上質な獲物がいた。
若くて、血を沢山持ってそうで、とても健康そうで、とても美味しそうな匂いをした人間。
じっ、と見ていたら、目が合って、慌てて瞼を伏せる。
(ど…っ、どうしよう…っっ)
気配と、匂いが強まるのと、その両方で獲物が近づいてくるのが分かった。
あんまり無遠慮に見つめた所為で不快に思ったに違いない。
心臓がばくばくと音を立てる。握り締めたこぶしがじんわりと汗ばむ。
獲物が止まったのが分かって、ゆっくりと目を開く。きつく閉じすぎてすぐに視界が開けない。ぼんやりとした視界に写る、金色の優しい色。
「…え?」
「なぁ、お前、気分でも悪いのか?」
俯いていた視界のまん前に、獲物の顔があった。心配げに伺う、澄んだ青空の瞳。
それは、あまりにも予想外の出来事で。
それは、あまりにも刺激の強い事で。
きっちり2回瞬きをして。
少女は綺麗に目を回した。
『三日月夜の食事』
淡い光を放つ三日月に、ぼんやりと薄い膜のかかったような雲模様の夜、うずまきナルトは歩いていた。
三日月と同じ、眩しすぎない程度の金色の髪と、澄んだ青空を思わせる瞳。年齢的には20も過ぎた青年に見えるが、表情はどこか悪戯っぽく、10代の少年のようにも見えた。けれど背はひょろりと長く180cmを軽く超えるだろう。身長の割に細いが、肩幅や露出している腕を見ると、鍛えていないわけでもないようだ。
手にぶら下げたコンビニの袋を持って、口笛を吹きながら歩く。時間が時間だけに、近所迷惑になりそうなものだが、騒音で喧しい街の中では誰も気にしない。むしろ馬鹿でかい身長の方が余程気になるらしく、様々な視線が青年に突き刺さる。決して染めたものではない、天然の金色頭がまた目立つ。
喧騒から少しだけ離れたところに、ナルトの家はあった。
家、と、言えば格好はいいが、見るからに格安そうなオンボロアパートである。実質安い。階段は今にもぶち壊れそうにぼろいが、どこかしこも木材やテープで補強しており、見た目よりもずっと頑丈だ。70kgはあるナルトが乗ってもびくともしない。
アパートの2階で、『202号』と書かれた扉の前で立ち止まる。ポケットから取り出した鍵を無造作に突っ込んで、まわす。
靴を脱ぎ捨てて、6畳一間に続く扉を開けると、見慣れた空間に見慣れない存在一つ。
恐らくは、20にも満たない、18前後の少女。
怯えたような目で、それはもう今にも涙をこぼさんばかりの表情でナルトを見上げる。
夜を切り抜いて詰め込んだような長い真っ黒な髪は、ぬれてもいないのにひどく艶やか。卵形の小さな顔にのったパーツは、日本人形のようなバランスのよさを持っている。瞳はほとんど真っ白で、よくよく見れば銀色のようでもあるが、ただ単純に覆いかぶさったまつげの影であろう。
その異形の瞳が、整ったパーツのバランスをぶち壊しにしていた。
ひどくアンバランスで、不思議な、少女。
全身から警戒している、という空気を発散する少女に、ナルトは小さく苦笑して、手に持っていたコンビニ袋からサンドイッチと飲み物を取り出して、少女の前に置く。
不思議そうに首を傾げるその様が、なんだか可愛らしかった。
「俺はうずまきナルト。お前ってば、俺の顔見るなりぶっ倒れたもんだから、慌てて担いでここまで運んできたわけ。別に変な事なんもしてないし、何もしないから安心しろってば」
とりあえずの自己紹介と状況説明をして、食べれば? とでも言うように手でサンドイッチをしめす。少女はおずおずとサンドイッチに手をつけたが、開けようとはせず、大きな異形の瞳はこちらを伺っていた。
目が合うと、びくりとしてそらす。
異常なほどに怖がられていることを空気で感じ、ナルトはどうしたものかと考え込む。突然ぷっ倒れた少女を街のど真ん中に放置する事は出来なくて、コンビニにちょこっと寄ろうにも彼女を置く場所がなく、第一、治安がいいとは言えないこの街で気絶した少女を一人にするなんて危険極まりない。そんな理由でまず少女を自分の家へと連れ帰り、自分の用事と少女の分とをかねてコンビニへ行ったのだ。熱はないようだったので、疲労とか、なにかの発作だろう。
なんにしろ顔色が悪い以外は変な感じもないので、多分大丈夫だろうと思う。
少女の視線を感じながらも、ナルトはコンビニの袋から物を取り出す。夕食のカップラーメンとお茶、ついでに明日の朝ごはんのラーメン、さらに予備のカップラーメンを幾つか。後トイレットペーパーとか、洗剤とか、ボールペンとか、そんな生活必需品。
コンビニでなんでも手に入るのだから、世の中本当に便利である。
ちらりと視線を上げて、少女を伺うと、その視線が合う前に思いっきり首ごとそらされた。ここまで避けられるといっそすがすがしい。
「………あのさ、ほんと、俺なんもしねーから。だからさ、少しは肩の力抜くってば…俺ってばそんなに危険人物に見えるわけ?」
もしそうならそれはそれで嫌だな、とか思いながら、ナルトは少女の目の前に座った。びくりと身を引いた少女は、迷うように視線をさ迷わせて、じれったいほどにゆっくりと、おずおずと頷く。
その割に、全身が緊張しているのがはたから見ていてもよく分かった。
「…………………まぁいいや」
はぁ、と息をついて、ナルトは立ち上がる。やかんに水を入れてガスコンロにのせる。お湯が沸くまでにはまだ結構かかるだろ。
変な拾い物をしてしまったと、今更ながらの後悔をしながら、頭をかいて振り返る。
丁度、その変な状態で、ナルトは一瞬目を疑った。ついでに、全身が硬直する。
振り返ったその目の前に、自分よりもずっと小さな少女が落ち着きなく立っていたから。
「…………ぁ…」
ふっくらと柔らかそうな桃色の唇から小さく零れた吐息のような声。
それを合図に、ようやくナルトの緊張は解けた。
「び、びびったってば…。いきなりどうしたんだってばよ?」
ナルトの声に、少女は俯いて両手を握り締める。
「……………ぁ、ぁ、ああああのっ!!!!!!!」
「は、はい?」
「たっ、助けて頂いて、ありがとうございました…………っっ!!!」
ものすごい勢いで少女は頭を下げて、腰までもあるとんでもなく長い髪がばさりと波打った。ふわりとやわらかい香りがただよう。
ふるふると震えているのがよく分かった。何をそんなに緊張しているのか、ナルトにはさっぱり分からない。生まれたときから緊張という言葉はナルトから遠く離れている。
とにもかくにもそう頭を下げられて、ナルトは思わず一歩下がっていた。上半身は思いっきりのけぞっている。
予想だにしなかった少女の行動に呆気に取られて、ぽかんと黒髪とその後頭部を見つめる。小刻みに震える少女は、いつまでもいつまでも頭を下げたままだった。ナルトもまた、少女の頭を見つめたまま。ひどく奇妙な光景のまま、時間が過ぎる。
その時間はなにやらとんでもなく長く2人に圧し掛かり、見えない圧力をかけられているように何一つ動くことが出来なかった。
ピーーーーーーーーー
「うわっっっっ!!!!」
「きゃっっ」
空気ぶち壊しのやかんの音によって、奇妙な硬直は解かされた。ナルトは慌ててやかんの火を止めて、少女は目をまん丸に見開いて顔を上げる。
張りつめた糸がブチリと切れて、少女の緊張はどこかへ飛んだようだった。何がおかしいのかは分からないが、どこかおかしくて、少女は小さく笑った。
背後から聞こえた、鈴を転がしたような小さな笑い声に、ナルトは驚いて振り返る。
そこではひたすらナルトを警戒していた少女が、やわらかくやわらかく笑っていた。あたたかな、太陽のような笑顔で。
「………」
ナルトは小さく息をついて、笑う。
「あのさ、飯、一緒に食べようってば」
そうナルトがラーメンを片手で差し出すと、少女はそれはそれはゆっくりと頷いた。いらいらするほどのそのテンポが、彼女の持つテンポなのだろう、と、ナルトはようやく理解した。
三日月はしずしすとやわらかく世界を照らし、けれどそれは街の光に遮られて地上まで届かない。
その、届く事のない光を求めるようにして、夜の街の中、どこよりも高いマンションの屋上に一人の女が立っていた。
真っ赤なロングドレスとうねる黒髪を風になびかせて、月を見上げる。
ロングドレスと同じ色をした瞳が、驚くほどに夜の闇に映える。真っ白な肌を惜しげもなくさらし、女は紅をひいた唇で笑った。
ぺろりと唇をなめた舌は鮮やかに赤く。
その、次の瞬間には、屋上にいなかった。
かき消すように姿を消した女は今、空を跳んでいた。文字通り、言葉通り、高く高く跳躍し、月に重なるようにしてその身体をしならせる。
熟成した体のラインが月の光に照らされた。
長いドレスの裾をひるがえしながら、高層ビルから飛び降りた女は、音もなく地上に着地する。建物の間をすり抜けるようにして舞い降りた影に、気付く人間はどこにもいなかった。
人間にあり得ない跳躍力と重力を無視した動きを見せた女は、悠々とドレスをなびかせ、歩き出す。
街の喧騒も光も届かない暗闇で、どこにぶつかる事もなく、その足取りに迷いはない。やがて目的の場所にたどり着いたのか、女は足を止め、目の前の扉に鍵を差し込む。
扉を開けば、僅かな光が零れ落ち暗闇を照らす。中に足を踏み入れると同時、女にとっては聞きなれたがなり声が耳に届いて、小さく笑った。
「バッカだなーヒナタは。まーた獲物を逃したのかよ!」
こげ茶色の、あちらこちらにはねた短い髪と、鮮やかな真紅をした…人間にあり得ない縦に開いた獣の瞳。怒鳴りつけた遠慮のない少年の言葉は、ヒナタと呼ばれた少女を萎縮させた。小さな身体をなおも縮こませるようにして、少女は両手を握り締める。長い黒髪と真白い異形の瞳を持つ、ナルトという青年が拾った、あの少女だった。
少女はその真っ白な頬に赤く染めて、何かを言おうと口を開き、閉じる。少年の言葉は乱暴だったが、言っていることは事実だった。
その様子に、少年はけらけらと笑って、足元から黒い塊を引きずりだした。黒い塊は短い黒い髪を持つ男。土気色の顔で、眉間にしわを寄せたままピクリとも動かない。呼吸はひたすらに薄く、僅かに胸が上下しているのが見て取れる。
俯いていたヒナタは丁度その男の顔が目に入り、僅かに目を伏せた。ただ、こんな状態の人間がこの場にいることにはまるで驚かない。
ふと、部屋の隅にいた黒い丸眼鏡の少年が声をはさんだ。こちらもまた、ヒナタと少年と同じ年頃の少年。2人と違うのは、2メートルもありそうな高い身長。黒眼鏡に隠された瞳は見えないが、その色は淡い琥珀をしているのだと2人は知っている。
3人の共通点は、ただ黒髪であるということだけ。
「…ヒナタ。俺達は捕食者だ。血がなければ生きれない。分かっているだろう」
「う、うん…そう、なんだけど…」
「シーノー、説教は勘弁な! そんなのもう聞きあきたっつーの」
「………お前には言いたい事が山ほどあるが」
「きっ、キバ君…シノ君…っ?」
キバと呼ばれた獣の目を持つ少年と、シノと呼ばれた黒眼鏡の少年は、ヒナタを間に挟んで睨み合う。
足元には土気色の男が死体のごとく転がっている。けれど既にその姿は誰にも認識されていなかった。
「…元気ねぇあんたたち」
あきれ果てたような声に、3人はぴたりと動きを止めた。
半分だけ開いたドアと、その前に立つ赤いドレスの女。華奢なヒール靴をぽいと投げたかと思うと、肩を覆い隠した髪を後ろになぎ払い、3人の間に割り込む。足のつま先が床ではない物に触れたことで、ようやく足元の男に気付いたようだった。
軽く伏せた赤の瞳が、白けた視線で男の全身を撫ぜる。次の瞬間にはつまらなそうに3人を見回し、問いかける。
「なぁに? これ。不味そうね」
「そこそこ上手かったぜ? っつか、ヒナタの餌」
「…………」
キバの言葉を受けて、視線は一番小さな少女に集中する。
その視線にびくりと身をすくませ、それから長い黒髪を両耳にかけると、ゆっくりと倒れた男の横にかがみこんだ。
小さく息をついて、白い首筋に視線を注ぐ。僅かに血管が浮き出ているのが見て取れ、ヒナタは小さく唾を飲み、両手を床についた。幾らか逡巡するように男の横顔を眺め、両手を軸に低く低く身を縮める。
それから、ゆっくりと、ゆっくりと……噛み付いた。
ヒナタの口の中からのぞいた、異常に発達した犬歯はやすやすと男の皮膚を突き破り、ぶつり、と音がして、血が盛り上がる。その一滴も零すまいと、ヒナタは強く唇を押し付け、その血を口内に運び、嚥下する。喉の奥をそれは満たし、熱を持って体内を駆け巡る。その感覚を恍惚と味わいながら、血を口の中で味わい何度も嚥下し、それでもまだ足りないと、求める。最後の一滴も吸い尽くすように、牙を引き抜いた後も愛しおげに傷口をなめた。
「何だよ、相当腹が減ってたんじゃん。なのに餌を逃がすなんてほんっと馬鹿だな」
「やーねーキバ。それがヒナタの可愛いところじゃないの」
「………そういう問題ではないと思うのだが」
ヒナタの奇行に、誰も動じなかった。当たり前のようにその光景を見下ろし、会話を行う。
なぜなら、彼らにとってそれは確かに当たり前の光景だったから。
昔語りに囁かれる人間の血を吸う化け物。…俗に、吸血鬼と呼ばれるそれが、ヒナタであり、この場に存在する生物だった。
それは血を吸うことで生命を維持する生物。
だから、彼らは夜に人間の血液を求め、街を歩く。そして手頃な獲物を見つければ、後は適当に目立たないところに呼び出し、血を吸うのだ。
…本来ならヒナタもその筈だったのだが…。
結局のところ、ヒナタ一人で血を飲めた事は一度もない。生来の人見知りと極度の緊張症で、見知らぬ人間に話しかける事なんてことは全くできず、話しかけられたとしても緊張で固まり、逃げ出す事がほとんど。先ほども、ものすごく上等の餌がいたにもかかわらず、急に話しかけられたことで緊張しすぎて頭が真っ白になり、挙句気を失ってしまった。更にはその餌に面倒を見てもらう始末。
キバやシノ、女に貰った餌でヒナタは生き延びている。
その事に感謝しながらも、一方でこのままではいけないという想いがある。口に出す事こそなかったが、その想いがあるからこそ、ヒナタは街に行く事を止めようとはしないのだ。
(………明日こそは、頑張ろう)
そう決意を新たに、ヒナタは一人頷いたのだった。
ナルトが目を覚ますと、普段自分の部屋でする筈もない芳しい匂いが充満していた。どこかの家の朝食の匂いでももれてきたのかと思い、切ない吐息を零す。なんせ一人暮らしを始めてからは、まともな朝食など一度も拝んでいないのだ。朝食だけの話でもないが、上手い朝食を食べているであろう、近所の住民にやり場のない怒りを覚え、更にため息をついた。香りが食欲を刺激し、胃が空腹を訴える。仕方なくベッドから立ち上がり、台所へと足を運んだ。
とりあえずお湯を沸かさなくてはならない。
ラーメンは好きだし、簡単でいいが、我ながら栄養が偏っていると思わなくもない。生欠伸を変に飲み込み、がりがりと頭をかきながら水をやかんに入れる。
「……………………………?」
やかんを2つあるガスコンロに置こうと思ったら、見慣れない鍋が目に入った。…正確には、見慣れてはいるが、置いてある場所が見慣れないのだ。ナルト自身が買った鍋であるにも関わらず、ほとんどまともに使ったことのない鍋の一つ。
しばし、鍋を前にして考える。
鍋なんか使っただろうか?
…使っていないはずだ。昨日の夕飯はカップラーメンだったのだから。
「…………あれ?」
昨日の夕飯は確かにカップラーメンで。
けれど、確かにいつもの夕飯とは違った。
ふと、思い出すのは、真っ白な、真珠のような丸い瞳。
「…あいつ、は…」
寝起きの頭がようやくまともに動き出して、ナルトは思わず後ろを振り返る。確か、リビングに布団敷いて、そこに寝かして、自分もそのまま寝たのだ。
…ベッドを譲る事も、同じ部屋で寝ることも断固拒否されたので、そうなった。
布団はきっちりとたたまれていて、少女の姿はどこにもない。
よくよくリビングの見てみると、テーブルの上に見慣れないものがあることに今更ながら気がついた。
ここ最近食べた記憶のない、白いご飯。
芳しい香り漂う豆腐とワカメの味噌汁。
焼き魚と、大根と人参のなますと、小松菜の煮びたしと、レタスきゅうりトマトのシンプルサラダ。
朝ごはんだった。
どう見ても。どこからどの角度でどれだけの時間見てみても。
朝ごはんにしか見えないものがそこにあった。こんな材料家にあっただろうか、とか、炊飯器なんてなかった筈だ、とか、色々気になることはなくもなかったが。
「…………………」
半信半疑で、味噌汁に手を伸ばしてみる。一つ一つ丁寧に張られたラップをはがして、口をつけた。
「……………………………うん」
既に冷めてはいたけれど、ひどく、懐かしくて、ひどく、優しい味がして。
………ほんの少し、泣きそうになった。
2007年12月8日
現代吸血鬼なパラレルで☆
もう漫画から離れすぎてすみませんuu
8班好きなのに中々8班を書いていないことに気付いて、8班で行こう! って思いました。ので、ナルトとシカマルの2人はおまけ的に出てくるつもりだったんですけど、いつのまにかシカマルの出番はなくなってました(笑)
紅の名前出なかったんですけど、紅です。
紅が8班メンバーを吸血鬼化。
吸血鬼物が好きですみません。