『いつか咲く花』
木の葉という里は、ひどく平和ボケした里なのだと、改めてカンクロウは思った。
一人のんびりと里の中を歩き回り、面白そうなカラクリがあったら足を止め、美味しそうなものがあったら買って食べてみる。
思い返してみれば、木の葉においてテマリや我愛羅と一緒でないのは初めてのことだった。
砂ではそうではない。性格も趣味もばらばらだし、もともと個人主義な性格をしている兄弟だ。カンクロウは大抵同期の友人と休日を過ごすし、一人で居るときもカラクリを整備している事が多い。扱う忍具も術もそれぞれが全く違うし、癖もある。一緒に技を競う合う、なんてことは無いに等しい。
中忍試験時はそれどころではなかったし、その後も木の葉では警戒心が勝り、ほとんど無意識に3人で行動していた。
何度も何度も木の葉に行くうちに、それぞれ親しい人間ができ、お気に入りの店ができ、それでようやく今回別行動となったのだ。
それは木の葉と砂の関係が大分落ち着いてきたこともあるし、3人の実力がそれぞれ上がり、ある程度の出来事ならば1人でも大丈夫だという自信がついてきたこともある。
そもそもやけに平和な木の葉の里では、取っ組み合いの1つも見ないのだ。それだけ満たされた環境にいるということなのだろう。
砂とは全く大違いだ。
ぼんやりとしていたカンクロウの耳がかすかな音を広い、意識をそちらに向ける。
「………森の中、じゃん?」
何かを叩きつけるような物音は何度も何度も続き、途絶えることが無い。
音に導かれるようにしてカンクロウは森に足を踏み入れる。
耳は音の出所を気にしたまま、カンクロウは大きく息を吸い込んだ。
砂の大地とは違う、さわやかな草木の香り。
澄み切った空気、と言うのがふさわしい気がする。
カンクロウの故郷は、常に砂が覆っているし、気温が高く乾燥しているので、ホコリも多い。生まれたときから生きてきた場所がそうであるから、それが当たり前だと思っていたが、木の葉では土からして違うのだ。砂のように風に舞うような軽く乾燥した土ではなく、どっしりと水分を含む、肥沃な大地。
そんな貴重な土、砂漠にはない。
だから、あまり植物が育たない。
農作物もあまり育ちがよくないため、砂での食料は貴重だ。そして、食料を育てるための土も、肥料も、管理も、人手と時間が物をいう。それを調達するために金がかかる。とことんかかる。そして今は、里の人間全てをまかなうには厳しい状況なのだ。何より大事な金が無いから。
隠れ里にいる大半は忍であり、忍とは任務を受けなければ依頼金を受け取れない。国の軍縮方針は里から任務を奪い、忍から職を奪った。
公にこそなっていないが、砂隠れから里抜けするものが多いのはその所為なのだ。
砂の里は本当に弱体化し、里そのものが荒廃を始めている。いっその事バカ殿の首を取る任務でもこないだろうかと思う次第だ。
砂の里もまた風の国の土地であり、国の民であるにも関わらず、無益と切り捨てられ全てを奪われようとしている。
カンクロウは、砂の里が好きだ。
生まれ育った故郷だし、砂だらけの空気も、前が見えなくなるような砂嵐も、焼け焦げるような暑さも、全ていつも間近にあったもので、それが無い人生なんて考えられない。
どれだけ里に腹を立てても、国の在りように愚痴をこぼしても、里を守りたいと思う。
だから、この木の葉の大地を羨ましいと思うし、どうすれば緑が増やせるのかいつも考えている。
もっとも今の砂の里の貧窮をどうにかするべきなのが先ではあるが。
ぐい、と両手を高く伸ばして大あくびをする。
音の出所にたどり着いたのはそのときだった。
上に伸ばしていた両手を頭の後ろで組んで、その光景を観察する。
ふっくらした頬をばら色に染めて、少女が一心に木を叩いていた。
カンクロウが気配を消しているのもあるが、十分に鑑賞できる位置にあっても彼女は全く気付かない。それだけ集中できている証拠であり、里に危険がないと思っている証拠。
その少女を、カンクロウは知っていた。
直接話したことはないが、ちょこちょこ話すようになった木の葉の忍と同じ班の少女だ。
以前見たときに比べ随分と伸びた黒い髪は頭の上で一つに結ばれて、それこそ馬の尻尾のように動きに合わせて跳ねる。
色白を超えて蒼白になりそうな肌の色は、カンクロウの素肌の色とは大分違う。
修行中邪魔になったのか脱ぎ捨てられた重そうなパーカーが、カンクロウの視界に入った。
肌にぴったりとした黒い忍服は、動きに合わせて揺れるたわわな胸と程よく引き締まった腰のラインを強調している。
何よりも特徴的な、白い瞳。
それは、木の葉にしかない、特殊な血を受け継ぐ一族のもの。
(………護衛とか、いないじゃんよ?)
意識を周囲に向けて探ってみても、カンクロウが知覚できるような気配はない。
カンクロウは傀儡師という性質上、気配に関しては敏感だ。傀儡師である本人を攻撃されれば傀儡は役に立たないから、気配を消すことも、気配を探る鍛錬も欠かしてはいない。今のカンクロウなら、余程の実力者でない限り探れない気配はない。暗部の気配も、半径50メートル以内でなら知覚できる。
カンクロウがここまで少女に近づいていても、人の気配は何処にもなかった。
本当に護衛がいないのだろうか、と思い、さらに少女に近づいてみる。
一歩、二歩、三歩………。
「あ………っっ」
「こんにちは、じゃんよ」
とうとう目の前まで来てみても、護衛のような人間の気配はしない。森は静かなままだ。
余程の実力者がついているのか、本当についていないのか。それとも、護衛をつけるだけの人手がないのか。
どれにしろ今の砂にはこの白い瞳を手に入れたとしても実験するだけの資金も人手も足りないから、カンクロウは少女に危害を加える気は一切ない。
「す、すな…の…」
怯えたような瞳で、先ほどまでは薔薇色に染まっていた頬を青くして後ずさるから、きょとんとして首を傾げた。
そうしていると、何をどう考えたのか、少女、日向ヒナタはびくびくしながらも一族特有の構えをとって、にらみつけてくる。
「なっ、何が目的ですかっっ」
「あー…」
ここまで警戒させるようなことを何かしただろうか、と過去に思いをはせてみる。
…若気の至りで結構色々とやったきもしなくもない。そもそも我愛羅が最高に捻くれていた時代に会った少女だ。怯えても無理はないのかもしれない。一度は裏切った里の人間でもあるし。
「砂の里は木の葉の同盟国じゃん? 別に今更あんたにどうこうする気はないじゃんよ」
「ほっ、本当…ですか…?」
「大体、さっきからここにいたじゃん。襲う気あるならとっくに襲ってるじゃん」
「えっ、…そ、そうだった…んですか…?」
「そうじゃん。木の葉に合同任務で来たはいいけど早く終わっちまったから各自自由行動中じゃん?」
ようやく構えを解いた少女は、カンクロウの言葉にあわあわと視線をさ迷わせてうなだれた。そうすると、長く伸びた前髪が顔に覆いかぶさり表情が見えない。
ただ、ひどく決まり悪そうな顔をしているのは容易に想像がついた。
「あ、あの…ごっ、ごめんなさい…っっ。私、早とちりで…っ」
「別に構わないじゃん。修行中にいきなり話しかけて悪かったじゃんよ」
「あ、い、いいえ…」
見るからに萎れているヒナタはあんまりにも哀れの体に見えてカンクロウは気まずく頭をかいた。なんだかひどく悪いことでもした気分だ。
「ああ、これ食べるじゃん?」
ふと、木の葉で買ったお菓子を思い出し、取り出す。
木の葉限定の抹茶を練りこんだ餡をたっぷりと詰め込んだ、葉っぱ型の饅頭。その名も木の葉饅頭という身も蓋もない商品だ。
その他にも砂では食べることのないチョコレートを色々と買い込んでいる。手に持っていた買い物袋から出して、ヒナタに向かって差し出す。
ヒナタは色とりどりのチョコと、淡い緑色をした饅頭をまじまじと見つめて、それからカンクロウを見上げる。
「え…?」
「食べないじゃん?」
心底不思議そうに首を傾げたカンクロウに、ヒナタは瞬きを繰り返した。まん丸に開いた白い瞳に、赤い隈取をした男が映っている。
「毒は入ってないし、美味しいじゃん」
細い目をさらに細めて笑うカンクロウに、少女はおずおずと手を伸ばした。
カンクロウの手のひらの上からチョコレートを一つ摘んで、口の中に入れる。
「美味しいですね…」
「美味しいじゃん」
ようやく警戒が解けてきたのか小さく笑ったヒナタに、にかっと笑ってカンクロウはうなずいた。
食欲不振の人間がようやく一口食べました、みたいな状況を見守っている気分で、次を進める。おずおずともう一つチョコを摘んだヒナタを見ながら、どちらかというと警戒心の強い小動物に遠くから御飯を投げているような気分かもしれないと思った。
「チョコ…お好きなんですか?」
「ん、結構好きじゃん? 木の葉でしか食べれないじゃんよ。んで、テマリはこっちの饅頭が好物」
「…あ、とっ、溶けるから、ですか…?」
「でろでろになるじゃん」
妙に真剣な顔で残念そうに言い切ったカンクロウに、ヒナタは笑ってしまった。
「この饅頭も、中の餡が柔らかくなって変な風に溶けるじゃんよ。だからテマリはいっつも木の葉で冷凍して持って帰ろうとするじゃん。したら砂までもつじゃんよ」
「凍らす、のですか…?」
「凍った状態もまた美味しいじゃん。我愛羅も最近好きじゃん? 前に30個くらい入ったパックを買って、冷凍してもらって砂に持って帰ったじゃん。テマリとかすっごい楽しみにしてたじゃん。…で、家に帰って、色々開けてみたら、何処にも饅頭がないじゃん!!!」
「…なくなっちゃったんですか…?」
「そんな可愛らしい話じゃないじゃん。我愛羅が全部食ってたんじゃん!!!!!!」
身振り手振りを交えて話すカンクロウに、こくこくとうなずいていたヒナタは、きょとんとして、聞き返す。
「30個…全部、ですか?」
「全部じゃん!!!!!」
木の葉饅頭、抹茶が練りこんであるとはいえ、餡は十分に甘い。ヒナタは一個も食べれば満足で、すぐに苦いお茶が欲しくなる。30個全部食べるなんて、想像もつかない。しかも木の葉から砂までゆっくり歩いても1週間もあれば十分。1週間かけたとしても一日5個以上は食べている計算だ。
「す、すごいですね…っ」
心底そう思う。
「それを知ったときのテマリの落胆ぶりと憤慨っぷり、見せてやりたかったじゃんよ。めっちゃ怖かったじゃん。鬼だったじゃんよ」
しみじみとカンクロウはうなずいて、その饅頭の包み紙を開ける。
あの時、食べ物の恨みは何よりも怖いのだと知った。あの我愛羅が、冷や汗を流して後ずさり、必死に謝ったくらいだ。
「それから食べ物は一緒に纏めて入れたりしなくなったじゃんよ」
結構面倒くさがり屋の3人は必要最低限のもの以外の食べ物を、大体同じ袋に詰め込んであったのだ。
あの時は大変だった、と語って、饅頭を口に放り込むカンクロウに、少女はくすくすと笑う。
「とても仲がいいんですね…」
前に見たときは、とてもそうは見えなかったけれど。
今、姉や弟のことを語るカンクロウはとても楽しそうで、生き生きとしている。
言われた言葉に、カンクロウはきょとんとして、まじまじとヒナタを見詰めた。
「あ…あの…?」
何か変な事を言ってしまったのだろうかと、慌てるヒナタに、カンクロウはようやく我に返って、苦笑する。
その表情がひどく複雑そうに見えたから、ヒナタはわけもなく謝りたくなった。
「や、単に驚いたじゃんよ。そう言われたの初めてだったじゃん!」
ゆるゆると笑ったカンクロウに、ヒナタもまた驚いたのか、何度も何度も瞬きをして見せた。白粉をつけた真白い面の青年はひどく無邪気に笑って見せたから。それは砂に持っていた悪感情を一辺に奪ってしまうような、あたたかな笑顔だったから。
「悪くない気分じゃん」
照れくさそうにそう言った青年に、ヒナタもまた笑った。
驚くほど、穏やかな気分で。
しばらくそんな他愛もないことを話して、周囲が暗くなってきた頃、ようやく2人は腰を上げた。
ヒナタの家の前までのんびり2人で歩いて、門の前で止まる。
日向一族という木の葉の名門の家だけあって、非常にでかい。
「あ、あの、カンクロウさんっ」
門まできて、それじゃあ、と手を振ろうとしたカンクロウに、ヒナタが勢いよく引き止めた。
数時間話して、ヒナタのおっとりとした控えめな性格は分かってきていたので、彼女があまりしそうにない突然のことに驚く。
「なっ、なんじゃん?」
「す、少しだけ待っていてもらえませんか?」
「べ、別に構わないじゃん」
そうカンクロウが頷くと同時、ヒナタは嬉しそうに笑って、身を翻した。その背は門の中に消えて、あっというまに見えなくなってしまう。
一体何なのだろうか。
カンクロウは、ピクリとも動かずに、ヒナタを待つ。それこそ人形のようにのんびりと立ったまま、動かない。
着ているものが全て黒い所為もあって、闇夜に慣れていない人間には顔だけ浮かんで見えるだろう。
「あっ、あの、カンクロウさん。これ」
息を切らしながら戻ってきた少女は、手に持っていたものをカンクロウに差し出す。
押し花をあしらった、しおりだった。
それが、3枚。
「俺と、テマリと、我愛羅の分じゃん?」
「はいっ。あの、いつか、この花が砂漠にも咲きますように…って、そ、そう思ったんです…っ」
話をしているとき、砂漠には植物の種類が少ないと聞いた。土に栄養がなく、日中は暑く、夜は冷えるため、温度変化によほど強い植物くらいしか生き残れない。
ヒナタが差し出した押し花になっている3種は砂漠の環境では決して咲かない。
それをヒナタは知っているけど。
「……テマリ、ああ見えて植物好きじゃん。きっと喜ぶじゃんよ」
「はいっ」
「…ヒナタ」
「はっ、はいっっ」
名前を呼ばれたのは初めてで、ヒナタの声はキレイにひっくりかえってしまった。カンクロウはそれに笑って、しおりを受け取る。
「今度、この花の名前教えてくれじゃん。木の葉で買って、持って帰ってみるじゃんよ」
「…は…はい!」
「そんで、いつか咲いたら、砂に見に来て欲しいじゃん」
「は、はいっ。行きたい、です…」
それが許されるかどうかは分からないけど。
花が本当に咲くかなんて分からないけど。
2人は笑って、そんな、とても難しい約束をした。
胸の内側に灯る、温かな光がなんなのか、分からないままに。
2008年2月3日
カンクロウとヒナタ。
いつか書きたいなーとずーーーっと思ってたので、書けてよかったです。
途中で文章の一部がどっかいってしまったので、キレイにその部分を省略しました(汗)
相棒にどんなタイトルがあるか聞いたら「咲けばいいな」とか「咲かない花」とか、なんかとりあえずカンヒナ妨害イベントの立ち上がりそうなタイトルを候補に下さいました(素敵(笑))