Sinya&Siro
血の契約
「つまらん」
耳で捉えた音に、自分が頭の中の呟きを声に出していたことに気付いた。もう一度、今度は口の中だけで同じ言葉を繰り返す。
何もかもがつまらなかった。
目の前に広がるのは砂。一面の砂。変化といえば砂が風によって巻き起こるその程度。太陽が上って、また沈むその程度。毎日が同じ繰り返しで歩けど歩けど代わり映えのしないその光景。
どうにも退屈で死にそうだ。
大体この場所は砂ばかり。オアシスだって大したものがないときた。
ああつまらない。
本気で死にそうだ。
俺様のように力ある魔獣がこんなつまらない場所で野垂れ死になんて面白くもなんともない。この場所はもう飽きた。
そもそもどうして自分はこの地に居たのか。それすらもう思い出せない。
本気で飽きたんだ。だから、他の場所に行こう。
そう、思い立った瞬間、惰性のように向かおうとしていたオアシスに背を向けた。
ただしそれは、砂漠から出るためではない。
この自分の縄張りである砂漠に何かが紛れ込んだ。それを感知したためだ。
しかもそれは、いつものような遭難者や、獣の移動によっておきたものではない。それを、知っていた。
「面白そうだ」
わずかに視線を揺らし、にやりと、自分本来の笑みを何十年ぶりかに浮かべた。
ああ、面白そうだ。久しぶりに己の力を解放した。
鉄で出来た建物の中に、それ、は居た。一目で分かる。それ、が、ここの主だ。そこ、は、長く生きてきた自分でも見たことのない場所だった。鉄で出来た、恐ろしく巨大な建物。同じ服を来た、同じような髪を、顔をした集団。それらは人間であるよりも先に、一つの生物のように思えた。気味悪く、不気味であり、そして面白かった。
声に出して笑いたくなった。
面白い。
面白い。
なんて興味深い世界。
なんて興味深い生物。
「名は」
問いかけると同時、全てが消え去り、一人の男だけが残る。男と言うにはまだ幼い。年の頃なら15・6の少年だ。短い黒い髪と黒い瞳を持つ人間。皮膚の色は淡褐色。真っ黒な衣服に身を包んだこの男がこの夢の持ち主だ。
「…虎? っつーか喋った!?」
少年の唖然とした顔は中々の見物で愉快だ。くくっ、と喉を鳴らした。逃げ出したり叫んだりしないところを見ると思ったよりも神経が図太いのか。
「名は」
繰り返せば、唖然とした顔がむっとして、妙に細く整った眉が跳ねる。
非現実的な状況に慣れているわけではないであろうが、それ以前に感情で動くか。それとも未だ身に起こる事を理解していないだけか。
なんにしろ面白いのに変わりはない。
「し、真夜…」
「シンヤ」
聞き慣れない単語だ。いや、そもそも少年が話している言語自体に馴染みはない。ただ、その言葉の意味は分かる。
しんや。深夜。夜の更に夜。月の冴え冴えとした光さえもかすんでしまうような深淵。真夜中。その暗闇は魔獣にとってひどく心地よく、過ごしやすい空間だ。
この人間は、この世界の存在ではない。
それは確信だ。
「面白い。シンヤ、助かりたいか?」
「はぁ?!」
「砂漠から出たいか」
"砂漠"という単語に、シンヤは思い切り反応し、頷いた。ここは夢であり本当の世界。今目の前にいる存在は夢と否定したい現実の出来事を知っている。夢と未だ思いながらも、全身を突き刺す灼熱の太陽にも、身体中に入り込む砂の嵐にも、カラカラに乾いた喉の痛みも感じているから、一刻も早い救済を望んでいる。
「出るっ! マジで!」
「なら、契約しろ」
「はいっ!?」
契約とは何ぞや? と全身で疑問を示すシンヤ。
あまりにも素直な表現に爆笑した。
シンヤは呆然と立ち尽くす。
それもそうだろう。虎という生物がどんな存在なのか、先ほど理解した。この世界の主はシンヤに違いないが、その全てを把握できる。だから、シンヤが思い浮かべることは理解できる。確かに自分の姿はシンヤの思う虎という生物に似ていた。色々違うところもあるが大まかにはそうだろう。
シンヤの概念からすれば虎は喋らないものだ。
「まぁ手を出せ」
「?」
「てや」
ひょい、と前足で手を引っかく。
「いてっっ!!!!!! うわ、なんだよ、っつか、血、血、出すぎだしっ」
ぷしゅーと勢いよく血が流れる。ちょっと深かっただろうか。首を傾げながらその手を口にくわえた。うぎゃ、とか、食われた!とか、色々聞こえたが気にしない。吹き出る血が口内を満たし、それをしっかりと舐め取った。
かぱりと口を開くと、物凄い勢いで手が引き抜かれていった。その様がまたなんとも面白い。血の味なんて大分久しぶりだが、矢張り、この世界の人間とは違う。
なんて、面白い。
「…あ、れ? っつか、治って…?」
「夢の世界だからな。それくらいなら簡単に治せる」
「は? っつか、夢の世界なのか? ここ…って、え? んじゃ俺夢見てるってことかよ! いやいや、砂漠が夢だろ? んで、俺は夢見てて、砂漠で…って意味わかんねーっ」
「まぁ落ち着け」
「落ち着けるわけねーだろ!」
「まぁとりあえずこれで契約完了だから」
人間と魔獣が結ぶ本来の契約とはまるで意味合いもやり方も違うが、全く関係ない。どうせ、一般的な契約方法をこの人間に求めたところで理解できないだろう。それに、求めているのは、その契約ではない。
まぁそもそも相手が承諾していないのだから契約ですらないだろう。単なる口実と押し付けだ。
「はっ? ちょ、待てよ、なんなんだよ結局その契約って」
「まぁ気にするな」
くく、とそう笑って、夢の世界からすり抜けた。
現実は相変わらずの砂景色。右を見れば砂。左を見ても砂。どこまでいっても砂砂砂。見飽きた光景。見飽きた世界。
気配を探る。どこまでも、どこまでも。
見つけた気配は2つ。
1つはシンヤのものだと今は分かる。
飲んだ血は本体の居場所を知らせるから。
もう1つは、なんとなく、覚えのあるような気配。
そういえば、と思う。
こんなところに居たのは、この気配が原因の気がする。というか、多分そうだ。
今となってはどうだっていいことだったので、その気配の元へと一目散に向かった。
「何じゃ」
杖を突きつけられる。矢張り、見たことのあるような、ないような。白い髪の爺だ。無駄に長いもっさもっさのひげ。あと曲がりくねった杖は魔術師の象徴。顔よりも、どちらかというとその魔力に覚えがある気がする。
「久しぶりだな」
当てずっぽうでそう言ってみれば、老人の眉がピクリと上がった。
しばし無言で見つめあい、先に口を開いたのは老人の方。
「誰じゃ」
「お前こそ誰だ」
なんとなく覚えがあるから向こうが覚えているのを期待したのだが、どうやら向こうも覚えてはいなかったらしい。
まぁいいや、と気を取り直して老人を見る。
人間の言葉を話す魔獣に警戒している様子にニヤリ、と笑う。
「黒髪の子供を拾ってきて欲しい」
「何じゃと?」
「ここから北西の方向、ラクダの背に似た岩の陰に落ちている」
「生きているのか?」
途端に真剣な表情になった老人を見てこれなら拾いにいくだろう、と思う。
死にかけている同胞を見殺しにするほど、砂漠に住む人間は非情ではない。
「頼むぞ。折角得た暇つぶしを死なせてくれるな」
くく、と笑いながらそう言い残して、彼は老人の前を立ち去った。
老人が動き始める気配を感じ取りながら。
「おじいちゃーん、おかえりなさい〜」
村の方向からかわいらしい子供が1人、とてとてと走ってくる。
それに気付いた老人は、乗っていた空飛ぶじゅうたんから降りて子供を待った。
「ただいま、メルナ。じいちゃんがおらんかった間良い子にしておったか?」
「うん。おじいちゃんはサバクに行っていたの?メルナも行きたかった〜」
メルナと呼ばれた子供は大きな目をくりくりさせて、老人を見上げる。老人は微笑んでその頭を優しく撫でた。
「ははは、危ないから今度じいちゃんと一緒にな」
そこで、老人は思い出したようにポン、と手をうった。
「おおそうだメルナ。今日は面白い拾い物があったぞい」
言って老人は、じゅうたんの上に転がっている細長い布の包みを示した。
…細長いといっても、ちょうど人間が包まっていそうな長さと太さである。
子供は興味津々、といった様子でじゅうたんの上を見上げる。
「それはなに?おみやげ?」
「いいや、人じゃよ。行き倒れておった」
結構大事なのに事も無げに言い放つ老人。とりあえず棒でつついてみる子供。
「ああ、メルナ。触ってはいかん。危ないかもしれんからなぁ」
気絶している人間を前にしているのに呑気な老人は、やっぱり呑気に子供に言った。
「そうじゃ、メルナ。わしはこやつを看病するから、お医者を呼んできてくれぬか?それと、お前の母さんに野菜をやわらかく煮たスープを作って欲しいと伝えておくれ」
慕っている老人に頼まれごとをされた子供は、目を輝かせてうなずいた。
「うんっ!お医者さまとスープだね。メルナ行ってくる!!」
村のほうに駆け出した子供を見送って、老人はじゅうたんの上で気を失っている黒髪の少年を見やった。
「魔獣に好かれるとはお主、何者なんじゃ……?」
2008年9月7日
シンヤと白の出会いです。
そしてボケ爺とボケ魔獣(笑)
面識はあるし因縁もあるはずですが奇麗さっぱり忘れ去っているのです。ええもう名前すら(笑)