1月
 砂の人達



「我愛羅、ここにいたのか?」
「…ああ」
「ここからだと、砂が全部見渡せるな」
「…ああ」
「この場所が、好き?」
「…ああ、そうだな」

 その答えにテマリはいたく満足して。

「今年も、よろしくな」

 今年初めての日の出を2人揃って眺めていた。


 そしてそれを眺めている男2名。

「ってか、俺仲間はずれじゃん? めっちゃひどいじゃん」
「まぁ姉弟水入らずでいいことじゃないか」
「って俺も兄弟じゃん! 我愛羅の兄貴じゃん! テマリのおとーとじゃん!」
「…そうだったか?」
「うわっ。バキせんせーひどいじゃんっ」
「いや、だがお前、あの空気を邪魔出来るか?」
「―――っ。そっ、それを言われると困るじゃんよ」
「なら諦めろ。そして大人しくこれでも飲んでいろ」

 じゃかじゃんと出された一升瓶。
 無駄に忍術使うなよ上忍。
 そして、裏を向いていたラベルがくるりと表を向く。

 ―――芋焼酎『ザ☆独り者』―――

「いーーーやーーーだーーーーーーぁああああああああっっ」
「まぁそう言わずに、というか四の五の言わずに飲め」
「いっ嫌じゃんっ! 絶対嫌じゃん! 万年中間管理職で苦労人の独身中年と一緒にするなじゃーーーーんっっ!!!!」
「ほほう。良い度胸だなカンクロウ」
「げっ、しまったつい本音が出たじゃんよ」

 じり、と後ろに下がるカンクロウ。
 じり、とお猪口と一升瓶持ってにじり寄る中年上忍。

 それはまぁ、要するに年が明けても暮れても同じように繰り返される光景で。


「……平和だな」
「ああ、そうだな我愛羅」

 実に、楽しそうに、2人はカンクロウの絶叫を聞いていた。
2月
 イタテマとスレナルヒナ。バレンタイン。

 じぃ、っと見つめられて、少しだけ居心地悪そうに男は身じろぎする。
 心底不思議そうに目の前の女を見つめて。

「―――何」
「んー? いいや。何でも」
「………?」

 そうして不思議そうに首を傾げる男。
 そうしてひどく幸せそうに笑う女。

 曖昧に返され、意味が分からないながらもまぁいいかとあっさりと疑問を放棄する男。
 その手には女に渡されたばかりのチョコレート。

「なぁ、イタチ」
「なんだ」
「…今日、何の日か知っているか?」
「……いや、何かあるのか?」
「んー? いいや。何でも」

 またもにまりと笑う女。
 ひどく幸せそうに。どこか照れくさそうに。

 別に知っているかどうかは重要な話じゃない。
 自分がこの日に彼にチョコを渡せた。それが一番重要な事実で、大切なことだ。
 だから満足なのだと女は笑いが止まらない。

 その表情があまり見慣れなくて、男はこそりと視線を逸らす。なんとなく、気恥ずかしい。けれども彼女のその表情に魅せられてしまって、逸らした視線をまた戻す。その繰り返し。本人は気づかれていないつもりだろうし、事実目の前の女は浮かれて気づかない。

 でもまぁはたから見ていれば一目瞭然であり、それはそれはもう幸せビーム全開だったので。
 …つい、隣の人間に囁く。

「………なんでアイツ今日がバレンタインだって気づかないわけ?」
「それがイタチ兄さんのいいところよ。ナルト君」
「大体、分かってない割に何でテマリ幸せそーなわけ? 意味分かんねーし」
「相手が嬉しそうだし、まぁいっかーって話? それよりナルト君。そのチョコ10倍返しだから」

 絶対零度の視線でにっこりと笑う少女に、少年の手はピタリと止まったが、やがて諦めたかのように貰ったばかりのチョコを口に運ぶのだった。
2月
 スレサスいの。バレンタイン。



 炎が燃える。燃える、燃える。
 どこまでも燃え盛る炎を眺めてから、不意に、山中いのはポン、と手を叩いた。
 そうしてくるりと振り返ると、怪訝な顔とぶつかった。

「ねぇ、手、出してー」
「はぁ?」

 訝しげに眉を潜めたその顔は、下忍時に演技しているものに比べて大分幼い。
 それもその筈。
 山中いのが知る限り、目の前のコイツはこっちの方が本性だ。
 下忍時は兄の真似してクールぶってはいるが、うずまきナルトの遠慮ない態度でどんどん素が出てきている。もっとも本人はそれに気が付いていないのだが。

「いいから早く出しなさいよー」

 手を出さないと焦れて殴りかかってきそうな様子のいのに、諦めきった表情でうちはサスケは手をだした。
 表でも裏でも、山中いのはうちはサスケにとってもっともやりにくい相手だ。
 抵抗なんて無駄だと知っている。

「なんだよ」
「今日、何の日か分かるー?」

 にんまり、と笑われる。
 手を伸ばしたままのどこか間抜けな格好で、サスケは眉を寄せた。
 2月13日。
 何にもない筈だ。

 だが、いのは楽しそうに笑ってそれを否定する。

「はい。バレンタインおめでとー」

 何がおめでたいのかさっぱり分からない。
 手の上にちょこんとのったラッピングされたそれを見て、しばし唖然。
 だって、13日だろ?

 顔に疑問が出ていたのか、いのはシンプルな腕時計を突きつけてくる。
 示された数字は0時15分。
 すなわち、今は既に2月14日だという事。

 ようやく合点がいって、サスケは手の上の重さに意識を戻す。
 甘いのは、そんなに好きじゃない。というより、この日の所為でかなり嫌いになった。それを目の前の相手は知っている筈だ。

「…………嫌がらせか」
「ちょっとー何捻くれたこと言ってんのよー。女の子がー2人っきりでー、バレンタインにチョコ渡してんのよー? もっと真面目に受け止めなさいよねー」

 そんなこと言う割に、いのの顔に照れとか異性に告白する初々しさみたいなものは全く一切合切伺えない。
 相手の意図が読めずに間抜けな格好で固まっていると、いのはひどくひどく面白そうに笑いながら、踵を返した。

「先に帰るわー。返事、期待してるわよー」

 その気配が完全に消えてから、おそるおそるラッピングを紐解いてみる。
 リキュール系の甘い香り。ココアパウダーの振られた茶色く四角い物体。
 その上に白く描かれた文字。

 "10倍返し!!"

 ………。
 ………。………。
 ………。………。………。

 確かに、返事は期待されているらしい。
 女は分からないと頭を抱えて、それでも渡されたものをつき返す気にはならなかったので、"1"の文字の部分を口の中に放り込んだ。
 思ったよりも全然甘くないチョコで、カカオの風味と、じんわりとオレンジリキュールの香りが口の中で馴染む感じが美味しかった。

 どうやら来月は張り切らないといけないらしい。
3月
 先月のホワイトデー板。イタテマ。



 砂に珍しい客が来た。
 鴉の羽のような髪色の男で、年頃はまだ青年と呼べる範囲だろうが、ひどく落ち着いて老獪した表情のせいでそうは見えない。常に無表情を保つその横顔が、今何となくうきうきしているのはきっと気のせいではない。
 そんな事を思いながら、カンクロウは聞かれた事に答える。
 聞かれたのは姉の事。姉がいる場所を問われ、素直に答える。
 他国の抜け忍と懇意にしているなんて異常な状況ではあるが、彼の人となりを知っているので今更躊躇はない。

 ただ、なんであんなに楽しそうなのかと、1人、首を傾げるのだった。



「テマリ」
「ああ」

 一つ、頷いて、少女はペンを置く。
 今日のノルマだった書類はこれで大体片付いた。それに安堵して、テマリはゆっくりと息を吐いた。
 振り返れば、そこに愛しい男の姿がある。
 小さなことだけどひどく幸せな状況に、彼女の頬は自然とほころんだ。

 はてさて何をしに来たのだろうか、と男を見守っていると、イタチは黒装束のポーチの中から何やら取り出す。何を取り出したのか、までは見えない。

「ホワイトデー」

 ぼそりと照れくさげに呟かれた言葉に、思わず目と耳を疑った。

「…イタチ?」
「バレンタインに、貰ったから」
「いや…だが、何の日か分からないと」
「ナルトに聞いた」

 淡々と返ってくる言葉に、呆気に取られる。
 呆然とした状態のまま手を握られて、その上にイタチのポーチの中から出てきた何かが乗る。ラッピングされたクッキー。それと、小さなジュエリーボックス。
 驚いて蓋を開けてみれば、小さなリングが鎮座していた。テマリの指にぴったりと嵌る、鮮やかなエメラルド。

「貰ってくれるか?」

 ほんの少しだけ不安そうにイタチはそういって、それにテマリは笑うしかなかった。
 答えなんか最初っから決まっているのに。
 バレンタインなんて自分の自己満足で、見返りなんて求めてなかったのに、彼の気持ちがひどくうれしい。
 嬉しくて、嬉しくて、自然と全開の笑顔になる。
 きっとこんな顔、彼と知り合わなければ一生できなかった。
 こんな幸せ味わえなかった。

「勿論」

 頂きます、と、泣きそうな笑顔で、テマリは答えた。
3月
 先月のホワイトデー版。ナルトとサスケ。

 10倍返し、と呟く。
 10倍、10倍、10倍。
 結局何を10倍すればいいんだか。
 チョコのサイズ? 値段? 美味さ?
 延々と悩んでいるうちに任務が終わっていた。普段どおりを装ってカカシとサクラをあしらう。頭の中はホワイトデーとかいうものの事だけだ。
 なんせもう明日はその当日。
 適当に貰った顔も知らないような奴等には返す必要ない。同じ下忍仲間に返すものはさっさと買ってある。
 問題は只の一つ。
 下忍仲間であり、暗部仲間であり、仲間以上恋人未満の相棒に渡すものが決まっていないということ。
 ヤバい、と1人ごちる。
 いい加減返すものを決めなければ殺される。
 あいつとヒナタが共同開発している新薬とやらの実験台にされかねない。

 ちらり、と隣を見る。
 同じく暗部仲間の下忍仲間。

「………ナルト」
「あ? なんだってばよ」
「………ヒナタに何を返すか決めたか?」
「あーあいつの欲しがってたブランドの新作バッグと○○堂のクッキー」
「………」

 そうだった。
 こういうヤツだった。
 意外にそつがないというか気が回るというか…。

「………次の任務の報酬3分の1で情報売ってもいいぜ」

 下忍時の口調を捨てて、ナルトはにんまり笑って。
 藁をも掴む思いでサスケはそれに泣く泣く頷いたのだった。
3月
 先月のホワイトデー版。サスケといの。



 何とか死をまぬがれた。
 喜びを押さえきれないでいる女にそう思う。
 ナルトがヒナタ経由で手に入れていた、山中いのの欲しいものリストのうち、とあるブランドのネックレスを買う事にした。
 いつもながら憎憎しい人を馬鹿にしたような笑顔で、サスケの元にやってきて手を出した女。
 勿論準備しているわよね? というそれに、冷静を装いつつ応えた。心臓はバクバクだ。
 手の上に乗せられた小箱の包装紙の柄に、いのは一瞬驚いたような顔になって、次にぱぁっと明るくなった。
 それはそれは、本当に嬉しそうな表情で。ひどく期待の篭った表情で包装を解いて、箱を開けて。
 ネックレスを見た瞬間、飛び切りの笑顔になった。

「ありがとーっ」

 すぐに返事が出来なかったのは、別に見惚たからなんかじゃない。
4月
 ノーマルなナルヒナ。



「なんだか懐かしいね」
「?? 何がだってばよ」
「…ほら、見て」
「? アカデミーの奴ら?」
「うん…。今日はね、入学式なんだよ」
「へぇーそりゃ確かに懐かしいってば! 俺ってば、皆より2年も早くアカデミーに入学したってばよ!」
「あ…」
「? ヒナタ?」
「あ、う、ううん、何でもないの…ごめんなさい」
「何で謝るんだってば?」
「うん…何でもないの。ほっ、本当だよ」
「ふーん? ま、いいってばよ! …でも」
「?」
「懐かしいってば! へへ…ここでイルカ先生やサスケ、サクラちゃんに…皆と知り合ったんだってば!」
「うん…皆と初めて会って…ナルト君を、知ったの」
「へへっ、あの頃の俺が今の俺の事知ったらすっげーひびるってば!」
「? どうして?」
「ヒナタと、こーゆー関係になるなんてそーぞーもしてなかったってことだってばよ!!」
「きゃっ…なっ、ナルト君…!」
「それで今さいっこーに幸せだって教えてやりたいってばよ!」
「―――っ!!」
「ヒナタ?」
「………ありがとう…ナルト君」
「なんで礼を言われるんだってば?」
「…私も、幸せ…。すごく、すごく、今幸せなの」

 ―――それは全部貴方がくれたものだから、ありがとうと言わせて下さい。
4月
 ノーマルなシカテマ。



「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………シカマル」
「………ん」
「………割と、私達は馬鹿だな」
「はぁ? なんだよいきなり!」
「いや、わざわざ2人で時間を割いて会っておきながら、延々と本を読んでいるというのは…多少、間が抜けていないか?」
「………そういやー、そう、だな」
「………」
「………」
「………」
「………うし、将棋でもするか」
「………もしかして私達って将棋か読書しかすることないのか…?」
「………いやまぁ、でもお前、こんな真昼間に街中歩きたいか? 映画とか見たいか? カラオケ行きたいか?」
「………悪かった。お前がいるだけでいい」
「だっっ!!! おっ、おまっっ………!!!」
「? なんだ?」
「………なんでもねー」

 ―――この天然爆弾発言娘!!!
4月
 スレいのとスレ?サスとスレヒナ。

「生きてるー?」
「…ああ」
「ふーん。しぶといわねーあんた」
「………」
「それにしても、暗部に入りたいガキがいるっていうからどんなのかと思えば、イタチの弟だったなんてねー」
「―――っっ!!!! お、前…!」
「あら、怖いわねー。やーねぇ、でも、実力差考えた方がいいわよー」
「だっ、がっ…っ!!! くそっっ!!!!!!」
「あらあら必死ねー」
「よ、けるな……っ!」
「ばっかねー敵が動かない筈ないじゃないー」
「…く、そっっ」
「はい残念。また来週ー」
「…っ」

「あーあー、ほーんと、馬鹿よねーサスケ君」
「いの、やり過ぎ」
「だーってヒナタ、面白くってー」
「でもやり過ぎ。ま、生きてるからいいけど」
「それでこそヒナタだわー! もー大好き!」
「………」
「ちょ、嘘嘘! 逃げないでヒナター!」
「……それ、いのが連れてきてね。いのが止めをさしたんだから」
「はーい! でも、面白いわよねー、ぜーんっぜん気付かないんだもん。私達のことー」
「いつ気付くと思う?」
「いつかなー。賭けるー?」
「………」
「あーもー、黙って運びますよー」

 ―――気付かないのも面白いけど、気付いたらもっと面白いと思うのになー。
5月
 砂3姉弟。



「…終わったのか」

 静かな問いかけに、カンクロウはびくりと体を跳ねさせた。任務完了して帰ってきて報告書をまとめて、今から出そうとしていた相手が目の前にいた。テマリは気が付いていたのか、深く頭を下げる。

「おっ、おお、終わったじゃんよ。えーっと今から行くとこだったじゃん」
「こら、カンクロウ。風影様になんて口の聞き方だ」

 びしっと突っ込まれて、カンクロウはあーと呻いた。そうだった。
 この自分たちの弟は既に自分よりも遥かに偉い人物なのだ。偉いというか、里の最高権力者。未だにそれに馴染めない。
 もっともそれは相手も同じようなのだが。

「そうだったじゃん。悪かったじゃんよ。…風影様、これが今回の報告書です」
「…ああ」
「それから以前仰っていたアカデミーの件ですが、こちらも8割完了しました。後は教師の補充と強化を図るべきかと思います」
「……ああ。任せる」

 とりあえずカンクロウはそれで報告終了。代わりにテマリが前に出る。

「以前起きた暴動の件ですが、首謀者が風影様に用があるそうです。お会いになりますか?」
「……ああ。分かった」

 14歳の、しかも化け物つきの風影なんて認めない。暴動の原因はそれだ。憂鬱な邂逅になることだろう。
 ただ、まぁ、今現在我愛羅が憂鬱なのはそれが原因ではない。

「それでは案内いたします」

 参りましょう、と、テマリは踵を返す。
 歩き始めようとして、止められた。テマリの服とカンクロウの服を小さくつまむ我愛羅の姿に、2人は首を傾げる。心底不思議そうに。

「風影様?」
「どうしました?」

 ひどく子供っぽいことをしてしまっている我愛羅は、本当に、本当に少しだけ恥ずかしそうに「その…」と呟いた。
 言葉の続きは中々出てこない。
 辛抱強くテマリとカンクロウは言葉を待つ。

 この弟が自分の考えをまとめて口に出すには時間がかかるのだと知っている。そして時間がかかればかかる程、彼が心から思っていることなのだ。
 だから2人は決して急かさず、彼の次の言葉を待っていた。
 どれだけ時間が経ったのか、意を決して我愛羅は己の姉と兄を見つめる。

「…そういうのは、止めて…欲しい。けじめは必要だと思う、が…。その、今は、3人しかいないから、前の通りでいて欲しい」
「………」
「………」

 駄目だろうか? と、そう静かに懇願する、里の最高権力者である少年。
 そう、まだたった14歳の少年なのだ。
 そんな当たり前のことが、改めてテマリとカンクロウの中に落ちた。
 たった14年しか生きていないのに、その両肩には里と、里の人間の命を背負っている。
 それはどれだけの重圧だろうか。どれだけの苦痛だろうか。どれだけの恐怖だろうか。

「その…駄目なら、構わない」

 本当に残念そうにそんなことを言うから、テマリとカンクロウは2人顔を合わせて苦笑した。

「我愛羅、行こうか?」

 テマリはそう手を差し伸べて。

「そうじゃん。さっさと行って、さっさと終わらせて、さっさと飯でも食べるじゃんよ」

 カンクロウがからからと笑う。
 それが、つい最近まで当たり前だった3人の光景。
 我愛羅の望んだもの。
 珍しいことに、風影たる少年が本当に呆気にとられて立ち尽くしていたから、テマリとカンクロウは実に楽しそうに笑って、つられる様に我愛羅も笑った。
6月
 カカシ→スレヒナ。



 ヒナタは自他共に認める現実派だった。
 それは、勿論日向家始まって以来の落ちこぼれ、かつ、引っ込み思案で大人しい"日向ヒナタ"ではない話だ。

「ねぇ、ヒナタ」
「何」
「んーーー君はさ、考えたりしないの? サクラみたいに恋愛云々。君たちの年頃ってそういうものでしょ?」
「別に。サクラちゃん達みたいにそっちばっか考えてるのはあり得ないって思うけど」

 淡々と、実に淡々と死体から刀を抜くリアリスト。
 "落ちこぼれ"、"引っ込み思案"、"軟弱者"。
 数々の当てはめられた形容詞を、目の前の彼女はあっさりと否定する。
 冷たく凍りつくような真っ白な瞳。
 感情を忘れた静かな能面のごとき表情。
 今ここにいるのは、暗部最年少幹部候補。うちはイタチさえも凌ぐ天才と謳われながらも、例外を除くほとんどの人間が正体を知らぬ忍。

「大体、好きだなんて感情、弱点にはなっても利点はないもの」
「んーそれはちょーっと違うんじゃないの? ヒナタ」

 彼女が現実派でシビアなのは、日向という環境がそうさせたからだ。
 愛情を貰えなかった子供が愛情を理解することなんて出来ない。
 夢を教えてもらえなかった子供は夢を理解できない。
 それでも知識は彼女に現実を教える。
 愛だの夢だのの存在が何をもたらすのか、知識として知っている。
 三代目の悲劇もそう。
 大蛇丸と自来也の確執もそう。
 愛情なんてものがあったから、後の悲劇を彼らは生んだ。
 そんなことを、幼い彼女は知識として持っている。
 その瞳に隠せぬものなど存在しないのだから。

「どういう意味」
「気づいている筈でしょ? 君は」

 じゃなければナルトの事を視線で追ったりしない。
 仲間の事をフォローしようなんて考えない。引っ込み思案で都合のいい表の顔を崩そうなんてしない。
 そんな、少しだけ変わったという事実をカカシはヒナタに教える。

 そうでもしなければきっと彼女は一生気づかない。
 自分で"自分に感情などない"なんて思っているから。
 愛情も、憧れも、夢も、本人が気付かなければ意味はない。

 不満げな顔の少女にカカシは笑う。
 そんな顔だって、昔はしなかった。

「………知らないわ」
「ふぅん?」
「………何よ」
「別に。俺はね、ヒナタ。分かっている事を口に出して全部教えてあげるほど親切じゃないんだよね」
「何、それ」
「別にぃ」

 にんまりとカカシが笑えば、ヒナタは心底嫌そうに顔をしかめて、暗部面をつけた。
 表情はもう見えないけれど、付き合いの長いカカシとしては、その耳がほんのり赤く染まっているのを見逃さない。
 心底楽しく笑えば、ヒナタは逃げるように立ち去った。
 気が付けばもう、任務の事後処理はばっちりだ。良い同僚を持ったなぁ、なんてしみじみと思う。

「にしても、ねぇ」

 ため息混じりに苦笑。
 愛だの恋だの、まぁ確かに忍には大して必要ではないかもしれないが、人間としてはとっても大事なものをカカシは持っている。
 人に言ってしまうのはもったいないし、そもそも父性やら母性やら色々混じってるような愛情だからうっかり口には出来ない。ついでに言うなら誰かにばれた瞬間にロリコン確定だ。それは多少勘弁願いたい。

 それでも。

「俺って結構気が長かったのね」

 しみじみと、しみじみと。
 リアリストな同僚を思い出しながら、カカシは笑うのだった。
7月
 ナルヒナその1。



 どうしようかな、とヒナタは迷う。
 寂しいのと、悲しいのと、ほんの少しだけ悔しいのと。
 いろんな気持ちがぐちゃぐちゃにどろどろに混じり合う。
 ちくちくちくちくと身を苛む痛みに途方にくれる。

 目の前には憧れの人と、憧れの人の想い人。
 自分なんかとは比べものにならないくらい可愛くて、恰好良くて、強くて、頭が良くてとても素敵な女の人。

 あの人と一緒にいる時の彼の顔は、自分に向けてくれるものとはまるで違う。
 どうしようかな。
 他に考える事もある筈なのにそれしか思いつかない。

 時間は刻々と過ぎていく。
 あんまり今日が楽しみだったから、待ち合わせ時間よりも1時間も早く来てしまった。

 早くなんて来なければ良かったのに。
 それならきっと、こんな光景見なくてもすんだ。
 さっきまでの最高の気分は吹き飛んで、今はみじめな気分で一杯だ。

 どうしようかな。

 一刻も早くここから逃げ出したいと思っているのに、足はぴくりとも動いてくれない。まるで根が生えてしまったよう。


 途方にくれた少女をあざ笑うように時間は過ぎていった。
7月
 ナルヒナその2。



 立ち尽くしてる小さい影を見つけて、赤丸に合図を送る。
 忠実な忍犬は小さく吠えて、大地に足をつけた瞬間大幅な軌道修正を行った。
 移動は一瞬だ。

「いようヒナタ!」

 声に、びくりと反応する仲間の一人。
 その過剰な反応に、またキバも驚く。

「どうしたよ。ヒナタ」
「あ、き、キバ君」
「あ?」

 何を言っているのだ、と、聞き返す。
 蚊の鳴くような声を聞き取るのは昔から一苦労だった。
 もっとも最近は前ほど聞き取り辛くはないし、会話でもたつくことも随分と減った。
 ただし癖で、大げさに聞き取る体制に入ってしまう。

「あ………」

 だがどうやら言葉が見つからないらしい。
 ここで切れなくなった分成長したな、と思う。
 実際ものすごく気が長くなった。
 昔はしょっちゅうこの仲間の少女にぶち切れていたし、秘密主義全開のもう一人の仲間にも切れていた。

「あの…ね」

 どうしよう、と、しょぼくれた顔の少女にぴんと来る。
 キバの鋭い方だと自覚済みの第六感ってヤツがびしばしくる。

 だから匂いを探す。
 普段は疲れるから意図的に切っている嗅覚を広げて、とある人間の匂いを探す。

「おっ」

 ビンゴだ。
 真後ろ。あいつの匂いと、もう一人。

「あー成る程なー」
「…きっ、キバ君?」

 合点がいった。
 納得した。

 けけっと意地悪く笑う。
 あいつはどーせ未だにこの少女に告白していないのだ。

 一人で納得して一人でにやにや笑うキバに、少女はきょとんとして途方にくれている。
 まったくもう可愛くて仕方がないやつらだ。
 だからいらないようなちょっかいを出したくなるし、からかいたくもなるし、手助けもしたくなる。

 ああ、あいつがビビリ君だ、とか、そんな事言ってたのはサスケのヤツだったか。
 それもある意味納得だ。
 あいつはいつまで経ってもびびってる。
 分かりやすい少女の気持ちなんてものを探している。

「おい、サクラー! シズネさんが呼んでたぞー」


 止まらない笑いを前面に出しながら、とりあえずキバは障害を取り除くべく声を張り上げた。
7月
 ナルヒナその3。



 サクラとキバがその場を去るまで、ナルトはその場を動けなかった。
 棒立ちになったまま動けなかった。

 だって見てしまった。
 見たくないものを見てしまった。

 自分とヒナタを分断するように立っていたキバと、馬鹿でかい赤丸の体。
 サクラへの返答もおざなりになりながら、二人のことが気になって気になって仕方がなかった。

 八班は、仲がいい。
 そんなの知っている。
 十班だって仲がいいし、七班の自分達だって仲はいいと思う。
 それでも、八班は仲がいい。
 本当にお互いがお互いを補い合っていて、パズルのピースみたいにしっくりはまる。
 まだ下忍の時代、自分が里にいた頃は、ずっと三人で一緒にいた。
 再開した頃だって、結局は三人一緒だった。

 だから、キバとヒナタが話してんのなんて普通だし、キバがヒナタを好きなわけでもないのを知っている。
 キバはヒナタを妹のように可愛がっていて、ヒナタもキバを兄のように思っている。
 それだけだ。

 それだけなのに、二人が一緒にいるから、ひどく近い距離で話しているから、そわそわして、イライラして、わけのわからない焦りが生まれて、気持ちが悪くなる。

 サクラとキバがいなくなって、もう何を言われたのかもわからなくて、ただ、ヒナタだけを見ていた。


 もうそれしか見えなかった。
7月
 ナルヒナその4。



 どうしよう、とやっぱりヒナタは途方にくれていた。
 キバが軽く頭を撫ぜて緊張を解いてくれたけど、憧れの人の視線にすぐに体が固まる。

 何を言えばいいのだろう。
 何を聞けばいいのだろう。

 わからない。
 わからない。
 わからない。

 いつの間にか目の前に彼がいた。
 昔と違って今は見上げないとその顔が見えない。

 見上げて、もっと途方にくれた。
 ナルトがひどく悲しそうに、苦しそうに、辛そうにしていたから。
 気付いたら、急に胸が苦しくなった。

 だって、そんな悲しい顔、なんて見たくない。
 彼には世界を優しく染めるお日様のような笑顔が一番似合うから。

「なっナルト君」

 あの、と続けようとしたら、急に抱きしめられた。
 突然閉じ込められた腕の中で、何が起きたのかわからないままにヒナタは息を呑む。
 痛いくらいに、苦しいくらいに締め付けられて、ようやく何が起こっているのか気が付いた。

「ナルト君?」

 抱きしめられて、その事に気付いて、もう一つ大事な事に気が付く。

(震えているの?)

 どうして?
 わからなかった。

 何か怖いのだろうか。
 何か恐ろしいのだろうか。

 ヒナタには何もわからない。
 わからないけど。

 抱きしめる。
 一生懸命自分なりに気持ちを込めて。

 大丈夫。
 大丈夫だよ。
 怖くないよ。
 恐ろしくないよ。


 陽だまりのように暖かな腕の中で、ヒナタにはそれしか出来なかった。
7月
 ナルヒナその5。キバとサクラ(スレ)。



「で、何よキバ」
「うわこっわ」

 がらりと声音まで変わった。
 据わった翡翠の瞳は背筋を凍らす絶対零度の視線を放ってる。
 怖い怖い。
 女って怖い。
 マジ怖い。

「だって、シズネさんが呼んでるなんて嘘でしょ」
「いや嘘だけどよ、っつか、なんだよそこまで怒る事でもねーだろ」
「明らかに邪魔しといてよく言うわよ」

 春野サクラ、という人物と喋ったことは、実のところあまりなかったので、キバはマジマジと目の前の人間を観察してしまう。
 イメージは気を使えない女。
 割とずけずけモノを言うし、嫌いな相手に対する態度は傍から見てて不愉快なくらいだ。
 だから今回の事とてヒナタがいるってことなんて気付かないで、ナルトと話していたのだと思ったのだが。

「邪魔って…。お前の方が邪魔してたんじゃねーか」
「当たり前よ。邪魔して何が悪いってのよ」
「いや、悪いだろ。気、使えよ」
「何よ、あんたこそ気使いなさいよね。私が私のモノと話してるんだから、気を使うのが当然。なんであの子に遠慮しないといけないのよバカ犬」

 ………なんでしょうね、この云われよう。
 っていうか、本当にこいつは春野サクラなのか?
 匂いは確かにそうだし、気配だってそうだし、理性は確実に答えを出している。
 それでも本能的な何かが警戒して止まない。

 こいつは違う。
 こいつは違う。
 警戒する獣よろしく自然と威嚇していたキバに気が付いて、サクラはにんまりと笑った。
 よろしくない笑顔。
 獲物を見つけた肉食獣。

「あーら、バカ犬さんったらバカの癖に鋭いじゃない」
「って、マジで誰だてめぇっっ!!!!!」
「あらやだキバ。貴方知らないの? 暗部最強の桜さんのこと」
「はぁ?!」
「あれよあれ、"満月の夜は桜さんでるぞ。桜さんが怖けりゃ家にいろ。でないと桜さんに攫われるったら攫われる"……って誰が攫うかしゃーんなろーーーーーーーーーっっ!!!!!」
「意味わかるかーーーーーーっっっっ!!!!!!」


 『桜さん桜さん』
 言う事を聞かない子供に言い聞かせるための歌。
 暗部最高の実力者、桜のような鮮やかなピンク色の髪を持つ闇朔という実在の人物をネタにした歌である。
 ちなみに十年程前から歌われている。
7月
 ナルヒナその6。



「…ヒナタ」
「…うん」
「………その、な、知ってっとは思うけど、オレってば野菜嫌いだし、カップ麺ばっか食ってて、料理とか全然出来ねーし、その、だから」
「………うん」

 何を言われるのかわからないままに、それでも大丈夫だというようにヒナタはナルトの背を撫ぜる。
 それを後押しにして、ナルトはずっと言いたかった言葉を告げた。

「その、ずっと、オレの飯作って欲しいってばよっっ」

 そんな、憧れの人の言葉に、ヒナタは呆然と立ち尽くして、ぺたりとへたり込んだ。
 急に力が抜けたヒナタの体に驚いたナルトは、慌てて少女の体を支える。

 だって、ヒナタは、ずっとずっと前から彼に憧れて、彼が大好きで、彼を追いかけてきた。

 だから。
 だから、そう。
 答えなんて。

「はい………っっ」

 もうずっと決まっているのだ。
7月
 ナルヒナその7。キバとサクラ(スレ)。



 守りなさい、と言われた。
 守らないといけないのは、きらきらした金色の髪の、小さな男の子だった
 いじめられてもいじめられても、決して泣かない、泣こうとしない意地っ張りな男の子だった。

 いじめられるのは嫌な事だ。
 ずっといじめられていた幼子はそれを知っている。
 それなのに、その男の子は強くて、強くあろうとしていて。
 力なんて持ってたって役立たずの自分とは全然違った。
 だから。

 守ろうって、思った。
 ずっと、ずっと。
 自分の異端の力は、きっとそのために持って生まれてきたのだと、そう、思ったのだ。


「だから悔しいじゃないのよーーーー!!!!!!」
「っつか何だこの状況」

 くだを巻いて延々とナルト自慢を初めては叫び続ける少女に、キバは何度目になるか分からない酒を彼女のグラスに注いだ。
 まだ未成年だぞ俺ら、とか思いつつも、もう止められるもんじゃないのだと確信していた。


 もしも今頃ナルトとヒナタの仲が上手くいっていたら、絶対に何か奢らせようと心に決めて、キバは自らも酒を一気飲みしたのだった。
8月
 スレナルヒナ。



「夏だねえ、ナルト君」
「夏だな、ヒナタ」
「何がしたい? 夏休み」
「旅」
「うーん。難しいかな」

 それは彼の生まれが原因の一つ。
 そして彼女の生まれもまた原因の一つ。

 狐を腹に抱えた子供と、木の葉でも有数の血継限界を持つ子供の旅など、認められるはずがない。第一、表面上の世界で彼らは未だ話してもいない間柄なのだから。

「影分身をさ、殴っても蹴っても消えないように改良するってのは」
「ナルト君、それもうカンクロウさんから人形借りてきた方が早いよ」
「あーでもそれ誰が動かすんだ?」
「んー……」

 もともと頭の回転の速い二人は、その状況を考えて、起こりうるありとあらゆる可能性を吟味して―――。

「止めた。アイス食おうぜ」
「うん。そうだね」

 あっさりと、放棄した。
 そんな、まだ始まってもいない夏休みの話だった。
8月
 スレシカヒナ。



「ヒナ」

 うだるような暑さの下でへばっている相棒を呼ぶ。

「………」

 そして返事は予想の通りない。
 相棒のへばり具合に比べて飄々とした顔で、シカマルはしゃがみこむ。
 手に持っていたものを、相棒の首筋に押し付けるように、して。

「―――!?」
「よお、ヒナ」
「………………何?」

 ぼんやりとした死んだ目で見てくる相棒に、手に持っていたそれを見せ付けた。
 死んだようなにごった白い瞳が、見る見る間に息を吹き返す。
 さっきまでのしおれた様子が嘘のようだ。

「アイス、食うだろ?」
「勿論」

 即、反応した相棒に苦笑してから、よしよしと頭を撫でてやった。
12月
 ナルヒナシカテマ。



「何これ」

 日向ヒナタの朝の第一声はそれだった。
 目の前に広がるのは靴下と、その靴下に詰められたカップラーメンの数々。
 ほぼ全種類制覇してるんじゃないかといわんばかりのそれ。その数まさしく百に届くのではないのだろうか?
 もちろん靴下はその面積にあわせてパンパンに膨らんでいる。
 というか、これは最早靴下ではない。
 靴下の形をしただけの布だ。
 一体どうやってこれだけ詰めたのかと思ってみれば、どうやら靴下自体にチャクラで強化をかけているようだ。
 なんて時間と素材とチャクラの無駄遣い。
 ヒナタの部屋は無駄に広いから、まだ余裕があるが、これが一般的な部屋のサイズとなれば身動きすら取れなくなりそうだ。

 こんな馬鹿馬鹿しすぎることをする相手、なんて、ヒナタの脳裏には1人しか浮かばない。

 とりあえずそのカップラーメン入り靴下を術で圧縮して隠し、影分身を残して家を出る。

 行くところは一つしかなかった。




 そして、そのあまりにも馬鹿馬鹿しい贈り物をした人間は、実にご機嫌だった。

「ナルト、気持ち悪いぞ」
「うっせー」

 にやにやと笑う少年に、シカマルは深い深いため息をつく。
 その隣で何故かいる隣の国のお姫様も景気よく笑う。

「テマリ、お前も付きあうなよ」
「何を言っている。こんな面白いことに付き合わなくてどうするんだ」
「だよなーやっぱテマリは分かってるよなー」
「当たり前だ。ナルト、お前もよく分かっているじゃないか」

 笑いあう少年と少女にシカマルは苛立ち混じりの深いため息を一つ。
 このお姫様は朝家を出る時に弟達の寝床にそれぞれ馬鹿でかい靴下と彼らの好物を置いてきたつわものだ。普通ならば3日かかる距離をたった3時間でやってきた少女は、その疲れなどまるで見せずに笑っている。
 シカマルの隠し持っている彼女へのプレゼントになど気づきもせずに。

「お、きたきた」

 唐突に、ナルトが言う。
 普段彼らの集う町外れの廃屋は人が来れば直ぐに分かるようになっているし、ナルトが彼女の気配に気づかないはずがない。

「じゃあ私達は退散するか」
「…だな」

 テマリの言葉に、シカマルは矢張りため息とともにうなずく。
 彼らの既に2桁をこす隠れ家の新しい候補を見つけておかなければならない。

 何故なら―――。


 ドギャァアアアアアアアア―――


 爆音が、もう響いてきたから。
 ついでに言うならナルトの笑い声。

「相変わらずあいつらは仲がいいな」

 くつくつと笑うテマリにシカマルはため息で返す。
 あれを仲がいい悪いの問題で済ませていいものなのか。
 あの2人の喧嘩は恐ろしく大規模だ。

「それで」

 3歩ばかり前を進んでいた少女が急に足を止める。
 意味が分からずにシカマルも足を止めた。
 くるりと回る自分よりも身長の高い年上の少女。
 朝焼けの綺麗な道の真ん中で、光を背に少女ははにかんだ。

「私の分はないのか?」

 それは、あまりにも珍しい、凛とした彼女の可愛らしい側面で。
 奈良シカマルはたっぷりとそれに見惚れてから、心から笑った。

 



 家が完全に倒壊してから、ナルトはヒナタを抱きしめる。
 本気の攻防で汗ばんだ柔らかい体。香りは柔らかい花の香り。
 気持ちの良さに酔いしれながら、くつくつと笑う。ヒナタの抵抗などものともしない。
 爆発的な能力はさして変わらないが、持久力ならナルトの方が上だ。

「愛してる。ヒナタ」
「………バカ」

 いつも冷たい彼女をからかうのがナルトは大好きだし、本気のヒナタを相手に出来るのだってナルトくらいのものだろう。
 顔を真っ赤にして、そっぽを向いたヒナタがいとおしくて、いとおしくて。
 ナルトはきつくその体を抱きしめるのだった。

 本当のクリスマスプレゼントを渡すのはもう少し先のこと―――。
1月
 スレナルヒナ



 ようやく一日が終わった。
 そうヒナタは息をつく。
 正直猫っかぶりも楽じゃあない。
 元日恒例のかなり大規模な新年会もようやく幕を下ろし、開放されたのはもう日付も変わったころだった。
 深い深いため息をはいてから着物を脱ごうと、して。
 ようやく気がついた。

「―――何してるのよ」
「何って、べっつにー?」

 飄々とした顔で笑う、金色の髪の侵入者。
 里一番の嫌われ者の落ちこぼれ忍者。
 里の誰もが知る彼とはまるで違う冴え冴えとした冷たい顔は大人びていて、奇妙な色気すらかもし出している。一種異様な空間を作り上げていた少年は、不意に唇を尖らせた。そうすると少しだけ幼くなって、演技している時の表情に近づく。

 その表情で、なんとなく、分かった。
 だからヒナタは笑う。
 疲れ果てた状態で、それでも笑ってしまう。
 強張った作り笑いなんかじゃなくて、心からの笑顔で。

「ナルト、すねてるんでしょ」
「―――まさか」

 少しの間と、逸らされた視線でばればれだ。
 演技は国宝級に上手いのに、ナルトはヒナタに嘘がつけない。

 年末年始は忙しくてほとんど会えなかった。
 多分最後に会ったのはクリスマスイブ。それ以降は家の行事や仕事が多すぎて、目が回る忙しさだった。
 もちろんナルトに構う暇なんてあるわけがない。

「会いたかった?」
「―――別に」

 どこまでも素直じゃない少年に、ヒナタは心から笑った。


 ―――そんな貴方が大好きだと、伝えられない私も大概素直じゃない。
(でも折角なら貴方から言って欲しいの)
1月
 ??→スレヒナ



「―――は?」

 耳から聞こえた単語は脳みそへと伝わらずに滑り落ちた。
 滑り落ちた後になってじわじわと意味を捉える。

 目の前にいる男は珍しいことに真剣な顔をしていた。いつもは任務のことしか頭にない相手だし、艶めいた雰囲気になったことすらない。
 日向ヒナタにとって彼は大事な相棒で、それ以上でも、それ以下でもなかった。
 それは自分だけではなく相手も同様だと考えていたのだが…。

 今しがたの言葉は確実に愛の告白というヤツで、それは確かにヒナタに向けられたもの。見慣れた筈の相手は全く知らない顔でヒナタを見ている。気持ちが悪いほど真剣な顔。
 そう。
 一言で言ってしまえば、気持ちが悪い。
 男が吐いたその言葉は日向ヒナタが最も嫌っている種類のものだ。

 世界を救ったり奇跡を起こしたりする意味不明なものだ。
 それは決して日向ヒナタには与えられてこなかった。
 親親族には軽蔑を与えられ従兄弟には憎悪を、友人には同情と憐憫を与えられた。

 与えられることのないそれを欲しがった時期は、確かにあった。
 けれどもそれはもうずっと昔の話で、今は過去でしかない。

 だからヒナタは冷たく嘲笑する。
 相棒の顔がひどく悲しげに歪んで、見たことのないその表情がちくりと胸を刺した。
 けれどもヒナタは笑い続けて、さようなら、と相棒に別れを告げた。



 ―――ねぇ、"愛"してるなんて薄ら寒い台詞、真顔で言わないで
    (冗談ならきっとまだやりなおせたのにね)
2月
 現代パラレル 教師カカシ×生徒テマリ



「そこの不良教師」

 朝一番にあまりにも不名誉な呼び方をされた。
 今更といえば今更だし、そういう呼ばれ方をされるのは初めてじゃないから、はたけカカシは顔色一つ変えずに振り返る。
 第一今日は休みだからその呼ばれ方は不本意だ。
 声の主は予想通りで、さて今日はどんな悪戯をしようかな、なんて意地の悪いことを考えて、

「はい?」

 思考が止まった。
 考えるよりも先に手が動いた。
 目の前に勢い良く強襲してきた何かを受け止める。
 手の平サイズの物体は、カカシの手の中でグシャと、不吉な音を立てて。
 カカシの血の気も綺麗に引いた。

「あーあ。壊したな」

 いやいやいや。
 いきなり投げつけといてそれはないんじゃないですか?

 そう思いながらもカカシは恐る恐る受け止めた物体へと視線を向ける。

 包装紙はきらきらとしたピンクだった。
 リボンはサテンの赤と白だった。
 可愛らしい花がリボンの周囲を彩っていた。
 ちゃんと四角だったはずのそれは、カカシの手に合わせておもいっきり形を変えている。
 無残な姿になりつつも、確かにラッピングされているということが分かるブツだった。

 見て、思い出す。
 完全に忘れていたバレンタインデー、なんて恋人がいれば薔薇色、いなければ灰色の行事を。

 ………で、なんで、薔薇色の筈のイベントで、その恋人からプレゼントをぶつけられてるんですかね?

 目の前までやってきて楽しそうに笑う少女は、普段の紺色ブレザーとは比べ物にならない可愛い格好をしていた。まぁ、制服は制服で可愛いと評判のブレザーではあるのだけど。
 しかし珍しい。

「どうしたの、その服?」

 絶対にテマリが持っていないと断言できるひらひらのワンピース。色はふんわりと柔らかい緑。シンプルすぎるくらいにシンプルなデザインにかっちりとしたブーツが良く似合っている。
 髪だっていつもと違って肩先まで流しているし、緩やかなカーブを描いている。どうやら軽く化粧も施しているようで、色素が薄い唇はほんのり赤く色づいている。
 まぁ、一言で言えば、可愛かった。
 ついでに言うなら、うっかり襲いたくなるほどに蠱惑的だった。

 自分いい年した大人だろ、と、様々なものを押さえつけながら、なんでもない顔をしてみる。してみるけど、出来ていないことに自分で気づいていた。

 大体テマリは色々不意打ちすぎるのだ。
 それでいて無防備で無邪気で滅茶苦茶で。
 だっていうのにいつもは隙がなくてしっかり者の頑張り屋で、成績優秀だし運動神経は良いし先生受けももの凄くいいのだ。

 つらつらと考えること30秒。
 テマリはにんまりと意地悪く笑う。
 可愛いくせにその笑顔はどこまでも凶悪だ。

「そのチョコ、高かったんだよ」
「は?」
「で、それをお前は駄目にしたんだ」
「はぁ」
「だから、いいとこに連れて行ってくれるだろ?」

 色々と突っ込みたいところが多すぎてカカシは思考をめぐらせる。
 巡らせている間にだからちょっと洒落た服ってことなのかと良く分からない納得をする。

「別に、こんな素直じゃない渡し方しなくてもいいんじゃないの?」

 全然どうだっていいことを口にしたカカシは、一瞬あっけにとられた可愛らしい少女に、さっき押さえつけたはずの色々なものを思い出して―――。

 …ようするに今日は薔薇色曜日だし。
 恋人同士が馬鹿みたいに浮かれて、馬鹿みたいなことをしても、馬鹿みたいな会話をしてたって許されるわけだ。

 顔を真っ赤に染めた少女を抱きすくめて、さてどこに行こうかな、とカカシは笑った。
2月
 スレナルヒナ

 日向ヒナタは基本的に器用である。
 器用でなければ『恥ずかしがりや』で『引っ込み思案』で『落ちこぼれ』の中忍と、『最強』で『冷酷』で『残忍』な暗部部隊長の二重生活なんて出来やしないだろう。

 ただ、それとこれとは話が別だ、とうずまきナルトはがっくりと膝を突いた。
 目の前にある物体がなんだったのか、考えたくない。思い出したくもない。
 ただ塊がそこにはあったし、なにかしら飛び散った残骸も色々あった。
 まるで戦場だ。
 ある意味あまりにも見慣れた光景に、ナルトはしみじみと息を吐く。

「えーと、ごめんね?」
「反省のかけらも感じられませんがどういうことでしょうかねーヒナタさん」

 あっはっは、と乾いた声で笑うナルトに、ヒナタは首を傾げながら首を回して周りの惨状を見つめる。
 己の引き起こした事態に心底不思議がっている模様。

「………で?」
「で?」
「………これの結果がその塊なわけ?」
「うん」

 黒い塊。明らかに硬い。歯で噛める物体でないことが見るからに分かる。
 臭いだっておかしい。どう考えてもおかしい。
 酸味がまず鼻につくし、焦げ臭さは隠しようがない。
 というか、最早食べ物のにおいではないのだ。
 その物体を目の前に、命の危険があるとナルトは判断した。
 食べれるものと食べれるものを掛け合わせて作っているはずなのに、どうして最終的に毒物になるのかナルトにはさっぱり分からない。
 大体なんで自分の家でしないのか、と言いたいところだが、まぁ日向家で作れないのはわかる。だからナルトの家で、というのも納得の理由。ただ、これだけの状況にされるともうなんていうか、泣きたくなってくるのも仕方ないというか。

 しみじみと遠い目になったナルトの口の中に、ヒナタが何かを放り込む。そのあまりにも何気ない仕草に、ナルトは口に入ったものの確認を怠っていた。ぎくりと口のなかへと意識を向ける。
 向けた瞬間の、不意打ち。
 ふわりと柔らかいものが唇に当たって、ポカンと開いていた口の中に入り込むヒナタの舌。2人分の熱で溶ける、甘い、甘いチョコレート。

 恋人同士ならよくある?状態に、ナルトは顔を真っ赤にしてヒナタを引っぺがす。

「美味しかった?」
「―――っっ」

 ほんの少しの笑みを唇に刻んだヒナタにしばらく呆然として。

「そんな事で誤魔化されるかーーーーーーーーーーっっ!!!!!!!!」

 全く説得力のない顔でうずまきナルトは叫んだのだった。
3月
 スレナルスレヒナ



 哀れな罪人ね。
 そう彼女は呟く。

 それにナルトはただ頷いた。
 残酷で無慈悲で冷酷な彼女。
 そんな彼女を愛してしまったのは自分。
 だから彼女の言動に傷つきはしても否定はしない。

 彼女の口にすることは冷たくて残酷で…どこまでも正しい現実でしかないから。

「私は殺すよ」
「―――うん」

 知っている。彼女にとって、彼は敵だから。
 彼女が愛する木の葉の土地に牙を向いた瞬間から、それは決定していた事だから。

「それとも―――」

 続く言葉は聞かなくても判った。
 それだけ彼女との付き合いは長くて、それだけ彼女の事をずっと見ていて。

 ―――冷たくて、残酷で、無慈悲で…それでも時折甘い彼女が、たまらなく好きなんだから。

「うん。俺が、するってば」

 それがけじめ。
 力を持っていても、決着をつけるのを怖がって、嫌われるのを怖がって、"うずまきナルト"を演じきったナルトの決意。

 初めて出来た、心を許せる、大事な、大事な、友人。
 だから。

「俺が殺すんだ」

 薄っぺらい紙切れを手の中で握りつぶして、燃やす。
 うちはサスケの処分の書かれた任務書。

 ようやくナルトは決意した。
 じっとまっすぐに見つめてくる真白い瞳に笑って頷く。その白い瞳はナルトの本心を正しく暴き出す。
 二人は揃って立ち上がる。

 うちはサスケは、まだ気付かない。

 ばいばい。そう、ナルトは呟いて。

 暗部面をその顔に、つけた。
4月
 スレサスいの



 それは金色の光。
 それは銀色の光。
 それは鉄錆の香り。
 それは女の香り。
 それはただひたすらにうちはサスケの胸をえぐる。
 情け容赦なく、冷酷無慈悲に。

「―――はっ」

 バク転で距離をとる。
 スレスレを掠める刃。銀色の光。
 たなびく黄金。

 ―――ああ、それはなんて冷酷で。

 振りぬかれる刀は長く、鈍く、薄く曇ったそれは月の光を反射してサスケを照らす。
 刃こぼれの一つもないそれは一目で名の知れた物であろうと予想がつく。
 貫く瞳は水。
 水面に写る鮮やかな空。
 誰しもを優しく包み込む筈の薄い薄い青は、たった一つを追い求め、それゆえに鋭さを持つ。

 ―――ああ、それはなんて純粋で。

 しなやかな肢体は伸びやかに刀を振るう。
 長く伸びた手足は白く闇夜を照らす。まるで月のよう。
 光を反射してどこまでも美しく優しく輝く。
 そうして残像を作る。

「………ふっ!」
「………っ!」

 一閃。
 とんでもない瞬発力。爆発力。
 横一線にはらわれたその刀を、手にしたクナイで受けとめる。
 片手では―――受け切れない。
 両手で振りぬかれた刀。
 両手で受け止めたクナイ。

 音が鳴る。
 拮抗する。
 刃は動かない。

 薄い青にサスケの姿。
 ぐ、と細い眉がよる。
 それは迷いなのか。
 唇を引き締め、何かを堪えるように目に力をいれる。
 それは一瞬。ほんの僅かな躊躇。
 垣間見せた表情は泡のように消え、揺らいだ瞳はサスケに定まる。

 ―――ああ、それはなんて美しい。

 わざと力を抜く。
 天秤のようにつりあっていた力が偏る。
 体勢を崩す女。

 それをクナイを持って迎え入れる。

「―――っっ」
「―――」

 容赦がない。
 それは鋭い刃。どこまでも何処までも美しく。

 手を、伸ばす。
 腰に掴んで抱きとめれば、簡単に一巡する腕。
 片手でおとがいを上向かせ、笑う。
 驚愕の表情。
 何が起きているのか分からない、そういう表情。
 あれだけりりしかった眉が下がる。
 引き結ばれた唇が震える。
 真っ直ぐな瞳が揺らぐ。

「―――心臓は、そこじゃない」
「………っ」

 足を貫いた刃。
 貫通している神経が切断されている血が流れている―――ああ、それがどうした。

「いの」
「―――っ!!」

 くしゃり、と歪む顔。
 なんて弱いメスの顔。

「俺を殺すために来たのなら、貫く場所は――ーここだ」

 心臓を示す。
 クナイは既にない。
 もうどうでもいい。

「―――なんでよ……っ。なによーっ」

 その声は甲高く耳に通る。
 色で示すならば金。

「…ようやく、喋ったな」
「う、るさい…っっ。うるさい! うるさいっ」

 抱きしめる。 
 強く。強く。
 逃げ出せないように。逃がさないように。

「俺を殺すんだろ」
「そうよーっ! こっ、殺すんだからー…!」
「ああ―――なら、いい」

 早く殺せば良い。
 俺の目的というものはとうに失ったから、今更未練などない。
 未練かもしれない感傷は今ここで終わる。
 もう満足したのだから。

「なん、でよ」

 震える女の声。

 ―――ああ、それはなんて愛しい。

 別に、里にいた頃はなんとも思わなかった。
 何も思わなかったし、どうでもいい他人の1人。
 いつもちょっかいを出してくるうざったらしくて面倒な女の1人。

 それなのに、今は気になって仕方がない。
 …抜け忍になって、木の葉の暗部データを見た。
 そこに、この女のデータを、見た。

 暗殺戦術特殊部隊第7班所属。

 奇しくも、俺のいた班と同じ7。
 まさか、と思った。
 嘘だ、とも思った。
 全く気にも留めていなかった人間が、自分より遥かに優れた力を有していたという驚愕。

 抜け忍になり、ひたすらに強さを追い求めた。
 力を追った。人を殺した。大蛇丸を殺した。うちはイタチを殺した。暁を殺した。

 ただひたすらに。
 ただひたすらに。

 何故か、こびりついた女のデータを消すように。

 今更になって気が付く。
 ただひたすらに、その事実を追いかけていたのだと。
 あの里で培われた強さを追い抜きたかったのだと。
 追いつけたのか。
 いつ追い始めたのか。
 ただ一方的に敵対視した。
 ふざけるなと思った。
 あの甘ったるい木の葉の里で、自分の知らないところで自分以上の力を持っていた、なんて、ふざけた話だ。
 だから、そんなの許せる筈がない。見過ごせる筈がない。
 うちはサスケは強くなるために里を出たのだから、里にいる人間なんかに自分以上の力の持ち主がいて良い道理がない。

 ただそれだけの理由。
 ただそれだけの理由で、一方的に恨み、妬み―――憧れた、のか。

 ようやく巡り合い、そんなことに気がついた。
 そいつの力は想像以上。
 追いついたのかどうか分からない。

 ただうちはサスケの最後の執着がこの女にあるのなら。
 彼女に殺されるのが一番幸せな結末だろうと思う。

「ふざけんじゃ、ない、わよー…」

 ぎり、と歯のこすれる音。
 暗部でありながら、忍でありながら、ひどく人間味のある顔をする。
 それがひどく不思議だ。
 うちはサスケが捨てた色んな物を、この女は持っている。

「なんで、そんな簡単にあきらめるのよー!」

 どん、と胸を叩く音。
 不安定に歪む顔に釘付けになる。

「里も仲間も友達も…! なんで、捨てちゃうのよー!」
「必要がなかったからだ」
「―――っっ。この…っっ」

 殴られた。
 渾身の力をこめて殴られる。
 痛くはなかった。
 苦しくはなかった。
 ただ、惑うだけだ。
 音が響く度に捨てたはずの何かがうずく。
 忘れたはずの何かが主張する。
 とっくの昔に捨てたものがうずく。
 やがて音が小さくなっていく。
 その音すらも消えた頃、ようやくサスケは口を開いた。

「―――なぁ、いの」
「…なによー」
「俺は全部捨てたんだな」

 何もかも。何もかも。
 綺麗に捨てたいろんなもの。
 希望とか、未来とか、友情とか、家とか、里とか。
 目の前の女はその中の一つ。
 捨てた意識すらせずに捨てたもの。

「そうよ、あんたは捨てたわー。私がずーっとずーっと大事にしてたもの全部あっさり捨てたのよー」

 それは女にとってひどい裏切りだったのだろう。
 女は全てを欺きながらも、その全てを守り切ったのだから。
 女は悔しそうに唇を噛んだ。

「なんでー…なんで、捨てちゃうのよー…っっ」

 限界まで堪えていた透明の滴が、まなじりからこぼれ落ちる。

「………」

 ガン、と殴られた気がした。
 心臓の音がなる。
 変な汗が出る。
 息を呑む。
 喉が渇く。
 何を、していたのだろう。
 何をするのだろう。
 俺はどうしてここにいて
 一体
 何を
 し
 て―――。



 ―――何もかもが曖昧になる。
 意思なんて元からなかった。
 復讐を果たしたその瞬間からうちはサスケに意味はなくなった。
 何故なら既にその他の全てを捨てていたから。
 簡単な話だ。本当に簡単な話。

 何もかもを捨てたサスケは自分すら捨ててしまっていた。
 残されたのは、この女に対する執着のみ。

 だから。
 その涙はあまりにも目を引いて。

「―――っっ」

 唐突だった。
 女との再会によってじわりじわりとこぼれ出していた感情が一気にあふれ出した。
 こみ上げた感情はとっくの昔に失ったはずのものばかり。
 女に対する執着が忘れていたものを次々と掘り返してくる。

「なに、泣いてるのよー…っっ」

 ぽたりぽたりとこぼれる熱いしずくは確かにサスケの内より流れていた。
 華奢な体を壊れるほどに強く抱きしめて、うちはサスケはいつの間にか子供のようにむせび泣いていた。
 まるで母親にすがりつく赤子のように。
 いつまでも。

 いつまでも。

 どうしてこの温もりを忘れることが出来たのだろう。
 どうしていらないなんて思ったのだろう。
 どうして拒んだりなんかしてしまったのだろう。

 うちはサスケは、本当はこんなにも愛情に飢えていたのだというのに。





 目が覚めた時、目の前に山中いのの顔があった。
 うちはサスケの追い忍として差し向けられた暗殺戦術特殊部隊第7班所属の忍とは思えないほどの、あどけなく幼い寝顔。
 金色の光に縁取られた卵型の小さな顔を手の平で包み込む。

 ………そのぬくもりが、ひどく気持ちよくて。

 また一つ、サスケの中から忘れていた感情に名前がつく。

 いとおしいとか、守りたいとか、そんな、何年も思わなかった気持ちに戸惑う。
 けれどうちはサスケは結局のところ罪人で。
 里を捨ててきた人間でしかなくて。

 ―――今更、こんな感情を持つなんてあまりにも贅沢で、許される筈がない。
 
 だっていうのに。

「ね、帰ろー?」

 不意に目を開けた女がひどく不安そうにサスケの両手を掴むから。
 もう、サスケにはこの幸せという感情を拒めなかった。
 女の額に自分のそれをぶつけて瞳を閉じる。

 里に帰ったところで問題は山積みで、サスケはさまざまな罪に問われることだろう。その中で果てなく困難で、生きるのはひどく苦しく、辛いに違いない。

 けれども隣にこの女がずっといるというのなら―――。

 きっとそれだけで幸福だ。
 そう、サスケは静かに笑った。
4月
 スレナルスレヒナスレサス+下忍



「泣いてんのか?」
「泣いてるの?」

 暗闇の中から聞こえた不意の問いかけに、幼いうちはサスケは驚いて、あたりを必死に見回した。
 きっと本人は隙なく気配を探っているつもりなんだろうけど、その表情は今にも泣き出しそうに曇っていて、不安そうで仕方ない。
 びくびくしている自分を誤魔化すように、サスケは叫んだ。

「だ、だれだっっ」

 叫んだ声は暗闇の中に飲み込まれて、サスケはさらに不安になる。
 声はどこからも返らない。
 気配、なんてどこからもしないし、耳をすましても動物の鳴き声一つ聞こえやしない。
 きっと幻聴だったのだ。

 そう思ったら、急に怯えていた自分が馬鹿らしくなって、大きく息をついた。
 幻聴なんかに怯えていたなんて情けなくてかっこ悪い。

「誰だ、だって」
「聞かれたら、答えるべきなんじゃないかな?」

 声は再度聞こえた。

(幻聴。幻聴)

 声なんてする筈ない。
 そうサスケは耳をふさぐ。
 何も聞こえないし、何も見えない。
 自分がびくびくする必要なんてどこにもない。

 そう思うのに、どうしたって足はすくむし、周囲の音に過敏に反応してしまう。風に揺れる木々の音が脅えるサスケをあざ笑うように鳴り続ける。

 音がする。ざわざわと、葉と葉がこすり合う音。

「こんにちは」
「こんにちは」

 現れたのは2つの影で。
 その時サスケは情けなくもあっさりとしりもちをついて叫んだのだった。





「っていうのが、サスケとの出会いなわけよ」
「かっこわるいな」
「うるさいっっ」

 ナルトの語りにしみじみと頷いた小麦色の髪の少女にサスケの噛み付くような声が飛んだ。

「でも事実だし。仕方ないんじゃない?」

 にっこりと3人の後ろで微笑むヒナタ。
 手に持つは色とりどりの宴会料理の詰まったお弁当。
 5段のお重を抱えた少女の顔は最早ナルトたちから見えない。いかにも重そうかつ危なそうなのに何故か恐ろしく安定している。
 少女の荷物に慌てて立ちあがるナルトとサスケだったが。

「ヒナタ、危ないぞ」

 ひょい、とお重の3段ばかりを奪ったのは、他国の使者、ナルトから話を聞いていた砂の忍だった。
 目の前が急に見えるようになって、きょとんと目を瞬かせたヒナタは、テマリに向き直り微笑む。

「ありがとう、テマリ」
「どういたしまして」

 その場にいる誰よりも男前な笑顔で砂の少女は答えた。
 笑いあう二人を取り残された少年達は唖然と見守るしかない。

「テマリさんの1人勝ちだね」
「テマリは里で一番女にもてるじゃん」
「あーそれ納得ー。だって、テマリさん本当素敵だものー」

 それぞれ何かを食べたり飲んだりしながらチョウジとカンクロウ、いのは呆れながら笑う。シートの上に広げられた食べ物と飲み物の消費がやたらと早い。

「それで、お前達はなんでナルトと日向のこと知ってたんだよ」

 シカマルが聞けば、中忍試験の時と同一人物とは思えないほどのあどけない表情で、我愛羅が顔を上げる。口に入れたばかりの団子の串を引き抜こう、というところで手が止まっていた。

「そうよね、私達もナルトとヒナタが暗部だなんてこの前初めて知ったもの!」

 サクラはその事が不満なのだろう。
 手に持つおにぎりに力が入っていびつになる。
 ようやう団子を噛み終えた我愛羅は小さく笑う。

「子供のころテマリが一緒に任務したって」
「それであれだけ仲良くなったのかよ」
「…全くだ」

 後ろを通りすがりながらキバとシノ。
 キバが重箱の中からから揚げを引き抜き、投げ飛ばす。
 弾丸のように駆けた赤丸が見事にキャッチし、はふはふと頬張る。主人に似たのかどうか、赤丸は何でも構わず綺麗に食べるのだ。

「桜が綺麗だな、ヒナタ」
「うん。花見の甲斐があるね」

 もっとも大半は花より団子。
 そんなことは2人とも分かっていて。
 沢山の料理におやつにジュースを前に騒ぎ合うメンツを振り返って笑う。

「つかなんで2人の世界なんだよ。無駄に男前過ぎだろテマリ…!」
「かといってあの中には割り込めない…」

 しみじみと息を吐いたサスケはちらりとナルトとヒナタに視線をやる。
 幼い自分の目の前に現れた、黒い暗部達。
 あの恥ずかしい出会いがあったからこそ、サスケは1人では決して手に入れられなかったであろう力を手に入れた。
 この表と裏が180度違う少年と少女にどれだけしごかれたか分からない。死を間近に感じたのはこいつらとの修行中のみだ。

 これからここにいるメンバーはどんどん強くなるのだろう。
 ナルトとヒナタに鍛えられた自分のように。

「全く同情する」

 そう言って笑ったサスケに、何も知らない下忍たちは心底不思議そうに首をかしげるのだった。
5月
 スレナルとスレヒナ



 荒々しい足音が森の中に響きわたる。
 全ての介入を拒むような激しさに、獣は姿を隠し、鳥は次々に飛び立つ。
 そこにいるだけで押しつぶされてしまうような冷徹な空気。
 この場において許されるのは足音の主だけ。

 …の、筈だ。

 足音はやがて駆け足へと変わり、地を離れ木々の隙間を縫うようにして駆け抜ける。
 一刻ほど続いただろうか。
 やがて足音は鳴り止み、獣の消えた森は一気に静まり返る。
 痛いほどの静寂。
 凍りついた空気。

「で、なんなんだよお前はっ!!! しつこいっての!!!」

 苛立ちとともに吐き出された言葉は、甲高い響きを伴って消えていく。
 眩しいほどの金色の髪は闇夜の中でもよく目立った。
 まだ子供だ。
 そして、金色の子供に一方的な敵意をぶつけられたのもまた小さな子供だった。
 本当に小さい子供。
 黒い髪に、異形の真っ白い瞳。
 子供達は向かい合う。
 その瞳に浮かぶのは子供らしからぬ、冷徹で冷たい色。

「日向のお姫さんが何の用だってば」

 冷たく冷たく氷のような瞳で小さな子供を見据える金色の子供。
 それを、その様子を、まるで感情の浮かばぬ瞳が捉える。

「―――狐さんに会いにきたの」
「―――っっ」

 赤い何かが立ちのぼる。
 地面がえぐれ、土が飛んだ。木々が吹き飛び消えうせる。
 金色の子供を中心にして、それだけのことが一瞬で起こった。

「死にたいわけ?」
「それもいいね。でも、その程度じゃ、私を殺せない」

 黒い髪の子供の周囲だけが何事もなかったように無事だった。
 感情の浮かばぬ白い瞳は淡々と目の前の光景を見据え。
 その両手を組み合わせた。

「っっ」

 攻防は一瞬。
 組み合わせた両手は何も起こらず、一瞬それに気をとられた金色の子供をあざ笑うかのように2人の距離は詰まる。瞬き一つ分。それは黒い髪の子供にとって充分な時間。白い瞳は妖しく輝き、しなやかに伸びた指先が金色の子供を体を数箇所つらぬく。
 それだけで、全ての決着はついていた。
 金色の子供の体は力が抜けてまるで動かない。
 仰向けに倒れた子供の上にしなやかな黒髪が舞い降りる。

「な―――んで、」
「ねぇ、うずまきナルト君」

 吐息が触れ合うほどの近くにあるのは瞳孔のない白い瞳。乳白色の妖しい輝きの中に、息を呑むナルトの姿が映っていた。

「私のモノになってよ」
「はぁ!?」
「憎いでしょう、木の葉が。嫌いでしょう、大人達が。壊したいんでしょう、全てが」
「………っ」
「叶えてあげるよ。全部。だって、私もそうだから」

 そう言って、少女は初めて笑った。
 ナルトすら上回るほどの憎悪をその白い瞳に乗せて、全てをあざ笑う。その歪さに、その憎悪の強さに、ナルトは呆然と日向のお姫様を見上げた。
 黒い髪の、白い瞳孔のない瞳をした、かの有名な日向家の長女。性格は内気で陰気、さして目立つ能力もなく容姿能力ともに至って平々凡々。これまで目の端にもかけなかった存在だった。

 やがて、うずまきナルトは笑う。
 自分を、そして恐らくは火影すらも欺いた少女に感嘆と賞賛を心で送りながら。

「いいよ」
「…うずまきナルト君?」
「いいってばよ。日向ヒナタ」

 壮絶にうずまきナルトは笑い。

「―――2人で、全部ぶっ潰そう」

 日向ヒナタは静かにそれにうなずいた。
5月
 ガラクタの世界。シカマルとテマリ



 将棋を指しながら、不意にシカマルは言った。

「お前は…風だな。テマリ」
「は?」
「で、俺が雲。お前が居なければ動くことも出来ねー」
「…どうした? 風邪か? 毒キノコでも食ったか? 明日は大嵐か? 天変地異か?」

 お互いに駒を持つ手は止まり、まじまじと相手を見つめる。
 先に視線を逸らしたのはシカマルの方だった。深くため息をついて立ち上がる。

「シカマル?」

 ほんの少し、ほんの少しだけ動揺のにじんだ声。
 シカマルはどこか勝ち誇った風に笑って、テマリに向き直る。

「たまには素直になりませんか? とね」
「…お前っ」

 ぽかんと一瞬呆けた後に真っ赤になった恋人をシカマルは抱きしめる。
 しばらくしたら背中に自分よりも小さな両手が回って、ごく至近距離の耳元で「ばかやろう」と声がした。
6月
 スレサススレヒナ



「っつーか、お前ヒナタだろ」

 長年?連れ添ってきた相棒にいきなり宣言され、ヒナタはぱちくりとまばたきをくりかえした。もっともそれは暗部面の下での動作であるから、相棒には伝わらなかったようだ。ヒナタの反応はそれだけであったから、相棒はちょっとたじろいだ。
 どうやら確信があったわけではないらしい。
 ちなみに相棒の正体はとっくの昔に見当がついている。というかバレバレ。がっつり確信しているし証拠だってつかんでる。
 日向ヒナタは小首を傾げて面をとる。日向ヒナタとは似つかない黒髪黒目の平々凡々な顔立ち。身長だって本当のヒナタよりずっと高い。相棒である彼だってこの容姿は知っている。

 相棒のどこか緊張した気配を感じ取って、ヒナタは笑った。
 笑って、変化をとく。
 心地よい開放音。煙。
 現れたのは日向ヒナタという、日向家きっての落ちこぼれ下忍。大人しくて恥ずかしがり屋で、地味で鈍くて力が弱くて、役立たずの日向ヒナタ。
 黒髪に日向特有の血継限界の瞳。幼い顔立ちに不釣合いは酷薄な笑みを浮かべる。

 相棒は自分の考えがあっていたことへの安堵か、明らかにほっとした様子を見せた。
 忍びの癖に、感情表現がわりと豊かだといつもヒナタは思う。

「それで、うちは一族の悲劇の主人公さんは、姿を見せてくれないのかしら?」
「―――はぁ?」

 なんで、自分の正体がとっくの昔に知られているってことに気づかないんだろう。そっちの方がヒナタとしては不思議だ。

「改めましてこんにちは。うちはサスケ君」
「………お前……っっ、いつから…!」

 そんなの決まってる。

「はじめから。そもそも幼馴染の姿がちょっと変わったくらいで気づかない方が変」
「は?! いや、ちょっととか、つかちょっとどころじゃねーだろ!!」

 思わず叫んだサスケにヒナタは笑う。
 うちはサスケが知っている日向ヒナタは物静かで、力はないけど優しい少女だ。幼いころから親同士の集まりの時には会っていたし、よく遊んではいたが、今目の前にいる日向ヒナタとは180度違う。

「大体気づいていたなら言えよな…っっ」
「………だって、不公平じゃない」

 自分はすぐに気づいた。
 変化で姿を変えていても、性格を少し変えていても、うちはサスケはうちはサスケだった。
 こっちはすぐに分かったのに、相棒になってもうちはサスケはいつまで経っても日向ヒナタに気づかなくて、だから、自分から言うのはなんとなく嫌だった。ある意味では意地になっていたのだ。

「………あ」

 そしてヒナタは唐突に気がついた。
 気がついたから、ちょっとだけ驚く。日向ヒナタは、自分がどういう人間であるのか実に正確に把握していたから。
 癪だとか、意地だとか、そんなんじゃなくて、ただ。

 ただ、日向ヒナタはうちはサスケに気がついて欲しかったのだ。

「サスケ君」
「なんだよ」

 くすくすと、ヒナタは実に嬉しそうに笑んで、一瞬でサスケの隣に移動する。
 サスケはそれに反応できず、気づいた時には隣を取られていて―――。

 その、瞬きするほどの瞬間に日向ヒナタはサスケの耳元でささやく。

「―――」

 こぼれ落ちた言葉をサスケが拾い集めて形にしたころには、既にヒナタの姿はなかった。
 だいぶ遅れて、サスケの全身が赤く染まる。
 一気に血が上った頭に、サスケはへなへなとへたり込んだ。

 ―――好きだよ。

「返事聞いていけよな………っっ」
6月
 イタテマ



 ことの始まりは、うちはイタチの手を弄んでいたテマリがイタチのマニキュアに目をとめたことだった。

「マニキュア、はげてるぞ」
「………ああ」

 本当だ、と鈍く反応するうちはイタチ。
 これが本当に忍なのか、と言いたくなる程のだらけ具合だ。
 ぼけっとした瞳は焦点を結んでいない。結んでもいない肩下まで届く黒髪は、手入れをしていないのかぼさぼさだし、普段は一分の隙もなく着こなしている犯罪組織暁の忍装束はどこにもない。まるで戦いなど無縁の一般人のような装束。

 うちはイタチ、という人物を知っている者が見れば、自分の正気を疑いたくなるだろう。
 若くして暗部部隊長にまでなったエリート中のエリート。里を裏切り犯罪者組織に所属する忍。
 それが今どこまでも緊張感のない格好でクッションの上で寝そべっていた。
 テマリはそのクッションを枕に、イタチの手を両手で持ち上げていた。
 これまた家族でも知らないようなテマリの姿だった。柔らかく微笑する口元も、まどろむようなその眼差しも、人に甘えるというその行為も、ここにいる2人しか知らない姿。
 
 イタチのはがれたマニキュアをかりかりと爪で引っかいて、テマリはにんまりと笑った。笑うと同時にイタチの手を離す。ぼふん、とクッションに力の抜け切った腕がおちた。

「塗ってやる。貸せ」
「………大丈夫か?」
「大丈夫だ。貸せ」

 なんとも自信満々に言い切ったテマリに、イタチはもぞもぞとポーチを探った。紫のマニキュアの小さな小瓶にテマリは楽しそうに笑う。
 自分の除光液をとってきて、イタチのお腹の上に乗ってその手を取ると、はがれたマニキュアを綺麗にはがしていく。
 基本的にイタチは面倒くさがりで、マニキュアはいつも重ねて塗っていくばかりだから、中々頑固ではがれにくい。
 右手のマニキュアが全部はがれたのを見て、久しぶりに自分の爪を見たな、と思う。今度は左手に夢中なテマリの腰に手を当てて、上半身を起こした。テマリを抱きかかえて座りなおす。イタチの胡坐の上にすっぽりと収まったテマリは、くつくつと笑いながら続きをはじめる。

「………出来たっ」

 イタチの足も痺れてきたころ、ようやっとテマリが歓声を上げた。案外テマリは器用で、見た目は前よりずっと綺麗だ。
 綺麗に塗られた両手を宙に浮かせたまま、出来栄えをまじまじと見る。テマリは満足げに、どうだ、と胸をはる。
 その自信満々な態度に、イタチは笑うしかない。

「ありがとう。テマリ」
「―――っ!」

 素直にイタチが感謝を述べると、砂のお姫様は見事に真っ赤になった。
 普段強情っぱりで気の強い彼女の、時折見せる可愛らしい女の子の顔は一瞬で理性を飛ばしてしまいそうになる。
 だから、思わず抱きしめたら、マニキュアがはがれると怒られた。
 


 そんなやりとりをイタチは己の指先を見て思い出す。
 テマリに塗ってもらったマニキュアはとても綺麗で、イタチは砂から遠く離れた場所で小さく笑った。
7月
 シカテマ



 奈良シカマルは読み終わったばかりの本を置いた。
 次の本を取ろうとして、同じ空間にいたもう1人の存在が目に入る。
 本棚に背を預けて座る、他の国の里の忍。
 小麦色の髪と、僅かに日に焼けた肌、つり上がった鋭い翡翠の瞳。
 綺麗に整った顔は本に向けられて一切動かない。
 ただその指が定期的に本をめくっていく。
 普段接する時よりも本に対する時の方が、大概静かで優しい表情をこの女はする。

 シカマルは小さく息を吐いて、そろそろと女の後ろに回りこむ。
 気配の消し方は完璧。
 女は本に集中している。
 4つに結ばれた髪を見下ろして、にんまりと悪戯をする子供のように笑った。

「―――っっ!!!! しっっ、シカマル!?」
「おう」

 女の手から本が落ちて小さな音を立てる。女の読んでいたページはあっという間に分からなくなって、表紙が表を向いた。
 そんなことにはまるでシカマルは構わず、くつくつと笑いながら女の身体に回した腕に力を込めた。
 忍として鍛え上げられた身体でありながら、充分に柔らかい。女としての魅力を決して失っていない弾力のある肌は、触っていてとてつもなく気持ちいい。
 思いっきり後ろから抱きつかれてしまっては、女のとっさの抵抗も無意味に終わる。

「いっいきなり何を…!」
「別に」

 ―――単に触りたくなっただけ

 後ろから抱きついたまま耳元でそう囁いたら、女は真っ赤になって早口の悪態をもらす。
 「年下の癖して」とか「生意気だ」とか、微妙に腹の立つ内容だったので、奈良シカマルは大事な年上の彼女の脇下を思いっきりくすぐってやった。

 笑い声が響いて、忘れられた本がじゃれあう二人に蹴飛ばされるまであと少し。
8月
 スレナルスレヒナ



「ヒナタ」
「何」
「ケーキが食べた」
「却下」
「………まだ言い切ってないってば」
「この暑い時にケーキなんて食べたくない」
「んじゃアイスケーキ」
「自分で買ってくれば」

 あまりにも冷たい言葉にナルトは絶句。
 次の言葉を見失う。
 しかし感情のやり場を見つけることが出来ずにそれは叫び声として発散された。

「…………だーーーーっっ!!!」
「………ナルト」

 一言。
 名前を呼ばれただけ。
 それで一気にナルトは固まる。
 怒りのオーラをびしばしと感じまくる。
 うっかりすれば殺されかねないような苛立ちオーラがヒナタからは立ち上っている。

「っっ! はっ、はいっ!」
「それ以上言ったら一生ケーキなんて作らないから、っていうか、その書類の山をちょっとは減らしてから文句言いなさい」
「あー……」

 ちら、と目の前を見る。
 机からはみ出しそうな書類の山々山々……。

「死ぬってば………」
「人間死ぬ気ですればどうにでもなるわよ」
「ヒナタってば冷たい…」

 心底泣きそうになりながら、書類に視線を戻すナルト。
 それをちらりとヒナタは確かめて小さく笑う。

「さて、と」
「ヒナタ?」
「書類の分類は一通り終わりましたので、こちらに置いておきますね、火影様」
「ひっ…ヒナタ!?」

 書類を山の上に追加して、にっこりと笑ったヒナタはナルトを振り返りもせずに火影室を後にした。

『………ええええええええええええええっっ!?!!?!?!』

 扉越しでも耳をつんざいた火影の悲鳴にヒナタはくつくつと笑い、次の瞬間には自信なさそうに俯いてその場を小走りで離れる。

「ヒナターなんか今ナルトの悲鳴が聞こえなかったか?」

 丁度すれ違う形になった同期の友人、犬塚キバの言葉に、ヒナタはおどおどと視線をさ迷わせて首を傾げた。

「そっ、そうかな? …なっ、何も…聞こえなかったけど…」
「そか? で、ヒナタ何してんの?」
「あっ、う、うん。…ケーキ、買ってこようかな、って思って」

 そうして日向家のお姫様は、なんの裏表もない表情でにっこりと笑ったのだった。
9月
NARUTO 弐神設定 ヒナタとシカマル




 その温もりを感じるようになったのがいつだったのか、シカマルは覚えていない。

 あまりにもその温もりが気持ちよくて、その正体が純粋に知りたくて、うっすらと目を開けたら、その温もりは雪のようにはかなく消えてしまった。

 それが嫌だったから、シカマルはそれからその温もりを感じても目を覚ますことをしなくなった。
 温もりはとても優しくて、シカマルの額や髪をゆるゆるとなぜる。
 時に傷跡をなぞり、時に衣服を正してくれる。

 今闇月はどんな顔をしているのだろうか。
 あの冷たい無表情?
 人をなんとも思っていないような見下した表情?
 火影に厄介ごと押し付けられて困惑した表情?
 それとも火影に時折見せる無防備な表情?

 シカマルの知っている闇月の顔がいくつもいくつも浮かんで消えていく。


 闇月が笑っていた。
 冷たい冷笑ではない。
 柔らかく柔らかく、とても暖かく微笑んでいた。
 恐らくは本人すら自覚のないかもしれないその表情。
 闇月に頭をなぜられているシカマルはとても気持ちが良さそうに寝ていて、その、思いもしなかった光景に、火影は驚いてつい声をかける。

「闇月」
「っっ………何ですか? 火影様」

 慌てていつもの表情に戻し、いつも通りを装う闇月に、火影は吹き出す。

「いや、なんでもないのぉ」
「………さっさと行きますよ」

 くつくつと笑いながら、早足の闇月について行く前に、火影は呟く。

「邪魔して悪かったのう」

 居心地の良い時間に邪魔されて不機嫌オーラを出しているシカマルに向かって、とても、とても楽しそうに笑いながら。
10月
 1 スレヒナ→ナルト



 刀を振りぬく。より早く。より鋭く。
 その一振りで血が舞い飛ぶ。
 しぶきは鮮やかに軽やかに。
 それがヒナタの日常だった。
 一日たりとも変わることのない日常だった。

 そして、今この瞬間に非日常になる。

「………なんでいるの?」

 目の前に広がった光景に息をついた。
 そうする他に動揺の表し方を知らなかった。

 追ってきた抜け忍が五人。
 それに取り込まれるようにして、非日常の塊が一つ。

 ―――うずまき、ナルト。

 決してここにあってはならないもの。

 気配はなかった。
 油断なんてしてない。いつも通り周囲には気を配っていたし、こんな近くに来るまで存在を掴めないなんてありえない。

 ああ、面倒臭い。
 うずまきナルトを人質にする抜け忍。
 私が狐排除思考の暗部だったら、どうするんだか。

 けれど、この面倒な事態を私は正直恨みたい。
 目の前の人質は、恐らく私にとって一番有用だ。
 武器を捨てる。
 人質を取っておきながら何驚いてるんだか。

 他の人間なら、見捨てた。
 一瞬の躊躇も必要なく切り捨てる。

 でも、出来ない。
 それが、日向ヒナタの弱さ。

 うずまきナルトに惹かれてしまった日向ヒナタの弱さ。

「…さて、どうしようかな」

 どうしようもないんだけど、そんな言葉が口をついて、なんとなく日向ヒナタは笑った。





「お前、馬鹿じゃねーの」

 彼が、私を見下ろしていた。
 輝く金色の髪。
 太陽に照らされてどこまでも光り輝く様はとても綺麗で眩しい。
 なんだかそれがとても嬉しくて、日向ヒナタは笑う。

 体が動かなかった。
 感覚は麻痺してる。
 記憶が曖昧で自分の状況が分からない。

 武器を捨てて、まず腕を折られた。次に足。
 その後は簡単。
 面を割られ髪をむしられ変化をとかれ服を破かれ。
 木の葉の血継限界と名高い白眼を嬉々としてえぐられそうになって。

 かすむ白い世界で金色だけが輝いて。

「なんでだよ。俺みたい化け物かばって何になるんだよ。見殺せば良かったじゃねーか」

 ああ、彼が見ている。
 心地よい声が耳朶を打つ。

 日向ヒナタはようやっと唇を開く。
 微かに空気を振動させて声とならないままに消えうせる。
 言葉は言葉にならなくて、彼は苛立たしげに耳を近づける。

 けれども日向ヒナタには言葉を紡ぐだけの力が言葉が残されていなかった。
 ぼんやりしていたその白い瞳は次第に閉じられ、半開きの唇もそのまま動かなくなった。





 ―――大好きだからだよ、ナルト君。
10月
 2 スレナル→ヒナタ



 馬鹿じゃねーの。

 もう一度うずまきナルトは呟く。
 いつもの演技の時に敵国の忍に人質にとられた。
 それに、馬鹿だなぁ、としみじみ思ったのだ。
 うずまきナルトは狐だ。
 木の葉の暗部ほどの実力者ならそれを知らない筈がないし、うずまきナルトに人質の価値なんてないのだ。

 だから木の葉の暗部が自分ごと敵国の忍を殺すのを見届けるつもりだった。
 どうせうずまきナルトは死なない。狐の回復力はうずまきナルトを生かす。

 だっていうのに、暗部は、馬鹿みたいに、本当に馬鹿みたいにあっさりと武器を捨て、抵抗を止めたのだ。

 その、あまりにも在りえない状況に驚愕した。
 愕然とした。
 演技なんかじゃない。
 本当に動けなくなった。

 何が起こっているのか分からなくなった。

 そんなナルトに誰も気づくはずがない。
 笑い声が耳障りな騒音となってナルトを埋め尽くす。
 奴らは容赦がなかった。
 無抵抗の暗部の腕と足を折って抵抗を封じ、実に楽しそうに笑いながら暗部の全てを剥き出しにした。

 うずまきナルトが見たくもなかったものを全て…暴き出した。

 面を粉々に砕いて、無理やり服を引き剥がして
 飛び散る血の合間に見た白い白い瞳。
 黒い髪がフワフワと舞って、赤い血が沢山沢山飛び散って

 ただ、わけの分からないままに茫然自失としていたうずまきナルトは、その顔に、その髪に、その瞳に、その唇に、その体に、見覚えがあるのだと―――ようやく、気がついた。

「…ひ、な…た…?」

 赤く赤く染まる白い肌。
 善も悪も容赦なく暴き出すような白い瞳。
 純真無垢で何も知らないようなあどけない表情。
 見つめるその瞳に一片のかげりもなく、ただ真っ直ぐに全てを見据える視線。

 白くて、純粋で、優しくて、無垢で、恥ずかしがりやで、変なヤツで、うじうじしてて、それなのに強くて。

 何より
 何より

 とても、綺麗な瞳をしていて。

 弱いくせに、うじうじしてるくせに、真っ直ぐに物事を見るから。

 だから、きっと彼女の目に映る世界は、うずまきナルトが見るものとは全然違うのだろう。



「………け…な」

 震えた声。
 とっくの昔に忘れていた人質としてとった少年から発せられた言葉に、男は笑ったまま固まる。

「あ…?」

 笑ったまま、笑ったまま、自身に何が起こったのかなんてまるで分からないままに、男はその一生を終えていた。
 その異常に、まだ他の誰も気付かない。

「―――ふざ…けんな」

 光だ。
 それはまるで閃光。

 うずまきナルトがいつの間にか携えた刀に、男達はなす術もなく倒れていく。
 その太刀筋はあまりにも見事なもので。
 一瞬遅れてふきだす血飛沫の中をうずまきナルトは歩く。

 既に木の葉に侵入し、うずまきナルトを人質にとった忍達は完全に事切れていた。

 そんな分かりきったこと、ナルトは確認しない。

「お前、馬鹿じゃねーの」

 見下ろした日向ヒナタの死を目前にした白い面。
 真っ白な大きい瞳はそれでも真っ直ぐにうずまきナルトを写し出す。
 日向ヒナタの瞳に写るうずまきナルトの顔は、情けないほどに歪んでいる。

 ぼろぼろの身体で、死に掛けた身体で、日向ヒナタは満足げに笑った。

「―――なんでだよ。俺みたい化け物かばって何になるんだよ。見殺せば良かったじゃねーか」

 日向ヒナタはようやっと唇を開く。
 それなのに、微かに空気を振動させて声とならないままに消えうせる。
 言葉は言葉にならなくて、うずまきナルトは苛立たしげに耳を近づける。

 けれども日向ヒナタには言葉を紡ぐだけの力が言葉が残されていなかった。
 ぼんやりしていたその白い瞳は次第に閉じられ、半開きの唇もそのまま動かなくなった。

「―――ヒナタ?」

 耳を唇に寄せて、声を聞こうとしていたうずまきナルトがそれに気付く。
 吐息が消える。
 弱弱しくも繰り返されていた呼吸という営みが消える。

「ヒナタ?」






 ―――応えは返らない。
10月
 3 スレナルスレヒナ



 狐が咆哮する。
 大地を、空気を、空を、大気を、森を、人を、全てを振動させて、狐は咆哮する。
 歓喜に?
 狂喜に?
 悲哀に?
 憎悪に?

 光が立ち上る。
 あまりにも異常な事態。
 火影の命にて暗部が、特別上忍が、上忍が、中忍が、下忍が動く。

 しかし、だ。
 彼らの中で事態が分かるものなどいる筈もない。
 何が起こるのか分かる筈もない。
 だから何も出来ない。

 溢れるほどの光を取り囲み、手をこまねくしかないのだ。

 忍達の焦燥をあざ笑うかのように、狐の咆哮が木の葉全体に響き渡る。
 びりびりと全身を貫く恐怖。
 いつかの再現に誰もが恐れおののく。

 やがて、光は収縮する。
 じわじわと光は縮み。

 縮み、
 縮み。

「ナルト…」

 少年が一人、立っていた。
 火影が思わずもらした声など聞こえていないのだろう。
 少年はゆっくりと屈み、"何か"を拾い上げる。
 遠巻きに取り囲む忍達に判断できない何か。

 その何かを。

 彼らは知る。

「あれは……っ」
「ヒナタ様…!?」

 日向一族。
 特殊な瞳を持つ彼らはその瞳ゆえに、遥か遠くの"何か"の正体を知った。
 ほとんど一糸纏わぬ姿で、身体全体を血に濡らし、ぴくりとも動かない少女。
 日向宗家長女、日向ヒナタという少女。

 うずまきナルトは日向ヒナタを慎重に抱きかかえ―――そこで、ようやく周りの状況に気がついた。

 少年は迷わずに火影を見つけ出し、何の気負いもなく歩き出す。
 そのあまりに何気ない動きに、忍達もまた動けず、けれども暗部や特別上忍、上忍らの一部は火影を守るように立ちふさがる。

 それでも、彼らは感じていた。

 根本的な、恐怖。
 殺気があるわけではない、特別何かがあるわけでもない。
 それでも彼らは確かに一人の少年を恐れていた。

 少年は彼らの横を警戒心なくすり抜ける。
 異常なことだった。
 誰一人、うずまきナルトの行動を抑止できなかった。
 それどころか身体はピクリとも動かず、言葉一つ発することが出来ないのだ。
 喉はからからに渇き、息を吸うのすら苦痛。
 それ以上に、本能が告げている。

 話しかけるな。
 話しかけてはいけない。
 動いてはいけない。

 やがて、火影の前で立ち止まる少年。
 そこまで来れば、誰の目にも彼の腕の中の"何か"はあきらかだった。
 その"何か"だった少女を痛ましそうに見つめ、火影は彼女の命の気配を求めてチャクラを探る。

「じっちゃん」
「…なんじゃ、ナルト」
「なんで、ヒナタが暗部なんかしてたの」

 ぴくりとも動かない表情と平坦な声で、うずまきナルトは誰にとっても衝撃的で笑えない冗談を言った。
 少なくとも、日向家の者はそう思う。
 何を馬鹿なことを言うのか。
 あの気弱で、大人しく力のない子供が暗部なわけがない。

 けれども唯一まともであるように見える火影は、全く笑わずにその言葉を受け止めた。
 一瞬止めた息を深々と吐く。

「知ったのか」
「なんでそんな事させたの」

 責める声に、火影は一度目を閉じる。
 まぶたの裏に浮かんだのは、暗部になる、と真っ直ぐな瞳で見つめてきた白い瞳の少女。

「主と一緒じゃ。強すぎる力を持て余し、その発露を暗部へと求めた」

 強い力。
 強すぎる力。
 天才を超える天才は最早異常なのだ。

「そっか」

 呟いて、ナルトはヒナタを抱きしめる。
 ピクリと少女が動いたように見えたのは気のせいか。

「狐を、どうした」
「ぶちのめして取り込んだ」

 とんでもないことをさらりとナルトは言って、唖然とする火影に背を向ける。

「どこに行くのじゃ…っ」
「知らない。どこか」

 今回のことで、うずまきナルトが狐だということは上層部や一部の人間以外にも知れ渡ることとなった。
 その上、悪戯好きで無邪気な子供さえ装わないうずまきナルトは、最早木の葉にとって恐怖の対象としかなりえない。

「ああ、そうだ」

 ナルトはヒナタの身体を抱えなおすと、片手で忍宛てを外す。

「イルカ先生に返しといて」

 うみのイルカの姿は今ここにはない。
 彼はアカデミーの先生として、子供達を避難させないわけにはいかなかったから。
 しかし本心ではどれほどこの場に来たかっただろうか。
 狐の器であるうずまきナルトをどれだけ心配していることだろう。
 その在り様が、まざまざと頭に浮かぶから、火影は静かに問いかける。

「―――いいのか?」
「うん。ありがとうって言っといて」
「そうか…」

 そうしてうずまきナルトは、里の大多数の忍が揃う中で、静かに、静かに、姿を消したのだ。
 腕に抱えた日向ヒナタと共に。

 まるで最初から何もなかったみたいに、綺麗に。

「ナルト…?」
「ヒナタ…?」

 本当に綺麗に
 綺麗に
 木の葉から完璧に姿を消したのだ。








「どこに行こうかな」

 少年は言う。
 目的地なんてある筈もない。
 あまりの計画性の無さに、自分の事ながら苦笑してしまう。 

「―――どこがいいかな」

 腕に抱えた重みに問いかけるように、して。




 ―――…砂がいいなぁ―――




 風のような小さな囁きに、少年は心から笑ったのだ。
11月
 スレナルヒナ



「な…ナルト君…」
「ん? っあーヒナタじゃん。どうしたんだってばよ?」
「きょ、今日は合同任務なんだよ?」
「へっ? 聞いてないってば!」
「そ、そうなんだ…」
「カカシ先生ってばまた言うの忘れてるってばよ! そんじゃヒナタもこれから慰霊碑の前に集合だってば?」
「あ…う、うん」
「そんじゃ一緒に行くってばよ!」
「ぇ……あっ……。うんっ」

 会話だけ聞くと、なんだか非常に可愛らしくて初々しい。
 誰だって耳を傾ければ微笑みたくなるだろう。


 ―――その表情を見てしまわなければ、の、話だが。


 日向ヒナタの顔にもうずまきナルトの顔にも、冷たく感情のない瞳があって、唇には笑み。
 それは普段の彼らを知るものが入れば目をむいてしまうような、全く想像できないようなありえない光景。

 ふ、とナルトが息をつく。周囲に人の気配はない。それが分かっているからこそ2人は完璧でない演技をする。

「茶番だな」
「茶番ね」

 ちょっとだけ、ちょっとだけ疲れたその微笑。
 年に似合わぬ老獪した表情だった。
 一体どんな人生を歩んでくればこんな表情が似合うようになってしまうというのか。

 2人、足を止めて自然と手をつなぐ。
 互いに、小さくて、頼りない手の平。
 けれども今よりもっと幼い頃から、この手だけを頼りに生きてきた。

「…行こうか」
「…そうね」

 笑いあう少年と少女はそうしてまた歩き出す。
 周囲の望む茶番を、また演じるために。
12月
  スレヒナ→スレナル



 彼の裏を知ったのはつい最近だ。
 演技以上の興味なんて持ってなかったから、必要以上に関わらなかったし、知ろうともしなかった。

 だから、それは本当に偶然。
 偶然垣間見えた氷のように冷え切った青い瞳。
 僅か12歳の少年の眼差しにしてはあまりにも凍りついたそれ。

 興味を持ったのはそこからで。
 調べれば調べるほど面白い事実が転がり出てきて。

 気が付けば、本当に彼を見つめるのが癖になっていた。

 君はいつだって満開の笑顔で。
 それはとても胡散臭い笑顔で。

 だから日向ヒナタも笑う。
 心から、心から笑う。

 だって、その胡散臭い笑顔、嫌いじゃないのよ。
1月
 サスケといの



「さっすっけっくーん!!!」

 ガバリと襲ってきたその襲撃を避けそこね、サスケは仰け反る。
 ふわりと漂った花の香りに息をつく。
 肩口から生えている白い腕を引き剥がすと、見慣れた女が軽い音を立てて地面に着地する。以前はほとんどなかった身長差も今では10センチ以上の開きがある。
 今度はサスケの腕を掴んでくるりと目の前に回りこんだ女は、長い髪を綺麗に結い上げて、鮮やかな橙の着物を着ていた。
 そのあまりの鮮やかさに目がくらんで、サスケは瞬きを繰り返す。

 …というかなんでそんな動きにくい格好で素早く動けるんだ。
 足だって白足袋に高さのあるカラフルな結び紐の下駄だ。

「もー会いたかったんだからぁー! サスケ君も神社行くのよねー? 一緒に行きましょー!」

 弾丸のように喋ってくる女を完全に無視して歩きだすと、腕を抱え込むようにして組まれる。
 歩きながら他愛のないことを喋り続ける女をちらりと見下ろすと、ばっちりと目が合ったのでぎこちなく逸らす。

 聞こえてくる女の笑い声になんとなく照れくさくなって、空いているほうの手でマフラーを鼻まで引き上げた。

「ねぇ、サスケ君」

 静かな呼びかけに目線だけ動かして女を見る。
 女、山中いのは真っ直ぐに前を見据えていて、その水色の淡い瞳はきらきらと輝いている。とろけるような蜂蜜色の髪は太陽の光を浴びてより美しくより眩しく。

「今年も、よろしくねー」

 鮮やかに、鮮やかに、とろけるような甘い声で、眩しすぎる笑顔で、山中いのはそう言って、抱え込んだサスケの腕に体重をのせた。

「…………」

 そのままサスケは無言のまま歩いて、歩いて、歩いて。

「………よろしくな」

 マフラーでくぐもった声でそう呟いた。
1月
 シカマルとテマリ



「奈良シカマル」
「…おう。てかお前、そのフルネーム呼びはいい加減辞めろよな」

 いつも通りのしかめっ面にいつも以上の面倒そうな色を乗せて、シカマルは吐き捨てる。
 ポケットに手を突っ込んでマフラーでぐるぐる巻きになっているシカマルの姿を見て察するに、寒いのに弱いのだろう。
 風の国で暑いのに免疫があっても寒いのに免疫のないテマリもまた同様で、何枚も何枚も重ねて着込んでいる。
 お互い鼻の頭が真っ赤だ。

「シカマル」
「お、おう」
「年下の癖に生意気だ」

 テマリが不機嫌そのものの顔でマフラーを思いっきり引っ張ったので、シカマルの顔が思いっきり傾いて、一瞬テマリの顔と重なる。

「―――っっ!!! て、テマっ」
「新年の挨拶だ。奈良シカマル」

 ポケットに突っ込まれたシカマルの腕に自分の腕を絡めて、にしし、と満面の笑顔でテマリは言う。
 その顔はさっきまでよりもずっと赤くて、きっとシカマルの顔も同じくらい赤く染まっているのだろう。

「…めんどくせー」

 組まれた腕が解かれて、手と手が重なって。
 笑い声だけがその場に残った。
1月
 ナルトとヒナタ



「ヒナタっあけおめだってばよ!!!」
「あ、なっ、ナルト君っ…おっ、おめでとぅ…」
「ヒナタも今から木の葉神社だってば?」
「う、うん…」
「んじゃ一緒に行くってばよ!」
「う、うん…!」

 こくこくと一所懸命頷くヒナタにナルトは笑う。
 いつもながら挙動不審だなぁとか思いながら、凄く自然に手を伸ばして自分よりもずっと小さなその手を握りしめた。
 突然の事に目を白黒させるヒナタに悪戯な蒼い瞳が輝いて。

「…すっげー綺麗だってばよ!」
 
 耳元で囁かれた殺し文句に、綺麗に綺麗に振袖で着飾ったヒナタは腰を抜かして。
 満面の笑顔でナルトはヒナタを抱きかかえた。
2月
 王子姫設定のナルトとテマリ



「テマリ、テマリ、テマリ!!!」

 目が合うなり突っ込んできた金色の少年に、さすがにぎょっとしてテマリは思わず周囲へと目を配る。
 幸いなことに周辺に人影はなく、もっとも少年はそれを知っているからの暴挙なのだろう。
 飛びついてきたうずまきナルトを受け止めて、その勢いを殺す。
 一体なんなんだと引き剥がすと、うずまきナルトのやたらと期待に輝く瞳が見えた。

 何事だ。

「チョコ頂戴!!!!」
「…は?」
「チョコ!!!」

 満面の笑顔で繰り返したうずまきナルトに、わけが分からんとテマリは息を吐いた。

「今日はねー女の子が好きな子にチョコを渡す日なんだよねー」

 その声は至って唐突に聞こえた。
 珍しくも本気で驚いて、テマリの身体がびくんと跳ねると同時に手がクナイへとのびるが、その必要がないことに気がついてそろりと力を抜く。
 いつのまにやら目の前に出現している銀の髪と眠そうな目を持つマスクの男。

「はたけ、カカシ…さん」

 敬称に迷いながらテマリはその男と向き合う。
 基本的にあまり仲良くしたい男でもないが、彼のおかげでうずまきナルトの意味不明の行動が分かったのはありがたい。

「一応、ありがとう、と言っておきます」
「どういたしまして」
「そしていい加減ナルトは離れろ」

 腰の辺りに張り付いたままの金色の頭をこつんと叩いて、テマリは笑う。
 既にナルトのほうが身長も高いというのに一体何をしているんだか。

「チョコだってばー」
「あーはいはいチョコね、チョコ」
「こっ、心が篭ってないってばよテマリ!」
「あー分かった分かった、買えばいいんだろ買えば」
「そうだってばよ!」

 実に面倒そうなテマリの言葉に、うずまきナルトは自信満々に頷く。
 最早見守るカカシとしては苦笑するしかない。

「ていうか、なんでカカシ先生がいるんだってば?」
「…今更でしょ? ま、忘れ物を届けにねー」

 そう言ってはたけカカシが取り出したのはぺらりと白い紙。
 真っ白な裏を表にテマリの手に渡され、それをひっくり返すと実に見慣れたものがでてきた。

「げ」
「なんだ。報告書か」
「そーいうこと。今日中に提出しなさいよー」

 にんまりと器用に目だけで笑った男は、そう言ってどろんと姿を消した。
 残された紙をテマリがナルトに押し付ける。

「テマリ?」
「家で大人しくこれ書いて待ってろ」
「えーーーーーっっ!!」
「ちゃんと書き終わってたら特大のチョコを送ってやるよ」

 そうにんまりとテマリは笑って、しかめっ面のナルトをおいて歩き出す。
 置いていかれたナルトはつまらなそうにそれを追いかけて。

「あ」

 そうだ、と笑って。

「テマリ!」

 愛しい恋人の名前を呼ぶ。
 振り返る女を引き寄せて、思いっきり抱きしめた。
 さっきも充分に味わった柔らかい感覚をじっくりと味わう。

「ナルト?」
「前払いだってば!」

 テマリにとっては意味不明なことを自信満々に言い放って、うずまきナルトは走り出した。
 急いで帰って報告書を書き上げてしまおう。
 そしたらテマリがやってきて、この大事な日に大事なチョコをくれて、思いっきり一緒に楽しめる筈だから。
 にまにまと緩む頬を押さえて、変な雄叫びと共に木の上に飛び上がった。

「………まったく、落ち着きのない」

 苦笑して、それでも楽しそうに、テマリは呟いて。
 木の葉の街へと歩き出したのだった。
4月
 スレシカスレヒナ

「ヒナタ」
「…何?」
「あっ、アイシテルぜ」
「………」

 たっぷりの沈黙を伴って。
 愛の告白をされた少女はにっこりと笑う。
 とてもとても可愛らしい、表で見せる"日向ヒナタ"のとろけるような笑顔。
 う、とシカマルは息を呑む。

「私も、死ぬほどアイシテルわ、シカマル君」
「………っ」

 さらに沈黙。
 恐ろしいほどに清清しく愛の告白をした少女は、さっきまでと同じように書類に向き合う。
 その目は"日向ヒナタ"のものじゃなくて、奈良シカマルの知る暗部部隊長様の目だ。

「おーいヒナタ?」
「…なぁに?」
「分かってるのか? 俺今愛の告白したんだぜ?」
「ええ、私もしたわね」
「……」
「あ、そういえばシカマル君」
「おっおう…」
「今日って、エイプリルフールだったわね」
「―――っっ!!」

 はっきりと息を呑んで驚愕して見せた奈良シカマルに、それはそれは綺麗に、"日向ヒナタ"ではない、暗部部隊長様の顔で、少女は笑った。

(結局どっちだよくそめんどくせーーーーーっっ!!!!!!)

 動揺させてみたくて仕掛けた罠は軽やかに外されて仕返しされましたよ、という話。
4月
 スレナルスレヒナ



「ナルト君、はい」

 どうぞ、と、差し出されたのはとっても美味しそうなロールケーキ。
 テーブルの上で頬杖ついて雑誌を読んでいたうずまきナルトは、明らかに嫌そうに顔をしかめる。

「ヒナ…俺が甘いもの苦手だって知っててやってるだろ」
「まさか」

 何の話? とすっとぼけた顔で笑われてしまう。
 それが明らかすぎる嘘だったので、あーそういえば今日はエイプリルフールだったな、なんて思う。
 もっとも、目の前の相棒はエイプリルフールじゃなくったって嘘まみれなわけだけど。 というか自分も彼女も、存在そのものが嘘のようなものだ。

「それに、甘くはないわよ」
「…どーせ嘘なんだろそれも」

 いつものことだ、とナルトは首を振って、覚悟を決めてロールケーキを受け取った。ご丁寧にもフォークを渡される。
 断る、なんて選択肢は存在しない。
 そんな恐ろしいことをする勇気、ナルトにはない。

 ロールケーキは、桜色の、春らしいケーキだった。
 ケーキの上には桜色のクリームが絞ってあって、ハーブの葉と桜の花びらの形をしたチョコが飾ってあった。上に散らしてあるのはきっと金箔だろう。中のクリームも桜色で、赤いゼリーと緑のゼリーが散らばっている。
 見るからに、桜のケーキなのだろう。
 だったら少しは甘くないかもしれないな、と予想。
 ただし、相手がヒナタである以上甘い可能性のほうが余程高い。

 覚悟を決めてフォークを突き刺す。
 それはもう豪快に。
 嫌な瞬間は早く済んでしまうほうがいいのだ。

「…っっ!?」

 意を決してケーキを咀嚼する。
 口の中に広がるのはほのかな甘みと酸味。桜の香りが鼻を抜ける。
 こざっぱりとした後口で、変に甘さも残らないし、全然くどくもなかった。

 まぁ、ようするに。
 ようするに、だ。

「……美味しい」
「でしょう?」

 甘いものがダメなナルトでも、しっかり食べれてしまうくらいには甘くなかったし。
 中のたっぷりクリームだってそんなに甘くない。赤いゼリーも青いゼリーもちょっと違うアクセントでいい感じで、スポンジはしっかりふわふわで、口にいれるとさっぱりしててあっという間に溶けていく。

 しっかり食べとったナルトを、ヒナタはにこにこしながら観賞する。

「甘くないでしょう?」
「……甘くないな」

 なんとなくすっきりしない気分で、フォークと皿をヒナタに返す。

「良かった。トマトとほうれん草食べてもらえて」
「―――っっ?!!!!!!!!!!!!!!」
「あ、吐いたら切るよ」
「っっ!!!!!!!!!!」

 椅子を蹴飛ばして洗面所に走り出そうとしたナルトは、ヒナタの笑顔とその手にいつの間にか出現したクナイに緊急停止する。その目は本気だ。
 それくらい簡単に分かる程度には付き合いが長いっていうか一応裏では恋人同士なんだし分からないとおかしいって言うかだからようするに日向ヒナタはうずまきナルトが甘いよりも何よりも野菜が、しかもすっぱくて苦くて生臭いトマトとえぐくて臭くて苦いほうれん草がとことん嫌いだって事くらい百も千も承知なんだよ畜生!!!!!!!!!!!
 口を押さえて涙目状態のナルトとは正反対に笑顔のヒナタ。
 それはそれはとても綺麗な笑顔で、少女は止めを刺す。

「スポンジと生クリームにトマト果汁入れて、ゼリーもトマトとほうれん草の絞り汁で固めてみて、それから全部桜の香料を使って、トッピングもそれらしくしてみたんだけど美味しかった?」

 しかも手作りかよ!!!!!!!!!!

 声にならないナルトの意思はしっかりヒナタに届いたようだ。

「今日のためにね、私頑張ったんだよ。エイプリルフールだもんね。ナルト君を驚かそうと思って、何回も何回も試作したの」

 頬を上気させて、頑張ったよ、とニコニコ笑う少女は、それはそれはもう可愛らしくて、愛らしくて。
 そしてもうとんでもなく憎らしかった。
 可愛さ余って憎さ100倍みたいなね。
 この確信犯の悪魔め!!!!

 文句を言う気力すら失せて、ナルトは涙目で机に突っ伏したのだった。
5月
 スレシノ×スレヒナ



「花見、出来なかったね」

 血だまりの中で少女がそう言うと、どこからともなく「そうだな」と同意の声が降ってくる。
 したかったなぁ、と小さな未練を少女が吐き出せば、「来年もある」と静かな答え。

(来年なんてあるのかなぁ)

 実に後ろ向きな発言を少女は飲み込んで、血を蹴り上げた。

「じゃあ、来年しようね」

(きっと無理だけど)

 だって自分達はこんなに忙しくて。
 こんなに血に濡れていて。
 こんなに沢山の罪を犯していて。

 明日もあるかなんて分からないのに。

 ぐるぐると回る血の螺旋。
 蹴り上げた波紋はいつまでもいつまでも血を揺らす。
 血の匂いが強くて酔いそうだ。

「―――ヒナ」
「―――え…?」

 ふわり、と光が舞い上がる。
 一つや二つではない。
 幾つも幾つも。次から次に。

 きらきらきらきらと、幻術など写さない絶対的な日向の瞳を通して尚も幻想的なその光景。
 舞い踊る幻想的な光の群れに、少女、ヒナタは言葉を失った。
 否。言葉など必要ないのだ。
 この圧倒的な美しさを表現なんて出来ない。
 ただそこにある美しさに日向ヒナタは溺れる。

 いつの間にか、目の前に少年が立っていた。
 全身を黒に覆い尽くした丸いサングラスをかけた少年。
 光に照らされながらもその存在はひどく希薄。自然と同調したその立ち姿はとても静かで。とても綺麗で。

 日向ヒナタは静かに静かに笑った。

「ありがとう。…シノ」

 幻術で夢を見ることすら許されない少女のために、油女シノが作り出した幻想的なこの世界。
 舞い踊る光―――光を身に纏う蟲達。

「来年」
「え?」
「………来年は、しよう。2人で」

 少年は静かに笑う。
 光の織り成す世界の中で、じわりと、滲み出す幸せをかみ締めて、ただただ少女は笑った。
5月
 スレナル×スレヒナ

「"契約"違反よ。ナルト」

 冷たく降り注ぐ昨日までの"恋人"の声に、うずまきナルトは静かに向き直る。

「馬鹿だなヒナタ。"契約"さえ済ませてしまえばこっちのものだっての」

 けらけらけらと笑って、愛しい愛しい"恋人"を抱きよせる。
 抵抗はなかった。
 かわりにクナイが背に押し付けられる。服を切り裂き、皮膚に到達しぷつりと音がして血が滲む。
 そこで止まった。

「何? 辞めんの?」
「…うるさい」
「意気地なし。だよな。だってヒナタは"契約"を破る勇気なんてないんだから」
「うるさいっっ!!!」

 ヒナタの手に力が篭る。
 震えるその手に握られたクナイに血が伝う。

「知ってる? ヒナタ。上、はヒナタとの契約を守る気なんてさらさらないよ」
「…っっ!」
「ヒナタが日向を裏切らなくても、いつかハナビは感情を消されてネジとは違う呪印を刻まれる。日向に従順な駒になってどこかのお偉いさんに嫁いで、ただの人形になる。日向ヒナタは感情を消されて日向一族の長になる」
「―――…!!」
「ネジはそうだな。そんなヒナタを憎みながら日向を恨んで適当なところで死ぬんだろうな。邪魔になったら長に殺されるんだ」
「…めて…っ」
「ヒナタが殺すんだ。日向一族に疑問を抱くものは全部、全部。例えばヒナタの変化に気付いてなんとか"ヒナタ"を取り戻そうとするキバもシノも紅先生も」
「もう……やめて…っ」
「彼らの失踪を突き止めようとする皆も、全部」

 全部全部全部ヒナタが殺す。
 けらけらけらと笑ううずまきナルトの腕の中で日向ヒナタは縮こまる。何も聞きたくないと涙を流してうずまきナルトにしがみつく。
 クナイはとっくの昔に彼女の手から落ちている。

「"契約"なんかに縛られてるんじゃねーよ」

 けらけらと笑っていた筈のうずまきナルトがボソリと呟いて。
 日向ヒナタの髪をそっと撫ぜる。
 震える日向ヒナタはもう抵抗しない。無力な子供のようにぼろぼろと泣き続ける。

 うずまきナルトが木の葉とした契約は三つ。
 本気の力を決して出さないこと。
 無邪気で無力な子供を装うこと。
 木の葉を守ること。

 その代わりにうずまきナルトは自由を得た。

 ただ、術で縛り付けた契約は、彼らの予想を遥かに超える九尾の力によって全部ぶち壊された。

「俺がヒナタの"契約"、ぶち壊してやるよ」

 日向ヒナタが日向家とした契約はシンプルだ。
 日向ハナビと日向ネジに手を出さないこと。
 代わりに、日向ヒナタが日向家の闇を全て背負う。

 うずまきナルトの恋人になったのだって、日向家が九尾の力を欲しがったからだ。

「約束だヒナタ。俺がお前を幸せにしてやる」

 だからぶち壊す。全部全部。
 それから一から全部作り直すのだ。

「な…んで…」
「なんでも」

 そう何でもだ。
 うずまきナルトは日向ヒナタを幸福にする。
 例えばそれが彼女を傷つけたとしてもそんなの知ったことじゃない。
 最終的に幸せになればいいのだ。それがうずまきナルトの考える究極に自分勝手な彼女との"契約"だ。
 一方的で形の成さない"契約"で"約束"だ。

 けらけらと笑う。
 さぁ壊してしまおう。
 自分と彼女の"契約"を邪魔する全てをぶち壊そう。
 徹底的に壊して、壊して。

 新しい世界を作ろう。

 だって、うずまきナルトは完璧なまでにこの世界が大嫌いで。
 この世界でたった一つだけ日向ヒナタを愛しているのだから。

 けらけらけらと笑う。
 笑う狐の声に消されて世界はまだ破滅に気付かない。

「"契約"なんてくそくらえだ」

 笑い声は続く。
 日向ヒナタの泣き声を乗せて、どこまでもどこまでも。
6月
 カカテマ



「何者だ?」

 ぞわり、と背中に走った緊張感に、ほとんど無意識に武器を構えていた。
 口にした問いは、ただ空しく散るのだろうと思った。
 理由はない。
 そう思っただけ。

 ただ、その想いは裏切られる。

「はーい。こんにちは。確か砂の子だよね。中忍試験の」

 全く持って堂々と、ふざけた態度で、腑抜けた顔で、男は現れた。
 ひょろりとした長身で、銀色の髪をしていて、マスクで口元を、額宛で片目を隠す、なんとも怪しすぎる存在。
 道端で出会ったら真っ先に避けたくなるタイプだ。
 あまりにも、特徴的なその姿は、テマリの記憶にもある。

「…うちはサスケの、上忍か」
「うんそう。あとはナルトとサクラのね」

 うずまきナルトはともかくとして、サクラというのは誰を指すのか一瞬考える。正直、中忍試験の時は自分たちの事で精一杯で、人の名前なんて殆んど頭に入ってはいなかった。
 覚えているのは、精々が我愛羅の対戦相手だったうちはサスケ、ロック・リー、自分の対戦相手だった奈良シカマル、それにうずまきナルトの3人くらい。後は油断ならない、強い相手として、日向ネジの事を覚えている。
 木の葉の忍で覚えのあるのはそのくらい。
 目の前に立つ男の名前など、知ったことじゃない。
 ただ、ここは木の葉で、目の前に立つのは木の葉に所属する上忍で。

 だから、テマリは息を意図的に吐いて、構えていた鉄扇をしまう。
 硬質な音と共に閉まった扇に、男は笑い。

「物騒だねぇ君は」
「…私は、自分の里でもない場所で、リラックス出来るほど神経が図太くない」
「まぁ、ごもっとも、かな」
「それで、何かご用ですか? 合同任務の報告書は火影様に提出しましたが」
「別に? 君が見えたってだけでしょ?」

 ふっ―――と、空気が軽くなったのが分かった。
 重苦しく圧し掛かるような空気が霧散して、呼吸が容易くなる。
 背をなぞる汗に、テマリは自身が思うよりもずっと緊張していた事を知った。

「……なら、用はないのですね」

 それならさっさと消えろ。
 気持ちをありったけこめて、男に背を向ける。
 無防備に向けた背で、敵意のない事を示す。
 現段階で木の葉を敵に回す、木の葉の忍に悪感情を抱かせるメリットは、何一つない。

 男は何を思うのか、ただ、後ろで小さく笑う声がした。

「君はさ、そうして無防備に背を向けるでしょ。絶対に俺が何もしないって思ってる証拠」
「何を言いたい」

 嫌な予感がした。
 何故か鳥肌が立って。

 気が付いた時には、振り返っていて。
 その、一瞬後には、男が、目の前に立って、テマリの両腕が封じ込められる。
 両手首にはカカシの手の平。引こうとした身体はすくんで動かない。
 容易くそれを許した自分に、テマリは愕然とする。
 振りほどこうと必死になって力を入れるが、男の手はびくともしない。
 自分よりも遥かに大きくて、ごつりとした、骨の感触。指先までもが岩で出来ているように、硬い。
 それでも、往生際悪く、振りほどこうと必死で動く。

「そりゃ、木の葉の忍としてはね、砂の忍に手を出しはしないさ。けどさ、こーんな人気のない森のど真ん中で、女の子が1人ぽつんと立ってたらさ、良からぬ事を考える輩もいるに決まってるでしょ?」
「…っっ」

 見上げた男の瞳はどこまでも無感動に、どこまでも冷たく見えて。
 テマリの身体は、はっきりと震えた。
 戦場に立つよりも、潜入操作に赴くよりも、人を殺す時よりも…何故か、怖いと、恐ろしいと、全身が叫ぶ。
 情けないほどに震える身体はまるで自分のものとは思えない。
 こんなことでみっともなく震えている自分がひどく惨めで、テマリは唇を噛む。涙腺まで緩みそうになるのをどうにか堪えた。

 それを見下ろして、男はため息。

「君さ、色任務したことないでしょ」
「…っ。そ、れは…!」

 何か言い返そうとして、けれど否定できる事ではないから、頭が空回りする。

「別に、悪い事じゃないよ。木の葉のそれは砂よりももっと遅れてる」

 にこりと目を細める男。
 幼子のように震えながらも、必死で睨みつける翡翠の瞳。
 決して揺るがぬ強い瞳が心地よい。悪戯がすぎたかな? と頭をかく。

「ま、そんなことはどーでも良くて、さ」

 実際、はたけカカシにとってそれは本当にどうだっていいことで。

 それならどうだってよくないことは何かを聞かれれば、はたけカカシは即答できない。
 テマリを捕まえながら、首を傾げてしまう。
 なんでこんなことをしているのだろうか。

 砂の忍を見つけて、その背がとてもすっきりと延びていて、あまりにも細くて、どこか頼りなくて、どこか寂しそうで、気がついたらちょっかいを出していた。
 だから、カカシが何をしたかったのか、彼女に何を伝えたかったのか、そんなことカカシにも分からない。
 理由なんてないのだ。
 ただ、そうしてみたくなったからそうした。
 はたけカカシの忍でない部分はきっとそのくらいシンプルだ。

「………元敵国に女の子一人、なんて危なすぎるでしょ?」

 いかにもなことを言ってみて、首を傾げる。

「…一番危ないのは貴方だと思いますが」

 ぎりぎりと手に力を加えながら、震えたままの女はそれでも気丈に勝気な笑みを見せた。

 ―――へぇ。

 笑う。

「そりゃ、男は皆狼だからね」

 顔を近づけると、テマリの体がびくりと弾んで、カカシはさらに笑みを深めた。
 どこまでいくのかカカシにも分からないまま、2人の距離は近づき、やがて、ほんの10センチメートルもないほどになって止まる。

「逃げないの?」

 至極、不思議そうに、いつもの表情でカカシが聞くと、テマリは凍りついた表情のまま、近すぎて見えないほどの男の顔をにらみつける。

「逃がす気があるのか」
「あるよ」
「だったら、この手をさっさと離せ!」

 そう、テマリが思いっきり腕に力を入れると、思いきりよく、その手がすっぽ抜ける。
 思ってもみなかったことに、テマリのバランスが崩れ、忍としてはみっともないほど無様に、後ろに倒れた。
 倒れそうに、なった。

「危機一髪でしょ」
「っつ!」

 腰に手を回されることでそれを阻止され、テマリは男の胸に両手をついて、引き剥がす。
 今度はカカシがバランスを崩したが、憎たらしいほど見事に体勢をなおしてみせた。
 テマリは静かに息を吸って男をにらみつける。

「えーっと。ごめんね?」

 頭をぽりぽりとかきながら、たははと笑った男は、さっきまで完全にテマリを威圧し、怯えさせていた存在とはまるで違う。
 それでも警戒態勢を崩さないテマリに、カカシは当然だな、と思いながら、言い訳の言葉を探す。

「だってさー女の子が一人でいたら危ないでしょ? それなのにテマリちゃんすごい無防備だしー、悪戯の一つや二つ、したくなるってものよ?」
「………それで」
「えーっと。悪戯しちゃってごめんなさい」
「―――っっ!! 謝るくらいなら最初っからするな! この変態!!」
「うわ、容赦ないね、君」
「初めて話すような相手にあんなこといきなりするやつに容赦なんて必要あるか!」
「えーだってー」
「言い訳するな」
「はい、すいませんでした」

 妙に愁傷に謝ったカカシに、怒鳴るだけ怒鳴ったテマリは力が抜けたのか、大きく肩をおとした。
 それを見計らって、カカシはどこか楽しそうに口をだす。

「テマリちゃん、今日のこれからの予定は?」
「は?」
「任務、終わったんでしょ? 砂に帰るの?」
「いや、まだ木の葉で打ち合わせが残っている」

 へーと相槌を打つ男に、テマリはなんだかひどく嫌な予感がした。
 テマリの勘が告げている。
 このままここにいては危険だ。

 そのテマリの思考を詠んだかのように、カカシはあざけるように笑った。
 もっともマスクがあるから口元は見えないのだが、なんとなく、わかる。

「逃げるの?」

 まさしく挑発としか取れない口調の声に、去ろうとしていた足が止まる。

「へぇ、逃げるんだ。砂影の長子ともあろうお方が、ねぇ」

 くすくすと笑い声。
 安い挑発に乗る道理はテマリにはない。
 ない―――のだが。

「テマリちゃんは可愛い女の子だから、仕方ないのかな」
「―――っっ」

 ―――まぁ、今度は逃がしてなんかあげないけどね。

 挑発に乗って、何をさせるのだとにらみつけてくるテマリがひどく可愛くて、カカシはただただ笑った。