『幸せを、望む』











 今日は特別な日だった。




 日向の広間にて、着々と進められる儀式。
 真ん中に座るは、今日頂点に立つことになる長い黒髪を持つ15、6の少女。
 その顔には緊張も濃い。

 その少女のはるか前方に彼女の従兄弟の顔が見える。
 ひどく不機嫌な、その様子を隠そうともしない。
 当然だ。
 彼はこれから、自分の全てを彼女に捧げることになるのだから。

 儀式は進む。
 ゆっくりとゆっくりと。
 それでも一応儀式は進む。

 少女は歩く。
 定められた通りに。
 そうして突き当たるのは上座の上の男。
 己の父。

「皆の者。今日、これより日向家当主は日向ヒアシより日向ハナビに引き継がれる。意義はあるか」

 しん。と沈黙が訪れる。
 あるはずがない。
 現日向家当主である日向ヒアシの意は、そのまま日向の頂点達の決定である。

「では、日向一族の当主たる証、これを受け取るが良い」

 代々伝わる巻物。
 日向の全てを納めた秘宝だ。
 恭しく、その巻物もヒアシの横に控えた女が、少女に向かって差し出して―――。



 それを横から伸びた手が、少女よりも一瞬早く巻物を奪い取った。



「なっ!!!!」
「ヒナタ様!?」

 その場に唐突に現れたのは、日向ヒナタ。
 日向家当主の実子であり、本来家を継ぐべきであった人間。
 現在はその座を妹のハナビに受け渡し、中忍のままアカデミーで事務処理をしている筈の人間だった。

 ヒナタは少し息をついて、ほっとした表情を見せる。
 まるで周りの声なんて聞こえていない。

「日向ヒナタ、今日この場への出席は認められていない筈だ。何をしている」

 父の厳しい誰何の声を受けても、ヒナタの表情は凪いだまま。
 誰もがそれに眉を潜める。
 日向ヒナタという人間は、普段悪口一つで傷ついてしまうような人間なのに。

「姉上?」

 不安そうにそう呼んだ少女を、ヒナタはひどく不快そうに眺め、腕を伸ばした。

 軽く軽く…そのように見えたのに、その手にはいつの間にかクナイが握られていて、少女の居たところを薙いでいた。

「―――!!!」
「あ、姉上!?」

 寸でのところでクナイを避けた少女は、怯えたように後退する。
 それを分家の人間が庇って、前に出た。

「ヒナタ!!何の真似だ!!!」
「父上。何の真似だ。とはこちらの台詞です」

 父の叱責に、ヒナタは冷たいまなざしで手の中の巻物を眺めた。
 その注意は己の妹から逸れることはない。

「何だと…!?」
「貴方はこんな日向の一族でもない忍に、日向の宝を渡すつもりだったのかと聞いているのです」

 その言葉はひどくなめらかに、普段の彼女にはありえない動作で、もう一度ヒナタは妹の首を狙った。
 分家の波を退けて、届くかと思われたクナイはやはり空を突く。
 けれどそのクナイの切っ先は、わずかな手ごたえをもって、赤い血が小さく飛んだ。
 そのヒナタを分家の人間が押さえる間、首から血を流した少女は宗家の人間に治療を受けている。

「何を…言っている?」
「まだ気付かないのですか?アレのどこが、貴方の娘だというのです」

 そのはっきりとした冷たい言葉に、ヒアシはわずかに目を細め、印をきった。
 白眼、その能力、日向ハナビの存在を見―――

「離れろ!!!!!!」

 当主の怒声が響いた。
 同時にハナビの身体から白い煙が立ち昇り、その中から全く違う男が立ち上がる。
 男は姿を現したとたんに刀を抜き放ち、周囲の宗家をなぎ払う。
 そして、ヒナタを押さえるその分家の者達、同じようにして違う姿を周囲にさらす。
 人質をとるようにして、ヒナタの首元にクナイを突きつけながら、後退する男。
 せわしなく視線が周囲をなめまわす。

「ヒナタ!!!!」

 日向家当主の本気で焦ったその声に被さったのは涼やかな声。

「いつも遅いんですよ。貴方は」

 それはヒナタの言葉ではない。

 ―――日向ネジ。

 日向ヒナタ、ハナビの従兄弟であり、今は亡き、日向ヒアシの双子の弟の息子。
 ひどく離れた場所に身をおきながら、その声は涼やかに響き渡る。
 分家の集まる場所から血飛沫が舞う。
 実はかなりの確立で分家に紛れて隠遁していた他国の忍の末路。
 それをしたのは現在上忍として里を支える人間。

「っっ!貴様っ!女がどうなってもっっ!!!!」
「んな陳腐な台詞言ってんじゃねぇよ」

 日向ハナビに化けていた男の後ろに気配なく立ったのは、幾年も前に里抜けしたはずのうちは一族の生き残り。
 少し伸びた黒い髪を後ろで結んで、前より更に冷たくなった瞳で凄惨に笑う。

「うちは…サスケ…だと…?」
「はい。当たり」

 そして、さようなら。
 男の胸から刀が生えた。
 なおも腕を動かす男に、サスケは刀を抜いて、その首元にクナイを差し込んだ。

「うざい」

 男の身体がぐらつくと同時に、クナイの起爆札が爆発し、男の上半身を消し飛ばした。
 サスケは男の身体を結界で囲んでいたので、狭い結果内で爆発した男は肉片だけを結果内に残す。

「貴様っっ!!!!!」

 ヒナタを押さえる者達が彼女のことを忘れたかのように、首元でそのクナイが動いた。
 その間も、分家の間から次々と悲鳴が上がる。
 その男のクナイを持つ手が、一瞬にして消えた。

 男の前に立つは、気を失った日向ハナビの身体を担いだ男。
 かつて、天才と呼ばれ、最年少で暗部部隊長にまで上り詰めた男。

「うちは……イタチ……」

 そう呟いた男の顔は、絶望に歪められる。
 無くなった腕をそのままに、男は刀を引き抜き、イタチに切りかかる。

 その意識。
 一瞬にして、イタチの瞳の中に引きずり込まれた。
 時間にしてわずか数秒。
 イタチに切りかかろうとしたその格好のまま、男は唾液を流して前のめりに倒れた。
 その目は完全に正気を失っている。

 万華鏡写輪眼。
 男はどれだけの地獄を味わっただろうか?

「な…んで…いるの?」

 イタチが現れたその瞬間から、彼に目を奪われ、離すことなど出来なかったヒナタは、呆然と呟く。
 かつて短かった彼女の黒髪は長く、腰ほどまでに伸びている。
 食い入るようにイタチを見るヒナタは、多分、自分を押さえていた男の1人の末路にも気づいていない。
 そして、今現在、まだ己の後ろにいる存在すら意識していない。

「迎えに来た。今日は当主が変わる日だから」
「何で知って…」

 そう言葉を落として、いつの間にかイタチの後ろに立つ2人の忍の姿が目に入った。
 同じ歳の、昔、里を抜けた黒髪の青年。
 どことなく和やかな瞳でこちらを見守る従兄弟の青年。

「ネジ…兄さん?」
「当たりだ。まさかこんなことになるなんて思いもしなかったがな」

 呆れたように周囲を見回す。
 今や残っている日向以外の人間は、うちはの2人とヒナタを押さえる男達だけ。
 仲間を全員失った上に、完全に無視される格好になった2人の男は、軽く目配せをして、ヒナタの持つ日向の巻物を奪い取ろうとした。

 けれどその腕は、全く同時に掴まれる。
 うちはサスケと日向ネジ。

「感動の再会を邪魔してんじゃねぇよ」
「同感だ」

 どちらも全くの無愛想で、低く低く言葉を紡ぐ。
 そうしてどこぞの忍の身体が吹っ飛んだ。
 サスケとネジの拳打によって。
 彼らが起き上がることはない。

 イタチはハナビの身体を呆然と身を固めたままのヒアシの目の前に置いて、ヒナタに向き直る。

「約束だから。迎えに来た」

 かつて青年と少女が交わした約束。
 約束を守るために青年は帰ってきた。
 少女であったヒナタは、未だ状況が掴めないように、ぽかんとイタチを見つめてる。

「…来て、くれるか?」

 その、どこか心細そうな声に、ヒナタはびくりと身体を震わせて、ようやっと微笑んだ。
 金縛りの解けた体は、吸い込まれるようにイタチの腕の中に納まって、

「勿論!約束でしょう?」

 そう言った。
 その時の笑みは本当に嬉しそうで…日向の誰もが見たことのない笑みだった。

「ヒナタ様…」
「んで、お前はどうするんだ?」

 ひどく嬉しそうにイタチとヒナタを見守る青年に、サスケは問いかける。
 ネジはサスケを見ることもなく答えた。

「残るさ。これからヒナタ様にはお前らがいるが、ハナビ様には誰もいないからな」
「いいのか?」

 それは日向の一族に捕らわれ続けるのと同義。
 けれども青年の顔に悲壮感はまるでない。

 かつてヒナタはハナビを守るために強くなった。
 そして、ネジは日向からヒナタを連れ出すために強くなった。
 けれどもイタチが現れた。
 誰よりも確実にヒナタを任すことが出来て、確実に日向から抜け出させれる存在。

 そのときからネジはその役目をイタチに譲った。
 そしてヒナタが日向に心を残すことのないように、ネジがハナビを守ることに決めた。

「当たり前だ。お前らはしっかりヒナタ様を守れ。悲しませたら許さない」
「それこそ当たり前」

 サスケに復讐以外の道を唱えた少女。
 強く、強く。
 里を抜けたのは兄と同じ道を歩くため。
 兄と共に生きることを彼は選んだ。
 ヒナタのおかげで、それを選べた。

 感謝している。


 ―――愛しく思う。


 彼女が悲しむようなことがあったら、自分がそれを許さない。
 決して。



 彼らは望む。
 1人の人間の幸せを。



「父上。宗家の皆様。分家の皆様。お世話になりました」

 イタチの腕を放して、ヒナタは頭を下げた。

「ネジ兄さん。ハナビをお願いします」

 地に横たわるハナビの小さな姿を、己の目に焼き付けるようにして、ヒナタは笑った。
 深く深く下げた頭を見て、ネジもまた微笑む。
 多分、己の生で見る彼女の最後の姿。
 2度と見ることも敵わないだろう。

 ずっとずっと見てきた。
 彼女が幸せになれる道を闇雲に探していた。
 その道はこれから彼女が歩みだす。

「ヒナタ様。幸せに。ハナビ様は私が守ります」

 それなら見送るものは、少しでも彼女の負担を減らそう。
 彼女の背負っていたものはこれから自分が背負う。

 幸せになってください。
 それが私の唯一つの願い。



 頭を下げた少女。
 ヒアシはいつのまにか大きくなった少女の姿に、目を細める。
 かつて小さく、人の影で泣いていた少女は、大きくなった。
 強く、強く。
 自然とその頬が緩んだ。
 誇らしく、思う。

「幸せに、なりなさい」

 表だって言うことの出来なかった言葉。
 これが本心。
 今更父親顔なんて出来ない。
 自分は彼女を突き放し、宗家と分家は彼女を拒んだ。
 見ることすら敵わず、そんな己を責め続けたが、彼女は今幸せになろうとしている。
 それはなんと誇らしいことか。


 父の言葉に、ヒナタが頭を下げたまま、震えた。
 幼い頃は知らなかった。
 彼がどれだけ己を責めて、どれだけ自分のことを気にかけていたか。
 強くなって、ようやくそれに気付くことが出来た。

 嬉しくて嬉しくて。
 そして、申し訳なかった。

 ヒナタがヒアシに出来たことはあまりに少ない。  
 ヒアシは少しでもヒナタに害なきように、あえてアカデミーに通わせた。
 日向の屋敷の方が危険であるのを彼は知っていたから。
 下忍任務の方がずっとずっと安全であるから。
 日向家当主が突き放すことで、ヒナタと言う存在は守られた。

 彼は知っていた。
 いつからかは知らないけれども、自分が強く在ったことを。
 けれども、ただ見守ってくれた。
 温かく、温かく。

 どれだけ救われただろう。
 ぽたり、と水滴が地に落ちた。

「ありがとう…ございます…」

 零れる思いは、彼に伝わっただろうか。
 彼女の涙を隠すようにして、イタチがヒナタを抱え込む。
 サスケがそれを庇うように立った。
 日向家当主以外の日向は、確かに彼女を疎んでいたから。

 現に今だって、射殺すような目で睨んでいる。
 ヒナタは彼らを許していたが、サスケは彼らを許さない。
 彼らはヒナタを苦しめ続けてきたから。

「兄さん、行こう」
「ああ。だが、少し待て」
「?」

 サスケを横に下がらせて、イタチはヒナタを腕に抱きかかえたまま、その頭を己の胸に押し付けた。

 ―――5秒、と言ったところか。

 イタチはヒナタを抱えて、姿を消した。

「なるほどな。ざまーみやがれ」

 サスケは辺りの惨状を見て笑った。
 ネジは、そこまで言えない。
 たとえ本心が彼と同じであろうと、彼はこの場に残って、事後処理をする必要があるのだから。
 小さく息をついて、サスケの肩を叩いた。

「じゃあな」

 彼はネジの親友だった。
 例え周囲に知られることのない交友だとしても、その絆は深く強い。

「…ああ」

 小さく、小さく、サスケは答えて姿を消す。

 もう、会うことはないだろう。



 自分と日向ネジ。
 それ以外の人間は瞳の焦点を失っている。

「これが万華鏡写輪眼…か」

 初めて見たそれの威力は凄まじい。
 たった5秒でこれだけの人間を放心状態にさせたのだから。

「ヒアシ様。どうやら、今回の砂の抜け忍及び草隠れ、雨隠れの抜け忍の仕業のようです」

 ネジの平然とした言葉に、ヒアシは軽く頷いた。

「驚かないのですね?」

 彼は確かにヒナタのことを気付いてはいたが、自分のことまでは気付いていないはずだった。
 うちはの2人のことも、想像外の筈だ。
 けれどもヒアシは、ただ悠然と構えている。

「もはや何に驚けばいいのかも分からんよ」

 微かに苦笑した。
 確かにヒナタのことは知っていた。
 気付いていた。
 けれども日向ネジのことは知らなかった。
 勿論うちはイタチとサスケが、自分の娘と交友があるなんて知る由もない。

 その上あのイタチが…。

「悔しいな」

 大事な大事な娘。
 ここにいては幸せになれる筈もないのを分かっているが、それを連れゆく青年が、恨めしい。
 けれど、幸せを望むこの気持ちは確か。

「ネジ」
「はい?」
「ハナビを頼まれてくれるか?」
「何を今更」

 それは、ヒナタのことをイタチに任せると決めた瞬間から決定していたことだ。
 ありがたい、と、ヒアシはネジに頭を下げた。
 今、ただ2人だけであるが故に、1人の人間として、己の娘のことを頼む。

「さて、火影様を呼びますかな」
「その役目は私が」

 そう言うと、ネジはあっという間にその姿を消す。
 彼のその動き、それはただの上忍を超えたもの。

「愚かだな。私は」

 気づいてもいいはずのことを幾つも見逃して、結局できることなど何もない。
 娘の幸せを祈ることしか出来ないとは…。

「うちは、イタチ…。娘を…頼む…」

 幸せになってほしい。
 ここから出て、何もかもが良き方向になるとは思えない。
 だが、祈ろう。
 それしか出来ないのなら。

 自分の娘の信じた男を自分も信じよう。





 小さく声を上げて、涙を零す少女をイタチは強く抱きしめる。

 ようやく会えた―――。
 もう、離さない。
 離すことなど出来ない。

 共に―――行こう?

「幸せになろう?」

 それが、言うほど簡単なことでないのは分かっている。
 けれど。

「幸せに、する」

 絶対に。
 ネジの想いも、サスケの想いも無駄にはしない。
 ヒアシの願いも、ハナビの願いも叶えてみせる。
 そのイタチの言葉に、ヒナタは頷いた。

 何度も何度も。

 そして、あのね…と呟く。







 ねぇ、イタチ

 …私、今幸せだよ―――。
2005年4月9日
イタヒナとスレネジとスレサス。
旧家の黒髪スレ集団(笑)
イタヒナ←ネジ、サスケ…みたいな。
ちなみに、ハナビは全部知ってます。