『恐くてたまらない』 シカマルは深く深く息を吐き、呼吸を整えた。自分でも心臓がうるさいのが分かっている。無意識に強張った身体をほぐすため猫背気味の背を伸ばした。 丁度その時だった。 「おい」 ぽん、と軽く背を叩かれ、変な声が出た。驚きのあまり、目の前につんのめり自販機に頭をぶつける。 そういえば料金を入れたままだったのだ、と自販機の動き出す音で思い出した。 最悪だ。 「栄養ドリンクとはまた、やる気十分だな」 小ばかにしたような…というか実際小ばかにした口調で、後ろに立つ女は笑った。自販機の下から転がり出たのは、確かに望んでもいない栄養ドリンクだ。 「てめーの所為だろうが…」 「そうか? いや、お金を入れたまま全く動かないもんだから何事かと思ってな」 見ていたのか、と舌打ちでもしたい気分で、シカマルは振り返る。 「いらねーからやるよ」 「………まぁ貰っといてやるか」 そう言った女は、シカマルから栄養ドリンクを受け取ると、実に男らしい動作で腰に手を当て一気に飲み干した。 「…お前…いい飲みっぷりだな」 「そうか? そりゃどうも。んで、なんに怖気づいているんだ? うちの現リーダーさんは」 「………っ。お前…何言って」 「びびってんだろ。心拍数が高い。呼吸も速い。身体も強張ってる。お前の顔、堅気のもんには見えなかったぞ」 「………」 自販機の前、つまりは町真ん中の道端で、シカマルは深々とため息をついた。 「…そうかよ」 「潜入任務は初めてか?」 不意にテマリが身体を寄せてきたので、シカマルは自販機に追い詰められる。全身固まったシカマルの頬の近くに唇を寄せ、囁く。 「…殲滅任務は初めてか?」 低い、微笑さえ含む、耳に心地よい声だった。 けれど、シカマルのその顔から表情が消え、顔から色が引いていく。かちり、と耳障りな音がした。反射的にはねあがろうとした身体は、テマリの手に、腕に、胸に、腰に、足に、押さえつけられる。 テマリの手がシカマルの頬を撫ぜるようにして…その表情を他から隠す。 自販機に用がある人間にはさぞかし迷惑なことだろう。 そんなどうでもいいことが真っ先に頭に浮かんだ。 テマリの言葉に返す言葉が見つからなかった。 「お前がびびってたら話にならない。この作戦の責任者はお前だ。お前が中忍15名、上忍4名の責任者だ。お前にしか出来ない。分かるか? …私の命はお前が握っている。分かるな?」 冷たい瞳だった。感情の全てをそぎ落とした声だった。 超えてきた場数が違った。育った環境が違った。 けれど。 「…ったくめんどくせー」 頭のどこかが麻痺する。頭の中で何かが吹っ飛ぶ。 最初から覚悟していた筈だ。忍である以上、何の罪もない、ただ普通に生きている人を殺すこともあるのだと。任務は慈善事業なんかではない。依頼によっては断れないものだってある。 今迷うのは愚者のすることだ。 迷ったところですることは同じ。人を殺し、町を潰し、領主を引きずりだし、徹底的に壊滅させること。もともと人数では圧倒的に劣っているのだ。敵に感づかれることなく、秘密裏に事を進め、速やかに遂行させなければならない。 迷い、躊躇ったところで、違うのは自分の預かった命が減るか否かのみ。 「お前ホントにいい女だわ。ったく俺にはもったいねー」 「なんだ。今頃気づいたのか?」 くく、と笑ったテマリの腰を引き寄せ、口付けた。 今から殲滅する町のど真ん中で、今から殺す人々の前で、今から壊す自販機の前で、何度も、何度も、口付けを交わし、笑った。 全く持ってイカれてる。 全く持ってぶっ飛んでる。 全く持ってぶっ壊れてる。 けれどこれが、自分たちの生きる世界だ。 一々恐くてたまんねーめんどくせー世界だ。 嫌な世界だ、とシカマルがひとりごちる。 良い世界なんてあるのか? とテマリが笑った。 そりゃ天国だろ、とシカマルが笑い、テマリも笑った。 手に手に武器を携え、腰に毒薬を持ち、並んで立った世界は確かに面倒で嫌なところで、ぶっ飛んでて、ひどく恐くて、それでも笑えるのだから、人間というのは随分としぶとく強かなもんだ。 笑い声は風に紛れ、町の雑踏に向けて2人の忍は歩き出した。 |