『素直になれない』









「…なんでお前なんだよ」
「文句言うな」

 火影室の扉の前でかち合った二人は、大きく息をついた。互いに、今は見たくない顔だった。
 扉を叩いて、火影の返事を待ってから声を張り上げる。

「木の葉隠れ作戦指揮部所属、中忍奈良シカマル入ります」
「風の国、砂隠れ第2戦闘部隊所属、上忍風のテマリ入ります」
「入れ」

 言葉と同時に、扉は内側から開いた。
 開けたのはいつものようにシズネではなく、何故かサクラだ。

「サクラ? お前何してんの?」
「シズネはどうした」
「シズネさんは任務に出ていますので、私がシズネさんの代わりに師匠の面倒を見ているんです」

 テマリがいるからか丁寧に話すサクラが、手を広げて中へと進めた。サクラの言葉が聞こえたのか、不機嫌そうに火影が視線を向ける。その顔が隠れてしまいそうなほどに書類が山積みだ。
 火影が立ち上がって、書類がその余波で崩れそうになったのを必死でサクラが止めた。火影はそれを気にもとめず、テマリに向かって手を差し出す。
 テマリもまた火影の手をとり、礼をした。2人は既に幾度かの邂逅を果たしており、他里の忍と火影としてはかなり親しい。

「テマリ、砂の国よりはるばるよく来てくれた。木の葉の長として礼を言う」
「いえ、木の葉にはお世話になりますゆえ。それにこの間は砂の者がお世話になったとの事。一個人としても感謝します」
「シカマルも、よく来た。まぁ2人とも座ってくれ」
「はい」
「ありがとうございます」

 そう座った2人の元に、サクラが入れたお茶が置かれる。色が妙に薄いのはご愛嬌。おいしいお茶の入れ方なんてお茶が好きでなければ知らないだろう。

「サクラ、お茶菓子でもないか?」
「あ、はい。分かりました」

 一礼して、サクラが扉を閉める。
 しん、と沈黙が落ちた。

「さて、火影様。任務内容を」

 テマリが足を組んで、愛想のあの字もない顔で促した。

「めんどくせーけどな」

 シカマルも伸ばしていた背筋をいつも通り曲げて、お茶をすする。予想通り、あまり好みの味ではなく、眉をしかめて湯のみを置いた。喉を潤すためとはいえ、どうせならいいものを飲みたいって思うのは当然のことだろう。
 2人の無礼極まりない態度に、火影が動じることもない。かなり、親しいのだ。そう、2人のあまり知られていない名前と力を知る程度には。当たり前のようにうなずいて、幾つかの書類を2人に手渡した。

「木の葉と砂を狙っている岩隠れへの潜入任務。一週間くらい逗留してもらう」
「…んで、まだあるんだろ」
「私達が動くのにどんな情報が欲しかろうと一週間もいらない」
「ああ。本来の狙いは、岩隠れではない。まぁ勿論岩の情報収集もしてもらうが、その奥」

 机の上に広げた忍5大国の地図を広げ、木の葉から岩、と火影の指が動く。指がたどり着いた場所に赤く丸がついていた。

「ここに、木の葉と砂の抜け忍を中心とした武装集団がある」
「だから、砂と木の葉の合同任務、か」
「ああ。抜け忍のリストはそこに渡したとおり。岩への任務もあるだろう。それがお前達の表の任務」
「…そして、裏の任務は、こいつらの殲滅、か」
「その通り」

 頷いた火影の一瞬の隙をついて、シカマルとテマリは視線を交わして頷きあう。
 まさに瞬きの間に行われた視線の交換に、火影は気づかなかった。

「やってくれるな?」
「ま、了解」
「火影じきじきの任務とあれば」
「よし。2週間は帰ってくるな。それが妥当だ」

 普通の忍は岩の国まで2日、岩の国から木の葉まで2日、往復4日かかる。任務遂行場所はまた岩の奥の方。そこまで1日、往復2日、それに加えて任務遂行時間を1週間あまり。それ以上の速さでこなされては、彼らの実力が本来よりも上だと分かってしまう。

「了解」
「分かりました…ところで火影様」
「何だ」
「お茶請けはまだでしょうかね?」

 にっこり、と、テマリは笑った。
 視線は火影室の扉。僅かに火影が眉を寄せて、神経を集中させ、その後静かに静かに息を吐いた。

「あー関係ないっすけど、火影様、禁術書を貸し出すのはよした方がいいっすよ。ねずみが出るかもしれないですから」
「………そうだな。考えておこう」

 ため息混じりに答えて、火影はシカマルに視線をよこす。視線で行動を促した。シカマルそれに応える。気配を殺し、何の音もたてずに扉をあけた。と、同時に見えた桃色の色彩。翠の瞳が大きく見開いてシカマルを凝視する。

「……っっ!!!」
「よぉ。サクラ。何してんの?」
「え!? あ、うん。今お菓子もってきたから! ちょっと待ってて!」
「すまないが、私は先に失礼させてもらう。」
「俺も。めんどくせーけど、この任務時間がかかるみてーだし、一回家に帰るわ」
「そ! そうなんだ! それじゃ、またねっ!」

 あわあわと返事をするサクラに2人の男女は背を向けて、答える。

「覗き見はほどほどになー」
「子ネズミちゃん、バイバイ」

 その言葉に、唖然とサクラが2人を凝視するよりも先に、扉がパタリと音をたてて閉まった。

「………なんで、ばれちゃったのかしら…」

 呆然と落とした声に、火影が深々とため息をついて、そのピンク色の頭に拳骨を落とした。

「いったぁ!!!!!!!! な! 何するんですか!? 師匠!!!」
「この馬鹿者!! 自国の忍がいる時に火影室を覗くっていうのは、その忍を疑う行為だ! 他国にしても同じ! お前の行為は砂隠れに喧嘩を売ったにも等しい!」

 怒鳴り声が、火影の部屋を覗き見していた2人の耳をもつんざいた。



「っつー…声でかすぎ」
「…全くだ…」

 耳を塞ぎつつ、火影室を覗いていた術を止める。サクラが使った術と大体同じものだ。
 恐らくは、綱手も覗かれているのを承知での怒鳴り声だろう。サクラに対するためだけでなく、離れた場所で自分達師弟の姿を笑っている筈の者達に対しての。

「にしても、サクラも命知らずだよな。火影の部屋を覗くたぁ」
「火影も甘やかしすぎだ。私たちだからよかったようなものの、他の忍だったらその場で誤って殺されてもおかしくはない」
「サクラに禁術を教える火影もどうかと思うが…」
「禁術をほいほいと使うサクラもどうかと思うな」
「どっちもどっち…か」
「だな」

 総じて呆れた息をつき、首を振った。
 それでも、自分たちでなければ気付かれなかっただろう。禁術と呼ばれるその術は、あまりにも高度なものゆえに封印された。結局使いこなせるものは一部でしかなく、その破り方も知っているのは一部。

「サクラは強くなった」
「まぁな。昔とは比べもんにならねぇ」

 そうわずかに苦笑じみたものを見せるシカマルの横顔を、テマリは小さく見あげる。

「…気に入っているんだな」

 軽く、呟いて、テマリは宙に舞った。風の轟音にかき消されて、シカマルにはテマリの言葉は聞き取れなかった。

「準備はお前に任せた。私は一足先に岩へ向かう。連絡はそいつに任せる。丁寧に扱え」

 矢継ぎ早に言葉が飛び出し、扇の上から小さなカマイタチが現れる。テマリの口寄せ動物で、シカマルとも何度か面識がある。
 あっという間に去っていく風のような少女に、呆然としながら、丁度頭の上に降った動物を引き剥がした。
 奈良シカマルが奈良シカマルたる所以のしかめっ面。その眉間の皺が更に深くなって、僅かなため息を漏らした。
 扇の上で、テマリもまた似たような息を吐いているとも知らずに。

「返事は、まだ、なんだな…。やっぱ」

 大きなため息に、手に持った動物がこっくりと頷いた。
 聡いヤツである。






 好きだとか、嫌いだとか、愛しているとか、そんな言葉は程遠いものだと信じていた。
 別に理由なんてないけど、ただ、単純に、そう思っていた。
 それは変わる筈のないことだと思っていたし、ずっと、そうだった。

 それが…壊れるのは、嫌だ。
 その筈、なんだけどな。


「テマリさーん!」

 遥か下の方から聞こえてた呼び声に、何事かとテマリは扇の下を覗き込んだ。豆粒に近いくらい小さな人間の姿。顔の輪郭も何も伺えたもんではないが、テマリに向かって手を振っているのは分かった。
 轟音と、風を巻き起こして、扇から降りると同時にそれをしまう。しまうといっても開いていた扇を閉じて、背負っただけだ。
 巻き起こった風で、乱れた服と髪を直す少女がテマリの目の前にいた。知り合い、というよりは、友人。けれど素直に友人と呼んでいいのかは迷う相手。

「いのだったか。…すまないな」

 相当髪が乱れたらしく、わざわざ念入りに結び直しているので、苦笑して謝罪する。

「いーえー。呼び止めちゃったのはこっちですからー」

 にこりと、こちらまで元気になるような鮮やかな笑顔をするのが印象的。口は悪いけど、快活で、気持ちのいい性格の少女。それが、テマリの見るいのの印象。

「それで、何か用だったか?」
「あー大したことじゃないんですけどー、ちょっとだけ、お茶しません?」

 そう、彼女が指差したのはテマリもお気に入りの団子屋。すこし、目をしばたかせて、首をかしげる。こんな風に誘われるのは初めてだ。

「ふふ。期間限定でおいしいデザートがあるんですよー。テマリさんも好きだと思うんですけどー」

 テマリの迷いを見透かして、いのは楽しそうに笑う。
 その曇りのない笑顔につられ、小さくテマリは笑った。

「いいよ。興味ある」

 任務のことはあったが、ひとまずそれは横においておくことにテマリは決めた。
 どの道時間は多めに設定されているのだから。






「それで、目的は?」

 ずばりと言い切ったテマリに、いのは笑いを引っ込めてぴたりと手を止めた。無意識のようにぐるぐるとかき混ぜていたコーヒーは、とっくに薄茶色。ミルクと砂糖が綺麗に溶けたそれの中からコーヒースプーンを引き抜いて、いのはテマリに向き直る。
 当たり障りのない会話は打ち切られ、本題への移行を余儀なくされる。

 テマリの手元には期間限定のデザート。黒糖をベースに使ったシフォンケーキに、抹茶色のクリーム。トッピングは小豆。
 テマリの好みそうな、そして、シカマルの好みそうな、デザート。
 いのは決して好まないタイプの、デザート。いのの手元にはふんだんに季節のフルーツを使った、プリンアラモードがある。

「シカマルの事、どう思ってますか」

 言った直後、心臓が跳ねた。どくどくと波打つ心臓に、黙れ、と念じる。

 いらいらするのだ。
 焦れったいのだ。
 おせっかいを焼きたくなるのだ。

 なんせ同じ班であるこっちは、四六時中シカマルと一緒に居るようなもの。
 その相手が始終暗い顔で浮かない顔でため息ばっか付いてたら、こっちまで辛気臭くてかなわない。

 彼のお悩み内容は知っていたから、うずうずして、いらいらして、結局テマリを探すに至った。
 任務でこっちに来たということは知っていたから。

 虚を付かれたように、目を大きくしていのを見る視線に、少しだけ、気分が良くなる。
 うん。さっきのお返しだ。

 いのの心臓はまだまだうるさいが、耳を澄ましてテマリの返事を待つ。

「…ずいぶんと、直球だな」
「ええ、もう、だってテマリさんはー、回りくどい話し方したってはぐらかしちゃうじゃないー?」
「まぁ、そうだろな」

 ふてぶてしく、実にふてぶてしくテマリは笑った。全く持って同じ女性でも惚れ惚れとする、かっこいい笑顔だ。

「私、これでも結構心配しているんですよー? シカマルの事もーテマリさんの事もー」

 軽い口調で、けれど本心を隠さず伝える。
 テマリは少しだけ、迷うように視線をそらして、手元のシフォンケーキをつついた。

「………多分、お前は笑うぞ」
「へ?」
「………………」
「………………………………」

 じっ、とにらみ合う。
 どうにもテマリの頬が赤いように見えて、いのは驚きを隠しえない。いのの無言の圧力にテマリは大きなため息をついて、シフォンケーキをカット。突き刺して、口に放り込む。
 こざっぱりとした甘さが口の中に広がって、溶ける。

 あまいあまい。

「怖いんだよ」
「………はぃ?」

 ぽつん、と落とした言葉は、ひどく小さくて、いのは聞き間違えたのかと思った。聞こえたと思ったその言葉を、頭の中で咀嚼する。

「……だっ、だからな。………その、好きとか、嫌いとか、考えた事もなかったんだ!」

 悲鳴のような告白に、いのの頭の中が真っ白になった。
 店内に流れるやわらかなBGMも、外から聞こえる喧騒も、何もかもが耳をすり抜けて、一つも頭にはいらない。

 よほどぽかんとした顔をしていたのだろう。
 テマリは頬を真っ赤にして、いのに言い募る。

「笑いたいなら笑ったらいいさっ。自慢じゃないけどな、私は恋だの愛だの一度も考えた事なかったんだよ! 今まで人を好きになった事も付き合った事もない!」

 18になるまで全く考えなかったというのは結構凄いことである。
 そんなテマリの告白に、唖然としていたいのは、言葉を理解すると共に、こらえきれない衝動が湧き上がってくるのを感じた。

「―――っっ」

 やばい。吹き出す。
 と思った瞬間に、いのは、爆発的に笑い出した。

「笑うなっ」
「さっきー、わ、笑えばいいって、言ったわよーっっ」

 笑って、笑って、しまいには涙が出てくる。
 だって、仕方ないだろう?
 まさか、テマリの口からそんな可愛らしい言葉が出てくるなんて、いのは夢にも思っていなかったのだから。

 ひーひー笑って、涙も出尽くしたという頃に、ようやくいのはテマリと向き直った。
 すっかり拗ねてしまったテマリがひどく可愛らしく見えて、いのは今までよりずっとテマリを好きになっている事に気付く。

「テマリさん、ホント凄いわー」

 他国の忍なのに、自分やシカマルの心を捕らえて離さない。
 シカマルにしては、面倒な恋愛を選んだものだと、そう思っていた。けれど、仕方ない。相手の方がずっと強敵だった。

 くすくすと笑い続けるいのに、年齢よりもずっと幼く見える膨れ面で、テマリはにらみつける。

「………おっ、お前は………ある、のか…」
「え?」
「お前は…考えたこと、あるのか…?」

 真っ直ぐな、テマリの視線に、きょとんとして、次に笑った。
 その笑顔は、テマリの見た事もない種類の、いのの顔。ひどく幸せそうで、それでいて、泣き出しそうな…。

「あるわよー。人を好きになってー追いかけた事もー、人と付き合った事もー」
「そっ、そう…なのか?」
「あ、安心してねー、シカマルじゃないからー」
「だっ誰もそんなこと言ってない」

 真っ赤な顔で否定するテマリに、もう一度笑う。
 自分の初恋とか、好きになった人のこととか。

(ちょっと、思い出したくなかったかしらー)

 昔追いかけた後姿が浮かんで、それを振り払う。
 いのは好きだの嫌いだの、そんなことを何回も考えたことがあった。何回も、何回も、それこそ何百回でも、嫌になるほど色んなことを考えて、そのたびに笑って、悔しがって、怒って、泣いて…その全てはどこか消化不良で、いのの中に溜まっている。

 相手が急に居なくなったから、失恋とか以前の問題になった。
 未だに彼が好きだというわけではない。そんなものじゃない。

 ただ、考えてしまうのだ。
 本当に自分が彼を好きだったのか。
 ただムキになっていただけじゃなかったのか。

 答えは出ないまま、年だけ重ねて、誰かを好きになっても、誰かと付き合っても、たまに、思い出す。
 考え始めても、きりのない感情をもてあましながら。

 小さく笑って、テマリの両手を取る。

「いっぱい考えて、いっぱい悩んで、答え、出たらー、いつかちゃんと教えてくださいねー」
「……いっ、いの?」
「それは、怖い事なんかじゃないわよー」
「っっ。…聞こえていたのか…」
「伊達に、実力偽っちゃいませんのでー」

 くすくすと笑う少女に、テマリは肩の力を抜いて、気が抜けた顔で笑った。

「シカマルはー沢山悩んでー、沢山考えてー、すっごく挙動不振でー、あの唐変木が必死になってー勇気とか色々振り絞ったんです」

 その様は本当に滑稽なほどで、いのもチョウジも笑ってしまったのだけど。
 人に興味なんて抱かなくて、感愛感情の"れ"の字もなかったシカマルのことだから、嬉しい変化に違いなくて。…だから余計に、お節介が焼きたくなる。なんとしても成就して欲しいと思う。
 もちろんそれは、テマリ次第なのだけれど。

「それだけ、知ってて下さいー」

 本当は好きか嫌いか、ずばっと答えて欲しかったし、聞き出すつもりでいたのだけど。どうやらそんなところまで行くのはまだまだ難しそうだから。

「任務、頑張って下さいねー」

 気まずいとは思うけど。
 笑って、いのは深々とテマリに頭を下げた。






 告白、っつーものを、シカマルが生まれて初めてしたのは2週間前のことだった。
 合同任務があって、いつものように木の葉から砂に送り返す、その途中。

 呆然とした顔で、テマリはそれを聞いていた。
 考えさせて欲しい、そう一言残して、彼女は姿を消して。

 …返事はまだだ。

「あーーーくそ…」

 早く任務を終わらせてしまおう。
 今だけはこんな感情忘れて、任務に集中して、さっさと終わらせて…それから。
 それからってなんだよ。
 そう思って、深い深いため息をついた。

「シカマル」
「―――っっ」

 不意打ちそのものの呼びかけに、シカマルははっきりと体を強張らせた。
 何も呼びかけに驚いただけではない。
 相手に完全に気配がなかったからシカマルはここまで驚いた。
 しかし、一瞬後には理解する。
 相手が誰なのか、気配に気づけなかったその理由。
 誰よりも気配を隠すのが上手い、幼馴染。彼ともう1人の幼馴染だけは、気配を読ませてはくれない。

「チョウジ…」
「これから任務でしょ? テマリさんと」
「お、おお。まぁな…」
「……大丈夫?」
「………」

 気心の知れた親友の、心からの心配にシカマルは息を呑む。
 焦りとも恐れともとれる得体の知れない思いが消えていくような気がした。

「きっと大変だけど、行ってらっしゃい」

 その言葉に背を押されて、シカマルはもう一度歩き出す。
 これだけのことで気持ちはさっきまでと全然違う。
 そのことにシカマルは深く感謝して、チョウジに軽く手を振った。







 やっぱり、そう、嫌じゃないんだよな、とテマリは小さく息を漏らす。
 嫌じゃない。
 決して、不快ではない。

 話しているのは楽しいし、一緒に居る時間は少ないけど、もっと一緒だったらいいのに、とは思う。
 なんにつけ面倒そうにため息を吐くところとか、そのくせひどく要領がいいところとか、妙にフェミニストなところとか、年下のくせに生意気なところとか、結構力が強いところとか。

 嫌いじゃない。

 忍び込んだ屋敷の中で、テマリはもう一度息を吐いた。
 嫌いじゃない=好き、というのは早計なんじゃないだろうか。

 そう頭の片隅で思いながらも、視線は手元の書類に集める。
 手にしていた紙の束は目的のものではなかった。
 否、正確には欲しいものではなかった。
 ここに潜入しているのは情報が欲しいから、だけではなかったりする。 
 紙の束を手の中で燃やして、屋敷の間取りを頭の中で思い浮かべる。

 もっと奥か。

 そう笑って、テマリは更に奥へと足を進める。
 幾つかの罠を外して、奥へ、奥へ。
 巧妙に張り巡らされた罠の隙間を歩く。

 迷ってもおかしくないほど広大な屋敷の中、迷路のように入り組んだ空間はひどく静か。
 音一つせず、テマリもまた音一つ立てない。

 けれど。
 ざわり、と空気が変わった。
 身を切り刻まれるような、研ぎ澄まされた空気。
 異物を排除しようという空気。

「…見つかったか」

 小さく呟き、身を翻す。深入りは危険だ。ここまで来て、と思わなくもないが、これはただの私用だ。

「………」

 背後に生じた気配を振り切るため、術を使い幾らかの罠を仕掛けるが、全ての追っ手を撒くには至らない。思ったよりも忍の質が高い。

 殲滅、ならば、たやすい事だ。

 そもそも殲滅こそが本来の任務。
 けれどテマリは迷う。迷ってしまう。
 ここまで来たのはただの私用だから。
 任務よりも、何よりも、優先して手に入れたかったものがあったから。

 もうしばらくすればシカマルが到着するだろう。そうすれば元々の任務である殲滅を始めなければならない。頑強に造られているわけでもない建物は、すぐに倒壊するだろう。殲滅任務で何よりも犠牲になるのは建物だ。大技に巻き込み、中の住民をつぶす。一番手っ取り早く片付く方法。あとは逃げ延びた少数を刈り取ればいい。

「………」

 足が、止まっていた。
 自然に。ひどく自然に。
 理性は、逃げるべきだと告げていた。

 けれど、どうしても足は動かなかった。

 急に動きを止めたテマリに、追っ手の忍が訝しげに足を止める。
 砂の色をした髪を持つ少女は俯き、気負うわけでなく、構えるわけでもなく、ただ立っていた。
 こんな深部まで侵入を許したのが少女でしかない事を知って、忍の一部は驚愕する。そして更にその中の一部は、テマリの顔を見て驚きの声を禁じえなかった。

「テマリ…様」

 その声に、テマリはようやく覚悟を決めた。
 顔を上げ、声を出した忍の方へ視線を向ける。
 あざけるように、哀れむように。

「久しぶり、かな? 砂の抜け忍諸君」

 にこり、と笑った少女は、ごく自然な動作で腰に吊った刀を引き抜き、振りぬいた。チャクラによって制御された鋭く圧縮された風の刃が発生し、一瞬後には忍の首を落とす。
 その衝撃から立ち直られる前に、次々と刃を繰り出し、風を操る。
 誰が武器を構えるよりも早く、術を使うよりも早く。
 血がはじける。赤い赤い霧の雨。テマリの周りを囲むように、まるでそこだけ時間が止まってしまったように粒の細かい赤が舞い踊り、そして消えていった。

 崩れ落ちる音は随分と遅い。

「他愛無いな」

 言って、足を深部へと向けた。
 遠くで他の忍が動いたことを確信しながら。






 男は低くうなる。
 次々ともたらされる報告は聞きたくもないものばかり。
 しかも情報がうまく伝達されていないのか、矛盾している場所が多くある。どこの下忍の仕事か、と言いたくもなるが、相当混乱しているという事なのだろう。
 とにもかくにも、状況が格段に悪いのは嫌と言うほど分かっていた。

「……侵入者は、1人だ」

 たった1人。それだけはどの報告も同じだった。たった1人に相当の数の忍が成すすべもなく倒されたのだと、そのことをはっきり認識しなければならない。これだけの人数の中に1人で突っ込んできたのは、一体どんな人間なのか興味を覚えなくもないが、今必要なのは敵の正体ではない。

 ここにある禁術書、及び秘術書、研究成果。
 数々の抜け忍が集まって出来たこの集団だけの持ちえる宝。
 それが、ここにはある。

 どれだけのものをここから持ち出せるか、それが鍵となるだろう。
 忍に代えはきいても、果てのない時間を注ぎ込んできた研究結果の数々を失うわけに行かない。
 膨大な量の資料を覚えている筈もなく、今回失われてしまえば次ここまで辿りつけるのは一体いつになるというのか。

 部下の不甲斐なさに苛立ちながらも、男はとにかく資料をまとめる。

「お前が頭か」

 声は不意に落ちてきた。

 男の体は驚くよりも先に行動を開始する。
 集めた資料を抱えたまま刀を引き抜く。滑らかに走らせた刃の先に艶めく桃色の唇。
 笑んだ唇が見えたのは一瞬。ただの一瞬。
 瞬きよりも早くそれは消えて、刀は空振りに終わる。

「―――っっ。こんなっ、ところで―――っっ!!」

 襲撃者は確かに1人だった。
 刀を構え慎重に襲撃者と対峙する。
 襲撃者は少女、と言っても差し支えないだろう。肩先まで伸ばした髪は砂漠の砂の色。ところどころに血をにじませながらも不敵に笑う、その顔立ちは、男も知っているものであった。

「テマリ―――様?」
「よ、久しぶりだな」

 誰何の声に、少女は快活な返事を返した。まさしく故風影の長子、そしてとしての風格を携えた、その面差しで。その鋭い翡翠の瞳は、かつて、男が付き従った上司によく似ていた。
 予想外の、予想するはずもない人物。

「何故、あなたが」
「あんたが持ち出した守鶴の実験データ、及びそれに付随する禁術書の全て、返してもらいます」

 我愛羅に、守鶴を移した、その、責任者。
 既に死んだと噂された、砂の相談役の一人。

「渡すものか。奪われてなどたまるかっ!」

 男は既に冷静だった。先までの動揺は消えた。
 相手が見知った小娘1人だという侮りか。
 だが、怒りがあった。テマリの容姿は風影に似ていない。されど、その眼差しは、翡翠の視線は、表情の作りは、嫌になるほど、かつての上司に酷似していた。

 ―――研究は、終わりだ。
 ―――…風影、様?
 ―――これまでのデータ、そこに至るまでの研究その全て処分しろ。もう守鶴は移された。これ以上必要ない。
 ―――っっ! 馬鹿なっ!! それでは、これから先、我愛羅様が死んだ後どうすると言うのです!!
 ―――そのときはまた封じるだけの話だ。もともと、不確定要素が多すぎた。到底役にたたない研究だったんだよ。

 憔悴しきった声に力はなく、自嘲気味に笑いながらも、その翡翠の瞳だけが希望を、光を求めてさまよっていた。
 どこまでも強く。どこまでもまっすぐに。

「私の、人生を無駄になどしてたまるか―――」

 研究に己の全てをかけた。
 研究に己の全てを打ち込んだ。
 その研究をなかったことにするなど出来るはずがない。
 
 結びなれた印を結ぶ。
 目の前で空間が爆発。同時に飛び退いた。
 テマリもまた、突然の爆発に動じることもなく距離を取る。

 もはや、無駄な言葉はなかった。

 問いかけは終わった。
 どこまでも空気は研ぎ澄まされる。
 緊張した空間でテマリが先に動く。
 焦りは追い詰めている少女の方が色濃い。
 テマリは既にここまでの戦闘で疲労しているし、手傷も負っている。止血はその都度してきたが限界も近いだろう。
 チャクラの消費量だって大きい。

(長引けは、不利―――)

 良く手入れされたクナイが飛ぶ。
 男を包囲するように、幾重にも、乱れとび、その全ては爆発により散っていく。
 音と振動にテマリは舌打ちしながら、それらすべてを弾幕がわりに距離を詰めた。
 衝撃で割れた鉄の欠片が皮膚をかすめていく。
 狭い室内、風を使うことはできない。
 火もまた論外。紙ベースの書類を失っては元も子もない。

 男の術も風遁の一部。小規模な爆発は火を伴うものではない。
 ただし殺傷能力は十分。破壊されたクナイがそれを物語る。

 ストックの減ってきたクナイの残りの数を脳裏に浮かべながら、テマリは男に肉薄する。
 テマリの持つクナイと男の刀が、鈍い衝撃と共に打ち合う。近すぎる間合いが刀の機能を封じ込める。

「―――っっ」

 だが、その攻防で気付いた。

(―――血を失いすぎたか…!)

 力が出し切れない。頭の回転能力も落ちている。冷静な思考が出来るのも後僅かか。
 息も既に荒い。思考の乱れが着実に体力を奪う。
 あせっていた。確実に。

 それは、忍として致命的なミス。
 鋭い攻防の中、針を通すほどの小ささの隙。その、僅かな隙を何の躊躇もなく狙ってしまった。
 普段ならばありえない、体勢を崩してまでの攻撃は、ただただ愚か。

(しまっ―――)

 それ、が、腹に突き刺さった瞬間、まるでスローモーションのように世界が流れた。
 思考が広がり、脳裏に浮かぶ砂の海。
 時間にすれば数秒もない世界で、テマリは崩れ落ちる。
 鋭い短刀が服を切り裂き肉をえぐり筋肉を通過して内臓を削る。
 ゆっくりとゆっくりと。
 こんなところで死ねるか、と身のうちで自分が叫ぶ。
 これは致命傷だと、冷静な自分が分析する。

(カン…クロ……我愛羅……ごめん)

 消えゆく思考。
 狭まる視線。
 世界は白く染まり、脳裏は真っ黒に塗りつぶされる。

 何もかもが消えていく。
 テマリという存在。

 遠く、近く、爆音が響く。
 地は鳴り響き、振動する。
 そのどれもが、もうテマリの耳には入らない。

(あいつ、泣くかな…?)

 それは嫌だな、とテマリは小さく笑う。
 消えていく中で小さく笑う。

 ずっと考えていた。
 嫌いだとか、好きだとか。
 それはこれまで考えたこともないことだったから、どんな方程式よりも難解で答えが見えなかった。

 出会った時はお互いに子供だった。
 中忍試験の時に実力を偽っているのはすぐに気がついた。 
 欺き、欺かれ、親しくなった。
 これまでテマリの本当の力を知る人間なんて、ほんの一握りしかいなくて。
 望まれるだけの力を出して、望まれるだけの演技をして。
 その裏の力に気がつく人間なんて誰もいなくて。

 だから、そう。

 テマリが彼らとあっという間に打ち解けたのは当然の理だったのだ。

 心地よかった。
 ありのままの自分になれた。
 家族とはまた違う、姉としてではない、ただのテマリとしての人間としていられるその自由さ。
 初めて対等の立場で向き合ってくれる友人たちだった。
 それは里が違っても、テマリにとって、シカマルにとって、チョウジにとって、いのにとって何一つ関係ないと言いきれる程に強い絆。

 テマリが笑い
 シカマルが笑い
 いのが笑い
 チョウジが笑う。

 幸せで、幸せで、それ以上なんて求めていなかった。

 それなのに。

 ―――その筈だったのに。




一緒に、いたい。




 どうして、彼はここにいないのだろう。
 どうして、一緒にいないのだろう。

 ああ、置いてきたのは自分だ。
 だって、いつだって一人でやってきた。
 相談できる相手なんかいなかった。
 背中を任せられる人間なんていなかった。
 そもそも自分の実力さえ、隠すことを義務付けられた。
 ずっと、信じられる人間なんていなかった。
 父親が死んだら依存の対象さえ消えてしまった。

 いつもテマリは1人だ。
 1人で大丈夫。
 ずっと1人だったから。




…ウソ




 それならなんで、こんなにも…



黒い瞳が夜の闇を切り取ったみたいで綺麗だと思った。



 こんなにも


落とすように囁く声がいいな、と思った。


 こんなにも



―――会いたいな、って思ってしまうんだ。




「………シカマル―――」




 バカヤロウ、と情けない顔の男が見えた気がして。
 テマリは、笑った。







 結論からいえば、テマリは助かった。
 詳しい経緯はよくわからない。
 ただ、目が覚めたとき泣きそうな顔でクマをこしらえた男が目の前にいたから、特に考えずに言葉が口をついた。
 多分今まで生きてきた人生の中で、一番素直で一番正直な言葉。
 熱に浮かされた女の戯言だ。
 でないとこんなこと言える訳がない。
 
 

 ―――好きだよ。奈良シカマル。



 だから、おやすみ。
 次に目が覚めたときは、きっと素直になれないけど、よろしく。

 この気持ちだけは本当だから。
 おやすみなさい。
 2015年04月01日
 すっきりしない締めになっているので、他の題で、シカマルバージョン上げるつもりです(^_^;)