『ご褒美を貴女に』








 山中いのはどちらかというと、鋭い方だ。
 多分誰しもがそう思っていて、いの本人もそうして振舞っている。

 ところが実際はどうか、という話になると、そうではない。
 どう違うかと言えば単純だ。
 いのは確かに鋭い。人が思うよりもずっと、ずっと、優れた勘を要している。
 感情の機微に敏感なポッチャリ系幼馴染よりも。
 頭が桁外れに良い面倒くさがりの幼馴染よりも。

 誰が思っているよりも遥かに、ずっと鋭い訳で。
 それを知っているのは今のところ、彼女本人だけだったりする。

 さて、その勘の鋭さを持って、彼女はあるとき悟る。

 アカデミー屈指の落ちこぼれと、有名な旧家の第一子である気の弱い少女のことについて。

 山中いのは桁外れに鋭く、それなりに賢かったから、自分の力量も存在の価値も見極めていたから、心の中にそれをそっと収めて、いつも通りに過ごしてきた。
 ほんの少しだけ覚えた恐怖と困惑を、整理する時間も欲しかったから。

 そんな日々が続いて。
 彼らを見ているうちに、少しずつ、少しずつ、自分の中でいろんな事に決着を着けて。
 こんな日々がずっと続けばいいなぁって思っていた頃、それは、起こった。




 風が吹いていた。
 巻き起こる風の中心にいるのは、2人の小さな子供。
 同期のメンバーの中でも特に小さく、大した力も持たず、落ちこぼれと蔑まれてきた子供たち。

 ―――ヒュゥ

 風が泣く。
 戸惑いを、困惑を、恐怖をのせて。

(あーあ)

 いのは嫌だな、と心の中で呟いた。
 その足元に、肉塊。
 人だったもの。
 今はただのタンパク質の塊。
 だらだらじゅくじゅくした何か。

 隣で、春野サクラが引き付けを起こした様に痙攣して、膝から崩れ落ちる。
 じわり、と、彼女の内からでた液体は血溜まりと混じり合い、消える。

 反対側の隣では幼馴染たちが驚愕の表情で固まっている。その顔に浮かんでいるのは紛れもない恐怖。
 カチリ、とどちらかの歯がなった。チョウジの持ったお菓子の袋が吹き飛んで、消える。

 自分だって、怖い。
 当たり前だ。こんな凄惨な状況、初めて見る。
 忍になったところで、自分たちはほんと下っ端の雑用で、アカデミーにいた頃から大した成長もしていなかったんだなぁ、と学ぶ。
 学んではいた。忍がどれほど過酷で、厳しい道を歩むのか。
 いずれ訪れるその日を恐れつつも、覚悟はしていた。
 死と隣り合わせの人生、という事。

 下忍は覚悟を決めるまで許された、成長の準備期間。

 皆、そう。

 唖然とクナイを握ったまま膝をついている、黒髪の血継限界の少年は、少し違う。彼は、惨劇を知っている。うちはの悲劇を身を持って体験している。
 だからその眼に浮かぶのは、ただただ困惑。そして怒り。

「ヒナタ」

 ポツンと、呟いた黒眼鏡の少年に恐怖は少ない。
 虫を通じてありとあらゆる情報を収集し、見ている一族だから。
 彼は、いのに近い。その性質故に、他の子供より情報が多いから。

 もう一人。
 誰よりも感情豊かに見えて、その実冷静な部分のある獣のような少年は、脅えて震え続ける仔犬をそっと抱き抱える。
 驚くほど冷静で、悲痛な眼。
 彼もまた嗅覚をもって真実を見抜く力を持っている。だから何かと感付くことはあっただろう。

 血が弾け飛ぶ様だけが、いのには見えていた。
 速い。二人の影すらもとらえられず、他国の侵入者だけが切り刻まれ死体となって姿を表す。
 7班8班10班のメンバーが揃っていたのは、ただ単純に、合同任務の後だったから。任務がおわり上忍は姿を消し、緩やかな解散モードに警戒は解け、くだらない会話で盛り上がっていた。
 そんな下忍は、例え将来有望な下忍たちといえども、ただの幼い子供たちでしかなく。

 殺気を肌に感じた時、既に全てが始まっていた。
 どこからともなく一斉に水がうねり、弾け、散弾となり襲いかかってきた。反応など何も出来ず立ち尽くした下忍が、次の瞬間見たのは全員を守るように前に立つ小さな後ろ姿。
 うずまきナルト。一瞬で組まれた印で刀を抜き出し消える。
 日向ヒナタ。既に組み終えた印によって、水弾は吹き飛び、風を纏う結界が現れる。
 結界は何者をも刻む鉄壁の壁となりて、クナイを振り下ろそうとしていた忍が驚愕の表情のまま止まることも出来ず、勢いのまま分断された。
 腕を顔を風にめり込ませ切り刻まれ絶叫する。それすらも一瞬。首から上が消え上半身を吹き飛ばし胴から下が無残に残される。
 血も肉片も風によって吹き飛びその一部は結界の中に弾かれた。

 結末も見届けず、日向ヒナタは姿を消していた。
 まるで風。
 今の今まで共に語り共に笑った二人は風となって姿を消した。

 状況すら理解出来なかった下忍達は、事ここに至って、ようやく事態を把握し始めた。

 そうして、現在に至る。

 全てを終えたのか、ようやく、うずまきナルトと日向ヒナタの姿が現れる。
 彼らの体に、衣服に、顔に、血の一滴も付いていない。
 その事実がどれほど異常で、恐ろしいことなのか、気づけないほど愚かな子供はいなかった。

 消える前の彼らと、今の彼らの違い。
 うずまきナルトは刀を持っている。
 日向ヒナタはその両手に鋭い針を大量に持っている。
 それは些細な事だ。

 とても些細な事だ。
 何よりも違うのは、決してそんなことではない。

 眼。
 うずまきナルトの瞳は赤く輝き、日向ヒナタの瞳は白眼を発動し―――凍りつきそうなほど冷ややかな眼差しを、下忍に向けていた。

 彼らのこんな眼を、誰が見たことがあろうか。

 あの無邪気に夢を語る、負けず嫌いで馬鹿で意地っ張りで純粋な少年は、ここにはいない。
 あの気が弱く、大人しく優しおどおどとした努力家の少女は、ここにはいない。

 引きつった悲鳴にもならぬ叫びは、一体誰から漏れたものだろうか。
 自分じゃなければいいな。いのは、そう思う。
 もっとも、そう思ったことすら忘れてしまうのだろう。
 彼らの正体が誰にも知られていないこと、彼らが暗部だという事。
 つまりそれは国にとってかなり重要な機密事項に違いなく。
 そんな記憶を持った時点で許されるはずがないのだ。
 だから、きっと、記憶は消される。今の山中いのは消される。
 彼らが彼らだった事を忘れてしまう。

「ナルト、お前」
「ヒナタ」

 悲しいな。
 2人は覚えてる。
 自分たちが全てを忘れて、何も知らないままいつも通りに過ごす。
 脅えたまま何も出来ずなかった惨めな私を、彼らは覚えてる。
 彼らに恐怖した自分たちを、彼らは覚えている。
 その残酷なまでの温度差。

 でも、仕方がない、ことで。
 今までにもこうして記憶は消されてきたのだろうか?
 今までにもこうして記憶を消してきたのだろうか?

 だとしたら。
 ナルトもヒナタも、いつまでたっても2人だけ。
 私たちは同期だけど、本当の意味ではきっと仲間でも何でもない。

「あーあ」

 泣きそうだ。目の奥が痛い。
 この悔しさも悲しみも苦しみ切なさも全てなくなる、なんて。

 同期達の声には何も答えず、ナルトが、ヒナタが、手を持ち上げる。
 面倒臭そうに。実に嫌そうに。でも無表情に。

 どこまでも冷たい顔をしているのに、やっぱり辛そうに見えるから。

 だから、いのは記憶を失いたくない。
 そんな我侭が通用する相手じゃないのはわかってる。
 山中いのはいろんな事に気づいてしまうからこそ、許される範囲、限界を、見極めてしまう。

 もう無理なのは分かってしまっていて。
 諦めたくないのに諦めてしまっていて。
 そんな自分がすごく嫌いだ。

 ―――でも、自分は、きっとまた気付く。

 彼らの纏う違和感に。
 彼らが気づかせないようにしている、もう一つの顔に。
 本当はすごく強くて暗部だってこと。
 本当はとても仲が良いんだってこと。

 やたらと勘が良くて、それで得したこともそんなになくて。
 もっと鈍ければと思っていたけど、今回ばかりはそんな自分を誇らしく思う。
 私は気付く。気付くことが出来る。
 彼ら自身が嫌がっても、誰もそれを望まなくても、私は知りたい。忘れたくなんかない。
 何度だって、消せばいい。
 何度だって、記憶を殺せばいい。
 何度だって私は気付く。
 何度だって貴方達を追いかける。

 だから、これは別れなんかじゃない。
 絶望なんかしていない。
 
 強制的に意識が遠ざかっていく。
 それに必死に抵抗しながら言った。

「           」

 最後まで言えただろうか。
 2人に聞こえただろうか。
 聞こえてたらいいな。

 助けてくれてありがとう。
 また会おうね。










 うーん、と山中いのは首をかしげる。
 店番なんて頭の中からすっぽ抜けて、自分の中の違和感を追いかける。
 花屋の中には2人の少年と少女。
 アカデミーでは落ちこぼれで、下忍になれたのが不思議なぐらい。でもちゃんと下忍になった2人は任務だって何度もこなしているし、中忍試験だって一緒に受けた。
 友達だって、仲間だって、言いたいけど、何故だか言えない。そんな相手。
 仲は、悪くない。
 特に女の子の方は、アカデミーのくの一クラスでずっと一緒だったし、口数が少なくて大人しい彼女と遊ぶことは少なかったけど、共に下忍になってからは一緒にお茶に行く程度には仲がいい。
 男の子の方は、どっちかっていうと自分の幼馴染の2人の方と仲がいい。悪ガキばっかり集まって授業はサボるわ勉強しないわテストで寝るわの、とんだ問題児だった。
 下忍になってからは同期だし、連帯感もあったから前よりずっと仲良くなったと思う。なんだかんだ言ってもあの飛びぬけた馬鹿っぷりは面白いし。

 そんな2人。
 少年は鉢植えの観葉植物を持ち、少女は花を物色してる。

「ねーあんた達付き合ってんのー?」
「はぁっ!?!?!? ちょ、いの何言ってんだってば!」
「…あっ、あのっいのちゃん…?????」
「えーだってさーさっきから2人であーでもないこーでもないってさー」

 ちょっとは花屋に相談しなさいよねー、と唇を尖らせてみせれば、ナルトもヒナタも小さく吹き出す。

「ヒナタとは店の前でぐーぜん会っただけだってばよ!」
「う…うん。家に飾る花、買おうと思って…」
「俺だって違う種類も欲しくなったんだってば」
「ふーん?」

 まぁ、元々他の下忍メンバーに比べれば、花屋に来る確率の高い2人ではあった。もっとも幼馴染の2人はのぞくのだが。
 だから鉢合わせしたとしても全然おかしくなかったりはする。

 ―――でも今まではなかった。

 ナルトは任務の合間に家の植物の肥料やらなんやらを買いに来た。シカマルを探してここまで来たこともある。植物が死にそうだと駆け込んできたこともある。
 ヒナタは週に2、3の感覚で花を買いに来る。彼女の場合は墓に供えるような花がほとんどで。彼女がアカデミーの時からずっと続いている。
 だから、ナルトとヒナタが鉢合わせすることはあってしかるべきだったのだ。それが今この瞬間だっただけ。

 ―――そんなはず、ない。

 頭のどこかがそう叫ぶ。
 そんな偶然ある筈ない。
 鉢合わせになることを彼ら自身が避けていたのだ。そうとしか考えられない。
 だって、有り得る?
 もう5年はここに常連の2人が、今日初めて鉢合わせる、なんて。

 それに、今日の2人は違う。

「ほんとーに?」
「ほんとだってば」
「…っ」

 ふん、と自信満々で踏ん反りかえるうずまきナルト。
 こくこくとうなずく日向ヒナタ。

 でも嘘だよね、それ。

 だって、今日は壁がないもの。
 いつもどこか引いている最後の一線みたいなもの。自分の中に踏み込んでくるなって、拒絶の壁。
 誰にも気づかせないようにして作っている壁が、貴方達は2人揃うとなくなるんだよ。
 微妙な空気の変化とか、顔の表情のつくりとか、動作とか、いつもよりずっと優しくてどこか切ない。
 今の2人なら恋人同士だって言ったって全然おかしくない。
 2人でいるのを見る機会が少ないから今まで気付かなかった。

 違うな。
 気付かせに、来たの?
 だって今までは壁がなくなったりしなかった。それがひび割れることなんて有り得ないほどの完璧さだった。

「ねぇ2人とも」
「なんだってば?」
「う、うん」

 うそつきだよね。

「ほんっとーは、何しに来たのー?」

 演技がとても上手で。
 時々影分身になったりして。
 本当は、暗部もしてるんでしょう?
 本当は、もっともっと強いんでしょう?
 知ってるよ。
 気付いたよ。
 ちゃんと気付いてるよ。

 ああ、でも2人がこんなに仲が良いんだって、そう知ったのは今日が初めてだけど。

 ナルトは、ヒナタは、笑う。どこか嬉しそうに。どこか面白そうに。どこか楽しそうに。どこか可笑しそうに。どこか悔しそうに。



 
「会いに来たんだよ」




 不意に、がらりと、ナルトの口調が、声の質が、変わった。眼差しも、纏う空気も、笑い方も。全て。
 一瞬で、″落ちこぼれのうずまきナルト″はいなくなった。

 そんなナルトの隣で、ヒナタも笑う。
 いつものおどおどした気弱な様子は、物静かで冷たい雰囲気に。顔立ちなんてどこも変わらないのに、印象が、変わりすぎて、一瞬ヒナタという存在を見失う。

「ちょっと、迷ってたんだけどね」

 そう、目を伏せたヒナタに、こくり、と小さく息をのんだ。
 ああ、ヒナタってすごくまつ毛長い。真っ黒なまつ毛が重たげに瞳にかかっているからいつも暗く見えたのかな。
 どこか挑発的にもとれる真っ白な瞳がのぞいて、いのを見つめる。

「気付いてくれて、ありがとう」

 ―――助けてくれて、ありがとう

「また、会えたね」

 ―――また、会おうね

 繋がった言葉はとても優しくて。
 どうして彼らがこんな、規則破りなことをしたのかは分からないけど。
 
 蘇る記憶とこみ上げる想いと溢れる誇らしさに、いのは静かに静かに笑って泣いて、それから大好きな本当の2人に思いっきり、容赦なく飛びついた。
 そんな不意打ちにも関わらず、バランスを崩すこともなくやんわりと受け止めた2人は、やっぱりいつもとは違うけど。
 だから何?
 何度だって、いのはそう言い切ろう。

 この胸いっぱいに宿った、彼らを見つけた誇らしさとともに。

2013年3月17日
いのをメインに書きたいなーと思って。こうなりました。