紅い月の日は何かが起きる。

 九尾襲来の紅き満月。

 うちは壊滅の紅き満月。



 それから―――。












 












 ヒナタは、静かに眼を覚ました。




 隣の部屋の者達を起こさぬように起き上がり、気配を殺して障子を開き、外を仰ぎ見た。
 鮮血に染まる紅き満月。

 そう。

 あの人が消えたときの―――紅い、月。

 不意に、ヒナタは眼を見開いた。
 大きく息を吸う。障子を握る手がカタカタと震えた。
 足に力を入れて、窓を開ける。
 細身の小さな身体を、するりと闇に身を躍らせた。

 後に残るは彼女の姿をした彼女ではない分身だけ。



 一足、一足踏み出すたびに、期待が胸に駆け巡る。
 何の気配も感じさせず、何の音も立てずに走っていたヒナタは、月を背に立つ漆黒の姿を見て、動けなくなった。

 ああ…。そうだ…。
 彼はああいう姿形をしていたのだ。

 真っ直ぐな髪は自分よりも硬くて、1つにずっと結んだままでいるから外すと少し、くせがつく。
 けれどもそうするといつもしかめ面をしている顔がとても幼く見えて、それを言うと必ず苦笑する。
 深遠の闇を写した瞳は飲み込まれてしまいそう。
 けれど、その瞳はほんの少し細められて、ふわり、と和むのだ。多分他の人には分からないくらいに微かな変化なのだけれども。

「ヒナタ」

 相変わらず、淡々とした抑揚のない声。
 自分の前から姿を消した時と何も変わらない。

「………イタチ」

 横一文字に削られたその額宛。
 今は、もう、里を抜けたはずの忍。
 震える唇を一度閉じてまた、開いた。

「何しているんです?うちはを滅ぼし里を抜けた人間が、今更こんなところに何の用ですか」
「ヒナタに会いに来た」

 真顔で、けれど、硬い声を出すヒナタを不思議そうに見て、イタチは答える。

「でも、貴方は私を置いていった…!」
「ヒナタ?」

 珍しく…本当に珍しくも声を荒げたヒナタに、イタチが困ったように首をかしげた。

「一緒に…行きたかったのに…」

 自分がいたら足手まといになってしまうのは知っている。
 自分にはまだ木の葉という庇護が必要だった。

「ヒナタ、ゴメン」
「謝らないでよ…。ただ愚痴言っているだけなんだから!」
「知ってる」

 うん。と真面目に頷くものだから、怒りとか焦燥とか、全部抜けていってしまった。
 イタチの、生真面目なわりにとてつもなく間抜けな性格は熟知しているので、どうしても怒りが持続できない。本人はとにかく真面目なのだが、はたから見たらとぼけているようにしか見えないし、それが根拠ある余裕に見えるから困ったものだ。
 ヒナタは大きく息をついて、イタチを見上げる。
 前に見たときよりも、ずっと身長が高くなっている。自分だって伸びている筈なのに全く埋まらないどころか、どんどん離されていっているのは悔しい。

 だって、思い知らされるのだ。
 自分はまだまだ子供で、イタチとは全く釣り合っていない事を。
 ぎゅう―――と、抱きつけば、ひょい、と抱えられた。それが子ども扱いされているようでますます悔しい。

 ―――けれど、とても暖かくて、気持ちいい。

 くすくすとヒナタは笑って、イタチの髪を束ねていた紐を抜き取る。
 さらさらと癖のついた髪が流れて、少し硬質な手触りに満足する。一房とって口付けた。
 鼻腔をイタチの髪の匂いがくすぐる。

「ヒナタ」

 ほんの少し、困った声。
 ヒナタにしか分からない、イタチの微妙な声の変化。
 何だか嬉しくて、ヒナタはイタチの頭に抱きついた。イタチの困った顔がありありと想像できる。
 何もかもが久しぶりで。
 何もかもが心より愛しい。

 だって、もう1年だ。

 イタチが里を抜けたのは4年も前。それから3年間は連絡を取り合っていたし会っていたが、1年前からぷっつりと消息が途絶えていた。
 不確かな、次の約束だけを残して。

「1年間は、長過ぎたよ」

 気が、狂うかと思った。
 日向の目はただただ冷たくて。
 殴られて、蹴られて、唾を吐かれて、分家に襲われて。
 それまで助けてくれた存在はもういなくて。常に1人だった。
 イタチとの修行で、暗部くらい軽く越えるだけの力をつけることは出来たけど、表立ってその力を示すことなんて出来ない。
 捨てて、捨てられた一族だ。
 既に心はそこにはない。

「ごめん。ヒナタ」

 イタチは、絶対に言い訳をしない。だから、ただ謝罪する。他には何も出来ないから。

「…許さない、よ」

 顔を上げて、イタチの両頬を両手で包み込む。じ、と視線を送れば、とても綺麗な吸い込まれそうな黒。とても傷ついている。とても悲しんでいる。
 …そんな目、反則だ。

「ごめん」
「…いつまで、居るの…?」

 もう行かないと、なんて言わないで―――。
 怖くて、目を瞑る。その瞼にイタチが軽く口付けた。
 1年は、彼にとっても長かった。
 ようやく会えた。
 自然と気持ちが落ち着いて、張り詰めていたものが安らぐ。

「一週間、ずっと」
「…本当っ!?」

 少女の目が、輝いた。嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う。
 その様子がなんとも愛しくて可愛くて、イタチも笑った。久しぶりに顔の筋肉がほぐれた。

「これからは、沢山会いに来る」
「本当に…?」
「本当に」

 柔らかなイタチの笑顔に、ヒナタはまたもイタチの頭に抱きついた。
 頬をすり合わせて、笑った。



 月が昇る空。

 紅い月の日は何かが起きる。

 九尾襲来の紅き満月。

 うちは壊滅の紅き満月。



 それから―――。



 木の葉の抜け忍がやってくる―――。









 第5回祝詞お題『月』。

 月、といえばイタチ!
 お題を見た瞬間に、1人で盛り上がって最初のヒナタが部屋を抜け出すシーンが出来ました(笑)
 今回の作品も実は前回前々回祝詞提出の『瞳』『赤い手』と同じ設定だったりします。
 まだアカデミー時代。ヒナタの安らげる場所はイタチの隣しかありません。
 スレヒナの性格かなり違いますuu
 と、言いますか今回スレ度が本当に少なくて申し訳ありませんuu

 ただの恋人同士の語らい(…というか子供のじゃれ合い)で終わってしまっているのですが…書いてて楽しかったです。





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 空空汐/空空亭