『はじまりは突然嵐のように』









「………迷った」

 たった一人、延々と木々の間を潜り抜け、ぽつり、とシカマルは呟いた。
 高く結い上げた黒髪に、常にしかめられた眉間。白いワイシャツに紺のブレザー、紺のズボンが真新しい。履きなれない様子の革靴は鈍い光沢を放っているが、ところどころ土で汚れている。
 ひどく折り曲げた背中を、更に折り曲げて、大きくため息をつく。
 彼―――奈良シカマルは、私立木の葉高等学校に今日入学したばかりの少年である。

 木の葉高校は県内でも一番のマンモス校で、多種な学科を設置している。
 校舎はかなりの広さで、その裏庭たるやもはや森である。シカマルは、その、森ともいえる裏庭で、あまりに早く家から両親に連れてこられたため、朝寝をして時間を潰し、そろそろ行くかと腰を上げたのであった。
 そしてこうして迷っている。

「やべぇ…そろそろ入学式が始まるぞ…」

 腕時計をちらりと眺め見て、背中に嫌な汗をかいた。
 入学式に出なかったとなったら、両親に、そして幼馴染達に何を言われることか…。
 彼にしては幾分焦って、地につけていた鞄を持ち上げた。

「新入生か?」

 その声が聞こえたのはそんな時。
 シカマルが驚いて周囲を見渡すが、どこにも人の気配はない。

(幻聴か…?)

「新入生か?と聞いているのだが」

 幻聴ではない、はっきりとした問いは、妙に落ち着いた、静かな印象を与える声だった。
 どこだ?とシカマルがなおも周囲を見渡すが、矢張り人の姿などどこにもない。

「どこを見ている。上だ」
「上?ぇえぇええええ!?」

 と、上を振り仰げば、どうやって上ったのか分からないほどに高い枝の上に、白い白い足がぶらぶらと揺れていた。桜の花びらの中から、一瞬だけちらりと垣間見えた顔がひょいと隠れて、軽い動作で、枝の上に立ち上がった。

「ぅいっっ!!!!」

 今ちらりと見えたのはもしかしてもしかしてアレですか!!!!????
 なんて、シカマルの動揺をよそに、声の主はふわりと身を躍らせた。

「うあああああああ!!!!!!」

 どうにかして受け止めようと、思わず鞄を放り投げて、両手を差し出した。
 だが、声の主はその両手に納まることなく、綺麗に綺麗に地に着地した。
 ふわり、と遅れて幾多もの桜の花びらが散る。
 まるで重力なんて無視した動きに、シカマルは呆気に取られて、安堵の息と共に崩れ落ちた。

「何をしている」

 そう問う女を見上げる。
 4つに纏めた茶に近い濃厚な金の髪。ひどく澄んだ翠の瞳はきつく強い光を放ち、整った顔立ちは冷たく、蒼白なまでに白い肌に、薄いルージュが際立つ。シカマルと同じ基調のブレザーが包む肢体は細く、均整のとれた体つきをしている。短いスカートから伸びた足に履かれた、動きやすそうなスニーカーは既に擦り切れている。

「………」

 美人、と形容してもなにも可笑しくないような、存在。
 幼馴染のいのとは違う、美しさ。
 ただ美しいだけでない。触れば切れる。近づけば消える。
 危険な毒と、はかない危うさをはらんだ美だ。
 ただ、目を奪われた。

 木々の隙間から零れ落ちる光が少女の髪に反射して、きらきらと飛び散った。

「おい…。生きてるか?」
「あ。ああ…」

 見惚れたのは一瞬、だったと思う。

「それで、新入生か?こんなところで何をしているんだ?入学式はもう始まっているぞ?」
「は?―――っ!!ああああああ!!!!」

 言われて時計を見れば、既に入学式の始まる時間。
 この先起こる事をまざまざと思い浮かべて、シカマルはだらだらと汗を流して固まった。

「さっきから…よくよく人のことをそこまで無視できるものだな」
「はっっ!?」
「私は、新入生か?と聞いたのだ。分かるか?」
「いや、あ、はい。新入生です」
「よし。それで何をしている?」

 尋問口調の言葉に、流されるままに答えながら、妙に偉そうな態度だと思った。

「時間潰してたんですけど…」

 さすがに、この年になって迷ったというのは言いがたくて、わずかに視線をさ迷わした。
 そのかすかな動きに、少女は心得たように唇を持ち上げる。

「迷ったな」
「う……」

 ずばり言い当てられて、シカマルは身を固まらせた。
 高校生にもなって、道に迷うとは情けなすぎる。 

「まぁ。仕方ないか。この森で一ヶ月に5・6人は迷う」
「………!!」
「大抵はバカなカップルどもだがな、互いの行為に夢中で夜までここに居座る。そして暗闇の中で迷うのだ」
「行為って…」

 あれっすか、と思わず顔を赤く染めてしまった。
 どこの世界にもバカな奴等はいるものだ。
 わずかに少女が目元を緩めて、シカマルを観察する。

「いい加減に立たないか?それとも腰が抜けたか」

 その挑発するような言葉に、さすがにむっときて、シカマルは急いで立ち上がる。
 立ち上がってみれば、少女の身長はシカマルとほとんど大差なかった。
 かろうじてシカマルが上…といったところか。
 少女はフン、と鼻で笑うと、シカマルの鞄を拾って、投げ渡した。

「で、どうする気だ?」
「………」

 今から入学式に参加しても明らかに中途半端であるし、下手な注目を浴びてしまう。
 それくらいなら最初から最後までいないほうが楽であろう。
 ただ残る問題は、年甲斐もなくうきうきしながらビデオカメラ片手に構えている父の姿。
 考えただけで頭が痛い。

「あんたは何してたんですか…?」

 ふと、目の前に突然現れた少女への疑問が湧いた。
 さすがに在校生全員が入学式に出るわけもないだろうが、わざわざ学校に来ているくらいなら入学式に出る人間なのではないのだろうか?

「私か?私は弟の忘れ物を届けただけだ。それで、お前はいいのか?入学式」
「…」

 疑問に対して切り返され、言葉が詰まる。
 またも、父と母、それに幼馴染達の顔が脳裏に浮かんだが、考える事は放棄した。

 面倒臭いので。
 別に、この少女に興味があったわけではない。
 …決してだ。

「…いや、もういいです。…面倒ですし」

 何か言われるかな、と少し身構えたが、シカマルの予想に反して、少女は「そうか」と頷いただけだった。
 何とも淡白な言葉に拍子抜けする。
 不意に少女は空を仰ぐ。


「ああ―――。ここから見る空も綺麗だ」


 さんさんと降り注ぐのは真白い光。
 桃色の木々の隙間を通り抜けて、きらきらと光は零れ落ちる。
 その、光を全身に浴びて、少女は目を眩しそうに細めた。





「ああ。…綺麗、だ」





 ぼんやりと視線の先にただ1人の少女を映して、呟いた。
 突然に現れた少女は、まるで、嵐のようにシカマルの中を拭き荒らして。






 けれども彼自身は、まだその嵐の存在に気付かなかった―――。
 2005年6月3日
 テマシカお題「それは突然嵐のように」
 パラレル学生なシカテマ。
 新入生なシカと上級生テマ。