狼さんが自分の口を指差して笑っていた。
 手に持っているモノを眺めて、しばし考える。
 大分もったりとしてきた真っ白なそれ、に、指先を突っ込んだ。
 人差し指と中指でたっぷりとすくって、狼さんに差し出す。
 たれるほどのホワイトチョコレート入りの生クリーム。
 ボールと泡だて器を置いて、狼さんと向き合うと、彼は長い黒髪を後ろに払いのけて、どこか女性的な仕草で、ジュディの指先へと顔を寄せた。

「ん」
「…ん」

 吐息が重なる。
 とろけるような甘さの生クリームをたっぷりと口に含んで、狼さんは笑う。人差し指の根元から先までしっかりと舐めあげて、その隣の中指へ。垂れた生クリームを求めて手首まで舌先で辿る。
 ジュディの指先が小さく震えて、それに答えるように狼さんは指先にかぶり付く。軽く啄ばんで、舌を絡めて、舐めとって、吸い取る。

「ん。甘い」
「ふふ。満足かしら」
「いーや、全然」
「あら」

 困ったわね、といつも通りの微笑を浮かべるジュディに、狼さんはさらに笑って。

「ジュディ、おかわり」
 
 絡む足と足。
 腕と腕が伸びて。

「お預け、ね」

 狼さんの口をジュディスの手が封じ込めた。
 いかにも不満そうに歪む眉に、ジュディスが小さくふきだす。何を考えているのか分からない、いつものような微笑ではなくて、あきらかに楽しそうな笑顔に、狼さんの表情もまた緩んでしまう。
 力の抜けた男の身体を軽く押して、ジュディスは置いていたボールへと向き直る。

「だって、完成品も食べたいでしょう?」
「…そりゃそうだな」

 はぁ、とため息をついた狼さん。
 その脱力した空気にはもう構わず、ジュディスは作品作りへと取り掛かる。
 彼女の細い指先から作られる芸術的なお菓子の数々を、狼さんはこよなく愛しているのだから。





...モドル?