「テマリ…カンクロウ…すまない」
『戦いのあと』
ほとんど動かない我愛羅の身体を支えながら、テマリとカンクロウは木々の間を駆ける。
ここは火の国。
この里を出るまで、油断することはできない。
いまやここは同盟国ではなく、敵国となったのだから。
そして…
我愛羅の言葉。
テマリもカンクロウも考えていた。
言われた瞬間、何を言われたのかさえ分からなかった。
言葉が頭の中を一巡し、脳の中へ浸透するまで、2人は長い長い時間を要した。
初めて言われた言葉。
これまでの我愛羅では信じられないような言葉。
―――驚いた。
幼い頃から顔をあわせる事すらほとんどなく、弟だと思ったことすらなかった。
むしろ自分と血のつながりがあるとは思いたくなかった。
里中で忌まれ、疎まれてきた少年。
そして、全てを跳ね除けて、ここまで育った。
―――昔
カンクロウは弟が欲しかった。
いつもテマリに面倒をみられてばかりなので、自分も面倒をみて、何かを教えてやりたかった。
テマリは兄弟が増えるのが嬉しかった。
兄弟というのは一種の絆で、あまり相手をしてくれない父や里人と育ったから。
母と兄弟というものが心を許せる大事なモノだった。
それが何故こうなったのだろう。
心から欲しかった存在。
その兄弟は切り離され、分からぬままに弟は忌むべきものとなった。
それは何故?
…それはきっと。
自分達が彼を理解しようとしなかったから―――。
周囲に言われるままに、幼い彼から離れてしまったから。
それはなんて寂しいことだっただろうか?
幼い日々のことが2人の頭を駆け巡っていた。
と。
我愛羅が顔を上げる。
「テマリ、カンクロウ」
その声に、2人ははっとして周囲を伺う。
そういった声だった。
身を寄せて、息を潜めて辺りを探る。
そこへ、ひどく鮮やかに、1つの影が舞い降りた。
「…生きていたか…」
ぽつりと…どこか、いつもと違う感じの我愛羅の声。
それは、喜び…というのかも知れない。
それは、畏怖…というのかも知れない。
とにかく我愛羅の声がテマリ・カンクロウの両名を我にかえらさせた。
我愛羅の身体を支えながらも、油断なく己の武器に手をかける。
チャクラも体力もないに等しい。それでも視線を這わせ、逃げ道を探す。
だが、黒い髪を持つ、すべてを黒へと染めた暗部服を着る人物は動かない。
その暗部の面に、テマリは一瞬目を見開き硬直した。
なぜならそれは…上層部のみが知る、木の葉の暗部最強の証…裏の火影”黒の死神”葉月の面であったから。
テマリが知っているのはその面が、その暗部を示すということとその圧倒的な強さだけ。
木の葉に行く際、テマリだけが先に聞かされていた相手だ。
だが小さい。
その影はテマリよりもずっと小さく細い。
「だから言ったでしょう?我愛羅、貴方の力では私を殺せない。ましてや、力を使いこなせぬ貴方相手に、私が死ぬことはありません」
「………その格好なんだな」
「ええ。さすがに私も相手が多すぎまして、影分身や変化に力を使いたくはありませんから」
涼やかで、高い声。
どこかで聞いたことのある声に、テマリとカンクロウは記憶を探るが、霧がかかったように思い出すことは出来ない。
その高さから、おそらく女だと気付かせる。
「我愛羅…。知っているのか…?」
「…あぁ」
「貴方達も知っているはずですよ。私のことは」
「あぁ?誰じゃん?」
「頼み…というか。話があるのですがいいですか?」
「……ああ。聞かせてくれ」
「テマリ!?」
とっとと逃げるつもりだったカンクロウは目を丸くして、自らの姉を見上げる。
我愛羅はただ目の前の暗部を見つめている。
「カンクロウ。落ち着け。ヤツからは逃げられん。話を聞くのがどうやらヤツ逃がしてもらえる条件のようだ」
「その通りですよ。貴方達は価値がありますから」
「…分かったじゃん…」
その暗部の言葉…というよりも、テマリの顔に浮かぶ恐怖と焦りに釣り込まれるように、カンクロウは頷く。
「では、単刀直入に言います。貴方達の父親は死にました。いえ死んでいました。ここに来ていた風影は大蛇丸です」
「何だと…?」
「ま…まさか…うそじゃん…」
「そして…火影様…もまた命を落とし、大蛇丸は重症を負うも逃亡」
感情をあえて抑えた抑揚のない声。
そこに隠されたものは何か。
「風影の子らに願う。火の国との同盟を結び、大蛇丸そして音忍を落とすことを」
願う―――と。
暗部は頭を下げた。
木の葉暗部最強の剣。黒の死神が―――。裏の火影と呼ばれる葉月が―――。
自分達に向かって頭を下げている―――。
それはひどくテマリを驚かせ―――戸惑わせた。
葉月の言うことは風の国にとって、願ってもないことだ。
「…分かった。風影の長子テマリの名において…必ず果たそう」
「…助かります。それから…我愛羅」
「………」
「―――ねぇ。変われたでしょう?」
不意に、葉月の声の調子が、がらりと変わった。
温かく落ち着いた…柔らかい声。
その面で表情は分からないが、3人は葉月がなぜか微笑んでいる気がした。
テマリとカンクロウは2人の言うことは分からない。
ただ2人を見比べる。
ただ…確かに我愛羅が変わったような気がする―――。
「…そうかもな…」
「ねぇ。我愛羅。私も化け物のようなものだから。貴方が解るわ。それが私の力だから」
「その…力とはなんだ」
「…解るの。最近はコントロールできているのだけど…私は人の心も力も記憶も…全てを読み取る力を持っているわ」
それは確かに、化け物といわれる力。
人の心を読む。
テマリとカンクロウはその気味の悪さに、身を震わせた。
そしてテマリはその話し方から葉月が女なのだと確信を抱いた。
どこかで聞いた声。
そこから、木の葉で会った女性の忍を、その身体的特徴と共に探し出す。
だが靄がかかったのように分からない。気付けない。
「今は遮断することが出来るけど、昔は全てが私の中に降りこんできた。醜い心。卑しい心。なんて汚い…」
ぶるり…と身を震わせる葉月に、我愛羅が口を開く。
「俺の心も読んだのか…」
「いいえ。貴方は流れ込んできた。まるで昔のように。私が築き上げた心を遮断する壁をあっさりと突き抜けて。それは貴方の思いがとても強いから。誰よりも強い意志と切ない想いをもつから」
「………」
「私と…似てるから…。だから同調したのかもしれない」
すっ―――と、初めて葉月が我愛羅の前に姿を現したときのように近づく。
今度は砂も動かない。
それは受けた傷のせいかもしれない。
我愛羅も無理を悟っただけなのかもしれない。
けれど…再び力を封印した葉月にはうれしかった。
違うのかもしれない。
けれどこの少年は変わった。
私が少しだけ変われたように。
前と同じようにその頬へ触れた。
一瞬我愛羅の身体が震える。
テマリとカンクロウが驚きに眼を見張り、ただ見守る。
「怖かった。だから全てを憎むことで隠した。自分のためだけに生きることで自身を確立させた。だけどそれはとても寂しいわ―――」
ゆったりと微笑んで、我愛羅の頬を掠めるようにして撫でた。
我愛羅の目が少しだけ怯えて、だがそれを受け入れた。
暖かいぬくもり。優しい心地。
「…お前は…今のままでいいのか?」
「…私は引き返せない道に迷い込んでしまったの。もう戻れない。帰る道もない。でも後悔はしていないの」
「そうか…」
「また来てね?私はここに居るから」
「いいのか…?」
「うん。貴方の前では私は私でいられるから。初めて出来た本当の友達だから」
「…ああ…。オレもだ」
たった一度の邂逅。そしてこれが2度目。
真実の姿ではそれだけの出会いなれど、そこに生まれたものは大きい。
友達。
本当はずっと心から欲していたもの。
いつ以来だろう。
こんなにも胸が暖かく心地よくなるのは。
夜叉丸―――。
遠い昔に失ったもの。
それでも彼が自分に残したものは大きく。
…我愛羅は一度何かを思い出すように目を瞑り…おずおずと、ひどく怯えた動作で手を差し伸べた。
初めてする行為。
葉月は仮面の下でふんわりと笑った。
それが我愛羅には分かった。
「友達」
「…うん」
力強く。だが包み込むように優しく。
2人は初めての握手を交わした―――。
「それじゃあ…もう行くね?我愛羅。私はまだやらなきゃいけないことがあるから」
ゆっくりと手を解いて、葉月は我愛羅に微笑む。
見えないと分かってはいても、他人の感情に敏感な彼が少しでも安心できるように。
「ああ…」
我愛羅もほんの少しだけ微笑んだ。
それはテマリもカンクロウも知らない我愛羅の素顔。
微笑みを忘れていた顔が、久しぶりの感情に驚いたかのように痙攣した。
息を呑んで、2人の空間を見守ることしか出来なかったテマリらに、葉月は振り返る。
「砂忍は出来るだけ殺さないようにしますが、私の邪魔をするようなら容赦は出来ません。早いうちに上の方と連絡を取り合って、引かせてくださると助かります」
すぅ―――っと、冷たくなった空気に、テマリもカンクロウも動けない。
微かに震えるのをこらえながら、テマリはゆっくりと息を吐き、答える。
「分かった。一つだけ聞いてもいいか―――?」
「何でしょうか?」
「貴方は何者だ?確かに聞いたことがある。知っているはずだ。それは分かる。だがどうしても先に進めない。霧がかったかのようにお前の正体が見えない」
「君子危うきに近寄らず。という言葉を知っていますか?」
「知っている―――。誰に言うわけでもない。ただ私は知りたい。私たちに全く正体を悟られずに私達と出会ったお前の姿を」
それは単なる好奇心。または知識の欲求。
知らないものを焦がれるように求める―――人のさが。
テマリはそれが他より強い。
人の心を読むという葉月の力を知って、葉月を恐ろしく思いながらも、それでもそれを抑えきることは出来ない。
葉月は彼女をうらやましいと思った。
彼女は純粋に知識を追い求めることが出来る。
葉月は追い求める前に嵐のように詰め込まれた。
自分から求めたわけでない。
今では何も知りたいとは思わない。
嫌というほど様々なものを見てきたから。
「…まぁ。いっか?いいよ。見せてあげる。願い事頼んじゃったしね」
一人ごちて、葉月はその面に手をかけた。
「でも気付くと思ったんだけどな?」
言いながら。
現れたのは一人の少女の苦笑気味の顔。
「―――!!!!!」
「…マジ…?」
大いに引きつった顔のテマリとカンクロウにヒナタは微笑んだ。
殻とヒナタ自身が呼ぶ、誰もが知る日向宗家の長子とは全く違う、強い意志をはらんだ瞳で。
「そんなに分かんなかった?黒髪だし髪型一緒だし。一番小柄だしね」
その特徴に当てはまるのは、テマリらが会った人間では彼女しかいないだろう。
だが―――
それでも気付かなかった。
あまりにも受ける印象が違いすぎて。
「…分からなかった…本当にあの日向ヒナタなのか?チャクラの質も何もかも違うじゃないか」
「一緒だったらばれちゃうでしょう?私は私だよ。貴方たちの知る私は殻。私が作った殻の姿。日向の落ちこぼれの…気の弱い大人しい子供」
「…そうか…ありがとう…すっきりした」
「え…っと…それだけ?」
少し、あっけにとられたかのように、ヒナタは口を開いた。
テマリはかすかに微笑む。
「なんだか、よくは分からんが…うちの我愛羅が世話になったみたいだしな。そうだな―――何故暗部なのか、とか。何故演技をしているのか、とか…いつか聞きたくはあるな。教えてくれるならの話だが」
「っつか…別もんじゃん?あーーー話が見えねーーー」
「カンクロウ…いいからもう行くよ」
「はっ?」
「我愛羅も…行こう?」
「………ああ」
もう一度しっかりと、3人で身を支えあいながらテマリはヒナタに微笑んだ。
「次会うときは、同盟国の忍だ」
そのすっきりしたテマリの表情に、ヒナタは思わず微笑んだ。
「それでは今度こそ」
すでに、至るところに血がとんだ狐の面を、ヒナタは被り、それと同時に姿を消した。
術でもなんでもなく、ただそこを離れただけだというのが、彼らには分かっただろうか。
「我愛羅…カンクロウ…帰ろう?」
ひどく名残惜しそうに、葉月のいた空間を見つめる我愛羅にテマリは言う。
視線は我愛羅と同じ。葉月の居たそこからそれることはない。
カンクロウは混乱したまま、そこから目を離した。
今は何よりもここを出て、砂の忍を留めるのが必要だろう。
「うっし。帰るじゃん?テマリ!!我愛羅!!」
ごく自然に、当たり前のようにカンクロウは言った。
気付いているだろうか?自分が弟の名を畏怖以外で呼んだのは、初めてだということに。
少しだけ、肩を震わせた我愛羅を連れて、3人は動き出す。
木の葉と砂の争いを終結に向かわせるために―――。