「………本当にいいの?」

 小さな小さな、囁き声。隣に身をおろす相手にしか聞き取れぬ密やかな、声。それに反応して、隣の存在は小さく身を乗り出す。

「………多分、大丈夫だろ」
「多分、ね」
「………………なんだよ」
「いいえ。ただ、貴方の口から多分なんて暫定的な言葉が出るなんて思わなかったわ」

 くすくすと笑う声に、顔をしかめた。

「俺は…お前たちと違ってよく知らないからな」
「それでも、半分は信じてる。ううん。望んでいるのね、貴方は」
「…………お前さ、そういう人を見透かしたような言い方止めろよな。友達失くすぞ」
「…貴方のように分かっていながらだんまり決め込んで、陰でこそこそと企んでいるような人よりはずっとマシだわ」

 にこりと笑顔で言った者。しかめっ面のまま聞いた者。
 その表情は、いつもの彼らのもので、けれど、親しい者達が見れば、どこか亀裂が入っていることがよく分かっただろう。そして、係わり合いにならないうちにそそくさと逃げ出しただろう。
 2人は、不自然な笑顔でにこりと笑って、口を閉ざした。今は遊んでいるような場合でも、喧嘩しているような場合でもないから。それを分かっていながら無益な挑発をしてしまったのは、やはり彼らが緊張しているからであろうか?

 僅かに細められた、2人の視線の先に、彼らの同僚の姿があった。






 それは、なんと言えばいいのだろう。
 あまりにも強く、あまりにも大きく、あまりにも繊細な…何処か矛盾した、不完全な存在。決して完全ではない。一つ一つの動作に躊躇いはないが、どこか完全ではない。それは見せる為のものでなく、実用性を求めた為か。けれど、逆に不完全だからこその美しさが、そこにある。

 ああ、あれは舞というのだ。固まっていた思考が、僅かに動いた。
 蟲に導かれるようにして、ここまで来た。森の奥深く。蟲になんの意図があったのかは知らない。呼びかけても、応えない。ただ、全身の蟲がざわついていた。

 視線の先、その手に握られた刀が幾度も振るわれた。無造作に、けれど計算されつくしたようにも思える軌道は、確実に忍の命を奪い、空いたもう片方の手はクナイを、起爆札を、状況に応じて飛来させる。それは、戦闘とも呼べないのかもしれない。あまりに一方的な、虐殺。けれど、その中心で血をまとい、忍の命を奪う者の動きはあまりに繊細で、そして、優雅だった。

 流れる血すらも、舞の一部だった。
 少年は、舞に見惚れた。

 目の前にあるのは、暗部と敵国の忍の戦闘であり、一方的な虐殺。それが分かってさえいても、見惚れるほどに美しい流れがあった。
 ざぁ、と風が流れる。風向きが、変わった。むせ返るような血の臭いが流れて、暗部の青年は、急に身体の動きを止めた。まるで、何かに怯えるように、びくりと。そして、振り返る。少年の立ち尽くす、木々の合間を。
 暗部服に覆われた体つきは良く引き締まった青年のもの。短い黒髪が風に流され、少年を見た瞬間に立ち尽くした。

 そこが、敵国の忍との戦闘の場ということすら忘れて。
 未だ倒れてはいなかった忍が、相手に何が起こったのかわからぬままに好機とし、襲い掛かった。思わず少年は息を呑み、暗部は反射のように両腕を上げるが、その必要はなかった。飛来した数百に及ぶクナイが、暗部と少年を除いた全ての忍に降り注いでいた。忍という忍が地にクナイで縫いとめられ、絶命する。運良く生き延びた忍もまた、クナイに遅れるようにして降り立った暗部に止めをさされた。
 一瞬にして血が色濃く周囲を染め、流された臭いが充満する。

瀞稜(せいりょう)!お前何ぼーっとしてんだよ!!」

 怒鳴りつけた暗部は、瀞稜が茫然自失状態であるのを見て、眉を潜めた。言ったら怒るから言わないが、瀞稜は臆病で怖がりだし、神経質だし、繊細だし、ぶっちゃけ暗部には向いてないんじゃないかなんて思っているけど、だからこそ暗部任務中に呆けるような真似はしない。これが同じく同僚の暗部、悠穹(ゆうきゅう)黒蝶(こくちょう)であればまだ納得がいくのだが…。暗部面を外し、視線を送ると、瀞稜がただ一方を見続けているのだと気付いた。その視線を追いかけて………。

「―――っっ!!シ……」

 シノ、と続けようとした自分の口を、慌てて塞いだ。暗部第1班隊長"梓鳳(しほう)"は、下忍の子供など知らない。少年、油目シノは小さく梓鳳へ視線をずらし、瀞稜と往復させる。

「………瀞稜!帰るぞ!!」
「…………あ」

 まるで、今はじめて梓鳳の存在に気付いたとでも言うように、視線を泳がせる。あまりに弱弱しい動作に、小さく舌打ちをして、だらりとたれた瀞稜の腕を掴みとる。
 急に襲ったその感触に、ゾクリと身を震わせて、思わず、振り払った。
 振り払ったのは瀞稜。振り払われたのは梓鳳。
 けれど、怯えるように後ずさったのは梓鳳ではない。

「…ご、め…」
「………行くぞ」

 梓鳳の言葉に、瀞稜はただ頷いた。油目シノから視線を引き剥がし、梓鳳の背中を追いかける。
 それにつられたように、シノが一歩踏み出す。

「待て…!」

 暗部任務の現場を見る、ということがどういうことか分かっていないわけでもあるまいに、シノの声は鋭く、懸命な響きを持って2人を追いかけた。

「…お前…お前は…っ!キバじゃ…ないの…か?」
「…っっ!」

 思わず足を止めた2人だが、振り返りはしなかった。梓鳳が瀞稜を促すように、歩き出す。否定も肯定もする気はなかった。自分達の存在は闇の中でしかあってはいけない。表と裏が混じるようなことがあってはいけないのだから。
 それは、瀞稜も分かっていた事だった。自分を偽ると決めたときから、暗部として働くと決めたときから。そのけじめはつけていた筈だ。
 その、筈なのに。

 どうして足を止めてしまうのだろう。
 どうして振り返ってしまうのだろう。

「キバ…なんだろう…?」






 どこかで、少女は笑った。いつもの人を小ばかにしたような、嘲るような笑い方ではない、穏やかな笑顔で。

「ほら、ね」
「…多分、大丈夫だからな」
「絶対、大丈夫だったのよ」
「…へいへい…と。そろそろ行くか」
「………そう、ね」
「"絶対"、大丈夫なんだろ?」
「…………当たり前よ」

 そう…"絶対"大丈夫。絶対に…。
 しかめっ面の少年は、ちらりと少女を見て、そのまま術で消えた。

「大丈夫」

 崩さないいつもの笑みを一瞬だけ消して、そのまま、消えた。






「キバ…」

 違う、と。そんな人間ではない、と。言いきってしまえばいいのに。どうして、声が詰まる。唇が震えて声が出ない。梓鳳は何も言わない。ただ、瀞稜を見守るだけ。

「…お、れは」

 ―――俺は、違う。

 犬塚キバじゃない。明るくて、馬鹿で、無鉄砲な犬塚キバはここにはいない。いるのは、暗部一の技の技術士と名高い、暗部第一斑所属の瀞稜という忍。

「そうだ、と言ったらどうする?」

 唐突な声は、全く別なところから聞こえた。
 佇むは、暗部面を被る黒髪の青年と、暗部面を被る黒髪の少女。目を見開いたのは、3人ともが同時。

「悠穹…黒蝶…」

 呆然と呟いた声は、梓鳳か、瀞稜か。小さく、本当に僅かに、シノの唇が震えた。音になるかならないかくらいの声。それを、黒蝶は見て、暗部面の下、ほっとしたように表情を緩ませる。

「多分、大丈夫だからな」
「絶対、大丈夫だから」

 小さく呟いて、悠穹も黒蝶も面の下で笑い、頷いた。

「そいつが犬塚キバだとして、お前はどうする?油目シノ」

 悠穹の言葉に、瀞稜は怯えたように後ずさる。シノは、新たに現れた2人を、そして瀞稜と呼ばれる暗部を見比べる。

「暗部…だったのだな。キバも…ヒナタも…それに、ナルト、か…?」
「……………」

 沈黙のまま、黒蝶は暗部面をとった。暗部衣装に身を包みはしても、基本的に姿を変えない黒蝶は、日向ヒナタという姿を晒していた。ナルトは既にして面を取っている。その面の下は、青い目をした、どことなくナルトに似た青年のもの。一つ、音がすれば、一瞬にしてその姿は消え去り、うずまきナルトという少年の姿が明らかになる。悠穹もまた、静かに変化をといた。暗部面を外せば、奈良シカマル、という面倒くさがりの少年の顔。

「……シカマル」

 後は、もう瀞稜だけ。あまりに冷たい、仲間だと思っていた面々の視線に、シノは溜まらず俯いた。誰一人、口を出さない。静まりかえった空間の中、ゆっくりと、瀞稜が動いた。暗部面を外して、変化をとく。それだけのことが、ひどく辛くて。

「………キバ」

 仲間だと、大事な友だと思っていた下忍第8班の仲間は、こうして向き合った。
 ヒナタが、ふ、と表情を緩めて、いつもの、ヒナタ特有の冷たい笑みを浮かべた。

「シカマル」
「ああ…ナルト、行くぞ」
「…いいのか?」
「これは、あいつらの問題だ」

 表の世界で、仲間と認めた、友と認めた僅かな存在。そこに、自分たちが介入する余地はない。小さくシカマルはヒナタに頷くと、そのまま姿を消した。戸惑うようにその場の面々の顔を見ていたナルトも消える。
 沈黙は、長かった。






 シノが、任務遂行の場の近くで修行をする事を知っていた。だから、最初から、キバに薬をつけておいた。蟲にしか判らない、蟲の好きな臭いを。それは後に流れる血の臭いで消えるかもしれないが、それでも、シノを導く事は出来るだろう。
 言ってしまえば、最初から仕組まれた事。
 ずっと守りたくて、大事で、信用する仲間を、毎日騙し続けることが出来るほど、キバは図太くないから。キバが駄目になる前に、真実を晒す。それを受け止めることが出来るだけの力が、シノにはあるとシカマルは判断し、ヒナタもまた頷いた。

「エゴイスト」

 そう言ったのはどっちだったか。
 結局こういう風にしか自分達は生きれないから。
 まるで台本に書かれたシナリオのように、シカマルの、ヒナタの、考えたとおりに全ては進んでいた。






「私は、黒蝶、それから日向ヒナタ…。キバは、瀞稜…暗部所属よ」
「………そ、うか………違うんだな…名前も、気配も、姿も、性格も、話し方も…全部」
「…ええ、そうね」
「記憶を、消すのか…?」
「…っっ!」

 小さく息を呑んだキバに、ちらりと視線を寄せて、ヒナタは首を振る。肯定でも否定でもない。ただ。

「貴方が、それを望むなら」

 シノは、黙り込み、キバはそれを恐る恐るという風に覗き込む。そこに、下忍時のふてぶてしさや有り余った活力はなくて、弱弱しい視線に、シノは小さく笑った。なんとなく、何処かが吹っ切れた。

「いい。覚えていてもいいというのなら、俺は覚えていよう。なぜなら…キバも、ヒナタも、俺の大事な仲間だからだ」

 僅かに頬を紅く染めて、言い切ったシノに、キバは一瞬きょとんと呆けて、ヒナタも口を開いてまた閉じた。呆然とした2人に、シノは笑う。

「俺だけ仲間はずれだったようだがな」

 珍しくも、くく、と笑い続けながら、シノは重ねる。どうにもご機嫌のシノに、キバも、ヒナタも、呆然としたまま。

「受け入れて…くれ、る…のか…?」
「受け入れる?何を言っているキバ。リーダーが仲間のことを信頼するのは当たり前のことだろう」

 何処か誇らしげに、笑いながら、シノにしては珍しい大きめの声で、宣言した。あんまりにも清々しくて、ある程度先を予測していたであろうヒナタまでもが困惑せざるを得ない。

「…は…はは」
「シノ…それで、いいのね」
「何を疑う?お前たちの何が変わろうと、その根元は変わらない。それだけのことだ」

 なんともあっさりとした、それでいいのか的な言葉に、ヒナタは唖然として、キバは笑った。何だか馬鹿馬鹿しくなった。
 守りたい存在。大事な存在。もしかしたら、自分は気負いすぎていたのだろうか。裏を知られたらもう駄目だと思った。この瀞稜である犬塚キバを知られてしまったら、これまでのようには過ごせないと思った。それが、こんなにもあっさりと受け入れてしまうなんて。

「は…はは…ボス面するなってーの!!」
「ボス面?何を言う。真実を述べただけだ」

 下忍時に何度も聞いたようなやり取りを始める2人に、ようやくヒナタも笑った。ただしそれは、下忍時の包み込むような優しい笑顔ではなかったけれど。それでも笑いながら、2人の会話に口を挟む。

「あーもう…。2人して何言ってるんだか。折角似合わないシリアスしてたんだから、最後までしたらどうなの」
「ヒナタ…」
「なぁに?」

 にっこりと。全開の笑顔なのに、どこか冷たくて読めない。シノは小さく頬を引きつらせて、笑う。

「ず…随分と性格が違うものだな…」
「あら、根元は変わらないのでしょう?真実を述べただけよ」

 シノの言葉を使って、くすくすと笑い続けるヒナタに、キバがあきれ果てたように息をつく。

「や、シノ。そいつそれでもすっげー機嫌がいい方だから」
「…………こ、これでか?」

 冷や汗をたらしながら、後ずさったシノに、ヒナタは大きく笑った。今度こそ、本当の、心からの笑顔で。

「ねぇ、シノ」
「……なんだ」







 それから。

「こそこそ企んでいるエゴイスト全開の悠穹」
「はぁ!?」

「大馬鹿で気紛れな我侭隊長の梓鳳」
「ああっっ!?」

「怖がりで臆病者でへたれ全開の瀞稜」
「っっ!?」

 現れると同時、言いきってくださった下忍に、ぽかんと口を開けて、動く事もままならない暗部3名。その頭上にはくすくすと笑う少女の姿。

「…と、黒蝶は言いたいそうだ」
「「「はぁっっ!?!?!?」」」

 3人は一斉に黒蝶の気配を探る。そして、真上で笑う黒蝶の姿を見つけ。

「「「ぶっ潰す!!!!!」」」

 なんて物騒極まりないことを叫ぶと同時に、黒蝶の姿が手を振って消えた。追いかけるように、3人の暗部の姿も、あっという間に消え去った。

「………まぁ、別に言ってこいと言われたわけでもないが」

 くっ、と小さく笑って、呟いたその声は、己の身体の中に巣食う蟲にしか届く事はなかった。多分、シノに向かって言った時点で、ヒナタもこうなるのを予想していたのだろう。

 下忍演技時のヒナタも気に入っていたが、黒蝶であるヒナタも中々どうして良い性格をしていて面白い。
 下忍演技時のキバは突っ走ってばっかりで面白かったが、瀞稜であるキバはからかいがいがあって面白い。
 ナルトもシカマルも、下忍のときとは想像もつかないようなことを言い出したり、そのくせやることは下忍時と一緒だったりで面白い。

「キバ…ヒナタ…ナルト…シカマル…」

 感謝している、と一人ごちる。幼い頃より身体中に寄生する蟲の所為でどれだけ恐れられ、気味悪がられたか。一生、友というものは出来ないと…そう思っていた。けれど。下忍になってみればいつの間にか当たり前にキバとヒナタが隣にいて。それに救われたのはこっちの方なのだ。
 それに、自分に姿を晒したということ自体が、自分をあの2人が受け入れてくれているという証明。彼らにとって自分がどうでもいい存在であるなら、最初から正体を晒そうなんてしないだろうし、キバに呼びかけた時点で記憶を消されるか殺されていてもおかしくはない。


 だから







「「ありがとう」」







 受け入れてくれて、ありがとう。
 絶対、大丈夫と信じていても。ほんの少し、怖かったから。




 本当を見せてくれて、ありがとう。
 俺自身が認められた気がした。いや、認めてくれていたから。









 例えそれが誰かの書いたシナリオの上で舞った結果でも。




 ありがとう―――と。



















 第8回祝詞お題 『舞』

 舞とかすっごい好きです。でも今回全然舞がありません…。
 かろうじて最初のキバの戦闘と、シナリオに舞ったっていうそこくらい…。

 …紅月夜のシリーズで、シノにバレネタです。
 企んでいるのはやっぱりシカマルとヒナタで。
 シノは神経図太かろうと、勝手に思ってます。
 昔は繊細だったり傷ついたりしていても、ある日突然開き直って…みたいな感じだといいなぁと(笑)


 ここまで読んでいただきありがとうございました。





   空空汐/空空亭