『白眼』






「馬鹿じゃないの?」

 日向ヒナタは、実に傲慢にそう言い放った。
 冷たい瞳。
 感情の一欠けらも浮かばぬ唇。
 まだ十にも満たない子供が浮かべるには、あまりにも不釣合いな表情でありながら、何故かそれは自然だった。自然すぎて、何がおかしくて、何が壊れているのか分からない程度には自然だった。
 ただし、その言葉に篭められた感情は、複雑怪奇だ。

 呆れてるとも、腹を立てているとも、悔しがっているとも、悲しがっているとも、そのどれでもあるようで、どれでもないような…。

 恐らくは本人すらも把握していない感情の一端。
 というよりも、理解する気すらないのだろう。
 ただ思った事をそのまま口に出しただけで、それに付随する感情までは考えていない。

「気持ち悪い」

 なおも彼女は吐き捨てる。
 余計な感情ごと切り捨てるように。

 目の前―――否、目の前と呼ぶには語弊があるが、とにもかくにもヒナタの認識する視界の中に、彼女が吐き捨てる原因はあった。

 黒い髪の、鼻上に傷を持つ中忍と、金の髪の、いかにもやんちゃそうな少年。
 実に仲よさそうに歩いている。
 ヒナタにとってその光景は、何故か不快だった。
 第一、あの中忍の本性を知っているから、いかにも純朴そうな顔で笑っている姿は気味が悪い。

 距離は数千メートル以上は離れているだろう。
 幾つもの建物をすり抜けて、ヒナタはその光景を見ていた。
 通常ならありえない事だが、彼女の…日向一族の持つ"白眼"という能力がそれを可能にしている。

 白眼―――それは、ほぼ全方向を見渡すことが出来、数百メートル先を見通すことが可能な能力だ。更には物体の透視、体内を流れる経絡系をも見ることができる。
 木の葉の血継限界の中でもとくに名の知れた存在。
 
 その存在は、日向ヒナタを化け物にした要因の一つ。
 あまりにも大きな宝物は、余計なものを惹きつける。

 黒い髪の、顔に特徴的な傷跡を持つ、男、とか。

 イラついて、視界を遮断した。
 一瞬で、光景が移り変わる。
 2人の姿は目の前から消え、瞳を覆うのは何もない暗闇。

 目をつぶっても思い出すのは、先ほどの光景。この世で一番殺したい男と、数少ない好きだと思える相手のことだ。
 恐ろしく離れた場所で、その2人は一緒にいた。

 穏やかな笑顔で笑って、笑いあって、話して。

 その全てが、疎ましくて。
 ヒナタは力任せに手を振るう。
 術として成型されぬままのチャクラが塊となって、空間をえぐる。爆発音はなかった。元より結界を張った中での暴挙だ。

 数千メートルはゆうに離れたその光景を見ていたのは、日向ヒナタのすべき事に、うずまきナルトを守る、ということがあるからだ。
 その命令の出所が、害のない中忍を装う、この世で一番憎い相手である、うみのイルカだというのがなんとも気に入らない。
 第一、うみのイルカがそこにいるならば護衛など必要ないだろう。
 必要などないのに、見ていた自分が滑稽だと思った。
 うみのイルカがうずまきナルトに話しかけた時点で、能力を遮断してしまえばよかったのだ。
 ―――いや、そもそも見えなければ良かったのだ。
 うずまきナルトに何かあれば分かるように、彼の近くには常に契約済みの口寄せ動物を配置している。
 だから本来なら見る必要なんてないし、見えないのが普通。
 それなら何故見ていたのか。
 ―――うずまきナルトを守る必要があるからだ。

 ヒナタは思考がループしているのに気付かない。
 ただ、疎ましいと思う。
 "白眼"などという能力が。
 見る必要もないものを見てしまう能力が。
 ただただ疎ましいのだと、もう一度ヒナタは腕を振り上げる。

 もっと幼い頃は、単純に便利だと思っていた。
 生き延びるためには、持っている力の全てを使わなければならなかったし、白眼は人を殺す事に有能だった。

 だというのに、能力などなくても生き延びれるだけの実力をつけた今の日向ヒナタにとって、白眼という能力は実に厄介で、邪魔な代物になった。
 もっとも、そう思う理由すらヒナタには分かっていないのだろう。

 脳裏に焼きついた男と少年の姿に、ヒナタはもう一度吐き捨てた。

「気持ち悪い」

 白眼なんてなければよかったのに―――。
 うずまきナルトを守らなければいけないことよりも、うみのイルカを見てしまったことよりも、その、根本的な自身の能力に対する嫌悪が、イラついている原因なのだと、ヒナタは気が付かなかった。