奈良家長男と猫のあやかし
『ご主人様』
「ご主人様」
ふわりと人の形を作って、猫のあやかしは彷徨う。
求める人は行ってしまった。
この世界ではないところに閉じ込められてしまった。
自分だけをここに残して。
ぽたぽたと雨の雫。
ぽたぽたと涙の雨。
「ご主人様」
いなくなってしまった。
どうしよう。
今更獣のあやかし達とは暮らせない。
幼い頃に人間に捕まった猫のあやかしは、あやかしを使役する奈良に売り飛ばされた。
あやかしの仲間がどこにいるのかも知らない。
誰かに従属して使われる生き方しか知らない。
「ご主人様」
優しい人だったのに。
自分に笑いかけてくれる温かな人だったのに。
「ご主人様」
寂しい。
悲しい。
あやかしなのに。
どうしてこんなに人間くさい。
「遅かったか」
人の声。
知っている人。
奈良の人間。
「奈良シカマル様」
あやかしを使役する奈良家の正当な血を引く長男。
誰よりも強い力を持ち、期待される人。
ご主人様の又従兄弟。
「…お前か」
ぎり、と口を噛んだ。
遅かった。
救う事が出来なかった。
けれど。
この。
猫のあやかしが、無事で嬉しい。
金の毛並みを持つ美しい獣。
緑の瞳を持つ猫のあやかし。
シカマルが生まれた頃に奈良家に売られたあやかし。
幼馴染と言えるような関係。
「帰るぞ。テマリ」
「でもご主人様が」
あの人は向こうに閉じ込められてしまったのに。
それを放っていくなんてことは出来ない。
「俺たち奈良に、向こうへ行く扉を開く事は出来ない」
「私はここにいる」
「馬鹿。お前が残ってどうする。どうする事も出来ないだろ」
「でも嫌。ご主人様の匂いがここには残ってる。傍に居る」
「…今から、日向に協力を要請して、扉を開いてもらう。だから、ここに居る意味はない」
場所が違えど、同じ場所に繋がるのだから。
涙に濡れた眼で、猫のあやかしはシカマルを見上げて、悔しそうに拳を握った。
「間に合う?」
「間に合わせるんだろ」
お願い。
間に合って。
私のご主人様を助けて。
2005年10月5日