4月
私の彼氏は、変な人だ。よく私の頭の形を確かめる。
初めこそ頭をなでなで〜っとするくらいだったのが、この頃じゃ後頭部をがしっと鷲掴みだ。
髪が乱れるから、止めて欲しいんだけど。
そして、今日もまた。
「ちょっと、なんで毎回毎回、頭掴むのよ」
「いや、いい形だなーと思って。ちょっと毎回確かめたい衝動にかられて」
「心配しなくても、頭の形が変わったら真っ先に報告してあげるわよ」
「形が変わったら、ってそれって一大事じゃないか」
「だから、真っ先に報告してあげるんじゃないの」
言って私は、彼の言う『一大事』を想像してみた。例えば、宇宙人に連れ去られてなんかの実験台にされて頭の形が細長く変形、とか。例えば、交通事故にあって頭蓋骨陥没とか。…そうなると、下手すりゃ死んでるわね。それとも、植物状態ってやつになっちゃうのかなぁ。
もし、そうなったら。
「責任とってよね」
つい、思考が言葉に出てしまった私の脈絡のない言葉に、彼が真剣な表情で頷いたのが、先月のこと。
誤解を正す暇も機会もないまま、今月。私はなぜかウェディングドレスに身を包んでいる。
教訓、口は災いのもと。
9月
真夜中シリーズ 小夜
9月、夏休みが終わり2学期が始まって早々、小夜はピンチだった。
理由は単純。夏休みの宿題が終わらなかったのだ。…いや、終わらなかったという表現は正しくないのかもしれない。彼女は夏休み最終日前日、友達に「写させてー!」と泣きつかれるまでその数学の宿題の存在を忘れきっていたのだから。
ちなみに、覚えていた他の宿題は厳しいクリスの監視下のもと、無事に終了している。
「まったく、写させてもらえればこんな苦労しなくてすんだのに」
「それは絶対ダメ」
「いーじゃねーか、他のはちゃんとやってんだしよー」
両脇から宿題の様子を見ていたクリスとデュラに同時にしゃべられて、小夜はため息をついた。ちなみに、ダメだと言ったのが勉強には厳しい天使のクリス、小夜を援護してくれたのが悪魔のデュラだ。
数学の先生に泣きついてなんとか期限を延ばしてもらったものの、今週中に出すように。と言われてしまった。
仕方なく、机に向かっているのだが…。
「おい、そこ足し算間違ってるぞ」
デュラに指摘され、小夜は慌てて今解いている問題を見直した。
「え、どこ?」
「5分前に解いた、そこの問3」
「…ちょっと!教えてくれるんだったら解いてるときに教えてよ!」
小夜が今解いている問題は、問3の答えを使って解くようになっている問題だ。
始めの1つが間違っているのだとしたら、あとは全部間違っている。
「あーもう、全部やりなおし…」
デュラを恨みつつ、泣きそうになりながら消しゴムをかける。
2人のちょっかいを受けるため、遅遅として進まない彼女の宿題であった。
11月
真夜中シリーズ 小夜とデュラとクリス
真夜中の、大人の世界?
空には、満月。
月の光に星たちの光もどこか、遠慮がち。
ひさしぶりに、目的のない散歩に出かけた小夜はそんな夜空を見上げて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ただの散歩、っていうのも久しぶり」
この頃は、仙人さんや吸血鬼さんのところに遊びにいくのばっかりだったから、なんだかとっても新鮮。
「夜の街を探検しようか」
そう囁いたのは悪魔のデュラ。
「人に見つからないようにね」
そう釘をさしたのが天使のクリス。
街の中心部はまだ明かりがついているところも多くて、人も多いようだった。…ほとんどが酔っ払いだったが。
街角で占いをしている女の人や、客引きらしきことをしている若い男の人、足元がおぼつかない様子でふらふら歩いているおじさん…。
そのどれもが、独特の雰囲気を出していて、小夜は近づくのをためらった。
「これが大人の世界なのね…」
道端でげーげー吐いている背広姿のおじさんを上空から見つけて、小夜はすっごく嫌そうな顔をした。
真夜中の大人の世界は、もっと何か素敵なものだと思っていたが。
「酒は、度を越さなきゃいいもんなんだけどな」
呆れたように呟くデュラの声を耳にしながら、小夜はもっと静かなところに行こうと方向転換した。
…もう、これ以上夢を壊すようなモノは見たくない。
12月
魔法使いの旅路。魔王とシンヤ。魔王はいつか出てきます(笑)
「クリスマス?」
魔王は首を傾げ、シンヤはそれに頷く。
「日本にはそーいうのがあるんだよ。てか、あっちの世界?」
「で」
「で?」
「だから、何をする行事なんだそれは」
訝しげな魔王の視線にシンヤはにやりと笑う。
その悪戯な笑い方に、魔王はますます逃げ腰になった。
それは実に正しい判断だったのだが、シンヤは構わず。
「恋人達がいちゃつく行事だっての!」
けらけらと笑って魔王に抱きついた。
その恐ろしく華奢で小さな体を抱きかかえて、勢いあまって床に転がる。
子供にするように魔王の脇下を持って両腕で持ち上げると、ぽかんとした綺麗な顔が見えた。
それがまた楽しくて、シンヤはけらけらと笑い続けるのだった。
12月
真夜中の怪盗
いつもの、真夜中の散歩中。
静かな夜に常ならぬ騒がしさを感じて、小夜は騒ぎのほうへと足を向けた。
いや、正確には"飛んでいった"というべきなのだろうが、まぁそれは置いておくとして。
ともかく、彼女が背中の翼を羽ばたかせながら向かったさきには、夜中だとは思えない人ごみがとある建物の前に集結していて、しかもなんだか警察とかがたくさんいた。
「何これ…」
すこし離れたビルの屋上で、なんだか浮き足立っているようなその騒ぎを眺め、小夜は思わず呟いた。
集まった人の中にはなぜかマラソンの応援に使うような小さな旗とか、アイドルのコンサートに持っていくような手に持つタイプのネオンを振ってる人とかがいる。
「人だかりっていうか、野次馬だな」
声がした左手を見下ろすと、小夜の半身についている、悪魔のデュラが姿を現していた。
ぬいぐるみにも似たその姿は愛嬌たっぷりだが、正確はそんなに可愛くない彼は眼下の騒ぎに興味惹かれて出てきたのだろう。子供のようなデュラは、好奇心旺盛でお祭り騒ぎのような事が大好きなのだ。
「建物に何かあるのかと思ったけど、普通の民家にしか見えないねぇ」
同じく右手には、デュラとは反対側の半身についている、天使のクリス。
彼女は、デュラを見張っているつもりらしく、デュラが出てくると大抵姿を現す。
デュラをたしなめたり、叱ってみたりと忙しいお母さんなのだ。
「みんな、僕を待ってるのさ♪」
この場にいるはずのない声にびっくりして振り向くと、長い髪を1本のみつあみにした青年が満面の笑顔で立っていた。
いつもより、外見の年齢が違うが…。
「仙人さん!?」
「今の僕は仙人ではない。怪盗と呼んでくれたまえ」
なにやらポーズをつけながら言い放つ青年に、間違いなく仙人だと確信する。
最初のポーズが気に入らなかったらしく、そのままいろいろポーズを研究し始めた青年は、どこで手に入れたのかと激しく疑問になるような、ラメやら宝石やらがついたきらきらしいマントを身に着けていた。そしてさらに、顔の下半分は黒い布で覆われている。
このまま夜道を歩いていたら、間違いなく職務質問を受けるような怪しさ大爆発の格好だった。
「その格好についてはもう何も言いません。それより怪盗って何ですか?」
「どちらかというと格好に何か言って欲しい…」
ぼそっと、どこか寂しそうに呟いた仙人はすぐに笑顔になってまた意味不明のポーズをつけはじめた。
「あの家には何があるか知ってるかい?」
「いえ、ていうかあの家どうみても普通の民家じゃないですか」
ちちち、と指を振った怪しい格好の青年は、ばっ!とマントを翻して言った。
「あの家には伝説のウォシュレットがあるのさ!!」
「…ウォシュレット?」
「……便器?」
絶句している小夜の代わりに、デュラとクリスが呟いた。
「そう!あの家のトイレには、住人が自分の爽快感だけのために改良に改良を重ねた、伝説のウォシュレットがあるんだ!完成したのはほぼ偶然。製作者でさえアレ以上のものは作れないと断言している、世界にただ1つの便座なんだよ!!」
「それを、盗むんですか?」
若干、引き気味な小夜に気づくことなく仙人は携帯を取り出して操作しはじめた。
「そう!んで、予告状を作ったんだけどさ、懲りすぎちゃって…。あ、コレ記念の写真ね。みてみてー」
差し出された携帯の画面を見ると、白い和紙に筆で書いたらしいやたら達筆な文字が躍っていた。
「…何文字?」
「かな文字ー。平安時代ぐらいのを真似てみました。んで、これがバージョン2ねー」
次の写真には、英語で何か書かれていた。が、その文章のなかには英語にはない記号らしきものも見える。
「…英語?」
おそるおそる尋ねると、にっこり笑顔がかえってきた。
「ラテン語ー。んで、最後がこれー」
最後の写真には、なにやら焼き物のようなものが写っている。
「ヒストグリフだよー。焼き物用の粘土に彫ったのを焼いたんだー。ちょっとこれには苦労したなー」
「日本語ないじゃないですか!」
「かな文字はいちおう日本語だよー」
どちらにしろ、読むのに専門家が必要なものばかりだ。
「全部同じ内容…?」
「そうだよー。午前2時、3丁目の家にある伝説の便器をいただきに参ります、って」
警察は解読したのだろうか。…きっとしたのだろう。
小夜は、同じ内容なのにそれぞれ別の専門家を呼んだであろう警察の苦労を褒め称えたくなった。
「あっ、もう2時だ!怪盗は時間厳守らしいから、ちょっと行って来るねー」
「あ、はい…」
思わず手を振って見送ると、きらきらしいマントを翻して去っていく仙人を見送ってから、小夜は飛び立った。
どこへ行くのか?もちろん、仙人たちの自宅へ。
「盗んできたのを試させてもらうつもりかよ」
「だって、伝説のウォシュレットってどんなのか気になるじゃない」
派手なマント見つけた野次馬が騒ぎ始めるのを背中に、小夜はその場を後にした。
その夜。
なぜか打ちひしがれた仙人が抱えてきたのは、ただの白い陶器でできた便器だった。
「ウォシュレットは?」
冷たく尋ねるウルスの前にがっくりと膝をついた仙人は、か細く「取り外されてた…」と言った。
「予告上に"伝説の便器"って書いてたからさー。便器じゃなくてウォシュレットですとはいまさら言えなくてさ…」
住人はウォシュレットを体を張って守ったらしい。
そこまでして守るウォシュレットというのも興味があるが、抱えられた便器をどうするかが当面の問題だった。
「………戻してらっしゃい」
「はい…」
便器がなくて困っているであろう人々のために、苦渋の決断をしたウルスに、力なく頷く仙人であった。
1月
真夜中シリーズ
餅つき大会
1月になると、彼の勤める会社では餅つき大会が行なわれる。
平日、間違いなく仕事をしていなければならない日を丸1日使って、餅つき大会が行なわれるのだ。
主催者はもちろん、イベント大好きな社長。
「今年は1升に挑戦ーー!」
高々と手を上げて宣言した社長が、つきたての餅の塊に手をのばし、ほとんど飲むように食べていく。
周りで応援する者、遠巻きに眺める者、それぞれだが、あれが社長だと知るものはどれぐらいいるのだろうか。
そう彼が思っている間にも、1升の餅はするすると社長の腹におさまっていく。が、彼の腹が膨らんでいくようすは全くない。
人間業ではない。と毎年思うのだが、追及する勇気はないしその必要もないと思っている。
そして、せっせとおさんどん役をしている副社長。
そこらの女性社員よりもよほど手際がいい。
そしてきらきらしい笑顔を振りまきながら、主に女性社員に餅を配っている。今年のバレンタインのチョコレートの数は、社長よりも彼の方が多いかもしれない。
男性にも配るべきだ、と思っていたら笑顔で手招きされた。
「専務ー!何にやにやしながら見てるんだよー。お前も食べろ!」
にやにやしているとは心外だ。
手でいつもと変わらない無表情を保っている目と鼻と口を確認してから、私はあんころ餅をほお張った。
2月
真夜中シリーズ 真夜中の豆まき
2月3日。
それは、鰯の生首をヒイラギの枝に刺してさらし首にし、鬼に向かって豆を打ち込み、恵方を向いて太巻きを一本丸のみにする日。
……と、仙人は言った。
と、いう訳で小夜の目の前には切ってない太巻きがひぃふぅ…10本くらい?皿の上で高々としたピラミッドを形成していた。素晴らしいことに、中に巻いてある具は10本全て違うようだ。これが、吸血鬼ウルスの手作りだというのだから小夜はいろんな意味で感心した。
テーブルの向い側に座る仙人の前には同じように、海苔のツヤも輝かしい太巻きがピラミッドを作っている。また同じように、隣に座る吸血鬼の前にも。
太巻きの他にも、あおさのりのお吸い物とか口直しのきゅうりの酢の物とか卯の花とか、おいしそうな和食が並んでいるのだが、それも全て太巻きの迫力の前にはかすんで見えた。
そして、食卓の中央には、巨大な方位磁石。ご丁寧にもテーブルには矢印まで書いてある。
準備は万端だった。
「…てか、こんなに食べられないです」
テーブルについてからしばし、呆然としていた小夜が我に返ってそう言うと、隣に座っていたウルスが驚いた表情をした。
「え?無理?」
楽勝でしょ?なんて続きそうなその言葉に今度は小夜が目をむいた。ごくごく普通の体型の、食欲も普通な女子高生の基準を把握してから作りやがれ!と言いそうになったのをぐっとこらえる。
その向かいでは、仙人が我関せずとばかりに「いっただきまーす♪」なんて言っていた。
「ま、食べ切れなければ持って帰ればいい」
「恵方を向いて、食べ終わるまでは喋っちゃダメだからね?」
両方の言葉に頷いて、小夜はピラミッドのてっぺんに手を伸ばした。
夕食の後は、豆まき。
これもまた、古風な升に山盛りの炒った大豆。鬼のお面まで用意されていて小夜はまたもや感心した。
「生の大豆じゃ、ダメなんだよー」
のんびり言った仙人が、ぽりぽり大豆を食べるのに、小夜は首をかしげた。彼は一体、何個食べなきゃいけないんだろう?
「昔話でね。撒いて、芽を出すようじゃダメなの。それじゃぁ鬼がやってきて娘を攫っちゃう」
……何の話だ。
と、小夜は言いそうになったが、瞬く間に大豆を食べきった仙人に遮られた。
「じゃんけんで、鬼を決めるよー。じゃぁ、ちっけったー」
のんきな仙人のかけ声で小夜はグーを出した。仙人はチョキ、ウルスはパー。あいこだ。
「あいらっぽー」
てか、じゃんけんぽいじゃないんだ、かけ声。なんて思いながら手を出すと、今度は小夜の一人勝ちだった。
「ふくはうちー」
ぱらぱら。
「おにはそとー」
びゅっ、ぴしぃっ!
「ふくはうちー」
ぱらぱら。
豆まきは今や、どれだけ相手に豆を当てるか、それをどれだけ華麗に避けるか、という戦いになっていた。
今の鬼役は、仙人。
まるで宙に舞うかのように、ひらりひらりと豆を避けまくる。
避けられてベランダの壁にめりこむ豆がちょっと怖い。…いや、かなり怖い。
「ふっ、まだまだだな!」
「なんの!お前もそろそろ疲れてきたんじゃないか!?俺ならもっと華麗に避けてみせるね!」
「そこまで言うなら、交代だ!」
「のぞむところだ!」
……で、交代。
そして、今度は豆を投げる側になった仙人は奥から台座にのった機関銃を出してきた。
上には、漏斗のようなものがついていて、彼はそこにざらざらと大豆を入れた。
もしや。
「ははははは!この日の為に改良した、豆まき用機関銃!通称マメキン☆だ!」
「いやそれまんまだし」
「ははははは!死ね志ねぇ!!」
※漢字違いは仕様です。
すっかり目がイっちゃった仙人が放つ豆を、吸血鬼が華麗にアクロバット避け(バク転で避けるアレ)で避けていく。
小夜そっちのけで楽しそうな彼らを眺めながら、彼女は座りこんで大豆をポリポリやっていた。
「…もう帰りたい、かな」
その呟きに答える者は、ない。
4月
異世界でのお茶事情
たとえ、異世界であってもお茶は飲める。
ハルナの目の前には、そこらへんの道端に生えている食べられる草を使ったお茶。その横には、畑に植わっていたサラダとかに使われている食用の野菜を使ったお茶。
前者は野草茶、後者はキャベツ茶とでも名付けようか。キャベツじゃないけど、味は似てる。
どちらも摘んでから乾燥させたものを、大きめのコップにいれてお湯を注いで蓋をして数分蒸らしたもの。
ポットが欲しいところだが、この世界にはそんなものない。
いや、お茶という飲み物すらない。
この事実を知ったとき、自他共に認めるお茶好きであったハルナは絶望した。
コーヒーとか果汁をしぼったジュースとかはあるのに、なんでお茶はないんだ。
そのショックから立ち直った彼女が求めたのは、お茶にできる葉っぱであった。
身近な植物を片端から摘み、乾燥させている彼女の部屋は壁という壁に乾燥された植物が吊るされ、まるで魔女か研究者の部屋のような異様な雰囲気をかもしだしている。
そんな部屋の中央でハルナはおそるおそる目の前のコップを手に取った。
まずは、香り。
(うん…許容範囲内?)
ちょっと葉っぱ特有の青臭い香りがあるような気がするが、野草茶もキャベツ茶もまぁまぁいけるような気がした。
次いで、野草茶をそっと口に含んでみる。
「!!!」
噴出しそうになった口をとっさに片手でふさいで目で吐き出せそうなところを探すが、ベッドと机しか置いてない部屋にそんなところはない。
我慢して飲み込むと、なんとも言えない苦味が喉を通っていくのが分かった。
(だいじょうぶだいじょうぶ、毒じゃない毒じゃ…!)
思わず涙がにじんだ目尻を指でぬぐいながら、キャベツ茶に手をのばす。今度こそ。
飲める味であることを祈りながらキャベツ茶をそっと口に含んで…ハルナは泣きたくなった。
(キャベツの味がする…)
食べるのと同じ味がするお茶などを飲むくらいなら、食べる方を選ぶ。そっちのが食物繊維もとれることだし。
コップを置いて、ハルナはため息をついた。
(ああ…緑茶が飲みたい)
爽やかなあの香り。まろやかな渋みとかすかに甘みのある後味。
懐かしすぎるあの日本人の心をもう一度。
お茶を愛する彼女の研究は、まだ始まったばかりである。
4月
帰宅
学校の帰り道。なんの変哲もないアスファルトの道。
同じ間隔でならぶ電柱柱の横を通り過ぎようとした私は、突然手をつかまれた。
「お花見行こうか?」
にっこり微笑んで、前触れもなくそう言った彼は私の知り合い。
日本人じゃありえない濃紺の髪に、水色の瞳。長くはない髪につつまれた顔はいつも笑みを浮かべている。
が、この笑顔を信用してはいけない。
手を振り払って逃げようと思った瞬間、ぐいっと引き寄せられて抱きしめられた。
抗いようのない眩暈が私を襲う。
そして、再び目を開いたとき、辺りの景色は一変していた。
無機質なアスファルトの道は、土がむきだしになった道に。
電柱柱は消え、青々とした葉を茂らせた木が私達に影を落としている。
「で、どこに行くって?」
男の腕の中から抜け出して、けれど顔を合わせないまま目の前の風景を見つめ出来る限り低い声でそう言うと、ふふふ、と楽しそうな笑い声が帰ってきた。
「お花見。桜に似た木を見つけたんだー」
こっちこっち、と勝手に手を握って歩き出す男に付いて行きながら、こぼれるため息を抑えられない。
コイツの気が済むまで、きっと元の世界には戻してもらえないだろう。
そう、ここは異世界。
目の前の、信用ならないこの男は世界と世界を股にかける偉大な魔術師。……到底、尊敬は出来ない人種ではあるが。
だが私には、自力で元の世界に戻る術などない。コイツが送ってくれるまで、仕方がないからコイツの遊びに付き合ってやるとしよう。
もう一つため息をこぼした私は、とりあえず握られた手を振りほどいた。
*****
彼が見つけたという桜に似た木は、たしかに綺麗だった。
いまご馳走してくれてる夕食も、美味しい。
だがしかし、もう帰して欲しい。せめて、寝る時間までは帰してもらわないと危ない。色々な意味で。
ヤツが住んでいる家で、テーブルに並べられた食事を見つめ、私は手に持ったスプーンを置いた。
「あれ?もう食べないの?」
非常に楽しそうにあれやこれやと料理を並べていた(恐ろしいことにこれらは全てヤツの手料理だ)男は、不思議そうに首をかしげた。
男がそんなかわいい仕草をするな。
色々良いたいことが喉を出かけるが、飲み込んで私は男に告げる。
「そろそろ帰る」
「だめ」
「ダメでも帰る」
「だめだったら」
……なんで。
目の前の笑顔を睨み付けると、とっても嬉しそうにされた。
「この変態」
「あー、そんな本当のこと言っちゃうと帰さないよー」
本当のことなのかよ!
テーブルの向かい側から手を伸ばして、若干ひいた私の頬を撫でる手をつまみ上げると「いてぇ」とますます嬉しそうにされた。
変態!!
「まぁ、朝ごはんを食べたら帰してあげてもいいよー?」
お泊りコースですか!
座っていた椅子から飛び降りて、私は鞄からトランプを取り出した。ヤツにそれを突きつけて叫ぶ。
「勝負!」
勝ったらすぐ帰せこの野郎。
毎回コレで帰宅の権利を勝ち取っている私。
この男はそれを狙っているような気がしないでもないけど、ともかく早く帰るにはこれしかない。
明日も学校。宿題を家に残してきている身としては気が気じゃない。
微笑む男を睨みつつ、ストレート勝ちを心に決める私であった。
4月
帰宅?
僕の住む世界ではありえないアスファルトの道。
黒くて小さい石を敷き詰めたように見えるそれは、石ではないらしい。
そろそろ彼女はこの道を通るはず。
電柱柱と呼ぶらしい、灰色の柱にもたれながら何をして遊ぼうかと思いを巡らせる。
花を見に行くのはすでに決定事項。
街に出て、いろいろ服を買ってあげるってのもいいな。いろんな屋台で買い食いするのも楽しいかも。
彼女がいつも持ち歩いているトランプを使って遊ぶのもいい。
そうするうちに、背後から軽い足音が聞こえてくる。
人通りが少ない道だから、きっと彼女だろう。
足音が自分の横を通り過ぎるのを待って、手をつかむ。
びくっと震える黒目黒髪の華奢な少女。
驚きと怯えが入り混じった視線を受けて、満面の笑顔を君に。途端、少女の表情がうんざりしたものに変わる。
「お花見行こうか?」
もちろん、俺の世界のね。
早く、こっちの世界に住むって言ってくれないかなぁ。
少女を腕に閉じ込め世界を渡る魔法を使いながら、そんなことを考える魔法使いであった。
5月
真夜中シリーズ こどもの日
「鯉のぼりっていいと思わないかい!?」
目をキラキラさせながら、なんの前触れもなくいきなり起き上がってそうのたまった少年姿の仙人に、思わずため息。
「いきなり何だ?」
いいとこだったのに。仙人とは別のソファで寝そべっていたウルスは、マンガを閉じてしぶしぶ起き上がった。
突然、こういうことを言ってくるヤツにいい思い出はない。
「この前さ、鯉のぼりの横に子供の名前を書いた幟を立てていた家を見てさー。個人情報垂れ流しにするだなんてなんてナンセンス!ってそのときは思ったんだけど、あらためて思い出してみるとイイよねアレ」
「…そうか?」
名前を書いた幟…。
ウルスの脳裏には背中に旗をさして馬に乗って駆けている戦国武将の姿が浮かんだ。
「この、個人情報にうるさい現代において子供の名前をフルネームで大々的に公表したあげく、何人いるのかとか男女の区別とかそんなものをオーダーメイドで作っちゃう自分達の経済状況を晒しちゃう、その心意気が素晴らしいと思わないかいウルス君!」
「いやそれ、けなしてるように聞こえるんだが」
「けなしてないよ、尊敬してるんだよ!」
「嘘だろそれぜったい」
「で?」
「……今から鯉のぼりオーダーメイドしたらこどもの日に間に合うかなぁ」
自分の名前入りのを作るつもりかとか、そもそもお前『仙人』以外に名前があるのかとか、お前見た目だけ子供で中身はとっくに子供ですらないだろうとか、いろいろ突っ込みどころはあるが。
「…無理だろう」
いろいろ面倒な彼はとりあえず一言で切って捨てた。
7月
真夜中シリーズ
真夜中の水溜り
1ヶ月間、降り続いた雨は空気の汚れをすっかり洗い流したようだった。
空を見上げれば、月や星の光のかわりに夜の闇のなか、灰色に見える小さくてたくさんの雲。ツブツブしてるその様子はまるでお米の粒を隙間なく敷き詰めてみたかのよう。
風は夜だからか、すこし冷たくてすこし強かった。上空はもっと風が強いのだろう、流れる雲のスピードは早い。
「久しぶりだね、夜の散歩」
雨が降り続いていた今月は、さすがに夜に外に出る気になれなくて、小夜はずっと家の中。
デュラやクリスを相手に、将棋やらチェスやらオセロやらで遊んでいたのだが、小夜よりはるかに頭の良い2人には負けっぱなしだった。たまに勝っても、手加減してもらったんじゃないかと思ってしまう自分がとても嫌で。でも言い出せなくて。
ともかく一番早く外に出たいと思っていたのは小夜だった。
闇に浮かび上がる色づく前の白い紫陽花。咲いている間に色が変わっていくこの花の花言葉は『移り気』とか言うらしい。
雨にぬれている葉の上に白く浮かび上がって見えるのは白っぽい殻を持ったかたつむり。彼らは、陽が出ている昼間は殻の中に隠れて葉っぱの裏。
なんだかこのごろ毎回恒例になりつつある学校の屋上は、排水口が詰まったのか一面に薄く水が溜まっていた。
そっと水溜りに足をつけてみると、水の深さは1センチか2センチくらい。これなら、水を跳ね上げたりしないかぎり濡れることはない。
翼をつかって屋上の水溜りの真ん中に降り立って波紋をつくってみたり、ゆっくり水溜りのなかを歩いてみたり。思いつく限りのいろいろをやって、小夜は満足のため息をついた。
「うむ、余は満足じゃ」
「何言ってんだか」
すかさず入ったデュラの突っ込みは聞こえないふり。でも、すかさず左手を水溜りにつけるとデュラはすっごく嫌そうな顔をした。
そんなデュラににっこり笑って、小夜はひとこと。
「こんなところに水溜りって、下の階雨漏りしてるかもね?」
「知るか、そんなもん」
思わずそう毒づいた彼は、ふたたび水溜りへ顔を突っ込む羽目になったという。
11月
真夜中シリーズ 焼きイモ
「……イモ」
「は?」
ぼそり。落とされた単語に吸血鬼は読んでいたマンガから顔をあげた。
視線の先には、突然なんの脈絡もない単語を発言した仙人。
パソコンに向かって、熱心に画面を見ている彼の表情をうかがうことはできない。が、ただならぬオーラにウルスは思わず身構えた。
「焼きイモが喰いたい!!」
「お…おう」
くるっ、とウルスに向きなおった仙人の目は欲望と興奮と渇望と…なんかいろんなもので爛々と光っていた。
「黄金千貫!紅はやと!紅赤、金時、パープルスイートロード!」
「なんだ最後の横文字は!?」
「ジョイホワイト、ジョイレッド、サニーレッド!焼き芋の新鋭、安納芋!!」
「最後のはともかく、ソレは本当に芋の名前か…?」
唖然とする吸血鬼をあっさり無視し、仙人は大きく両腕をひろげた。
「全ての焼きイモを食し、秋の味覚を堪能するまでは誰にもオレは止められない!!ふ、ふふ、ふははははハハhahaha!!」
「なんか、キャラ違くないかおまえ…」
なんか色々と圧倒された吸血鬼は、高笑いしながら部屋を飛び出していく壊れた仙人をただただ見送ったのであった。
出てきたさつま芋の品種名は全てノンフィクションです。
2月
真夜中のチョコレートの会
2月。というより、冬。
チョコレートが美味しい季節である。
「…っとゆーことでえー!第一回チョコレート食べまくり大会を開催しますっ!」
テーブルの上に仁王立ちでしかもバンザイして叫んだ仙人をテーブルの上から叩き落とし、代わりにほかほかのフォンダンショコラを置いたウルスは、お茶の準備をしながら仙人の開会宣言に拍手していた小夜と詩鶴に向かってにっこり笑って言った。
「気にしないで。いつものコトだから」
「ひどいわー、いたいけな女のコを突き飛ばすなんて」
「ちっともいたいけじゃねぇだろ」
何事もなかったかのように起き上がって口を尖らせブーブー言いつつ椅子に座った仙人をウルスは睨みつけつつ彼女の目の前にもフォンダンショコラを置いてやる。
仙人は、今日は長い髪を三つ編みにした少女(というより、幼女)の格好をしていた。
小さいおませな感じの少女が、青年に突っかかっている光景というのは、微笑ましいものがあった。……見た目は。
微笑ましそうな隣の少女を窺い、ウルスと仙人が彼女の見えないところで足を踏みつけあったりつねり合ったりしてるのを見てしまった小夜はひきつった笑顔をうかべた。
「一品めー。ウルスお手製フォンダンショコラー」
「冷めないうちに召し上がれ」
にっこりホスト風の笑顔を浮かべた吸血鬼にいただきますと手をあわせ、少女達は目の前の小ぶりのケーキに取り掛かった。
ひとくち、食べて彼女達は言葉を失った。
ケーキの生地は少し固め。でもしっとりとしたそのケーキの中からとろりと流れ落ちるビターチョコレート。その香りが口いっぱいにひろがり、ほのかな洋酒の香りとともに鼻からぬけていった。
甘すぎず、しかし濃厚なチョコレートが染みこんだケーキの生地はふたくちめからは違う食感に変貌する。ほろりと口のなかでほどけるスポンジに、ゆるむ頬がおさえられない。
そして、みくちめ。ひとくちめでとろけてふたくちめでスポンジに染みこんだビターチョコレートが冷えてかたくなり、さらに違う食感が楽しめた。洋酒の強い香りが抜けたビターチョコレートからは、上品な甘さが感じられ舌を楽しませてくれる。
「「おいしい…!!」」
なんか、それ以外の言葉が出てこないのがすごく悔しいほどに、おいしかった。
「こんな美味しいケーキが作れるなんて、店主さん何者…!?」
「すごいですウルスさん!これでパティシエじゃないだなんてもったいない!」
少女2人の賛美を気持ち良さそうに聞いたウルスは、ふと隣に座った仙人を見やり、
「……うん、お前に感想なんて求めた俺がバカだったよ」
と、小ぶりのケーキをひとくちで片付けた少女の膨らんだほっぺを指でつついた。
「おかわり!」
「あー、はいはい。じゃぁこの次のソルトチョコはお預けな」
「ソレは却下!」
「わがままだなぁ」
苦笑して立ち上がったウルスを目で追いかける詩鶴を、楽しそうに観察する仙人、さらに2人を見て冷や汗をかく小夜……彼女は思った。この子遊ばれてる!と。
ホスト風イケメンな吸血鬼と、あどけない少女(幼女)の組み合わせは、年の離れた兄妹のようでもあり、親戚の子供をかまうお兄さんのようでもあり…さっきの掛け合いも相まっていい感じに見えるのであった。
羨ましそうに「仲がいいんですね…」なんていう呟きに、とっさに小夜は聞こえない振りをしてしまった。
普段の彼らからすれば、詩鶴が思うような『仲のよさ』はありえないのだが、そんなことは口が裂けても言えない。ってか言える筈がない。
「お待たせしました!かのオバ○大統領がお気に入りだというソルトキャラメルチョコレートだ!」
「コレ、7つで2000円以上するんだってさ」
口に手を添えてこっそり教えてくれた仙人の頭にウルスのげんこつが降った。
「こら!値段のこと言うのは野暮だろう!」
「そ、そんなに高いものなんですか…?」
親指ほどの大きさのチョコレートが7つ、箱に並んでいる。普段自分達が食べているチョコレートからすればなんていうか、ケタ違いだ。
「シアトル行ったついでに買ってきたんだ。コイツが言ったのは日本で買ったときの値段。現地で買ったんだからそこまでじゃないよ」
「普通だよ、普通」
「お前が言うな」
ふたたび、じゃれ合い始めた見た目仲のいい男女(?)を目の前にして、小夜は隣の詩鶴から妙なプレッシャーを感じて動くことができなかった。
いろんな意味で涙目の彼女が解放されるのは、数時間後。
チョコレート大会は、まだはじまったばかりである。
3月
真夜中シリーズ
真夜中のホワイトデー
「ウルスさん、仙人さん。これ、受け取ってくださいっ!」
言って、緊張でガチガチになった小夜が差し出したのは、ワンホールのチョコレートケーキであった。
3月14日。
世間一般様で言うところの、ホワイトデーである。
先月、吸血鬼と仙人にチョコレートの会と称して様々な絶品チョコレートをご馳走になった小夜は、なんとしてもその日にお返しをせねばならないだろうと悩んでいた。
彼らのように、有名なチョコレートを用意しようかとも思ったが、お小遣いとの兼ね合いで断念。……といっても、他に良いお返しなんて思いつかない。
件の会に一緒に参加した志鶴に(実は2人共チョコレートの会で初対面だった)なんとか連絡をとって相談しても『秘密♪』なんていって一人でお返しを準備してしまったようであるし、驚かせたいから吸血鬼と仙人の2人には相談したくない。小夜に憑いている天使のクリスと悪魔のデュラは行事自体よく分かってないから問題外。
悩みに悩んで、煮詰まった彼女は事情をぼかして母親に相談した。
「なに〜? あんたホワイトデーにお返しもらうんじゃなくてあげる方なの〜?」
近頃の若い人は変わってるわね、なんてニヤニヤしながら母が授けてくれた”名案”はズバリ、手作りだった。
だがしかし、あげる相手はパティシエも真っ青な絶品ショコラを作り出す吸血鬼とそれを普段から食べて舌が肥えまくっているだろう仙人だ。それはちょっと……なんてしりごみする娘を、『だ〜いじょうぶ! あげるのは社会人なんでしょ? ぴっちぴちの高校生の手作りだってだけでブランドもんよ!』とオヤジくさい台詞を吐きながらばっしばっし背中を叩き親指立てて激励(?)する母親に勇気付けられ、練習しましたチョコレートケーキ。
せめて見た目だけはまともに見えるようにと、慣れないチョココーティングまで頑張った。
さらには、2人ともできるだけ同じ味になるようにと、2ホール焼いて真ん中から切って上下を交換したり、スポンジに塗るリキュールの量を一緒にしたり、まぁともかく表にでないところでいろいろ頑張った。それぞれの重さの差も、0.1グラム以下だ。
そして、冒頭へ戻る。
「わぁ〜っ! チョコレートケーキ! それぞれワンホールだなんて太っ腹!」
と仙人には両手を上げて喜ばれ、
「俺たちはお返しなんてよかったのに……。頑張ったな」
と吸血鬼に頭をぽんぽんされてなんだか小夜はなんだかうるっとした。
本当は手作りなんて珍しくないにしても、あえて小夜にそう言ってくれる2人の優しさがなんだかしみた。
「じゃっ、コレはお返しのお返し♪」
そう言って、仙人が取り出したマシュマロの巨大な瓶詰めに驚いて、笑って、仙人がオススメだと言いながらマシュマロを焼いて、チョコレートケーキを分けて皆で食べた。仙人は宣言通り1人でワンホール食べた。
はからずも、お菓子交換会になった楽しい夜であった。
3月
異世界3分クッキング
「さぁ! 今日の料理は『ポトフ』です!」
にこやかにハルナは虚空に向かって宣言した。
「まず、ジャガイモもどきの皮をむきましょう! 皮は厚めに剥いてくださいね! ……てか、皮は一口たりとも入れてはいけません、猛毒です。心配な人は中身をくり抜くようにするといいでしょう」
次に、彼女は青い野菜を取り出した。
「次に、人参を切りましょう。初心者はこの色にびっくりすると思いますが、だまされちゃいけませんよ。コレは人参です」
そして彼女は大きめの麻袋を取り出した。袋の口は頑丈に縛ってあり、中ではなにかがジタバタと暴れている。
「玉ねぎは、このように」
言ってハルナは棍棒を取り出し、袋を力任せに叩きだした。
ぎゃ!ぎゃぁ〜
断末魔の叫びがキッチンに響き渡り、やがて静かになった。袋の中の”何か”も動かなくなっている。
「止めを刺してから使いましょう。調理直前にやるのがポイントです。死んでから時間がたった玉ねぎは味が落ちるとともに、人体に悪影響をあたえるので避けましょう」
にこやかに”玉ねぎ”の皮を剥き、一口大に。ちょっと動いたが、気にしない。
「あとは、だしを入れたお鍋にお肉とこれらの材料を入れて、煮込むだけ! ね、簡単でしょ?」
言ったハルナは、隣に置かれた大きな鍋の前に移動する。
「今回は、ここにすでに煮込まれたものを用意してあります。では、盛り付けです」
穴あきレードルを駆使して、具だけを深皿にうつす。
「どれだけおいしそうでも、スープは飲んじゃいけませんよ? お腹を壊します。最悪、死に至ることがありますので気をつけて。どうしても飲みたければ、一時間ほど沸騰した状態を保って煮込めば問題ないでしょう」
マスタードを添えて、できあがり。
笑顔を貼り付けたままテーブルへ移動し、試食。
「おいしいです。やっぱり故郷の味は格別ですね」
笑顔でそう言ったハルナは、そのまま泣き崩れた。
「やっぱ嫌!! ……お味噌汁飲みたい! 一時間煮沸消毒しなきゃ飲めない水ってどんだけ……。せめてスープ飲みたい!」
ハルナは生粋の日本人だった。
突然のトリップに、彼女は途方に暮れたが何よりも問題だったのは食事だった。
謎の野菜、謎の生物。とどめに、謎の病原体がいる水はそのままでは飲めなかった。そのあまりの毒素の強さに、ここにはスープという料理がない。
試しに作ってみても、飲むことができずやむなく具のみ食すというありさまであった。
「……負けないんだからね!!」
食べることが何よりも楽しみな、彼女の研究は始まったばかりである。
4月
真夜中の『うぃーふぃ!』
「Wi−Fiって、読み方おかしいよな」
「なんだ突然」
寝転がってゲームをしていた仙人の突然の発言に、ニヤ動で動画をあさくっていた吸血鬼は振り向いた。
仙人はゲーム画面から目を離さないまま、
「俺、コレがでたとき絶対読み方『ウィーフゥ!』だと思ったんだよ。やけにハイテンションだぜウィーフゥ!みたいな」
「そこまで断言出来てしまう理由が分からんが。そう読みたいのなら『ウィーフィ』が正しかろう?」
「ウィーフィ !って言ってるとキチガイみたいじゃないか。言いにくいし」
「だから勝手に読みを作るなと。正しくは『ワイファイ』らしーぞ」
「納得できん。断固抗議する!」
「勝手に抗議してろ。で、コレはどういうモンなんだよ」
「んー、アナタだけのアンテナですみたいな?」
「なんだよアバウトだな。どれどれ……」
ウルスはパソコンを操作した。
「んー……。『Wi-Fi Alliance によって無線LAN機器間の相互接続性を認証されたことを示す名称、ブランド名。WiFi などとも表記される』ばーい、俺達のウィキより。……よーするに、違う会社で作った無線LAN同士が繋がることを表す名前ってことか?」
「ふーん」
「ふーん。てなお前」
「だがしかし! 断る!」
「なにをだ」
「我は『ワイファイ』などという読みを認めない! 未来永劫、『ウィーフィ』と呼んでくれようぞ!」
「あー、勝手におし」
読み方が初めに言ったのとは違うぞとか、そーゆーところを突っ込んでやるべきかなと吸血鬼は思ったが、なんだか面倒くさくなってパソコンに向き直った。
背後で、最後までゲーム画面から目を離さなかった仙人の不気味な高笑いが響き続けていた。
5月
真夜中の砂像
「たまには芸術に触れてみようと思うんだ!」
「また唐突に」
「美術館にでも行ってみますか?」
ゴールデンウィークだとどこも人多そうですけど、と呟く小夜。
すでに呆れた表情をしている吸血鬼と小夜に、言いだしっぺの仙人は「ばーん!」と擬音を口に出しつつ大きなチラシを広げてみせた。
「このチラシを見よ!」
「チラシっつーか、これポスターだろ」
「どこからはがして持ってきたんですか?」
「え、ちょっと南の方の役場に貼ってあるやつを……じゃなくて! 中身!」
「えー、『世界砂像フェスティバル』?」
「砂で像を作るんですか……。札幌の雪像みたいですね」
うむ、と頷いた仙人はバン!とポスターに写っている砂像を指差し。
「これを作る!!」
「見に行くんじゃねぇのかよ」
という、吸血鬼の迅速なつっこみをいただいた。
数日後。
小夜がテレビを見ていると『謎の砂像!いったい誰が!?』などという見出しで、都内のめぼしい公園の砂場で、それはそれは見事な人やら建物の砂像が発見されたというニュースが報道されていた。
あまりに見事で、壊すにはしのびなく砂場から移動させて保管しようという運動があるらしい。
同時に、砂場で遊べなくて迷惑そうな子供たちの映像でそのニュースは終わった。
「本当にやったんだ……」
てか、やりっぱなしなんだ。
手に持っていたセンベイをばりばり食べた小夜は、今度作り方見せてもらおうとそんなピントのずれたことを思ったという。