1 見た目の問題

「お前、見た目だけはいいんだけどな」

 不意にそんなことを言い出した女に驚いて、サスケは持っていたクナイを落とす。
 そのクナイを素早くテマリはは拾い上げ、くるりと宙に放り投げながら、男の顔をマジマジと観察する。

「お前、いきなり何言って…っ」
「本当のことだ」

 テマリの予想以上にサスケが驚いたので、笑いをこらえきれない。
 本当に、見た目は良いと思う。
 一番初めに見たときからいいなと思った。
 真っ黒な髪は砂にはあまり無い色で、無造作に切りそろえられているが汚くはない。
 切れ長の瞳も、形よい鼻も、薄い唇も、バランスよく白い輪郭にのっている。
 一つ一つのパーツといい、全体のバランスといい、しっかりと整っている。

 くるくると落ちてきたクナイの刃先を指の間に挟み、サスケに差し出す。

「ほら」
「………見た目だけかよ」

 非常に不満そう、かつつまらなそうに、ぼそりと呟いて、サスケはクナイを受け取る。

「くっ…ははっ」
「笑うな!」
「はははははっっ。お前、なんというか、やっぱり見た目だけはいいなっ」
「なんだと!?」

 いよいよ本格的に笑い始めたテマリに、サスケは顔を赤くして言葉を探す。
 見た目だけとは実に失礼な話だ。
 同世代の女性陣からもてはやされる事もあって、サスケは自分の顔の良さは自覚している。自覚はしているが、そのこととこれは完全な別問題だ。
 さすがに顔以外にとりえが無い、なんて事はないだろう。
 他にも色々と良いところがあるはずだ。

 別に誰に何を言われようと構わないのだが、ここまで言われて黙っているわけにもいかない。
 だが、反撃に出ようとしたサスケの思惑は結局かなわなかった。

「ばーか、だから私はお前が好きなんだよ」

 ヒールのある靴を履いて、サスケより身長の高くなっている少女は、屈みこむようにしてそんな破壊力抜群の言葉を落としたから。
 だからサスケは絶句して。
 テマリの見せた照れくさそうなはにかみに見惚れたのだった。


 
















2 いけ好かない





 

















3 他人、友人、恋人

「なぁ」
「…………」
「おい」
「…………」
「………おい」
「…………」
「…………っっ」

 本に集中して、完全無視を決め込む女。クッションを背に座った女は、絶対に気がついているだろうに一心に文字を追っている。
 男はそれにイラついて、本を奪い取る。
 乱暴につかまれ、無理やり奪い取られた本は無残にも放られベッドの上に落下する。

 女は手の中から消えた本の行方を眺め、ついで、男を見上げた。
 座る女に立てひざの男。
 圧倒的優位な立場の筈の男だが、女の鋭く冷めた視線にたじろぐ。

「サスケ」
「………ちっ」
「サスケ」

 諭すような、それでいて威圧的な鋭い声音。
 再度呼ばれた男は居心地悪そうに女を見下ろして。

「…………悪い」

 非を認めた。
 ただし、そっぽ向いて決まり悪そうに物凄くイロイロと譲歩した感じで。
 それでも女は頷いて、小さく笑う。
 笑って、サスケのぼさぼさのとんがり髪を子供にするように撫ぜた。

「いい子だ」
「テマリっ!」

 馬鹿にするな、と思いっきり手を払いのけたサスケだが、テマリのニヤニヤ笑いに言葉を失う。完全に、向こうのペースだ。
 まずい、と思いつつも態勢を整えきれない。

「ようやく呼んだな」
「は?」

 テマリの言葉の意味が分からない。
 ぽかんとした男を眺めて、テマリは満足そうに笑った。

「サスケ、私達は他人か? 友人か? それとも?」
「………他人だろ」
「全く可愛くないヤツだな。お前は。…まぁ、それで構わないなら私も構わないが」

 やれやれと立ち上がるテマリの手を思わず掴む。なんの迷いも無くサスケの部屋から出て行きそうな雰囲気だったから、つい。
 しかし振り返ったテマリの顔に浮かぶのは、してやったり、という笑顔。
 やられた、とサスケは深い深いため息をついて。

「恋人だろ、テマリ」

 ようやく理解できたテマリの求めているものを差し出して、一番初めにしたかったように腕の中にその柔らかい身体を引き寄せた。




 



















4 孤独

 ああ、そうか。

 ―――女は全く唐突にそう呟いた。

「……なんだ、いきなり」

 整った顔立ちをいたく不機嫌そのものにしかめて、少年は顔を上げる。
 目線の先に、ついこないだ敵国だった国の、砂隠れの里の忍。砂漠、と言われれば思い浮かぶような、茶色に近いクリーム色の髪を4つに束ねて、視線を遥か遠くの空へ飛ばしている。まだ10代の半ばだというのに、ひどく疲れ果て老獪した翡翠の瞳を、少年の声に導かれるようにして動かす。視線は空から少年へと移り。

「口に出ていたか」
「はぁ?」
「…考え事を、していたんだよ」

 そう小さく笑って、もう一度空へと視線を飛ばす。
 何があるというわけでもあるまいに、そう思いながらも、つられるようにして少年も視線を上げた。
 広がる空はどこまでも青く、深く、同一色のグラデーションを織り成し、世界を埋め尽くす。

 ふと、思う。

 自分は何をしているのだろう。
 敵国だった忍と同じ空間で空を見上げる。

 喧騒を逃れた行きつけの場所に、何故だかこの少女がやってきて、勝手に居座って。
 それが他の同期の少女たちに比べて、あまりにも静かで、あまりにも穏やかで、存在感がなかったから、なんとなく、邪険にする気にはならなかった。
 初めて会った時は、もう少し、子供らしかったように思う。少なくとも、同期の少女とさして変わらないように見えた。もっとも、その実力は彼女たちとは比較にならなかったのだが。

 何を彼女を変えたのだろう。

 珍しく浮かんだ他者への興味に、サスケは瞠目する。

「お前の世界は、完結しているんだなぁ」

 ぼんやりとしたような、はっきりとしない声。
 空を向いたままの視線は、サスケなど忘れ去ってしまったかのように遠く。

「…何の話だ?」
「お前の、話だ」
「……」
「うちは家の生き残り。うちは、サスケ。どういうことか、木の葉は黒歴史であるはずのうちはイタチによるうちは家壊滅という事実を、他国に晒している。そして、お前がその唯一の生き残りだという事実も、上層部にはよく知られた事実」
「…なんだと?」

 何が言いたいのか分からず、サスケは自然テマリを睨みつける。

「うちはイタチとうちはサスケを晒し者にして、守りたい何かがあるのか。違う真実があるのか。私は知らない。そしてきっとお前も知らないのだろう?」
「………」

 知らない。
 分からない。

 テマリという少女が何を考えているのか、何を言おうとしているのか。
 何を、サスケに知らしめたいのか。

 うちは一族は、うちはイタチというたった一人の造反者によって滅んだ。
 そしてうちはサスケは生き残った。ただ1人、残された。
 うちはイタチのためだけに。

 それ以外、何が必要だと言うのか。

「うちはイタチを倒す。それがお前の存在理由。存在意義。そして世界の全て。そうだろう?」
「…だったら何だ? あんたには関係ないだろ」
「そうだな。関係はない」

 あっさりとテマリは認める。
 サスケの冷たく、そのくせ激しく燃える復讐の瞳を、静かに受け流す。
 視線は交じり合い、交差し、ぴくりとも動かない。
 見つめあいながらも、自分を見透かしたような真っ直ぐな翡翠の瞳に、気おされるサスケが写る。

「ただ、孤独だと、そう思うよ」
「…っっ」

 目の前が、朱に染まった。
 何を考えるよりも早く、サスケの手は少女の胸倉を掴み上げる。爆発的な感情の名前を知るよりも早く、服を引きちぎるような勢いでねじり上げて、引き寄せて………視線が、合った。

 何を言うわけでもない。
 ただ、視線が合っただけだ。
 目が合っただけだ。

「………」

 それなのに、一瞬で燃え上がったサスケの怒りが、しおしおと見るからに縮んでいく。

 翡翠の瞳に浮かぶのは憐憫か同情か………共感か。
 複雑な色合いを押さえつけて、ただ静かだった。

「復讐を、したいと思ったんだ」

 ぽつん、とテマリはこぼす。

「私にとって、父は全てだった。父の言う事は絶対だった。父に認められるためなら何だってした。父に愛されたかった」

 小さくテマリは笑う。
 静かな瞳で、サスケを見据えて。

「だから、許せなかった。父を騙り、里を欺き、父を追い落とし、殺した男が。…許せなかった」

 力の抜けていた手を離して、サスケは声に聞き入った。
 かつて、自分に起こった出来事が自然と蘇る。

「周りが見えなくなった。真っ白になって、父を殺した相手の事が頭から離れなくなった。寝ていても起きていても、常に、あの男がそこにいて」

 赤い瞳が、じっと見ている。過去にあった、そのままの姿で。
 うちはサスケは、決してそれから逃れられない。

「…それは私とあの男の世界。完結した、そこから先のない世界。………それは、なんて孤独だろうか」

 そこにはナルトもサクラもカカシも居ない。
 ただ、うちはイタチという虚像と、うちはサスケがあるだけ。

 決して開かれる事のない、完結した世界。

 ただ、自分1人で完結してしまう世界。

 復讐する事で、全てが終わる世界だ。

「お前を見ていて、ようやくその事に気が付いたよ」

 復讐を求めて、求めて、求めるあまりに何も見えなくなった。
 それが孤独だと気が付きもせず、ただ、力を求め、復讐を望み、それから…―――今日がある。

「似ているんだな、私たちは」

 似ているけれど、違う。
 サスケは孤独を認めていた。それは母も父も祖父母も兄弟も、存在しうる全ての喪失による孤独。復讐に寄る孤独では、決してない。

 それをサスケは訴えたかった。
 分からせたかった。
 肉親がいるお前に何が分かる。
 俺の何が分かるのだ、と。

 けれど言葉は出ない。
 テマリの言葉は、確かにサスケの中にある真実をついてはいたから。
 サスケが気づかずに通した真実があったから。

「…っっ」

 もどかしく、サスケは地面を蹴り上げた。
 苛立ちと焦燥と、見透かされた事に対する羞恥と、感情がめぐり、めぐり、それが思考を停滞させる。

「…うちはサスケ」
「んだよっっ」

 ぽん、と音がした。呆気に取られて、思考が完全に停止する。ついでにその動きも、完全に停止した。
 テマリの手の平が、サスケの頭の上にある。
 分かりやすく言えば、テマリがサスケの頭を撫ぜている。
 
 目の前に、悪戯っぽい翡翠の瞳。
 何かを面白がるような、意志の強い瞳。

 変わる前の、テマリの目だ。

「悪かった」

 サスケよりも高い目線を腰を折ることであわせて、穏やかに、笑う。
 無造作にはねたサスケの髪を荒らして、気紛れな風のようにテマリの手は離れた。
 それは一体なんに対する謝罪なのか。
 聞くよりも早く、テマリは踵を返していた。
 呆然としたまま、その後姿を見送る。

 20も歩かぬ内に大きな鉄扇が弧を描き、ふわりと風にのった。

「…なんなんだよ、あいつは」

 人の感情をかき乱して、荒らして、勝手に納得して、勝手に笑って、勝手にいなくなって。

 なんて気紛れで、なんて自由で、全然似ていないじゃないか、と毒づきたくなる。
 同じ世界を見ているはずなのに、確かにこのほの暗く燃える感情を抱いているはずなのに、なんて、ずるい。

「………孤独、か」

 テマリの言葉を思い出して、呟く。
 確かに孤独だった。
 自分で自分を孤独に追い詰めているのだと、今日気づかされた。

 それなのに。

 ………サスケは笑う。
 唇が、自然と微笑の形を作って、吐息と共に、確かに笑う。

「似ているわけねーだろ」

 忍び寄るような赤い瞳が、今だけは見えなかった。



 

















5 笑顔