『空に憧れて』





「空が高いな」

 小さな呟きを聞きとめた同僚が、不審な目を向けてくる。
 男は小さく笑って、暗部面を外した。白の虎面にこびり付いた赤。それを高く上げてみれば、綺麗な綺麗な白と赤と青のコントラスト。
 その素顔は、今自分の隣にいる同僚と親くらいしか知らないもの。切れ長の瞳をなお細めて、空を見上げる。ぼさぼさの黒い髪が、ほんの少し、風で揺れた。暗部の服を着込み、全身を血に浸してはいるが、その身体の大きさはまだまだ成長過程にある子供のもの。それもそのはず。『夜雨(よう)』と言う名のこの暗部は、たかだか12の子供でしかないのだから。

「………そうね」

 同僚もまた、暗部面を外す。その下の素顔も、自分くらいしか知らないだろう。否、知ってはいるが、この冷たく凍った表情は誰も見たことがない。教師も、火影も、共に学ぶ下忍仲間も…親兄弟すらも。
 黒い髪が、さらさらと流れた。真っ白な瞳が細められる。『夜雪(やせつ)』と呼ばれるこの暗部もまた小さく、小柄な身体は未熟ながらも女としての形を作ろうとしていた。

「届きそうで届かない。つかめそうでつかめない。だから私たちは空に憧れる」

 ただ一人、自分を知る同僚である少女は、空へ大きく手を伸ばした。どれだけ大きく手を広げても、どれだけ高く背伸びしても、自分達の手は空には届かない。それは、どれだけ高い木に上っても同じ。むしろ近付いた分、距離を実感させられる。

 届く事のない空だからこそ、その青に魅入られ、その雲の白さに目を細め、絶え間なく降り注ぐ光に憧れる。

 理由なんてただそれだけ。手に入らないから、欲しくなる。
 あまりにも青い空は、本当に本当に綺麗で、美しくて、荘厳で、自分たちとはまるで別物。
 赤と黒にまみれた自分たちには相応しくない潔癖な美しさ。

「………」

 手に入れることのない、見上げるだけの憧れ。それは、自分たちが抱く他の下忍仲間への憧れによく似ていて。だから空を見上げる。己と空の遠さを確認するように。どれだけ力を手に入れても、どれだけの地位を手に入れても、憧れてやまない、潔癖なまでに綺麗で無邪気なその心。
 いつだって憧れる。その優しさに、その打算のなさに、その感情の豊かさに。その純粋さに。

「俺にとって、あまりに大きなその憧れ」

 呟くようにぼそぼそと言って、小さく笑った。あまりに高い空。あまりにも大きな憧れ。

「私にとってもあの空は遠い。…あまりにも遠すぎる。絶対に届かない…。でも、だからこそ私たちはあの空を守れる」

 その声はあまりにも真っ直ぐで。その瞳はあまりにも美しく。
 自分にとっては、共に道を歩む彼女すらも眩しいのだ。
 ざわり、と蠢くのは己の心か、それとも身体中に巣食う蟲の群れか。

 例え見上げた空は遠くとも。

「…ヒナタ」
「何?」

 見上げてくる少女の瞳に映る青い空は。

 ―――それはそれは美しい。憧れの青い空。

 けれどそれは憧れだけの空ではなく。

「手に入れた」

 抱きしめた時すっぽりと腕の中に納まるその小ささとか。抱きしめた時、甘えるように擦り寄ってくるその動作とか。冷たく凍った瞳が、柔らかく微笑むその瞬間とか。自分を見上げる瞳が、ゆるりと長いまつ毛に隠れて伏せられるとか。

 それは自分しか知らない小さな空。
 空に手は届かない。

 ―――けれど、この小さな『空』だけは自分の物なのだと、そう思いたい。




 小さな身体を抱きしめて、空を、見上げた。
 2006年4月
 初めて書いたスレシノヒナ。いや、でもシノの名前が出ていない…。
 でもスレシノヒナuu
 雨と雪が混ざったら霙(みぞれ)になるんです。だからたった2人の特別暗部チーム名は『霙』です。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。