1 幸せだった時間幸せだったのよ、と彼女は笑った。 本当に?と青年は手を伸ばす。 本当よ、と彼女はその手を受け取る。 貴方に会って、ともに歩けて、ともに生きれて。 メルネスの姉でしかなかった自分に生きる価値をくれた。 シャーリィの姉として生きる力をくれた。 貴方にとっては私もシャーリィもただの水の民の1人でしかなかったから。 ううん。 もしかしたら、違ったのかもしれない。 貴方にとっても私はメルネスの姉だったのかもしれない。 でも、違うのよ。 だって私はステラ・テルメスで、貴方はそれを認めてくれた。 私の妹はシャーリィ・フェンネスで、貴方はそれを認めてくれた。 メルネスとメルネスの姉よりもステラとシャーリィを大事にしてくれた。 それはきっと他の水の民と区別がつかなかっただけかもしれないけど…。 それでも、何のへだたりも見せずに接してくれる貴方が、どれだけ嬉しかったか。 きっと初めてだったのよ。 シャーリィだけじゃなくて、私の心配をしてくれる人。 子供のころからずっとシャーリィは心配される係で、私は怒られる係だったから。 心配されることがそんなに嬉しいなんて思っていなかった。 シャーリィに対して張った姉としての意地も、貴方には無意味だものね。 もちろん惹かれたのはそれだけが理由じゃない。 ぶっきらぼうだけど、気難しそうに見えるけど、いつもやさしかった。 きっとやさしさを示す方法を知らなかっただけ。 そんなことに気付いてしまったら、知ってしまったら、知りたくなるじゃない。 もっともっと、もっともっと沢山の貴方。 貴方が見せる表情が、貴方の穏やかな声が、きらきらしてまぶしくて。 初めて笑った顔は今も覚えてる。 初めて触れた手は今と変わらない。 泣きたくなるくらい幸福な時間だった。 切なくなるくらい短い時間だった。 それでもただ愛おしい日々だったから。 「だから、セネル。私は幸せよ」 全てが奪われて、辛いこともあった。苦しいこともあった。後悔もあった。悔恨もあった。嘆いたことも悔いたことも許しを請うた事も狂いたいと泣いたことも死にたいと願ったことも殺してと叫んだことも―――。 あった、けれど。 それでも、笑った。 全てを受け入れた上で、彼女は笑った。 「ああ―――。俺も、幸せだよステラ」 それならセネルはそれを支えよう。 彼女がずっと幸せでいられるように。 彼女が望んだ未来が失われないように。 彼女が喜んでくれたことの一つ一つを大事にして。 彼女が導いてくれた全てを糧にして。 だって、彼女とシャーリィと3人で過ごした水の民の里での時間がなければ今のセネルはいないから。 彼女が受け入れてくれた過去がなければ、彼女という存在が一緒に笑ってくれなければ、彼女に守られていなければ、今の全てはなかった。 今の幸せはなかった。 馬鹿みたいに彼女に支えられている。 怖くなるくらい彼女に傾倒している。 だからもう、彼女がいなくなるなんて考ええられない。 彼女がいる限り自分はいつまでだって幸せで。 それはつまり。 「君と出会った時から、君が傍にいてくれれば俺はずっと幸せだったんだ」 ← 2 戻らない日々「聞きたいことがあったんだ」 銀の髪の青年は一面の花の上で両手を広げる。 思い出すのはあまりにも綺麗な水の蒼。 水面はキラキラと太陽を反射して、潜れば信じられないほどに透き通った蒼だった。 "水の民" そう名乗る彼らにとても相応しいあの素晴らしい水の世界。 水だけじゃなくて緑もきれいで、土地は肥沃。 自分たちが食べるだけの野菜なら十分に育つ小さな畑。 緑に覆い尽くされたような森の中にその村はあって、そこには鮮やかな金の髪をもつ民が住んでいた。 ―――住んで、いた。 「―――ステラは、恨まなかったのか?」 自分のせいで、あまりにも辛い目にあわせた。 それは自分なんかには想像も出来ないような苦しみだっただろう。 その事を思えば、今生きている自分を同じ目に合わせて死にたくなる。 ひどい目にあわせて、辛い目にあわせて、苦しい目にあわせて。 それこそ死にたいって思うような目にあった筈だ。 ―――それでも、助けてくれた。 故郷を奪って、家族を、親戚を、友人を奪った人間を、導いてくれた。 死ぬ程恨んで、憎んで、罵って、殺したいって思ってもおかしくない相手を、結局助けてくれた。 広げた両手を下げて、緊張を吐き出すように深呼吸。長く吐いた息はあの村の水のように綺麗な空へ零れ落ちる。 「―――恨んだわよ」 小さな声に、思わず勢いよく振り向く。 風がふわりと吹いて、輝く金の光をさらった。 柔らかな白の衣服が風を含んで大きくはためく。 言葉は確かに恨み言なのに、その顔はいたずらを思いついたように楽しそうな笑顔だった。 「ステラ?」 「だってセネル、私の事なんて全然覚えてないみたいだったし。それに、女の子とばっかり仲良くしてるんだもの」 拗ねたような、照れたような、それでも朗らかな笑顔に嘘はどこにもなくて。 虚をつかれた青年はぽかんと立ち尽くす。 その様が面白かったのか、金色の髪をなびかせながら鮮やかにステラは笑った。 「―――過去はね、もう変わらないのよ。セネル」 「ステラ…」 「あの頃はもう戻ってこないし、返りたくても返れないの。…だけどね、これからは沢山作れるの」 失われた土地だって時間をかければきっとよみがえる。 時間はかかるだろう。 それこそ気が遠くなるようなそんな時間がかかるかもしれない。 それでも、時間は、ある。 「私達まだ、人生の半分も生きてないのよ? 戻らない過去を嘆くより、これからの事を考えた方がずっといいと思わない?」 あまりにも優しい声に、あまりにも温かな言葉に、セネルは立ち尽くす。 「ステラは…それでいいのか? …だって俺は…俺、は…っ!」 裏切った。 ステラを、シャーリィを、村の皆を。 それは彼自身が望んだことではなくても、確かに彼が引き起こした事実。 「過去はもう戻らないのよ。セネル」 過去には決して戻れない。 きっぱりとステラは宣言して、その言葉の強さに、セネルは拳を握る。 「それにね、私、考えるの。…もし、私達の村に来たのがセネルじゃなかったら、って」 セネルじゃなくて、少年兵でもなくて、もっとしっかりした軍人だったかもしれない。もっと優秀で冷酷な少年だったかもしれない。自分達の信用を得た瞬間に裏切る人間だったかもしれない。 もし、そうだったとしたらシャーリィは…メルネスはどうなったのだろう。 ステラはどうなっていただろう。 「かもしれない、は沢山あるの。…でもね、きっとセネルだったからシャーリィも私も、今ここに居られるの」 確信なんてない。 もっとより良い未来もあった可能性だってあるし、そうでない可能性だってある。 けれどもそれは今の自分達にまるで関係のない話で、考えたって変えようのない過去の話だ。 息を呑んだセネルの手をステラはとって、儚く笑う。 「私、セネルでよかった。セネルに会えないなんて絶対に嫌だもの。…だからね、セネル。自分を責めないで。私もシャーリィも、セネルを恨んでなんかいないんだから」 「………ステラ」 「なぁに?」 「それ、ずるいな。」 過去はもう戻らない。 けれどもこうしてステラはセネルの隣で笑っている。 それだけでもう充分なのだ。 戻らない日々を嘆くよりも、これからのことを考えよう。 ステラの幸せを、シャーリィの幸せを、仲間の幸せを、水の民の幸せを―――。 さぁ、一緒に考えよう。 ← 3 止まった時計(生存設定)あら? と、小さな声が聞こえて、セネルは手を止める。 「ステラ?」 「セネル、この時計壊れてるみたいよ? 動かないわ」 残念そうにステラは首をかしげて、針の進まない時計を差し出した。 それは、古ぼけた懐中時計。 細い鎖は放置された時間に比例して埃をかぶっていた。 どこも壊れているようには見えないけれど、その秒針はまるで動かない。 ぴくりとも動かないその様がひどく寂しく見えた。 とても綺麗なのに残念ね。そう呟くステラに頷く。 「…そろそろ、直してやろうかな」 「直せるの?」 「電池が切れてるだけだと思うから」 「そうなの?」 じゃあどうして直さなかったの? そう問いたげな大きな瞳に、セネルは静かに笑って、懐中時計の表面を撫ぜた。 買ったときから、既に動いていなかったのだ。 ガラクタ同然のそれは、ほとんど無料に近いような値段で譲ってくれた。 どうしてそんな必要のないものを買ってしまったのか、未だにセネルは分からない。 それでも、ただ、持ち続けていた。 「俺の時間も…止まったみたいなもんだったから、かな」 色々なものを自分のせいで一気に失って、その癖一緒に死ぬことさえも出来なかったから。喪失はあまりにも大きくて、ステラの言葉とシャーリィの事がなければきっと立つことも出来なかった。 弱くて弱くて、情けない自分。 電池が切れて動かない懐中時計が、自分と重なったのだと、ようやく今察する。 何の価値もない自分。 けれど。 「…動いているわ。ちゃんと」 「ステラ?」 「セネルも、私も、シャーリィも、ちゃんと、ね」 にっこりと笑った愛しい人の言葉に鼓動するように、時計の針が鳴った様な、気がした。 それから二人で街の雑貨屋に行って、壊れた懐中時計を見てもらったら、とりあえずその細工とか外見に感心されて。 「直るぞ」 なんて簡単に言われてしまったので、ちょっと拍子抜けしながら一緒に笑って帰った。 止まった時計はようやく針を進める。 セネルとステラの時間と共に。 いつまでも、いつまでも、優しい時を―――。 ← 4 遺跡船セネルにとって、遺跡船は既に帰るべき故郷だった。 自分が帰るべき場所がある。安心して眠れる場所がある。 そのことがどれだけ幸せなことなのか。 それだけでも幸せなのに、さらには自分の過去を受け入れた上で信頼してくれる仲間がいる。 この上ない信頼と敬愛を寄せてくれる、大事な大事な妹がいる。 なによりも、最愛の女性が自分の隣で笑っていてくれる。 リハビリにも近い散歩の途中で、疲れて眠ってしまったステラを見守りながらセネルは静かに思う。 これが幸せでなくてなんだというのか。 けれど。 けれどもそれは―――。 あまりのも尊い命の上に成り立った儚いもの。 裏切りと犠牲の上に無理やり築いた幸せ。 そんなもの、許されていいのだろうか。 自分たちだけがこんなに幸せでいいのだろうか。 ―――こんな、裏切り者のスパイが、手にするにはあんまりにも大きすぎる幸せじゃないか。 「セネル―――」 柔らかい声に、セネルはぎくりと体を揺らした。見れば、眠っていたステラがぼんやりとした瞳でセネルを見上げていた。何かを探すようにふらりと持ち上がったステラの右手を、セネルは握り締める。 強く。強く。もうなくさないように。 「ああ、おはよう、セネル」 そこにいたのね、と、セネルに促されるままに体を起こす。 さらさらと、彼女の体についた砂が零れ落ちる。 砂浜に直接寝ていた以上、髪や衣服の隙間には散々砂が入り込んでいることだろう。 けれども彼女はまったく頓着しない。 昔からそうだった。 水の民は水に触れるのを、水に関わるものに触れるのをまったく厭わない。 「ねぇ、セネル。私、夢を見ていたわ」 それこそ夢見るようなふんわりした瞳で、ステラは語る。 「夢?」 「ええ。…私ね、探していたの。ずっと…ずっと…ずっと。ずーっと探してた。セネルとシャーリィのこと、もう一度見たくて。もう一度声を聞きたくて。探して探して探して、さまよい続けて。そうしたらね、見つけたの。今にも飲み込まれそうな小さな小さなボート。大事な大事な人たち」 「………」 「あの時はね、本当に心臓が止まっちゃうかと思ったわ。ううん。きっと止まったわよ。すごく驚いたんだから」 くすくすとステラは笑う。 その屈託のないステラの笑顔に、セネルは何もいえなかった。 彼女の言葉も守れずにシャーリィを危険にさらしていた、惨めな自分。 情けなくて、胸が詰まって、言葉が浮かばない。 ステラはそれ以上言葉を重ねず、静かに海を眺めている。 静かだった。 本当に、静かで、平和で、満たされた日々。 あの先が見えず、頼れる人もいない中での逃走と敗退、絶望に彩られた日々が嘘のように。 ステラが砂を叩きながら立ち上がる。 すぐにはそれを追う気になれなくて、風に長い金色の髪を舞わせるステラを見上げた。 桃色の唇が開く。 「ごめんね」 「え?」 小さく落とされた言葉の意味が分からない。 ステラは動かない。風が彼女の服を、髪を激しく揺らす。 「私が…、私がセネル達を見つけなければ、シャーリィもセネルも、遺跡船で苦しむことなんてなかった。こんなにつらい思いをすることもなかった。………どこか、逃げて、逃げた先で、ゆっくり、幸せになって欲しいって、そう思ってたのに」 嘘じゃない。 それは嘘じゃない。 ステラは拳を握りこむ。爪が皮膚に食い込んだことに気がつかなかった。 ステラはただ、2人に幸せになってほしかったのだ。 それなのに。 「…見つけたら、呼びかけずにはいられなかった。駄目だったのに。駄目だって分かってたのに…それでも、会いたかったの。―――だから」 「ステラ」 握りしめた拳が開かれる。セネルの両手が包み込む形で指の一本一本を引き剥がしていく。 小さな震えを覆い隠すように、ゆっくりと開かれた真っ白な手の平。痛々しいまでの爪のあと。 「俺は嬉しかった。ステラが会いたいと思ってくれて。だって俺はステラに守られてばかりで、情けなくて弱くて。ステラが助けてくれなければ、シャーリィと一緒に掴まっていたかもしれない。海をさまよい続けていたかもしれないんだ。そんな約束も守れなかった俺を、ステラは助けてくれた。導いて、守ってくれたじゃないか」 華奢な身体を抱き寄せると、ほのかな花の香りがした。ステラの為にいつも誰かしらが持ってきてくれる花々。 そのかけがえのない仲間達だって、遺跡船に来なければ会えなかった。 こんな幸せすぎる日々は来なかった。 「いつも、俺はステラに助けられてばかりで、感謝してもしたりない。遺跡船に来なかったらステラが生きてるコトだって、きっと知らなかった…。そんなの、最悪だ」 「セネル…」 「ステラが遺跡船に導いてくれたこと、俺は本当に感謝してる。だから…いいんだ」 「……本当? だって、遺跡船でセネルは一杯辛い思いをしたでしょう? それに沢山の人が死んだわ。沢山の水の民が意味もなく殺されてきた。…私、は、ずっと、見てきた。ずっと、見殺しにしてきたっ」 「ステラ…っ」 遺跡船と同化した彼女が見てきたのはまさに、人と水の民の亀裂そのもの。血で血を洗うような凄惨な光景。悲鳴と狂喜に彩られた光景。 「私、幸せなの。遺跡船で何が起きたのか分かっているのに、遺跡船にいて凄く落ち着くの。幸せすぎて怖くなるの!」 初めて、かもしれない。 ステラの取り乱す姿。痛いくらいにセネルにしがみついて、子供のように泣きじゃくる。 (そうか―――) ステラも、同じだった。 きっと普段は思い出さないように閉じ込めているだけで、それは小さなきっかけでいとも簡単に崩れ去ってしまう。 「…幸せ、なんだ」 「せ…ねる…?」 「あの村を滅ぼしたのは俺なのに。ステラが連れ去られたのだって俺のせいなのに。…幸せなんだよ。ステラ。おかしいよな…」 セネルもまた、いつしか涙をこぼしていた。 涙に濡れた目で、ステラはそれを見つめる。 映し出される互いの姿はゆがんでいて。 「そうね…。おかしいわ…」 自責の念は強く。 悔恨も数え切れず。 それでも多くの悲劇を生み出したこの船で、2人は生きていくのだろう。 この遺跡船の中に大切な場所を作ってしまったのだから。 この遺跡船で人生は大きく変わったのだから。 「それでも私…この船が好きみたい」 「ああ、俺もだ」 同じ想いを抱えて、共に生きていく―――。 ← 5 おかえり(生存設定)「も〜ダメっ! 間に合わないっ!」 ノーマが頭を抱えた瞬間だった。 "力"は最高潮を迎える。 爆発的に膨らむ、幾多の水の民を犠牲にした力。 それは、王都を消し飛ばす光。 光は放たれる。 放たれてしまった。 大地をえぐり山を吹き飛ばしたあの光が、もう一度、今度は獲物を間違えずに。 その様子が、セネルたちからも、戦う者達からも、よく、見えた。 圧倒的な光の洪水に、誰もが絶望に立ち尽くす。 もう、どうしようもなかった。 どうしようもないのだ。 放たれた光に対する術など、誰一人持っていないのだから。 ―――だが。 光が、宿った。 暖かな黄金色。 ステラの体から舞い上がる大きな黄金の鳥。 そこにいる全ての者達の絶望を照らすように。 ―――それは、希望へと羽ばたく導きの光。 「お姉ちゃん!?」 鮮やかな光に一瞬目を奪われて、その軌跡を追ったとき、考えるよりも先にシャーリィの体は動いた。 青い光が飛び散る。 シャーリィの体から舞い上がる鮮やかな青。 まるで蝶のように羽ばたき、黄金の鳥を追う。 「駄目ぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!!!!!!!!」 それは如何なる奇跡だったのか。 温かな黄金の光に青の光は追いつき、先を競うように滄我砲を追いかける。 くるくると絡み合う二筋の光。 それは弱りきった彼女達の命の輝き。 それを是とすることなど、メルネスを守ることが第一のワルターに出来る筈もなく。 息を呑むよりも早く彼の行動は確定していた。 「―――っっ。メルネスっっ」 黒い光が飛び散る。 蝙蝠のように黒の翼は更に光を追いかけ、弾丸のように飛び出し。 3色の光はまるで奪い合うように無残にも発射された滄我砲を絡め取る。 光は交じり合い、溶け合い、上下に震え、海に突っ込み大量の水分を蒸発させ―――そして、遥か上空へと飛び跳ねた。 本来の目標とは余りに違う場所でそれは弾け散る。 鮮やかに、鮮やかに、鮮やかに。 まるで、3色の花火のようにきらきらと光をまき散らす。 ―――誰もが、魅入られたように動けなかった。 美しかった。 つい数分前に雲を貫き、山を吹き飛ばした光だというのに、荘厳で鮮やかで、神々しさすらあった。 恐怖を超えて感動さえする光の洪水に見惚れないはずがない。 ―――何かが、崩れ落ちる音さえしなければ。 「ステラぁああああああっっ!!!!!!!!!!」 細く弱りきった小さな体は金色の髪を舞わせながら床に崩れていた。 ぴくりとも動かない青ざめたステラの体をセネルは抱き上げる。 抱き上げた少女の軽さと、その冷たさに息を飲んだ。力を入れた瞬間に壊れてしまいそうな儚さに、動けなくなる。 「ステラ…?」 震える青年の声。 「お姉ちゃんっっ!!!!!」 シャーリィの悲鳴。 そして、ようやくその場にいる誰もが我に返った。 ウィルとノーマは慌てて意識を集中する。 回復のブレスをステラへと送り込み…彼女の、衰弱の激しさに、息を呑んだ。 「こんなのって…こんなのってないよ」 「諦めるな! まだ、何とかなる…」 「でも…でもっっ」 泣きじゃくるノーマをウィルは叱咤する。 気が付けば、その場にいた全員がステラを取り囲むようにして座っていた。 ノーマも、ウィルも、ジェイも、モーゼスも…そしてワルターも。 きっと本人たちも気が付いていないだろう。 爪術の力を遺跡の扉に流すように、爪先の輝く光が、ノーマの身体に、ウィルの身体に流れ込んでいる。それはノーマとウィルの力を借りてステラの血となり、細胞となり、失われそうな命の灯火を、必死で消すまいとしていた。 今縋れるのは2人の力だけなのだと、セネルは、頼む、と呟く。 「…お兄ちゃん…」 「頼むよ…ウィル、ノーマ…ステラを…ステラを助けてくれ…っっ」 その慟哭に、ノーマは息を呑んで―――どこかで、諦めかけた…くじけそうになっていた自分に気合を入れた。 泣き言なんて、言っている場合じゃないのだ。 自分達はこの青年がどれだけ彼女を求めていたのか知っているのだから。 ―――そして、愛しい大事な人を喪う痛みを、苦しみを、よく、知っているのだから。 誰もが見守るその中で、不意に、ワルターが口を開く。 「…そうだ、メルネス! お前の持っているブローチを使え!」 「え?」 「そのブローチの石は、かつてお前の命を救ったもの。今度もうまくいくかもしれない!」 「そうか…!」 セネルと、ステラがシャーリィの為に探し、見つけ出し、その命を救ったもの。 新たに見えた希望に、シャーリィは瞳を輝かせる。 「うん!!」 ブローチをステラの手にのせ、包み込む。 気のせいかもしれない。 気のせいかもしれないが、シャーリィの手の平には温かいぬくもりが、なんらかの力が、じんわりと伝わるような気がした。 それが、否応にも期待を高まらせる。 「ステラ…?」 「お姉ちゃん…」 セネルとシャーリィの呼び声に応えるように、ステラのまぶたが微かに震えた。 「!! ステラ!!」 歓声が上がる。 打ち鳴らされたのはノーマとウィルの手の平。 モーゼスは身体全体で喜びを表現し、クロエもジェイも頷く。 ワルターですら、ほっとしたようななんともいえない顔で、満足げに頷いた。 「やった…やったぞ!」 「お姉ちゃん、しっかり!」 「ステラ……俺達の声、聞こえるか?」 セネルの満面の笑顔につられるように、ステラは僅かに頷いてみせた。 「ステラ…良かった…ステラっっ」 「…しゃー、りぃ…。せね…る」 震える声。 消えそうな小さな声。 けれども確かに、生きている人間の声だ。 「ステラ…」 良かった。そう、セネルはステラを抱きしめる。 彼女の身体はほんのりと温かく、とくとくと鼓動は小さいながらも続いていた。 生きている。 ちゃんと生きているのだ。 「…もう…セネルったら子供みたい」 「ステラの所為だろ…」 くすくすとステラが笑う。 耳元で聞こえる懐かしい声に、セネルも笑った。 「お姉ちゃん…」 「シャーリィ…良かった。…顔、見せて…?」 「うん。…うんっ」 セネルに抱き起こされて、ようやっと姉妹は向き合った。 泣きじゃくるシャーリィにステラはゆっくりと手を伸ばし、弱弱しいその手をシャーリィは握りしめる。 「あなたが生きてて、本当に良かった…」 「それは私の台詞だよっ。もう…っっ。本当に…本当に心配したんだからっ! 死んじゃったって思ってたんだからっっ」 「…ふふ」 「笑い事じゃない!」 泣きながら叫んだシャーリィに、周囲で見守っていた仲間達はぎょっとして引く。 「り、リッちゃんも怒るんだ〜」 「結構激しい嬢ちゃんだったんじゃの…」 「これは…少し驚きましたね…」 ひそひそと話す3人組。 セネルは小さく笑う。 シャーリィはステラと生き別れてからまるで人が変わったように大人しく、自分を責めて続けていたが、本来は感情豊かでお転婆な性格だ。 その一面をこの遺跡船で目にすることは、ほとんどなかっただろう。 だから、驚くのも仕方がないことなのだ。 「心配かけて…ごめんね」 「…うん」 それきり、またも泣きじゃくってしゃくりあげるシャーリィをステラは優しく抱き寄せた。確かに生きている鼓動とその温もりに包まれて、シャーリィはただただ泣き続ける。 懐かしい姉の香り。 髪をすく優しい感触。 張り詰めていた沢山の感情が全部、全部千切れて、シャーリィを自由にする。 シャーリィを胸に抱いて、頭を幼い頃のようになぜながら、ステラはセネルを見上げた。 ステラとセネルが離れたとき、ステラの髪はもっと短くて、セネルの顔にその刺青はなかった。 離れていた時は、さまざまな変化をもたらして。 けれど、セネルはセネルで。 ステラでステラだから。 「………セネル」 「…何? ステラ」 「………ただいま」 「―――っっ。おかえり、ステラ」 満面の笑顔で、セネルはシャーリィごとステラを抱きしめた。 ← |