『傷跡』
「これ、は…」
我知らず、引きつった声が漏れる。
その、硬い声に、安らかな顔で久方ぶりの休みを睡眠欲に捧げた少女が、ほんの少し、身じろぎした。
それに、不自然なほど身体を硬直させて、シカマルは短く息を吸う。
少女は、ひたすら睡眠をむさぼる。
もう一度シカマルはそれを確認する。
テマリのすらりとした、投げ出された左腕。
その肘から手首まで、不自然に包帯が纏っていた。
少しだけ開いた袖口から覗いた包帯の端が、シカマルにそれを気づかせた。
今、彼女は怪我をしていない筈だ。
任務終了後の綱手のお墨付きであるし、彼女本人も元気そうで、左手も使い、豪快な技を繰り出していた。
だから、どう、考えても、この包帯は可笑しい。
何かに導かれるように、ほとんど無意識に、結び目を探し、包帯を解いていく。
そして、見た。
最高の医療忍術をもってしても消せなかったと思われる、深い深い傷跡を。
ちょうど肘の下辺り、くっきりと残る引き攣れた傷跡。
切った、とか、すった、とかそういう傷はまだ彼女の身体には多くある。
けれど、この傷跡は違う。
刀傷は刀傷でも、質が違う。
この傷はテマリの腕を一度は貫通した刀によるものだ。
それを、シカマルは知っている―――。
なぜなら、この傷は…シカマルを庇って出来たものだから―――。
もう駄目だ―――。
そう、思った瞬間、異質な音がした。
もう駄目だ。
そう思った時、1度目はアスマが来て。
2度目は砂の女が来て…けれどもそんな奇跡は幾つも幾つも起こるもんじゃぁない。
3度目の正直。
終わったな。と。
思考は周囲に散っている筈の仲間に向けられながら。
もう駄目だ―――。
目の前に迫る刃を見て、そう、思った。
なのに。
如何して。
如何して―――?
「また、逃げるのか…弱虫君」
どくどくと、座り込んでいたシカマルの目の前に、真っ赤な染みが広がっていく。
一瞬、何が起こったのか判らなくて、呆然とその染みを見つめた。
ザン―――と、音がして、銀の光が通った。
同時に、シカマルを狙っていた刃の持ち主が、ぐたり、と倒れ伏す。
赤い染みの上に崩れ落ちて、更に赤を広げた。
倒れた忍の背から刃が突き出ている。
それを確認して、目の前に立つ仁王立ちの女は、己の左腕に突き刺さった刀を、左腕を貫通した刃を、一息で、抜いた。
ドパッ、と、鮮やかに、花火のように鮮血が舞った。
「…テ……マリ…?」
「黙ってろ」
低音の響きを持つ声はかすれ、いつも明瞭な発音は不鮮明。
愛用の巨大鉄扇をふわり、と開くと、それに、左手から流れる紅をこぼした。
白き扇が紅に染まる。
それ、だけの血が、彼女から流れているということ。
少女は紅で三つの赤を繋いで、真っ赤な三角を描き出す。
ほとんど残っていないようなチャクラをこめて、印を組んだ。
三つの点が地に浮き上がり、その点が、シカマルの上に頂点を作って、一瞬だけ赤き三角錐を形成して、姿を消した。
それが、結界の一種だと言うことは、シカマルにもわかった。
シカマルの周囲に、姿こそ見えなくても温かなチャクラを感じる。
呆然と、見上げることしかできないシカマルに、テマリが振り返った。
血塗れの少女。
対照的なほどに白くなった顔が、にっ、と笑った。
それが、彼女の限界だった。
「何で!何でだ!!!ふざけんな!!お前が付いていて、何でテマリが倒れなきゃいけない!!!」
「止めろ!カンクロウ」
そう、止める上司の声ですら、彼を止めることは出来なかった。
口癖すらも忘れて、余裕の表情すらも忘れて、烈火のごとく怒るカンクロウに、シカマルはぼんやりとした視線を返すばかりだった。
誰も、誰もそれを止めることなど出来なかった。
暗い表情で拳を強く握る。
シノも、キバも、リーも、いのもチョウジも、そしてカンクロウも同じ任務。
誰が予測した?
こんな事態が起こりうる、なんて。
だって、簡単なはずの任務だったのに。
砂と木の葉の絆を強くするため、そして他里に見せ付けるための、デモンストレーション。確かにそれだけのはずの任務だった。
唇を噛んで、二人を見つめる。
「五月蝿い!……何でだよ!シカマル!!!テマリは…テマリと、居たんだろう!!!!共に、そこに居たんだろう!?」
「…………ああ」
ぼんやりと、くぐもった声で、初めてシカマルが声を落とした。
「―――っっ!!!!!だったら何故止めなかった!!!!!あれだけ血を流した状態で、術を使えばどうなるかなんて分からないような奴じゃないだろう!!」
「…………ああ」
呆然としたままのシカマルの力ない言葉にカンクロウは激怒した。
「ああじゃねぇっ!!!!お前、テマリが目、覚まさなかったら、ぶっ殺す!絶対に!何もかも!全てぶち壊してやる!!!!」
「カンクロウ!!!!」
さすがにこれにはバキの怒声がとんだが、カンクロウはひるまなかった。
隠すことのない殺気が、彼の本気を物語っていた。
「俺も、カンクロウに賛成だ」
「我愛羅!!」
風影として取り乱すことなど出来なかった。
それでも、怒りは大きく、絶望も大きく、気づいているだろう?
木の葉にある砂という砂がざわついていることに。
この建物全体を包み込むほどに殺気が渦巻いていることに。
それでも彼は言葉を控え、見た目だけは平然とした態度で、彼らを見ていたのだ。
我愛羅のその言葉が、風影としてではなく、ただ一人の姉を思う少年の言葉。
「テマリを!!テマリを…返せよっっ!!!!!」
「テマリを俺達から…奪うな…!!!!」
ただの少年として。
彼らは叫ぶ。
助けて、ください…。
何をしても何を捧げてでも彼女を、テマリを返して…。
返して…。
返して……。
テマリを奪わないで…。
血を吐くような幼い叫び声に、シカマルは、涙した。
ぼんやりと、うつろな表情で、涙した。
とろとろと、凍った心が溶けだした。
「ごめん…なさい」
諦めなければよかった。
"もう駄目だ"なんて思わなければよかった。
「すみません……」
どうして、彼女が目の前に立った時に押しのける事が出来なかったのだろう。
何故真っ先に止血をすることが出来なかったのだろう。
「…ごめ……なさい…ごめんなさい………っっ!!!」
彼女の術を止めることが出来れば…。
彼女の受けた刀に毒が塗ってある事に気づけば…。
「ごめ…ん…なさ…い………っっ!!!!」
………助けれたかもしれないのに―――!!!!
その、血を吐くようなシカマルの声に…。
カンクロウは、顔を歪めた。
「―――ふざけるなっっ!!!!」
一喝して、ぐ、拳に力を入れた。
シカマルの胸倉を掴んで、壁に打ち付ける。
一瞬誰もがそれを止めようとして、我愛羅の砂が、それを拒んだ。
「誰がっっ!誰がてめぇに謝れと言った!?てめぇの謝罪なんていらねぇ!!!てめぇが謝罪するのは姉貴に向かってだけだ!」
くそっ、とカンクロウは毒づいて、ぽたぽたと流れ落ちる雫はそのままに、シカマルを左手で押し付けたまま、右手で壁を殴った。
「…いらないんだよっ!!俺達は!俺は…っっ!!!!!」
―――どうして、彼女と別れてしまったのだろう。
共に、居れば、守れたのに。
そんな無謀な行動なんて止めることが出来たのに。
「祈れよ!てめぇは…!!」
お前を守るためにテマリは傷ついたのだから…。
小さく、我愛羅が呟いた。
「テマリが…ここへ…返れるように」
―――どうして、彼女を任務に送り出してしまったのだろう。
必ずしもテマリとカンクロウである必要はなかったのに。
―――どうして、一つの言葉もかけずに行かせてしまったのだろう。
初めて、我愛羅は泣いた…。
後悔が渦巻いて…、身動きも、取れない。
戻ってきて…。
「………ふっ―――ぁ…」
くしゃり、と歪んだ。
「祈る…テマリ……生きて、ここに…!!」
戻ってきてください…。
カンクロウの腕にぽたり、ぽたりと透明な雫が落ちた。
今、気付いた。
彼らは、自分と一緒なのだ…。
誰も責めるよりも、何を責めるよりも…一番に自分を責めて、追い詰めて、後悔して、動けない。
シカマルだけではない。
誰よりも何よりも、自分が憎い。
彼女をこんな目に合わせてしまったことが許せない。
何か、一つでも自分が違う行動をとれば避けれたかも知れないのに。
それ、なのに。
彼女をこんな目に合わせた自分が情けなく、憎らしい。
「テマ…リ……テマリ…っっ!!」
顔を覆った手のひらから、幾つもの涙が零れ続ける。
祈るから。
何でもいい。
頼むから。
彼女を。
どうか。
彼女を。
返して…。
―――テマリっっ!!!!
少女が目を覚ましたのは3ヵ月後の事だった。
呼ばれた気がして、目を覚ました。
何故だか己の頬を水がつたっていく。
泣いていたのか?と思って、けれどもそうではないことがすぐに分かった。
「し…かまる?」
「…っつ!起きたのかよ」
ぐっ、と、袖口で涙をぬぐい、シカマルはテマリを見つめる。
「泣いたのか?」
そう、シカマルの顔に手を伸ばして、赤くなった目じりを触る。
シカマルは、なんともいえないような不思議な顔になって、落すように呟いた。
「………?」
「…馬鹿野郎」
聞こえてきた言葉に、整った柳眉を寄せた。
いきなり何を言い出すのだ、この男は。
文句を言うよりも早く、シカマルに口を塞がれた。
口と口を軽く触れ合わせるだけの行為。頬に、ぽたりと雫が落ちた。
震える手が、テマリを抱き寄せた。
「シカマル…?」
どうした?と問いかける口を、優しく閉ざされる。
よくは分からなかったが、とりあえず、腕の中でおとなしくしていた。
ありがとう。
帰ってきてくれて。
かつての傷跡は過去を呼び覚まし、鮮明に記憶する。
その、傷跡に誓おう。
もう、二度と、彼女を傷つけさせない事を。
シカテマ自体更新するのかなりお久しぶりのような…。
2005年11月27日
どれだけその人を思うのか、言葉にするのはとても難しい。
…いや、マジで。
終始暗くてすみません。
既に恋人同士v
カンクーぶち切れをやりたかっただけ…だなんて言いませんよ?(笑)