『賭けの対象 -カカシ-』








「落ちこぼれねぇ」

 紅達と賭けをした後、カカシは直接火影邸まで来ていた。
 本来、火影の許可がなければ入れない筈の結界と封印術は、カカシの行動の妨げにはならない。むしろカカシを受け入れるように、至極自然に道を開けていく。
 これは、紅達にでさえ教えてはいないカカシの知るカカシだけの道だ。
 4代目火影が、カカシの為に残した裏ルート。
 全ての気配を絶って暗闇へと通じる道を歩きながら、小さく小さく呟いた。

「ま、あいつしかいないでしょ…」

 ひっそりと唇を歪めて、賭けの子供を手に入れる為に歩いた。



 金色に輝く明るい髪が、暗闇の中で光りを放つ。ただの塊に見えるそれは、よく見ると子供であるようだった。
 己の膝に頭を預けていた子供は、人の気配に顔を上げることもしなかった。
 この屋敷に、彼の味方はあまりにも少ないから。それをこの子供は知っている。

「何?またすねてんの?」

 だが、聞こえた声に、子供は顔を上げる。その行為は、子供にとってはかなり珍しい行動の一つだ。

「……また、来たんだ」
「んー。今日はちょーっと目的があってね」
「目的……?」
「そっ。目的」

 整った顔が、子供を覗き込む。澄んだ青の輝きが、不思議そうにカカシを見上げる。
 子供にとって、この、銀の髪を持つ男は、とにかく変な存在だった。
 火影の許可をとっているようには見えないのに、好き勝手に子供の周りに姿を現しては消える。
 その神出鬼没ぶりには、毎回驚いていたものだが、今では完全に慣れてしまった。

 いつも勝手に話をして帰ってしまうが、この屋敷の中では、かなりマシな存在であった。
 この屋敷の中には、火影以外に子供とコミュニケーションをとろうとする人間はいない。
 冷たく、凍り付いたような視線が自分の表面をなぜていくだけ。
 それは、嫌悪か、憎悪か……。
 その、あまりに強すぎる感情に息もままならなくなる。

 青年…はたけカカシは、唇を吊り上げた。普段口元を隠しているマスクはしていない。そのため、彼の不意に見せた秀麗な笑顔に驚いた。
 子供にとって、彼の一番不思議なところは、こういった負の感情以外を自分に向けてくるところだった。それを与えてくれる人間は、火影とこの青年くらいだったから。

「うずまきナルト」
「あ、え?」

 唐突に己の名を呼ばれ、子供は視線をさまよわせた。この火影邸では、どうしてもアカデミーでのように振る舞えない。
 口元には笑みを宿らせたまま、カカシの瞳はナルトの奥底までをも見透かそうとするように、鋭く光っていた。

「なんで、お前が嫌われ、避けられているのか、教えてやろうか?」
「っっ!!教えてっ!」

 言葉の意味が、理解出来たと同時に、ナルトは叫んでいた。
 それは、誰も教えてはくれなかった。
 誰に聞いても誤魔化されるか、はねつけられるだけ。
 そもそも、まともなコミュニケーションが成立する相手なんてほとんどいない。
 カカシは、ナルトがずっと求めていた物を与えようとしていた。
 答えは5年前の真実。

 闇に葬られ、それでも噂という不確定な真実は、誰もが知っていた。
 知らぬは子供達ばかり。だが彼らとて、親の感情を敏感に感じ取り、嫌悪と憎悪の対象としてナルトを位置付けてしまった。
 カカシは、ナルトの様子を見ながらゆっくりと口を開く。
 真実を伝えるために。

 …4代目火影の意思を伝えるために。




「俺……が、九…尾……?」

 呆然と、呟いた。
 その真実は、あまりにも残酷で、たった6歳の子供が背負うには重すぎる出来事。
 情報の整理も、感情の整理もついていかない様子のナルトに、カカシは続けた。

「4代目火影を、恨むか?」
「……え?」
「お前の意見を聞けないのをいいことに、勝手に腹の中に九尾を封印した4代目火影を…恨むか?」

 そんなの、当たり前だ。と、思った。
 けれども、切れ長の瞳に射ぬかれて声を失った。
 よく、考えろ。
 そう、諭されている気がした。
 瞳を閉じて考える。今、ここで4代目火影を恨んだところで何も変わりはしない。しかもそれでは、自分を厭う者達と同じになってしまう。

 目先の物にとらわれてはいけない。それは、同時に何かを失ってしまう。
 先入観、目の前にあるものだけにとらわれない、というのは、ナルトの処世術でもあった。
 優しい言葉をかけてくれた。それはイコールでいい人、とは限らない。
 昨日まで優しかった人間が、次の日は嫌悪の眼差しを送る。
 そんな事は多々あった。

 だから、始めから人を信じてはいけない。本当に考えている事、本当に思っている事を、見つけださなければならない。
 本当に考えている事、本当に思っている事を見つけださなければ自分が傷つくだけ。
 まずは周りを見て、人間関係を見て、本当に自分に害意がないのかどうか判断する。
 当然ではあるか、その警戒心の強さは、同年代の子供達にないものだった。
 その警戒心の強さが、また人を遠ざけることとなり、大人はやはり獣よ、と嘲り笑う。
 まるで前進のない悪循環。
 どうしようと抜け出せない、出口のない迷路。
 ナルトは、ゆっくりと目蓋を開いた。真実を探る深い空の蒼。

「うら……まない」
「何故?」
「じっちゃんが言ってた。人は弱いんだって。だから人を恨んで、妬んで、憎むんだって」

 それは、その頃のナルトにとって、何の意味も持たない言葉だった。ただ、火影と共にいることがナルトにとっての幸せで、一番大事な時間であったから、彼の言葉を一言も洩らしたくなくて、必死に聞いていた。
 言葉は、自分の物であるように、自然と湧いてくる。

「でも、その弱さに負けてはいけない。大事なのはその弱さを乗り越えること。そういう人間が誰よりも強くて、凄いんだって」
「………」
「俺ってば、それ聞いたときに思ったんだってば。そんな人間になりたいって」
「……なーるほどね」

 これがこの子供の強さか。
 育てられた環境を考えると、驚く程真っすぐに、純粋に育っていると思ってはいたが、それは火影の教育の賜物だったのだ。
 実力は伴っていないが、ナルトは強い。逆境にも負けぬ心をナルトはもっている。
 ふ、とカカシは微笑む。

「強くなりたいか?」
「え?」
「その強き心に負けぬだけの、大人をも超える力が欲しいか?」

 カカシの真意を探るように、ナルトは目を細める。

「回答はYESかNOのどちらかだ。間は存在しない。さぁうずまきナルト、強くなりたいか?」
「お…れは」

 中々出ては来ない次の言葉を、カカシは辛抱強く待った。

「………強く、なりたい。じっちゃんを守れるような強さが欲しい!」
「…よく言った」

 カカシが小さく笑って、ナルトの頭をくしゃくしゃっと撫ぜた。

「いいか、うずまきナルト。お前は今から俺の弟子だ。妥協は許さない。甘えも許さない。けれども確かに火影を守れるような強さを与えよう」

 真摯な瞳でナルトは頷いて、カカシは初めて満面の笑みをナルトに見せた。
 ナルトは、戸惑うようにして、けれど嬉しそうにカカシに笑い返した。
 それが、彼らの始まりだった。





 ―――さぁ作りましょう。
 ―――最高の子供たちを。
2006年1月3日
『賭け秘事』シリーズのカカシ。
まぁ予想通りだとは思いますが、カカシが選んだのはナルトでした。