『出会う日』






「なんて…恐ろしい子供だ…」
「恐ろしい。あれで人の子か…」
「人間じゃない…」

 多くの畏怖の言葉を浴び、子供は顔を上げる。
 目の前に、人だったものが、ある。
 それは、ついさっきまで確かに人の形をしていて、動いていた。それを奪ったのは、自分だ。ほとんど一瞬だった。習った通りの動きをして、習った通りに止めを刺した。

 何かいけなかったのか、そう思って、自分に技を教えた存在を探す。
 すべてを見下ろせる場所に見つけた存在。驚愕に、染められた、日向ヒアシの顔に、何か間違えたのだと、思った。けれど何がいけなかったのか分からず、首を傾げる。
 日向ヒアシの元に歩いて、膝を付いた。

「おわりました」

 終わったら、そう頭を下げろと教えられていた。だから、いつものように頭を下げる。だが、いつもは振ってくる指示の言葉がない。不信に思って、許されるよりも先に、顔を上げた。
 その瞳に写った日向ヒアシの顔は、ひどく歪んでいて。

「…ちちうえ?」

 日向ヒアシは、首を振る。

「…恐ろしい、子よ。たかが3歳にて平然と人を殺すか」

 殺す、という意味が良く分からない。それは教えてもらっていない言葉だ。首を傾げて、日向ヒアシを見上げる。何が悪かったのか、分からない。何故父があんなにも厳しい目をしているのか分からない。

「ちちうえ?」
「…こやつを、離れに入れておけ」

 日向ヒアシの顔を見たのは、それが最後だった。





 何が悪いのか、分からなかった。
 日向の離れは何もなくて、冷たくて、何もすることなかった。何も考えることがなかったから、何が悪かったのかを繰り返し繰り返し考える。よくは分からないけど、相手が動けなくなったからいけなかったのかもしれない。けれど、そう教えられた。完全に動かなくなるまで油断するな、そう教えられた。だから実践した。

 考えても考えても分からない。

 離れには、小さな窓が付いていた。その窓には届かなくて、見上げる。その窓から空の明るさだけが、時間の経過を教えてくれた。朝と昼と夜に、ご飯が出る。それを食べて、一定の時間が経てば誰かが取りに来る。誰かは誰かで、いつも違う人間だ。初めの頃は何がいけなかったのか聞いたり、どうすればいいのか聞いたりしたが、彼らは背を向けるだけだった。
 
 朝差し込む光はひどくまぶしくて、けれどとても綺麗だと思ったから、朝はそれを見るようになった。
 真っ暗になった中に差し込む窓からの月明かりが綺麗だと思って、夜にはそれを見るようになった。

 朝が来て、夜が来て、何度も何度もそれを繰り返して、何度それを繰り返したのか分からなくなった頃、ご飯のくる時間ではない時間に扉が開いて、顔を上げた。

 目にうつったのは日向の人間ではなかった。背の低い老人で、瞳は小さく見づらいが、白くないのは分かる。日向の目は普通とは違うと教えられていたが、生まれて初めて見る日向一族以外の目はひどく優しい感じがした。

「おいで」

 声に、日向の人間を探す。老人の後ろに居た日向の男が小さく頷いたから、走ろうとして、転んだ。なんで転んだのか分からなくて、首を傾げる。ふと、目の前に影が出来て、見上げた。

「大丈夫かの?」

 腰を屈めて、差し出された手に、戸惑った。この手の意味が、分からない。どうすればいい?握ればいいのだろうか?
 首を傾げていると、手が所在なさげにさ迷って、困ったように笑われた。怒っては、いない?

「手を、出して」

 言われたままに、手を出す。
 その手を握ると老人が立ち上がって、腕が引っ張られたから、同じように立ち上がった。

「今日から、君と一緒に暮らす爺じゃ。分かるかの?」
「―――………」

 一緒に?

 そう、聞いたはずなのに、声が、出なかった。首を傾げて、もう一度口を開く。やはり声は出なかった。

「…声が、出ないんじゃな」

 ひどく悲しそうに、老人が言って、それには頷いた。出なかったから。

「いつからかの?」

 その言葉は日向の人に向けられていて、けれど自分も一緒にいつからか考える。ここに居る最初の頃はちゃんと話せた。けれど聞いても無駄だと知って、聞くことをしなくなったら、話さなくなった。ずっと、話していない。だから声が出なくなっているなんて気づかなかった。

 日向の人は戸惑うように後ずさる。

「い、いえ…初めの頃は、話せたのですが…」
「それは、いつの話じゃ」
「……1年前、です」
「何故、そうなるまで放っておった。時間はいくらでもあっただろう」
「…雲隠れによる、日向家誘拐騒動に時間を追われました」
「確かにそれもあった、じゃが、時間はあった筈だ」
「そ、れは…」
「…まぁ、よい。それよりもこの子のことじゃ。名をなんと言う」
「ヒナタ、と」

 それを聞いた瞬間、老人は眉をひそめ、小さく吐き捨てた。

「何が日なたじゃ。こんなところに閉じ込めて置いて」

 その声は本当に小さくて、日向の人には届かなかった。
 老人は、繋いだままの手に視線をやって、頷く。

「ヒナタ、今日からわしがヒナタの爺じゃ。よろしくのぅ」
 ―――じいさま?

 首を傾げて、唇が動かす。その動きを読んだのか、老人は頷いた。

「そうじゃ。よろしく頼むの」
 ―――よろしくおねがいします。

 頭を下げると、老人は笑った。優しい目だな、と思った。 

 こうして、日向ヒナタは、初めて火影と出会い、日向を出た。
 1年ぶりにでた外はひどく明るくて、色彩が多くて、目が眩みそうだったことを覚えている。




 ヒナタが火影邸に引き取られ、何日かすると、真っ黒ずくめの少年が連れられてきた。真っ黒で、真っ黒で、けれどとても綺麗な人だった。

「うちはイタチだ」

 少年はそれだけ言って、ヒナタの前に座る。

「名前は?」

 口が利けないままだったから、ヒナタは答えなかった。
 イタチは小さく眉を潜めて、考え込む。任務の一環で連れてこられたが、子守を押し付けられたような気もしないでもない。ある程度実力があって、それでいて年齢の近いものがイタチしかいなかったのだろう。
 なんの事情説明もされぬまま、ただ、面倒を見ろと任務書と共に頼まれた。その任務書にも大したことは書いておらず、この子供の名前すらイタチは知らない。
 小さくため息をついて、まぁいいか、と思う。
 適当に任務をこなしておくのがよい。

「今日から、君の面倒を見ることになったから、よろしく」

 少年と少女はそうして頭を下げた。少女はよくわからないままに少年の後ろを付いて回り、少年は少女に本を読んだり術を教えたりした。それしかすることがなかったから。

 そうこうするうちに、名前がないのは結構不便だと、イタチは気づいた。
 当たり前の事かもしれないが、イタチにとっては新発見だ。

「ええっと……名前、なんだろう?」

 首をかしげて、ヒナタはイタチを見上げる。
 名前を、火影に聞いても教えてはくれなかった。教えてもらえ、と。けれどヒナタは首を傾げるばかりで、教えてくれそうにはないから、イタチも首を傾げる。
 ヒナタが首を傾げてばかりだから、いつのまにかイタチにも移っていた。

「勝手に呼んでいい?」

 それにはこくりとヒナタが頷く。ヒナタにとって名前は大して重要でなかったから、なんて呼ばれようとどうでもよかった。
 イタチは考え込む。

「…三冬月、はどうだろう」

 12月の別名。思えば、今は12月だから、単純といえば単純だが、響きはいい。イタチの言葉に、ヒナタは首を傾げながら頷いた。
 良いのか悪いのかよくわからないが、そもそも名前にこだわっていないヒナタとしてはなんでも構わない。

「三冬月…」

 ヒナタは頷いた。

「じゃあ、三冬月だな」

 イタチも頷いて、ヒナタの頭をなでた。髪をくしゃくしゃにされて、笑った。名前なんて、どうでも良かった。何でも良かった。けれど、『みふゆつき』という響きはとても綺麗だから、少し嬉しくなった。イタチがその名を呼ぶのがひどくくすぐったく感じる。
 嬉しくて、ヒナタはイタチに抱きついた。

「気に入った?」

 頷いて、笑った。


 朝が来て、夜が来て、幾度も幾度もそれを繰り返し、隣にはいつもイタチがいた。それはとても楽しくて、嬉しくて、幸せだった。
 気が付いたら、色んな知識を持っていて、色々な技を持っていた。日向の家にいたときの様に、イタチに稽古をつけられる。そうして、何の理由もなく人を殺してはいけないのだと知った。

 ヒナタの世界はイタチが全てで、イタチを中心に回っていた。
 時折姿を見せる火影のことも、イタチのことも大好きだった。より多く共にいる分、イタチに対する比重は大きくて。

 だから。

 その存在が居なくなったとき、ヒナタは、壊れたのだろう。





くすくすと笑って、ヒナタは首を傾げる。もう声だってちゃんと出る。イタチが居たから、ちゃんと直った。笑い続けるヒナタを、悲しそうに、ひどく、悲しそうに、火影が見ていた。

「ねぇ、火影様。私、日向の駒になるわ。日向の望む宗家の子供を演じる。大人しくて、5歳年下の妹よりもずっと弱くて、か弱い、見捨てられた子供。日向分家の八つ当たりの対象」

 笑って、笑って、笑って、それなのに、どうしても涙が止まらなくて。

 日向から自分に与えられた役割を知っている。日向に見捨てられた子、として、アカデミーに通う。日向宗家の嫡子なれば、例え時期はずれの上に年の違う入学者でも拒まないだろう。うずまきナルト、という他者よりも2年も早く入学した子供の例もある。2年遅い入学くらい大丈夫だ。そうして入学したアカデミーで大人しくて、弱くて、落ちこぼれで、誰とも接触せず、生きていく。

「でも、火影さま。一つだけお願いがあるの」
「…なんじゃ」
「………私を、暗部に、入れてください」
「なんじゃと…?」
「日向専属の私忍としてよりも、せめて貴方直属の暗部として…生きたい」

 涙を流したまま、頭を下げたヒナタに絶句した。
 イタチは幼くして暗部に入るほどの実力者で、ヒナタも確かにそのくらいの実力はあるだろう。けれどその暗部最年少とまで言われたイタチよりも、さらに、幼い。
 たかだか8歳の子供に、里の闇を背負わせると言うのか。

「日向に使われても、暗部として任務を受けても、多分、同じだから。それなら、貴方の命がいい」

 きっと、どちらでも人を殺す。暗殺、拷問、死体処理、抜け忍の始末。汚れ仕事は多いだろう。それでも、日向一族の私利私欲のために使われるくらいなら、暗部に所属し、火影の命を受けたい。

「だから、お願いします」
「……いいじゃろう」

 ただし、と付け加えて。
 外見を成長させることだけを、火影はヒナタに言い渡した。






 そうして、ヒナタは暗部となる。
 暗部名は、自分で考えた。

 ―――幻夢

 夢、幻。

 儚くて、追う意味なんてないもの。
 けれど、追い続けたい―――。


 適うはずのない、夢を。
 見る事も適わない、幻を。

 いつまでも、いつまでも―――。
 2007年1月15日