『ラピスラズリの贈り物』



「……寒い」

 はぁー、と両の手に息を吹き掛ける。目の前が白に染まってすぐに消えた。
 かじかんで、真っ赤になった手の平をこすりあわせて、わずかな暖をとる。
 何の音もしない、静寂のみが支配する世界。
 金の髪をもつ少年は、つまらなそうにブランコを漕いだ。
 キィ、キィ……と、音が鳴る。
 ゆらゆらと、小さく揺れる世界。

「………帰ろう」

 自分に言い聞かせるためにも口に出して、ブランコを止める。大して動いてもいなかったブランコは、ほんの少し抑制するだけで、簡単に止まった。
 ブランコから降りると、余計に寒くなった気がする。
 ふと、顔を上げて真っ黒に染まった空見上げた。ぽつり、と、額に冷たい雫。

「……雨?」
「…いいえ。雪よ」

 独り言に、返事を返されて、少年は驚いた。慌てて振り返ってみると、そこには長い黒髪をもつ女が立っていた。
 闇そのまま、といった黒衣を身に付けた女。肌の色だけが、やけに白い。
 黒色の重たい瞳をまっすぐに向けられて、少年は戸惑った。

「だ、誰…だってば…?」
「…誰、だと思う?」
「え……?」

 謎掛けのように返された言葉に、少年はぐっ、と眉間に皺を寄せた。知っている人なのかと思ったのであろう。思案顔になって、首を傾げる。
 女は、確かに少年が知っている人物であった。
 変化して外見が違うだけで…女は少年を知っていたし、少年は女を知っていた。

「寒いわね」
「え?…あ。うん。寒いってば」

 女は、少年ににっこりと笑いかけて、また上を向いた。
 裏も表もない、とても透明な笑みだった。
 あまりそんなものを見せられたことのない少年は、不思議そうに横に立つ黒衣を見上げる。

「雪、綺麗だね」

 女は言って、まるで雪を掴もうとするように手の平を広げて、空に掲げる。
 黒衣の下から覗いたのは、少年も幾度か見たことのある、暗部、と呼ばれる忍として最強の、火影に仕える存在の服だった。
 暗部に知り合いなど居ない。
 ますます首を傾げた少年だが、ちらり、と赤が見えて、ぎょっとした。

「血っ…!姉ちゃん怪我してるの!?」
「…血?」

 不思議そうに、少年が示す先を見て、ああ、と頷いた。

「返り血、よ。私の怪我じゃないわ」

 あっさりと言われて、少年は複雑な顔で黙り込む。
 暗部が動いた、という事は、返り血の主は確実に生きては居ないだろう。
 少年は、まだ下忍ですらない、ただのアカデミー生で、人を殺したことなんてない少年にとって、人の命、というものはとても重くて…それを何でもなさそうに奪ったと思われるこの人間は、とても怖い。

「ねぇ、知ってる?」

 その声は、とても寂しそうで、思わず女から距離をとっていた少年は、耳に神経を集中させた。

「忍は、ね。強くなればなるほど、人の命を奪うの。…ううん。逆かな。人の命を奪えば奪うほど、強くなれるの。強いという称号を貰えるの」

 雪を…雪の溶けた水を手の平で握り締めて、女は少年に向き直る。
 指の間からすり抜けた水は、少年の目に赤く映った。
 まるで、血のように。

「火影、は…どれだけの血の上に成り立つものだと思う?」

 それは、火影を目指す少年にとって、侮辱だった。
 神にも等しき神聖な存在を汚されたような心地。
 かぁ―――、と、頭に上った血に従って、少年は女に殴りかかった。

「じっちゃんを馬鹿にするなってばっ!!」

 女は、それを避けようとはしなかった。
 少しずつ、少しずつ積もり始めた雪の上、黒衣が倒れた。
 真っ白に染まった世界での、一点の、染みのように。
 女の腰の上に乗って、少年は涙を流す。

「貴方は、どれだけの血の上に火影になるのかしら?」

 彼女は、既に少年が火影になるのだと仮定して、そう言った。
 少年にとって、いつもなら喜ぶような"火影になる"という言葉は、暗く淀んだ思いを抱かせただけだった。
 頬を赤く染めた女の上に、ぽつり、ぽつりと、雪が降り、まるで涙のように頬をつたって落ちる。
 何の抵抗も示さない相手に、少年の熱は次第に収まり、無抵抗の相手を殴った、という後悔の念に襲われる。
 女の腰から降りて、少年は気まずそうに女の顔を覗き込む。

「ねぇ、ナルト君」

 その、声は…その呼び方は…確かに少年の知っている者の呼び方だった。
 霧がかったように思い出せない誰か。

「忘れないでね。人の命、というものの大切さ…重さをを…。それを出来た人こそが、火影の地位に相応しいのだから」

 忍は、どのような状況においても感情を表に出すべからず。
 だからといって、感情がないわけではない。

「人を殺せば、傷つく。とても辛い。とても悲しい。そんな当たり前のことも、人は忘れてしまう」
 
 最初は傷つく。恐れて怖がる。
 夢に現われ、身を苛む。
 血を見るたびに思い出し、胃は食べ物を受け付けなくなる。
 けれど…幾度も幾度も繰り返し手を赤に染める事で、感情は摩擦し、罪悪感は減り、身体は慣れきり、何も思わなくなってしまう。
 それが、本来の忍としての完成系。

「だから、ナルト君…絶対に忘れないで。今の気持ち。人を大事に思う気持ちを」

 よく、分からなかった。
 少年は、人を殺した事がないから。
 忘れてしまうなんて、あり得ないと思うから。
 それでも、少年は頷いた。
 女はとても悲しそうだったから。

「火影になって」

 こくり、と頷いた少年に、女はとても嬉しそうに笑った。
 そして、少年は気を失った。




 少年は目を覚ました。
 見慣れた天井。変わらない光景。
 そこは、自分の部屋だった。
 がばっ!と身を起こして、周囲を見渡す。
 黒衣の女なんてどこにもいない。

「…夢…?」

 訝しげに、首を振る。
 そんなはずない。
 だって、手にはまだ、殴った時の嫌な感触がある。
 雪に濡れた感触はないが、服だって寝巻きに着替えてもいない。

「お、なんだ?ナルト、いたのか?呼んでも出ないし鍵が開いてるしでどうしたのかと思ったぞ?」

 驚いたような声にナルトが見ると、アカデミーの担任教官であるイルカが、何やら奇妙な格好をして玄関に立っていた。
 赤と白のコントラストが見事な暖かそうな服に、同じ彩色の尖がり帽子。
 絵本に描かれた"サンタクロース"そのものの格好だ。
 もっとも、絵本よりはずっと若くてスマートなのだが。

「イルカ先生!?何してるんだってばよ!?」
「何って、クリスマスのプレゼント配りだろ。アカデミー生にはこうやって担当教師が毎年プレゼントを配るだろう」

 その、何でもなさそうに言われたイルカの言葉は、ナルトの胸をえぐった。
 来年にはもうアカデミーを卒業するのだというのに、一度もプレゼントなんて貰ったことはなかったから。
 ナルトの表情からイルカはそのことを読み取ったのか、しまった、という顔になって、誤魔化すように笑った。

「ほら、ナルト」

 くしゃくしゃ、とナルトの頭を撫ぜて、イルカはナルトの頭の上にラッピングされた包み箱を置いた。
 靴下の中には到底入りそうにない大きさだ。

「あ、ありがとうだってば!!イルカ先生!!!」

 初めて貰ったプレゼントに、ナルトは目を輝かせ、全身で嬉しいを表現した。
 わくわくしながらラッピングを解く。嬉しくて嬉しくて逸る気持ちを抑えて、丁寧に、丁寧にリボンと包装紙をはがしていく。
 初めての大事な大事なプレゼント。例えリボンや包装紙なんていったおまけのような存在でも、ナルトにとっては宝物に見えた。
 そーっとそーっと箱を開けるナルトに、いつもの悪戯小僧の様子は見受けられなくて、イルカは笑う。
 その目に、ナルトが吊り下げただろう靴下の存在を見つけて、顔を歪めた。
 この子は、いつもどんな気持ちで靴下を下げていたのだろうか。
 毎年何も入ってはいない靴下をどんな気持ちで眺めたのであろうか。

「ラーメン!すっげー!!これってば一楽のセットだってばよ!!」

 一楽のラーメンがおいしいことは有名で、その中でもインスタントで一楽の味が楽しめる、というとても嬉しいものがある。
 けれどもその数はかなり希少で、値段も中々のものであり、幾らラーメン好きのナルトでも買うことは出来ない。

「火影様に感謝しろよぉ?お前のために火影様が準備してくださったんだからな」

 アカデミーで配るクリスマスプレゼントは、各自子供の保護者よりプレゼントを預かったものだ。
 喜んで周りが見えてないナルトを見て、イルカは不意にぎくり、と背筋を凍らせた。
 今までだって火影はクリスマスのプレゼントを準備していた筈だ。

 ―――…それは、一体どこに消えた?

 これまでのナルトの担任教官を頭に浮かべ、毒づく。
 いくら温厚なイルカではあっても、許せるようなことではなかった。
 同時に、ナルトに対する闇の深さに愕然とする。

 そのとき、イルカは気付いた。
 ナルトの下げた靴下。
 その形が、少し歪に膨らんでいることに。

「お、おい!ナルト、お前靴下になんか入れていたか!?」
「は?…なーんも入れてないってばよ!?」

 きょとんとして、靴下を見たナルトも、その膨らみに気付いた。

「な!え!?う、うそだってば!?」

 靴下を取って、おそるおそる中身を取り出す。
 出てきたのは、折りたたまれた紙と、少年の瞳とよく似た色の、球形の石がついたシンプルなピアス。

「な、な、ナルト!これ、宝石だぞ!?」
「そ、そうなんだってば??」

 宝石の種類なんて分からない上に、見たこともないが、ナルトにとって宝石とは異常に高くて空恐ろしい存在だ。

「ちょ、ちょっと待ってろナルト!今宝石の本持ってくるから!」
「…って先生、プレゼント配りはいいんだってば!?」
「お前で最後だ!!」

 言い捨てて、イルカは嵐のように去っていった。
 ナルトはマジマジとピアスを見つめる。

 不透明な瑠璃色。濃い青の中、キラキラと黄金の粒子が輝く。

 それは、人を魅惑せずにはいられない輝きだった。
 濃い青の中輝く金色は、まるで夜に瞬く星空のよう。暗闇に散る、白く儚い雪のよう。
 角度を変えて、飽きずに宝石を見つめていたナルトの元に、嵐のようにイルカが舞い戻ってきた。

「ラピスラズリだ」

 一度目を通したのか、乱暴に挟まれたしおりのページを開いて、イルカは指で"ラピスラズリ"と書かれた項目を示した。
 そこに載せられた写真と、目の前にある小さな宝石は、確かに同一のものだった。

「ラピスラズリ…"青金石"や"瑠璃"とも呼ぶ。"ラズリ"は、"天・空・青"を意味する。12月の誕生石で"幸運の守り石"ともいわれているみたいだな。」
「12月?」

 12月はナルトの誕生日ではない。

「色、で選んだんじゃないか?お前の目の色である深い青。それに髪の輝く金色の粒子」

 まさに、ナルトに相応しい色だった。

「で、でも俺ってばピアスの穴なんてないってばよ?」
「俺が空けてやるよ。折角貰ったんだ。それも"幸運の守り石"とくれば、つけるしかないだろ。…しっかし、ナルト、一体誰にこんなものを?」
「し、知らないってば…!」
「うーん…お前に何かあるんだろうな…」

 そんなものをくれる存在なんて、火影以外に思い浮かびはしなかった。
 だが、火影は既にイルカにプレゼントを託した。
 首を傾げて考え込む2人、ふと、イルカが紙の存在を思い出した。
 ピアスとともにこぼれ出た、折りたたまれた小さな紙。

「ナルト、紙は見てみたのか?」
「…!忘れてたってば!!」

 慌てて紙を拾い上げ、ゆっくりと開く。



     ―――忘れないで。

               A merry Christmas.



 たったそれだけ。

「そ、それだけか?」
「そうみたい…だってば」

 それだけ、で、分かった。
 誰がこれをくれたのか。

「"火影になって"」

 最後に聞いたその声と、とても綺麗な、嬉しそうな笑顔を思い出した。
 矢張り、夢ではなかった。

「は?」
「そう、言ったんだってば」

 何故、彼女がこんなものをくれたのか分からない。
 彼女が一体誰だったのかも分からない。

 けれど、自分は忘れないだろう。まるで夢のように現れた黒衣の女の事を。
 女が語った色々な事を。
 忘れそうになったら、きっと、このラピスラズリが、思い出させる。

「うっし。頑張るぞーーーー!!!!」
「お?やる気だな!?」

 よく分からないながらも笑うイルカに笑い返して、ナルトは改めて己の夢を固めるのだった。



 後日、ナルトの左耳には小さなラピスラズリが、きらきらと輝いていた。
2005年12月03日
片耳なのは失くしても大丈夫なようにイルカの提案。
ラピスラズリ、って聞いてまず思い出すのは何故か機動戦艦ナデシコ劇場版。
そんなに高価なものでもないけど、この世界では非常に高価なんだーってことでお願いします(笑)