『葉月と８班と』







「ヒナタ、火影様が呼んでいるわよ？」

　紅の言葉を、少女は一拍置いて理解した。曖昧な表情になって疑問符を浮かべる。
　見れば紅も同様で、不思議そうに眉をひそめている。
　自分が火影様に呼ばれることなどありえないはずだからだ。
　そう、殻の私はただの下忍の一人。下忍の一人である自分を、わざわざ火影様が指名することなど不可解でしかない。

「…え…な…なんで…？」
「さぁ？任務にはまだ時間があるから、早く行ってきなさい」
「は…はい」

　脅えた顔をする黒髪の少女を励ましながら、紅は不思議でならなかった。
　多分その気持ちが顔に出ていたのだろう。ヒナタが不安そうにおどおどと紅をうかがっている。

「さ、さっさと行ってきなさい」

　言葉と共に表れた満面の笑みに、ヒナタが深く頭を下げて走り去った。




「―――で、何の用ですか」

　その、そっけない一言に火影は思わず噴き出す。
　扉を開けて入ってくるまでは、おどおどとした態度だったのが、入ってきて真っ先に言った言葉がこれでは、笑いたくもなるだろう。

「いや、いきなり呼びつけて悪かったの」
「全くです」
　
　はっきりと、迷惑ですと顔に書いてある。

「まあ、そう言うな…お前に用があってな」
「殻と私のどっちにですか？」
「”黒の死神”にだ」

　それはヒナタの暗部名である、”葉月”の通り名だ。
　ヒナタは大分前から２つの顔を持っている。

　日向家の落ちこぼれ。日向ヒナタ―――
　暗部”黒の死神”葉月―――

　それを知っているのは火影のみで、葉月は自分のもう1つであるヒナタの存在を”殻”と呼ぶ。
　本当の自分を悟らせないため造られたもの。

「第一、紅に呼ばせるとはどういうことですか？紅だってバカではありませんよ？」

　自分の担当上忍をあっさりと呼び捨てにし、冷めた視線で火影を責める。
　予想通りの反応に大きくため息をつきながら、火影は机の上に置いた紙に軽く視線を注ぐ。

「それは分かっとる…急用でな。動けるのがお前だけで、お前が最も都合がいい」

　その言葉に何かを感じて、探るような視線を火影に注ぐ。

「まさか、今回の任務…」
「その通りじゃ。裏切り者がいる。今回のおぬし達の任務は、そいつの仕組んだものだ。おぬしの任務はそやつの始末」

　火影が何枚か閉じられた紙をヒナタに寄こす。
　ヒナタも見たことのある顔だ。

　―――上忍か…。

　経歴や家族、交友関係を冷めた目で追いながら火影に尋ねる。

「目的は？」
「………白眼じゃ」

　一瞬だけ、紙をめくる手が止まった。本当にわずかなその動きを火影は見逃さず目を細める。

「こんなものがそんなに欲しいんだ」
「今回の任務。確実にそやつが接触してくる。追い払うだけなら紅でもよいが、そやつはここで潰したい。第一紅とそやつは友好関係にある。…腕が鈍ることもあろう。…よって、接触前に潰せ。そやつのほかに４人、他国の協力者がいる。早めに動くのがよかろう」
「そうですね。……火影様」
「………………なんじゃ…………」

　不吉な予感をひしひしと感じながらその声に答える。
　微妙ににじみ出るヒナタからの威圧感―――。

「いくらなんでも今日の任務をこのタイミングで、しかも紅を通じて命じるなんて…」
「……………」

　じっとりとした汗が火影の背を流れる。
　次第に高まる威圧感―――

「確実にそちらのミスですよね？」

　にっこり笑った姿は年相応の笑顔だが、ひたすらどす黒かった。
　チャクラが煙のようにヒナタの身体から、立ち昇っている。

「……確か、下忍の合同任務がきておったな…」
「本当？」
「…どうやら７班８班に決まりじゃの…」

　ぱっと笑顔を輝かせたヒナタから、さっきまでの威圧感やチャクラが吹き飛ぶ。

「それでは、私は任務がありますので失礼します」

　足取りも軽くヒナタは火影に背を向ける。
　扉を開けるときには、すでに”殻”の内気な少女の動きに戻っている。
　素晴らしい演技力である。
　いや、ヒナタの場合は演技というより、それが完璧に身についているのだろう。

　あまりに小さな時から己を演じていたために。
　そのすべては日向の一族から抜け出すため。
　そのために落ちこぼれを演じ、気付かれぬよう力を求め火影の元へ現れた。

「…よく笑うようになったのう…」

　たくましくもなったが―――
　思わず苦笑する。
　昔は違った。冷たい氷のような瞳をして、感情の起伏はほとんどなかった。
　力だけを求めていた。

　変わったのは金色の宝物を見つけてから。
　彼を追う視線だけがヒナタと葉月を結ぶもの。




「ヒナタおっせえよ!!!」
「…珍しいな」

　飛んできた言葉にヒナタは身をすくめて、チームの仲間達を見る。
　やはり納得がいかない様子の紅をかすかに観察しながら。

「ご…ごめんなさい…」
「キバ。ヒナタは用があって私が行かせたのよ。それより早く任務に行くわよ？」
「あー？今日はなんなんだよ」
「探し物よ」

　それは、８班にはひどく向いた任務だ。
　ヒナタの白眼。キバの鼻。シノの蟲。
　わざわざ８班に向いた任務を持ち出し、罠にはめる。そしてヒナタをさらい白眼を手に入れる。

（ばかばかしい…）

　それほどの価値が、この目にあるものか。
　血塗られた瞳だ。
　そうヒナタは思う。
　久々に心の底から憎悪と怒りが体中を満たしていた。




（来た―――）

　ヒナタは影分身をつくり、同時に自分の気配をすべて絶つ。
　影分身はヒナタの殻の力量に相応しいだけの力とチャクラを持っている。
　これだけはしっかりしていなければ、怪しまれる可能性もある。
　キバの鼻もシノの蟲も紅の洞察眼もわずらわしい

　今、８班は探し物である首飾りを見つけるために、森中を力をフルにつかって探していた。
　だから余計にわずらわしかった。
　１８前後の全く別の姿へと変化して、巻物から暗部の衣装を取り出し身にまとう。

　面は白に銀をこらした狐。
　ヒナタがそれを望んだ。
　常に狐と共にあるために。

　ヒナタの時とは比較にならない速度で、森の中を駆け抜ける。
　見つからない首飾りを探すキバと赤丸を見た。
　微動だにせず、蟲を扱うシノを見た。
　シノとキバのそばでただ見守る紅を見た。
　だが誰も気付かない。
　もし気付いたとしても、風が通ったようにしか感じなかっただろう。
　やがて、目的のものを見つける。

　葉月となったヒナタは、にぃ―――と唇を歪めた。




　男がいた。
　２０人。
　他国の人間がほとんどで、実力は中忍から上忍レベル。
　男達は視線を合わせ、目標へ足を進める。

　―――と、そこへ。

　静かに…本当に静かに、気配も何もなく、風のように真っ黒な影が舞い降りた。

「……っつ!!!」
「何者だ―――」

（見れば分かるでしょ？）

　くすっ―――と面の中で、嘲る笑みを見せて答えた。

「”黒の死神”と言えば分かるかな？」

　決して高くない、中世的な声。
　真っ黒で艶やかな髪は背中まで。
　細身で高すぎもず低すぎもしない体つきからは、男か女かは判断がつかない。
　その黒衣の下の暗部服はすべて、黒く染まっていると聞く。

「黒の…死神だと……？」
「暗部特別部隊…裏の火影…"黒の死神"葉月―――」

　はっきりと身体を強張らせた男達…。
　その名前はあまりにも有名で―――
　そして、何もかもが不明な暗部のNo.1―――。

「うそ…だろ…？」
「では、見せてあげよう。”黒の死神”の力を―――」

　言うが早いか、葉月は姿を消す。
　―――いや、消えたように男達の目には見えた。
　それほどまでに速い。
　次の瞬間には男たちの真っ只中にいた。
　葉月を中心に血煙が上がる。
　いつ持ったのか、手には一振りの刀。
　その速さゆえか、一滴の血もついておらず、今まさに研いだばかりだと言わんばかりに、鈍い光を放っていた。

　誰かが悪夢だと言った―――。
　次の瞬間にはその誰かの命は消えている。
　現われては…消える。誰か一人の命を奪って―――。
　最後の男の前に葉月が立ったとき、その面は返り血でどす黒く染まっていた―――。
　"黒の死神"の名前の由来…そのままに―――。

「残念でしたね、裏切り者さん？」
「…バカな…」

　信じられないように、男…木の葉で上忍をしていた男はうめいた。
　誰もが中忍以上の力を持っていた。
　上忍の中でも暗部に入るほどの男もいた。
　それが印を組む間もなく…血まみれで事切れていた。
　しかも目の前の”黒の死神”は一回も術を使っていない。
　純粋な刀術だけだ。
　実力があまりにも違いすぎた。
　葉月が男の首筋に刀を突きつけたまま、ふと思い出したように口を開いた。

「そういえば、白眼が欲しいのでしたね？…冥土の土産にこんなものはどうですか？」

　軽い音がして、葉月が子供のサイズに縮んだ。
　目を見開く男に、ひどくゆっくりと…
　刀を持たない方の手で…葉月は




その狐の面をはずした―――。




「バカなっ―――!!!!!!」

　そして、男の首が飛ぶ。
　目を限界まで見開き、驚愕の形に顔を歪めたそのままに。
　欲しかったものを視界に捉えながら―――飛んだ。

「さようなら、裏切り者さん」

　ヒナタが口の端を歪めて―――。
　殻の笑顔を顔に浮かべた。




「何でこんなものが欲しいのかしらね？」

　ヒナタは歪んだ笑顔を浮かべて、首を傾げる。
　ひどく可愛らしい動作だが、顔中にさっきの男の返り血を浴びていた。
　暗部の服はそのままに、葉月の姿へ変化して、面を被る。

「まぁ…素直にあげるわけにもいかないんだけどね」

　それが、どれだけ呪われた血の上に成り立つ瞳だとしても。
　これはヒナタの瞳なのだから。

「さて…と、帰りますか」

　血まみれの状態で影分身と入れ替わるのは出来ない。
　一人ごちると、任務は影分身の方に任せて帰ろうとする。
　…とそこへ。
　何かが葉月の目の端で光った。

「………？」

　男の懐。忍び装束からこぼれた何か―――。
　きらりと光るそれを葉月は拾い上げる。

「なるほどね」

　何か―――唇を歪めて、その首飾りを見つめた。
　依頼を受けた首飾り。それに違いなかった。

「時間がかかるはずね…」

　８班にしては長くかかる探し物任務だった。
　それはここに探し物があったからだったのだ。
　殻の姿で現われるわけにはいかない。さすがに身体に染みついた血の匂いまでは消せなかった。

「失敗…」

　小さく舌打ちをして、それでもこの惨状を８班の前にさらすよりは。と、心を決める。
　その首飾りを握り締めてすべての気配とチャクラを絶つと、来た時と同じように森の中を駆け抜けた。
　白眼を使わなくとも、その気配で大体の位置は掴める。

（キバのヤツ…チャクラも気配も垂れ流しだわ）

　敵に自分の居場所を教えているようなものだ。
　情けないを通り越こして呆れるしかない。
　まぁ確かに探し物任務に気配を消す必要もないだろう。
　苦笑しながら葉月は紅の斜め後方へ降り立つ。

　だが紅は気付かない。
　もちろん下忍２人もだ―――。

（いいのかな？上忍レベルがこんなんで…）

　だが葉月なら暗部レベルの人間相手でも、全く気付かれずに近づくことが出来よう。
　上忍になって日も浅い紅では、気付かないのも当然だ。
　仕方なく葉月は気配を少しずつ開放する。

　紅がはっとして葉月を見た。
　驚愕の表情。これだけ近くに人が来ていながら、全く気付けなかったのだ。
　それも当然のことであろう。

「…暗部がなぜ？」

　葉月が抑えていた匂いに敏感に気付き、紅は顔をしかめた。
　血の芳香。
　それが葉月の身体を包んでいる。

「これを届けに」

　一言。
　中性的なそれと共に、紅の目の前に依頼品が差し出される。
　眉をしかめて受け取ろうとして、勢いよく走って来た赤丸がそれを邪魔した。
　葉月の手から首飾りをもぎ取った赤丸は、そのまま走り、こちらに駆けてくるキバに届ける。

「よーし赤丸。よくやった!!……ってあれ？」
「キバ…あんた…」

　思わず言葉を漏らす紅に葉月はただ苦笑した。
　キバの気配も赤丸の気配も気付いていた。
　シノもこっちに向かっている。
　血の匂いに顔をしかめる面々を、狐の面が見渡して、最後にやってきた自分の影分身を見つめる。
　自分に対して、脅えたように身体をちぢこませ、泣きそうな表情で足をすくませる。

　大した演技だ―――。
　自分のことながら感心してしまった。

「それでは私はこれで―――」
「待って―――その狐の面は―――」

　紅の言葉と同時に葉月の身体が跳ね上がり、手近な木の上へ収まる。

「―――正解ですよ。紅さん」

　４人…いや３人には、その面で見えない葉月の顔が笑ったように思えた。
　そのまま葉月の姿が消え去る。
　実際はただ単純に移動しただけであったが、その動きは紅にすら見えなかった。

「………っっ!!!!」

　葉月が消えた瞬間、下忍の３人が力なく座り込んだ。息が荒い。
　紅も身体全体ににじむ、その嫌な汗を感じながら、長く長く息を吐く。
　それほど圧倒的な威圧感がさっきまではあった―――。

「なんなんだよっ!!!あいつはっ!!!!」
「…すごい…血の…匂い…」
「……あれが暗部―――」

　三者三様の言葉に紅が振り返る。

「あれは暗部の中でも特別よ―――」
「特別っ!?どういうこっだよ!?」
「あれは暗部特別部隊の一人で…里最強の暗部。裏の火影とも言われてるわ―――」
「裏の…火影…？」
「そう…それほどまでの力を持つ存在―――”黒の死神”―――葉月…」
「―――黒の死神…」

　呆然とする３人を他所に、紅は考え込む。

（まさか本当に存在したなんてね―――。カカシ辺りなら正体知っているかしら？）

　一度聞いてみようと、紅は一人目を細めた。
　その正体が間近に存在する者だとは、全く知らずに―――。
　とにかくも任務は終了で。

　後日、７班と８班の合同任務が行われたということだ。