『それはなんて幸せな世界』
その夜は、いつものように寝たはずだった。
暗部任務を済まして、事後処理をして、報告書書いて、変化といて、ついでに風呂に入って、布団を見た瞬間に倒れこんだ。
いつもどおりの毎日。
いつもどおりの就寝。
ただ、朝は違っていた。
そう、違っていたのだ。
「ヒナタ…ヒナタ? まだ寝ているの…?」
ぼんやりと開いた目に映ったのは、見知らぬ天井。身体を起こしてみると、やけに安定感がない。あからさまな違和感。
その正体を確かめるために視線を下ろし…
「っっ???????」
凍りついた。
「ヒナター? 珍しいわね、寝坊なんて…。ハナビー起きたー?」
……。
……。
…なんだこれは。
その言葉だけが、ようやく頭に浮かんだ。
見知らぬ天井、見知らぬ灯り、見知らぬ布団、動くたびに形を変えるマット、着た覚えもない衣服、優しい木目調で統一された家具、知らない部屋。
喉がひりひりとする感じ。妙に喉が渇いて声が出せない。
そう。初めての暗部任務の時みたいな…。
緊張しているのだ。
気付いた瞬間、急激に頭の熱が冷めた。
何が起こっているのか理解出来ないのなら、早急に状況を把握しなければならない。
チャクラを体内で練り、白眼を発動。
………。
―――出来なかった。
冷静になった筈の脳が思考を止める。
いつもと同じようにチャクラを練り、印を組み、発動。
その、慣れきった、簡単な動作を間違えるなんて…ありえない。
呆然とした頭で、もう一度繰り返す。
簡単な動作
慣れきった動作
一瞬で出来るそれを、震える両手でゆっくりと為し……。
「―――っっ!!!!!!」
何故―――と、声にならない声で叫んだ。
発動、しない。
いつもの感覚でチャクラを動かしたつもりが、チャクラ自体動かない。何も感じない。
何故。
「ヒナターー?」
唐突にがちゃりと開いたドアに、なんの警戒も出来ずに固まった。
頭を石で殴られたような衝撃があった。
長い長い見事な黒髪を背に流した女性。その輪郭、そのまなざし、その唇、その雰囲気…その全て、全てが、かつて失った大切な人の姿。
決してもう一度会うことなどない筈の人の姿。
「お…かあ…様…?」
「あらあら、寝ぼすけさんね。母の顔に何かついていますか?」
穏やかな苦笑。
温かな空気。
優しい口調。
ころころと笑うその表情は、年齢よりもずっと若くて、可愛らしくて…。
―――涙が…あふれた。
「ヒナタ?!」
娘の涙に日向ヒナタの母、日向ヒヨコは仰天し、慌てて娘を両腕で抱きしめた。
そのぬくもり、は、日向ヒナタが遥か昔に失ったもので。
「…っっ」
夢でもいい。
幻でもいい。
「おか…さま…っっ。会い、たかった…! 会いたかった…っっ」
ふくよかな胸に顔をうずめ、日向ヒナタはただ泣き叫んだ。
それから、この世界は、日向ヒナタがいた世界とは根本的に違うのだと、知った。
初めは、勿論信じられなかった。
信じられるはずがない。
自分が違う世界にいる、世界に忍術などない、忍なんていない、木の葉も砂も音も、そんな里存在しない。
………世界の全てをひっくり返されて、それでもなおヒナタは信じられなかった。
けれど、鏡に映った自分を見て、鳥肌が立った。それは、歓喜か、恐怖か、未だ分からない。
瞳孔が、あったのだ。
丸い石をはめ込んだような薄気味悪い白眼じゃない。
黒色の、ごくごく普通の目。瞳孔はヒナタの驚愕とともに開き、収縮した。
母親は日向家の人間ではなかったから、元々白眼ではなかったが、父親の瞳も妹の瞳も、ただの、当たり前の瞳で…。
呆然とした。
あんなに嫌っていた力。
確かに日向ヒナタは白眼という力を嫌悪してきたはずなのに……。
失ってしまえば、ひどく心細くて、体にぽっかりと穴が空いたようだった。
知らない世界。
知らないモノ。
母は日向ヒナタが替わったのだと、分かってくれた。自分でも信じられないような、うそみたいな出来事を認めてくれた。
その上で彼女は世界の知識を与えてくれたのだ。
学校、というアカデミーのようなものに日向ヒナタは通っているらしい。
今日は体調不良で休ませてもらった。
何もわからない状態でそんなところに行くなんて出来なかったから。
母は心配そうにしていたが、先程仕事に行った。父も心配していた。ハナビもだ。
それはひどく嬉しいことに他ならなかったが、自分の知る父と妹の姿とのギャップに驚かされた。日向ヒナタの知る父は、厳格で、表情もひとつも動かさない人で、ヒナタのことなんてまるで省みない人間。妹は妹でヒナタの元には近寄ろうともしない、冷めた姉妹関係。あれだけ冷めていた家族関係のはずなのに。
家の中…家の中もあまりに違う。
ただただ広く、家族以外の人間が多く住まっていた日向家の屋敷とは違い、1階は台所や洗面所、居間、和室、寝室にわかれ、2階はヒナタ、ハナビの部屋だ。見知らぬものもたくさんあった。
階段を上り、日向ヒナタの部屋に入る。
柔らかい、木の匂い。
机は最近新調したのか、傷一つ付いていない。机の上には幾つかのノートが置かれている。
無防備に置かれているノートの一つは、日向ヒナタの日記だった。
ぼんやりとしたまた、日記をめくる。
一番最初は1月1日。
新しい年の目標とか、あいさつ回りのこととか、お年玉のこととか。
他愛もない日常と、他愛もない幸せと、他愛もない悩みで埋め尽くされた日記。
それは、とても、とても、他愛のないことで。
何故だろうか。
涙が止まらなかった。
あまりに可愛らしく、あまりに幸せそうな毎日。
血の匂いなどどこにもない。
人の生死なんて関係ない。
冷め切った家族関係なんてまるで知らない。
宗家と分家の確執なんてない。
血を狙うものと戦うことも。
刃を常に身に潜ませておくことも。
常に周囲を欺き続けることも。
そんなこと…まるで関係のない生活。
涙が零れて止まらなかった。
私はいつ戻れるのだろう。
いつまでここにいるのだろう。
ナルトは文句を言ってはいないだろうか。
シカマルは任務を忘れてはいないだろうか。
涙を零しながら、願う。
夢ならば、早く目覚めて欲しい。
幻ならば、誰か解いて欲しい。
この世界は、とても優しい。
母がいて、父がいて、妹がいて、皆がとても優しくて、温かくて、人を殺す必要もなくて、逃げ回る必要も、狙われる必要もなくて…とても平和で、とても幸せな…そんな、優しい世界。
優しくて、優しくて…ひどく悲しくなる。
こんな優しい世界。
こんな温かい世界。
それは、確かに幸せな世界―――。
―――血に塗れたことなどない少女の暮らす世界だ―――
見知らぬ世界で。
夢のような世界で。
幸せな世界で。
少女はただ1人泣き続けた。
2008年1月6日
現代ヒナタと違いすぎるスレヒナさんを。
あまりのギャップに戸惑い、よく望んでいたような幸せで平和な世界なのにどうしても落ち着けない感じ。
ほっ、ほんとはスレてない純粋培養ナルト&シカにも会うつもりだったんですけどuu
まぁ…ヒヨコさん出せたし、いいかな。
なんか我が家のヒナ母の名前は全部ヒヨコさんで良いかなと思う次第です。
ヒヨコさんは日向家の人だったり違ったり生きてたり生きてなかったり。