『一進一退』








「だいっきらい」

 現れるなり、唐突にそう言い切った少女に、サスケはしばし唖然として、今まさに口に入れようとしていたおにぎりを落とした。途端に、少女は眉を潜め、勿体無いと口を開く。

「ちょっとー。米は大事にしなさいよねー」

 誰の所為だ。そう、視線で訴えたが、いつもの事ながら全く持って意味はなかった。

「ちょっとー聞いてるー?」
「………ああ」
「ふーん。そ。んじゃーそーいう事だからねー」

 バイバイと手を振られて、呆然としたままそれを見送って。その背に揺れる金色の髪が遠くなる。
 何が起こっているのか理解できない頭で、何が起こっているのか理解していない身体で。

「っっ!!!!」

 何も理解していないくせに、何も分かっていないくせに、少女の腕をひっ捕まえて、無理矢理自分の方を向かせる。淡い金色の髪がふわりと妙に遅く動いて、水色の瞳とかち合った。
 その顔が、ひどく複雑そうな、ひどく泣き出しそうな、歪んでいた風に見えたのは気の所為か。

「な、によー」
「………」
「…サスケ君?」

 少女の腕をきつく握り締めたまま動かない黒髪の少年。いつも無表情を装うその顔が、奇妙に歪んでいるのを少女は見る。その、男にしては大きな瞳に写る自分もまた、ひどく奇妙な、なんともいえない顔をしていて、小さく笑った。

 この手を振り払って、このままバイバイしたら、何か変わるだろうか。この胸を突き刺すだけの苦しみから救われるだろうか。友人を裏切り続ける苦しみから逃れられるだろうか。
 考えるだけ考えて、自分で否定する。
 そんなの、ただの幻想だ。
 彼が自分を追わなければ、それで全てが終わったかもしれないのに。
 そう思いながらも、自分が彼のその行動に喜んでいるのを知っている。

「………なんで」

 言葉なんて彼に求めるのは酷というものだろう。だけど、自分達はあまりにも幼くて、相手の全てが分かるなんてありえない。相手の事なんてなに一つ分からない。分かった気になっているだけ。自分の事で手一杯な自分達は、余裕なんてどこにもないから。

 欲しかった。欲しくなかった。
 嬉しかった。嬉しくなかった。
 拒みたかった。拒んで欲しくなかった。
 拒んで欲しかった。拒んで欲しくなかった。

 どうしてこんなに前に進めないのだろう。一歩進んで、また下がって、それが彼と彼女の日常だ。

「…今日、何日か知ってるー?」

 いのは笑って問いかける。彼女が唐突なのは今に始まった事ではないから、サスケは眉を潜めながらも家のカレンダーを思い浮かべる。
 4月1日。
 4月1日、と言えば?

 エイプリルフール。
 またの名を万愚節、更なる名を四月馬鹿。
 4月1日には人をからかうような、害のない嘘をついてもよい、という風習。

 一瞬にして、サスケの顔が赤く染まった。騙されたと知って、急激に真っ赤になったサスケに呆れて、小さく笑う。いのがトマトのようなその頬に手の平をつけると、見た目どおり物凄く熱かった。
 少しだけ申し訳ないと思うから、追い討ちはかけない。

「好きよー」
「………それも嘘か」
「どっちだと思うー?」
「………どっちでも、いい」

 低く囁かれた声を聞いて、いのは笑った。笑うな、という風に、いのの背中に腕が回される。見た目はそんなに変わらないのに、自分よりも大きくて、自分よりもずっとがっちりとした腕。そんな全てが愛しいと思う。だから、苦しくても、悲しくても、徹底的に拒む事なんて出来ない。拒んで欲しいと思いながら、常にその逆を望む。

「サスケ君はー…」
「……何」
「私のこと、好き?」

 ふと、サスケは思う。もしも、いのを追いかけて捕まえなければ、彼女はサスケの元から去っていたのだろうと、何の疑問もなくそう思った。それこそエイプリルフールだとか、そうでないとか関係なしに。それが彼女の望みの一つであるのだと、サスケは知っていた。
 だから、彼女が逃げようとするのなら、全力で追いかける。意味なんて分からなくても、何が起こっているのか理解していなくても、ほとんど本能的にそうしてきた。今回だってそうだ。

 逃げるから、追いかける。
 逃げようとするから、最初から捕まえておく。
 相手がどうしてそうするのかなんて分からない。
 目に見えない何かなんて信じられない。

 分かったつもりになって何も分かっていない。
 分からないつもりで、見ないふりをする。
 そんな関係。

「……好きだ」

 初めて口にしたその言葉は、嫌になるほど甘ったるくて、自分には合わないとサスケは思った。そう思ったのは、サスケだけではないけれど。
 欲しいと思っていた言葉が貰えて、最初にいのがしたことは、笑う事。
 まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったのと、あんまりにもサスケに似合わないのと。
 嬉しいとか、幸せだとか、そんな事思うよりも先に衝動的な笑いの発作がこみ上げて、のどの奥から変な声が出た。

 笑って、笑って、笑い飛ばして。
 憮然としていたサスケも顔が赤いまま小さく笑って。

 一歩だけ、進んだ。
2007年4月8日
進んで下がる、がサスいのだと思ってる空空です。
嘘とか騙しあいとか、サスいのを書かないで何を書くっ! と、エイプリルフールネタを考えた瞬間に思いました。
なんか甘いのか甘くないのか分からない。

一歩進んだけど、この後また一歩戻ると思います(笑)
停滞のイメージが強い2人です。何故か。
サクラの事とか、イタチの事とか、自分の問題に決着を付けることが出来たら一緒に前に進めるんじゃないかと思います。