『幼い正体』
それは、木の葉に入った夜の事だったか。かつて感じた事のある気配を感じ、テマリは身を起こした。隣に眠る弟と、眠る事の出来ない哀れな弟を見て、変化の術を使う。
「我愛羅。少し出かけてくる」
「………単独行動は、禁じられている」
「そう硬い事を言うな。黒砂糖やるから。な?」
「…………何処へ行く?」
我愛羅の言葉に、テマリは笑って、黒砂糖を投げた。砂がそれを受け止め、我愛羅の手の中に収まる。交渉成立だ。
「白い猫に餌をやってくる」
テマリの言葉に、我愛羅は小さく首をかしげ、その真意を尋ねようとした時には、既に彼女の姿は消えていた。至極つまらなそうに我愛羅は眉を潜め、おもむろに机の上にあったペンを握る。黒い、水性のマジックだ。
「………♪」
キュ、キュ、キューーーーと、マジックを鳴らし満足した我愛羅は、甘い黒砂糖を口の中に放り込んで床に蹲った。先ほどまでと同じように。
人体に書いた場合、油性よりも案外落ちにくかったりする水性マジックでの落書きに、カンクロウが明日の朝蒼白になるのを期待して瞳を閉じる。勿論、眠れるわけではないのだけど。
見られている。
その視線をヒナタが感じていたのは、今日から遡って2週間前の事だった。ちょうど2週前からその視線は付きまとい、片時も離れる事はなかった。下忍とまではいかないが、中忍、いや上忍程度だろう。とっくの昔に気付かれているとは思っていないのか、その監視が離れる事はなかった。2週間、ずっと。日向家の者達は気付かないのか。何故気付かないのか。舌打ちしたい気持ちもこらえつつも、日向ヒナタとしての顔を保ち続ける。既に時刻は夜。真っ暗闇になった日向家の中、いかにも眠れないといった風に寝返りを打つ。ため息を一つ落として、起き上がると外套を羽織り、外に出る。どうせ彼らの狙いは自分だ。日向宗家を継ぐ者でありながら、大した力も持たず、下忍として生きる子供。日向家の護衛もついてはいない。もっとも分かりやすい、見捨てられた宗家の子供。もっとも弱い、狙いやすい子供。
小さく、小さく、笑った。
俯いて、誰からも見えないように。分からないように。
当然の結果だと。
そう、笑った。
刃と刃が結びあうことも、術と術が繰り出されることも、そのどちらもなかった。
ヒナタはただ、森の中に潜む監視者達に影分身を見せ、本体は闇に乗じ、一人一人の首を刈っただけだ。見せ掛けの日向ヒナタに騙され、完全に油断しきっていた彼らは何の音を立てる事もなく崩れ落ちていった。本当に、ただ、それだけ。
「思ったより弱いのね…」
哀れむように。蔑むように。
少女の幼い声は響き渡る。日向家を出て、少し歩いてからの出来事だった。上忍程度と思ったが、案外中忍程度だったのかもしれない。そうであるなら日向家も安く見られた物だ。
ため息一つ落として、少女は死体を片付けるため印をきる。
ヒナタが考えるよりも遥かに彼らは弱くて。本当にあっけなく。本当にあっという間に、決着はついてしまった。この程度なら日向家の者も気付いていただろう。それでも彼らを消そうとしなかったのは、いつでも殺せると思っていたからか、それとも日向家のおちこぼれを始末させるためか。
どちらにしろヒナタは降りかかる火の粉を払うだけだ。
その時だった。
ヒナタの全身がぞわりと粟立ち、反射的に白眼を発動させる。
「…っっ!!!!」
飛びのくよりも早く、首筋に当たる冷たい刃の感触。ぴたりと突きつけられたそれに動きを封じられ、ヒナタは唇を噛んだ。
「…どうも、噂とは違うみたいですね」
低い、柔らかな声が、ヒナタの耳元でした。反射的に動いた腕を捕まえられ、地へ打ち付けられる。
「っっ!!」
「おっと」
転がると同時、跳ね起きようとしたところを足で肩口を踏みつけられ、勢いを殺される。その衝撃でもう一度地に打ち付けられ、ヒナタはその痛みに眉をしかめた。自分を肩に体重を乗せる男は、そのまま膝を折り、もう一度、より確実に、首筋に刃をつきつける。細く、真白い肌の上を冷たい刃がなぞり、それだけで、柔らかな子供の肌は直ぐに血をこぼす。
「本当は、気絶させるなり眠らせるなりして運ぶのがベストだったんですけどね。どうもそう言ってはいられないみたいなので、仮死状態にさせてもらいますよ」
にこりと、そう、笑った男の顔が月明かりに浮かんだ。
冷たい灰色の髪。瞳が見えないほどに細められた目。それを更に覆い隠す丸い眼鏡。額宛はしていない。特に特徴たるものも見当たらない、普通の、ごく普通の若者。
唇を噛む。
完全に、ヒナタの油断だった。
自分よりも遥かに弱く、日向家の者達にすら相手にされないような、さながら噛ませ犬のような刺客。それは、ヒナタにとって毎回の事で、既に慣れきった事でもあったから、いつものように、これで終いだと勝手に思い込んだ。姿が見えないからといって、いつもそれが全てな筈はないのに。
仮死状態。
殺される事はない。否、殺しても構わないのだろう。呪印の施されていない宗家の人間で、ヒナタより弱い人間なら幾らでもいる。もっとも、護衛の数が全くと言っていいほどついていないのはヒナタのみだろうが。
そう。彼らにとって、自分でなければいけない理由などどこにもない。日向家に現れる"白眼"という特異能力の秘密を暴くことができるのなら、宗家の誰でもかまわないのだ。ただ、手に入れるリスクが大きいか小さいかというそれだけの理由でヒナタを狙った。最もここでヒナタを殺せば、日向の警戒も木の葉の警戒も厳重になるであろうから、殺すよりも、生かして連れ帰る事を考える。
死ぬわけにはいかない。
この現状を打破するよりも早く、閃光のようにそう思う。
かといって完全に動きを封じられた状態ではどうにも出来ないから、抵抗を止める。激しい抵抗や、目の前の男を挑発するような言葉は、自分の命を縮めるのと同じ事。彼らが今欲しいと思う"日向ヒナタ"を差し出せば命は助かる。もっとも、彼に連れて行かれた先でどのような状況に合うのか分かるわけない。
それでも、少しでも長く、1日でも、1時間でも、1分でも、1秒でも、生き延びる事を考える。
全ての抵抗を止めたヒナタに、丸眼鏡の男は少しだけ眉を潜める。
「何か企んでいる、とも思えませんが、そう殊勝にされると気味が悪いですね」
「この状態で抵抗しても無意味ですから。気絶させるなり眠らせるなりして運ぶのがベストなのでしょう? それを希望するわ」
「…まぁ、いいでしょう。こちらとしてもその方が好都合ですしね」
眼鏡の奥から覗く冷たい瞳に全身の産毛が逆立つのを感じながらも、ヒナタは表情を変えず、その意識は深い闇の中に落ちた。
それを確認し、男は封印術の一種で、ヒナタのチャクラを封じる。その上で手足を縛り肩に担ぐと、暗闇の中にうっすらと浮かぶ同郷の死体を見下ろす。この場に放置していても邪魔になるので、術を使い、炎を用いて消し去る。跡形も残らなくなった幾つもの死体を省みる事もなく、男はヒナタを担いだままその場を去った。
そうして暗闇の中、女は小さく笑う。
意外だと、少し驚いた顔で、そうして笑う。
黒砂糖を口の中に含み、少し考えるようにして首を傾げた後、女の姿は既にそこになかった。
2007年5月3日
私の思うテマリさんなら設定によるけど助けるかどうかの確立は半々。
これは迷って、助けたらあんまりにもふつーだしな、と思いつつ、それでもそうした方がお題にちゃんと沿った感じになるんだよな、と迷いつつ、相棒に見せてみて、
「ここまで読んだら助けに来ると思う?」
って聞いたら、頷かれたので、助けないことにしました。あっさりと決定。ありがとう相棒。
この設定なら、助けない方がテマリさんらしいんだけど、ただ、お題にちゃんと沿うっていう点で悩んだのさ。
っていうか、短編連作でいくつもりがあっという間に違ってしまった…。
というわけですみません続きます。