『分かれた道の先で』








 その手は私のためにあるのではないと知ってしまった。
 あの日壊れたものは私の中に溜まっていく。
 積もり続ける。いつまでもいつまでも。

 届かない手の平なんていらない。
 自分のためでないものなんていらない。


 それなら。

 壊してしまえ。



 届かないのなら、壊そう。



 全部。
 全部。

 壊してしまえ―――。







「ナルトさん」

 不意に、後ろから呼ばれて、ナルトは顔を上げた。聞き覚えのない声だった。振り向くよりも早く、声の主は前に回りこんでくる。その顔を見て、すぐにそれが誰か分かった。
 凍りついたような白い瞳に、長い、黒髪。
 顔だけはよく知っている。

 ―――日向ハナビ。

 自分の付き合っている人間の妹だ。

「なん、だってば?」

 多少の疑問符と共に目を合わせる。よく、ヒナタに似た娘だ。ナルトは見るたびにそれを感じる。
 特に付き合い始めた頃のヒナタに似ていた。自分の5歳年下、ということは…その頃のヒナタの年と同じなのだから当たり前かも知れないが。

「私の、夫になってもらえませんか?」
「…は?何、言って…」
「好きなんです。愛しています。だから結婚してください」

 あんまりにも唐突な発言に、ナルトは面食らわずにはいられなかった。ナルトがハナビと話すのはこれがほとんど始めてのことだ。彼女の顔を知っているくらいで、他の事は何も知らない。彼女のことをヒナタは何ひとつとして話そうとはしないから。

「わ、悪いけど、俺は…ヒナタが好きだし」
「いえ、貴方が好きなのは私です」

 じっ、と、奥まで見透かすかのように、木の葉の秘宝と呼ばれるオパールの瞳が怪しく輝いた。距離が、じわりと縮まる。
 オパールが。
 乳白色が、視界に、入り込んで。

 ―――逃げられない。

 唇に、柔らかな感触。
 ぞわりと、全身が粟立った。
 なのに。

 …―――それなのに!


「ナルトさん。私のことが好きですね?」

 乳白色に、世界が染まる。

「―――ぁ…」

 俺が、好き、なのは、ヒ、ナ     タ


      ?


 白い、瞳、の、綺麗な


    艶やか、な、     黒  い   髪     の



       お ん な の こ



   ひゅ   うが



「ナルトさん。結婚、して、くれますね?」

 刻み付けるように。うつろな瞳に問いかける。
 くすりと、笑った。
 あと、少し。

 くすり。

 くすり。


 これで、あの女は、傷つくかしら?
 悔しいかしら?
 怒るかしら?
 私を恨むかしら?
 私を殴る?蹴る?殺そうとする?

 うふふ。

 私を殴ったら貴女は苦しむのでしょうね。
 私を蹴ったら貴女は苦しむのでしょうね。
 私を殺したら貴女は苦しむのでしょうね。

 ああ。楽しみ。

 ねぇ、アネウエ?
 貴女はどんな顔をして苦しむというの?

 ―――ああ。ぞくぞくするわ。



 ナルトの唇が、開く。





 俺、が


     好 き   な、の         は





  日向




                 は             な






「―――ナルト君っっ!!!!!!!!!!!!!」






 パシンと、何かが弾けた。



 急激に意識が目覚める。


「―――っっ!!!!!」


 何を、今、考えた?
 呼吸が上手く出来ない。
 自分の思考に答えを求め、見つけた瞬間、全身からどっと汗が流れた。

 今のは、何?



「………あら、アネウエ。どうしたのですか?そんなに汗をかいて」
「…ハナビこそ。こんなところで何をしているの?貴女は日向家当主跡目として忙しいのじゃなくて?」
「ええ、勿論。貴女とは違いますもの」
「それでも、人に喧嘩を売る時間はあるのね」

 ヒナタの言葉に、すぅ―――と目を細め、ハナビの目の周りに軽く血管が浮きでる。

「―――しかし。使えませんね。アネウエ如きを足止め出来ないなんて。日向から消してやろうかしら」
「…もう、止めなさい。ハナビ。貴女こそ日向から抹消されるわよ」
「ふふふ。有り得ないわ。私は日向家当主の一人娘。大事な大事な跡継ぎですもの」

 くすくすと笑いながら、ハナビはナルトを伺う。
 全身に汗をかき、呆然としている風情の、金色の髪をした男。

「それにしてもアネウエ。男の趣味が悪いですね」
「…………」
「けれど、そこの男が貴女にとって不可欠であるというのなら―――…ふふ。楽しみだわ」
「―――ハナビ。それだけは、許さない。日向家を追われようと、父や貴女に嫌悪されようと、忍として生きられなくなっても、私は構わない。けれど、それは、許さない」

 ぞくりと、ナルトは身を震わせた。冷たい、硬い、感情の押さえつけられた低い声。日向ヒナタを知る誰もが、今ここにいる日向ヒナタを知らないだろう。

「…ふふ。貴女の顔がどんなに醜く歪むのか、楽しみでならないわ。宜しいですか?アネウエ。―――貴女に私を止める権利なんてない」
「………………」
「ふふ。あは、はははっ。ああ…楽しみ…っっ」

 笑い続ける少女に、ヒナタは首を振った。ただ、哀れむように。

「………そう。…分かった。もう、戻れないんだね」

 私達は。もう。
 あの、2人で笑ったいつかには、返れない。

「……………………」

 道は、わかれてしまった。
 決して交わることのない、道の上に立っている。


「ぐちゃぐちゃにして、壊して、歪んだ醜い顔を晒させて、貴女の大好きな人たちに見せ付けてやるの。アネウエはこんなに醜くて汚く、卑しい人間だってね」


 凍りついた白き瞳は、憎悪の炎をのせて、ヒナタを貫いた。
 小さかった子供は、いつの間にかその瞳から感情を消した。
 かつてあった無邪気に姉を慕う瞳はもうどこにもない。それを案じながらも、生じた亀裂を埋めることが出来なかったのは自分。全ては、彼女からの信頼を失い、なおも裏切り続けた自分の所為なのだ。

「そう。それなら、仕方ない、よね」

 すぅ、と瞳を細める。この、癖は、紛れもなく彼女に受け継がれたものなのに。私達はこんなにも遠い。
 逃げたのは、自分だ。
 真っ直ぐな瞳を恐れ、日向を恐れ、逃げて、逃げて、金の光に出会った。
 だから、今、こうして逃げてきたものと向き合うことが出来る。

「負けないよ。私は」

 自分達の決着がつくときは、どちらかの死ぬ時だと、断言できる。
 焼け付くような氷の炎に、ヒナタは背を向けた。

「暗部小隊でも日向専属上忍でも連れてくればいい。ぶちのめしてやる。壊したいのなら壊せばいい。私はそのたびに修復する」

 ―――いざとなれば、ハナビを、殺す。
 それで終わりだ。

「………………本当に、愛していたよ。可愛いと思ってた。ずっと一緒に歩きたいと」
「黙れ」
「………………………………だから、ごめん」
「………………」
「行こう。ナルト君」

 遠ざかるその背を、ハナビは追おうとはしなかった。



 背に揺れる、ざんばらな黒い髪。
 ―――長く伸びた黒髪を引きちぎるように断ち切った。

 大儀そうに、足を引きずったその姿。
 ―――任務中、わざと足を狙った。縫いとめられ、吹き出た赤に、笑った。

 既に日向という一族から追い出され、その額に呪印が刻まれているのを知っている。
 ―――父を毒殺する、という罪を作り、自らの温情によって呪印を刻み財を奪い、身一つの無一文で放り出した。その程度で済ませた。


 愛している。
 愛しているだって?

 そんなことは知っている。
 だから貴女は私に手を出せない。

 周りから何を言われようと。
 日向から貴女の存在を消して、貴女に呪印を刻もうと。
 日向の者に命じて貴女を襲わせようと。
 父の愛情を憎悪に変えさせようと。

 貴女は私を恨まなかった。




 けど、その手が一番最初に掴むのは私の手ではない。




 それなら、いらない。
 私のためだけにある手の平でないのならない方がいい。



 気付かないだろう。
 気付いていないのだろう。

 貴女は。
 貴女は分かっていないのだろう。

 何故私がこんなにも貴女を憎むのか。
 何故私がこんなにも貴女を恨んでいるのか。

 それは貴女に才能があったにも関わらず、日向の跡目を放棄した所為じゃない。
 才能を隠し、力を隠し、自分に嘘の姿を見せてきたからじゃない。
 父の、母の、沢山の人の愛情が貴女にしかむけられなかった所為じゃない。


 自分のためにあった貴方の手が、振り解かれた時、道が分かれた。

 私は、自分のためでない手はいらない。
 いざ伸ばしても届くことのない手なんて必要ない。


 ふふ。

 だから、壊れてしまえばいいんだ。

 その手は私のものじゃないんだから。

 ぐちゃぐちゃにして、ぶち壊したい。



 そうしたら、もう、私のモノになるでしょう?




 ふふ。楽しみ。


 ねぇ、ネエサマ。


 もっと、もっと私と、遊んで―――。
2006年9月3日
性格の悪いハナビを書きたかった。
最初考えていたネタとは違うネタだけど…。
もっと派手にハナビを壊れさせたかった…っていうか、どろどろしたかったな…。
うん。まぁ。なんていうか…。
ごめん。ハナビ好きの人(私も好きだ)