「絶望の中から幸せを掴む人間と、幸せの絶頂から絶望に突き落とすのと、どっちがより不幸だと思う?」
「一番不幸なのは絶望しか知らない人だと思うよ」
「そうだね。けれど私は違うよ。幸せを知っている」
―――燃える。
何もかもが赤く赤く染まっていく…。
その日…日向は、今まさに滅ばんとしていた―――。
「何者だ…やつらは…」
目的も何も発さない襲撃者。
数にして3〜4人。たったそれだけの人数でありながら、その襲撃者達によって、日向の人間のほとんどは命を奪われていった。
わずかに生き残った人間たちで歩を進めていたが、その間にも1人2人と削られ―――今ではたったの5人となっていた。
「父上!!」
最も幼い12歳程度の少女が、長身の男性の服の裾を強く握り締める。
男は、少女の頭に手を置く。
そして、周りにいた壮年の男性、まだ若い男性、17歳程度の少女の顔をぐるりと見回すと、頷いた。
「ハナビ…ここはもう駄目だ。先に行け」
少女、ハナビの小さな身体を一度抱きしめ、男達とは頷きあう。
長いことともにいた人間たちだ。今更言葉なんて必要ない。
そして…。
「ヒナタ、ハナビを無事にお連れしろ」
ハナビに向けたものとは全く違う、感情のない声で、ヒアシは己の娘に顔を向けた。
その言葉にヒナタは、にっこりと、ひどく綺麗で、妖艶な笑みを浮かべて、
「イヤです」
はっきりとそう言った。
だれもが呆気に取られる。
当たり前だ。
普段の日向ヒナタという少女は、控えめで大人しく優しい、一度も親の言葉に背いたこともないような人間だ。
それが、そのはずの少女が、見たこともない表情をして、くすくすと妖艶な笑みを落とす。
一瞬。
一瞬だけ少女の身体がぶれた。
―――そして、ヒアシとハナビ以外の人間が首元から血を噴いて崩れ落ちた。
「―――!!!!!」
何が今起きた? 唖然と、立ちすくむ。身動きすら取れなかった。
ヒアシの目にもヒナタの動きは全く見えなかったのだ。
「あ…ねうえ…?」
震えるハナビを隠すようにして、ヒアシは立つ。
「どういう…ことだ…」
そのヒアシの声には、紛れもない動揺が色濃くにじむ。
「あはははははははっっっ!!!! これでようやくこの家も沈む! ねぇ。そうでしょう? お・と・う・さ・ま?」
こらえきれない笑いを隠すようにして、くすくすくすくすとその合間から、理解不能な言葉が紡ぎだされた。
違う。
違う。
違う。
誰だこの女は。
日向ヒナタという人間はどこに行った。
「私はここにいるじゃないですか。そんなこともお分かりにならない?」
まるでヒアシの心を読んだかのごとく、少女は笑う。
結界を挟んで、業火に包まれたこの空間で、ヒアシは全身に鳥肌が立つ。
「姉上?」
何が起こったのか分からないままにハナビは姉を呼ぶ。その声に嫌悪も憎悪もなく、ただ慕う響きがあるだけ。
そんなハナビにヒナタは優しく微笑んだ。
至極自然に少女は印を組む。
その速さは、ヒアシすら敵わない速さ。ヒアシが止めるよりも先に術は完成し、それと同時に、ヒアシの身体が凍りつく。
金縛りか、それとも他の術か。
まるで凍ったかのようにヒアシの身体は動かせなくなる。
その横をゆっくりとヒナタが通る。
びくり、とハナビが身を震わせて、戸惑うように姉の顔を見上げた。
ヒナタは優しく優しくその頭を撫ぜる。
ハナビのその身体ごと引き寄せて、身体の硬直したヒアシの目の前に導いた。
「可愛い妹…。だけどごめんねハナビ」
首を傾げて泣きそうな顔で見上げるハナビの頬を、ゆっくりとヒナタは撫ぜた。
そして…少女の首が飛んだ。
「!!!!!」
声を出すこともままならないヒアシの目の前で、ハナビの首から上が消えた。
ただの一瞬。
あっけなく、簡単に。
血が、紛れもないハナビの血が、ヒナタを濡らし続ける。
その血がヒアシにまで届く。
白の衣を2人は赤く染めた。
「貴方には何の恨みもなかったけど、どっかの誰かさんを絶望に突き落としたいの。ごめんね」
血しぶきの中、もはや聞こえない言葉をヒナタは首のない少女に紡ぐ。
ハナビに恨みはない。別段好きでもなかったが嫌いでもなかった。
はっきり言ってしまえば、どうでも良かった。
彼女が自分を慕っていてくれるのは知っていたけれども、それでもどうでも良かった。
それはこの家に対する誰に対しても同じこと。
たった1人の標的を除いては―――。
今、その標的の心の中が、ひどく動揺し、怯えているのが分かる。
それに対して、ひどく暗い悦びにヒナタは笑う。暗く暗く、凄惨な笑みを浮かべる。
(これが…ヒナタだと…?)
「これが…ヒナタだと?」
ヒアシの心の呟きとヒナタの言葉はぴったり同時。
「!!」
「まさか、心が読めるのか」
淡々と、ヒアシの思う言葉をヒナタは読み上げる。
生まれたときに授かった、ヒナタだけの能力。
人の考えを読み取る力。
くすくすと笑って、ヒナタは術を解く。
同時にヒアシの身体のバランスが崩れ、よろけながらもその場に立つ。
「どうです? 苦しいですか? 悲しいですか? ねぇ? 父上」
その答えなんて既に分かっているけれど、ヒナタは聞く。
「私は苦しかったですよ? 幼い頃から実の父親に謂れのない暴力を受けて、一族全体に蔑まれて、心の底では皆日向を憎み、その憎しみを日向の出来損ないである私にぶつける。辛かったですよ? 悲しかったですよ? ねぇ? 父上。貴方は今どうです? 怖いですか? 苦しいですか?」
冷たく冷たくヒアシを見上げていながら、その唇には笑みが浮かんでいる。
「お…前…は…、なんだ…」
「私は日向ヒナタ。それ以外の何者でもないですよ? …そうだ父上。確かこんなことがありましたね? 10のときですか? 貴方は私を日向の独身男達の中に放り込みましたね? 確か名目は色の仕事を覚えることでしたか? 本当は欲求不満の日向の男達を黙らせるための生贄でしたね。日向の男達は自分1人の一存で外部に子供の種をまくことは許されませんからね」
日向の子供が、他の地に生まれては困るから。
たった、それだけの理由。けれど絶対的なルール。
日向はよほどの事でなければ日向内で結婚する。日向のためになる子供を作り出すために、本人達の意思を関係なく。
「分かります? たった10の子供が何十人もの男達に犯され続けるその気持ちが? ただの拷問の方がまだマシですよ? 貴方は私に壊れて欲しかったみたいですね? ええ。確かに私は壊れましたよ? 人を殺すのなんて何にも思いませんよ。誰と身体を重ねるのも何にも思いませんよ?」
ねぇ父上?
と少女は笑んで、己の父親を見つめる。
「ああ。そういえば15の年でしたか? 貴方は実の娘を犯しましたよね? その時の憎悪が貴方に分かりますか? 最近では勝手に私の縁組をまとめていたみたいですね? 嫁ぎ先は分家ですか? 妥当にネジ兄さんといったところですか? それで、私にも呪印を施すつもりだったのでしょう?」
彼女の言うことは全て本当。
どれもこれも、確かにヒアシがしたこと、ヒナタを日向から消すためにした様々なこと。
それだけやれば勝手に自殺でもするだろうと思っていたが、彼女はしぶとくしぶとく生き残った。
「ああ。そういえば、私を殺すように忍を差し向けたこともありましたね? 紅先生が乗り込んできましたね。何のつもりだと。それで、殺したのは紅先生だと思いました? 殺したのは勿論私ですよ?あの紅先生は私ですよ? 変化した私。気付きませんでしたよね?」
そんな馬鹿な…。
ヒアシは愕然としてヒナタの言葉を聞くことしか出来ない。
確かに紅が屋敷に乗り込んできたとき、彼女がヒナタの傍にいて、彼女を助けたのだとそう思った。
それをヒナタがしただと?
差し向けた忍は日向の分家の1人で、暗部にも所属する上忍。
それを、中忍でしかない少女が殺したというのか?
身体中から、冷たい汗が流れる。
少女からさっきから少しずつ少しずつ流れてきた殺気が、今では結界の中全てを囲んでいる。
動けない。
少女はさっきから何もしていない。
けれども、ヒアシは少女の殺気に押され、声を出すことすらままならない。
「そうそう。父上。ネジ兄さんは残しておきますよ。貴重な日向一族の最後の生き残り。良かったですね父上? これで宗家も分家もなくなる」
「…ふ…ざけるな!小娘!!!!!」
ようやく。
ようやくヒアシは身体の呪縛を解いた。
ヒアシの身体を殺気が包み込む。
チャクラを練り、術を唱える。風が巻き起こり、少女の身体を包み込んだ。
けれど。
「ああ。そうだ。向こうでくらいヒザシ叔父様と仲良くしてくださいね?」
聞こえた声はヒアシの真後ろ。
振り向くよりも早く足に鈍い痛みがはしる。
見れば、足に長く突き刺さる刀。
「ぐぁあ…!!!」
その刀は無造作にくるりと回り、床に平行になりぶちぶちぶちっ、と、不可解な音を立てて横に引かれた。
「あぁああああああああ!!」
その声に、くすくす、と少女の笑い声が重なる。
たまらず肩から崩れ落ちたヒアシの身体を蹴って仰向けにさせると、少女はクナイで、ヒアシの両手足を床に縫いとめる。
深く深くヒアシの身体を抉るクナイは、まるで根が生えたかのように動かない。
それでも、ヒナタはなおも腕の付け根、足の付け根、手のひら、足首と、動きの支柱となる部分を次々と床に縫いとめていく。
ヒアシの苦痛に歪んだ顔を刀を肩に担いだ少女が覗き込む。
楽しむように、恐怖を誘うように……ゆっくりと刀をヒアシの目に突き刺した。
ぶちゅり…とやけに小さな音が、ヒアシの耳に届く。
「ぎぃあぁやああぃあああああああああぁぁぃいっぃぃいいああああっぅい!!!!!!!!!」
まるで血の涙を流すかのようにだらだらと、赤い軌跡を眦から零す男を、何の表情もなくヒナタは眺め。
「みっともないですね。日向家当主ともあろうお方が」
もう一つの残った瞳にゆっくりと刀を近づけた。
ぶちゅぅ―――。
またも、ヒアシの耳朶を嫌な音が通り抜け、視界は全て赤く染まった。
「あぁぁぃぃあぃあいああああぁあぁっぁっあぎゃあぁっ!!!!!!!!」
身体をびくりびくりと震わせながら、結界中を男の声が響き渡る。
ヒナタはそれを聞くのも不快だというように、男の喉に刀をすべらせた。目の見えない男は、突然の苦しみに叫び喘ぎ、声すらも奪われたことに気付く。
「―――ぅっ!!!」
ひゅーひゅーと、奇妙な音がして、ヒアシの声は外にはでない。
「それでは。さようなら父上」
少女の声がした。
日向ヒナタ。
もはや何も考えることなど出来ない。
痛みが全てを支配する。
だが、少女の声を聞いて、楽になれるのだと思った。
この苦痛の全てが消え去るのだと思った。
楽に、なれるのだと―――。
そして
―――それは…大きな間違いであった。
耳に届いたのは、結界に拒まれていた、業火の燃え盛る音。
それに加えて、身を包むとんでもない熱気。
じゅ―――、と音がした。
何かが焦げる嫌な匂い。
それが、何か分かると同時に、ヒアシは思わず声を上げた。上げたつもりだった。
焼けているのだ。
そう…紛れもなく…自分の身体が…。
「―――!!! ―――!!」
ひゅーと、変な音が漏れた。
その苦痛は終わらない。
絶望がヒアシを包み込む。
身体に次々と火が燃え移る。
音だけが、リアルに状況をヒアシに伝える。
「――――――――――――――!!!!!!!」
声にならない声が、日向の燃え落ちる屋敷を包んだ。
燃える。
燃える。
全てが終わる。
「終わった?」
結界に身を包み、傷一つなく、けれども数多くの血に身体を染め上げた少女に、一つの声が掛けられた。
その声は、はっきりと少女の身を案じたもの。
「…うん…」
だから、少女はただ答える。
視界が赤い。
夕日に、炎に、血に、世界の全てが赤く包まれる。
「ネジは、逃がしたよ。というか、眠らせて、じっちゃんちの前に置いてきた」
暗部並みの実力を持つようになった彼は、少し邪魔だったから。
「…うん…」
「兄ちゃんとこ…行こう?」
放心したような少女に、優しく優しく問いかける。
目の前の少年の金の髪も赤く赤く染まっている。
他人の血に、夕日に、炎に。
「…うん…」
初めて少女の瞳を透明な雫が濡らした。
それは、今しがた少女が行ってきたことに対する、後悔の涙ではない。懺悔の涙でもない。
目の前の優しい少年を自分の道に引きずりこんでしまったこと。
それに対する後悔。そして懺悔。
少女の身体の全てを包み込むようにして、少年は抱きしめた。
優しく強く。
自分の最も愛しい人物を全てから守るように。
そして、消えた。
跡形もなく。
残るは、炎に包まれた日向の家。
生きる者はもういない。
すべて、すべて。
炎に包まれる。
静かな顔をして、元のように首のついた日向後継者の身体も。
声のない叫びを上げ続ける身動きの取れない日向家当主の身体も。
消える。
消える。
炎が全てを飲み込む。
そうして日向は滅んだ。
ただ1人の少年を残して―――。
同時に、1人の少年が姿を消した。
中忍の、里で忌み嫌われた少年が、まるで日向の滅亡と連動するように消えた。
里の一部は里抜けだと、少年を探すように、追い忍を差し向けるように促したが、火影がそれに頷くことはなかった。
日向の滅亡のために、里は大きく傾いだから、死んだとも知れない少年に追い忍を差し向ける余裕なんてなかった。
だが、少年の同期であった中忍や上忍は暇さえあれば彼を探しているという。
その半年も後―――。
うちはイタチが暁を抜けたという情報が木の葉に入る。
そのイタチの元には、木の葉マークを横一文字に削った、2人の忍の姿があったという。
「狂った獣は自らの住処を壊すんだって。なら…やっぱり私は狂っているのかなぁ?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。けれどどちらにしても変わらない」
「ヒナタが狂ってるのなら、きっと俺も狂ってる。気にすることなんてないんだ」
「…そうだね」
2005年2月24日
最後の彼は勿論スレナルで。
最後のヒナタの言葉に答えたのはイタチ。その次の言葉がスレナルです。