『風の吹く場所』
風が吹いた。
服の裾がバタバタとはためく。
どうして、と彼女は言った。
風にのって、ささやき声はようやくイタチの耳に届く。
探し続けた声。ようやく見つけた後姿。
初めて会った時の姿とも、最後に会った時の姿とも、全く違う別の姿。
今は見えない、不思議な色合いをたたえる翠の瞳。風にたなびく砂色の髪。
どれもこれも、探して、探し続けて、ようやく見つけた欠片の塊。
「テマリ」
「……………なぜ、ここに?」
彼女はゆっくりと振り返り、静かな瞳でイタチを軽く見上げる。
それと同時に、彼女の周りをぐるぐると取り囲んでいた風が消滅した。
「会いたかったから」
「………馬鹿、じゃないのか」
「馬鹿でいい」
「本当に馬鹿だ。…言った筈だよ。私はあんたみたいには生きれない。里を捨てることも、弟を捨てることも、選べない」
だから、あの村にいることは出来ない。
イタチと共にいることも出来ない。
自分にはとても大事な弟が2人いて、彼らが守っているこの里が好きで…それを捨てることは出来ない。彼らを悲しませるようなことはしたくない。
「知っているさ」
だったら何故。
言おうとして、言えなかった。
見上げた真っ黒な瞳はとても深くて。
じっと、静かにテマリを見守っていた。
2人を繋ぐものは、何もないと思っていた。
友情も、愛情も、何一つ。
ほんの少し人生が交わっただけの、小さな絆。
それももう完全に断ち切って、一生あの村には行かないつもりで、この目の前の男とも会わないはずだったのに。
どうしてか。
息が詰まって、うまく呼吸が出来ない。
どうして。
「お前があの村に住めないのなら、俺がここに住めばいい」
それだけだろう?
なんて簡単で、呆気ない解決策。
けど。それは。
それでは…。
「あの2人は」
「テマリ」
言おうとしたことを遮られて、詰まる。
ふと、イタチが笑った。小さく、落とすように、柔らかく。
「違う。あの2人の問題じゃないんだ。これは、俺たちの問題なんだよ」
自分よりももっと大切で、気になることがあるから、どうしても自分のことを後回しにしてしまう。それが彼女の悪い癖で、自分の癖。
それは、もしかしたら長男長女として生まれてしまったからかもしれないけど。
「あの2人ももう子供じゃない。誰も、いつまでも子供じゃないんだ」
「…………」
「それに、どうせお前が旅をすること前提の結婚なら、一緒に行こう」
それなら文句はないだろう?
そうして笑う男は、あまりにも魅力的だった。
何もかもを後回しにして、何もかもを忘れてしまうくらいに。
「お前は馬鹿だ」
「…そうだな」
「ああ。もう本当に馬鹿だ。馬鹿すぎて呆れた」
風が、ふわりと、巻き起こる。
砂色の髪が勢いよく揺れて、長く伸びたイタチの黒髪も揺れて。
「だから、私も馬鹿になろうじゃないか」
風が吹く場所が、彼女のいる場所だ。
遠かったはずの距離は近づいて。
風が吹く―――。
2006年11月29日