ひたひた 今日も遅くなってしまった。 仕事場を出て、真っ暗な家路を急ぐ。 早く家に帰らなくては。 そう思って歩く家への近道は、街灯ひとつない雑木林の中の小さな道。 友達はここを通るのをやめろと私に言うけれど、明るい道を選んで帰っていたら家まで30分は歩くのだ。ここを通ればちょっとは早く、家に帰れる。 それに大丈夫、私にはあれがついてる。 ひたひた ひたひた 早足で歩く私の後ろ、ひっそりと付いてくる足音がある。 普通の人は変質者とかじゃないかと怖がるけれど、私は怖がったりしない。 だってあれは、私の味方だから。 それは私が今の会社に勤め始めて3ヶ月くらいのころ。 初めて残業というものを経験した私が家路についたのは、あと2、3時間で日付も変わろうかという時間。 私はともかく早く帰りたかった。 だから、夜中通るには危ない道と知っていながら雑木林の小道を選んだのだ。 その選択を後悔したのは道を半分いこうかいかないか、という時だった。 ひたひた ひたひた …誰かが後をついてきている。 足音自体は注意しないと聞こえないくらい小さいものだけど、他に音がない暗い夜道では思いのほか大きく聞こえた。 始めは自分の足音だと思った。 でもやっぱり違う。 私が走ると少し遅れて追いかけてくるし、立ち止まるとやっぱり少し遅れて立ち止まる。 怖い。 こんな道、通らなきゃよかった。 そう思ったころにはもう雑木林の小道を半分ほど進んでいて、私は早く小道を抜けようとさらに足を速めた。 だって、後ろにはあの足音がいる。 唐突に、小道の先に人影が見えたときどんなにほっとしたことか。 これで助かると思った。 他の人がいれば、あの足音もその人の横を通り過ぎてまで私を追おうとはしないだろう。 そう思って人影――男の人だった――とすれ違おうという瞬間。 がしっ、と腕をつかまれた。 その男が下卑た笑みを浮かべているのを見て、しまった、と思っても…後の祭り。 男に脇の茂みに投げられて、草をなぎ倒しながら地面に倒れこむ。 背中を強く打ち付けて、息が詰まった。 だれか助けて。 そう願ってから思う。だれも助けてなんかくれないだろうと。 そう思ってから願う。それでも、誰か。 下卑た笑みを浮かべた男が私の上に覆いかぶさってきた、そのとき。 ひたひた ひたひた あの足音がこちらに近付いてきた。 「た、助けて…!!」 思わず掠れた悲鳴が出た。助けてくれないと思っていても。 おおぉぃ おおぉぃ 声が聞こえた。 言葉を覚え始めた子供のような、頼りない声が。 親を呼ぶ子の叫びのような、聞く者を不安にさせる声が。 おおおぉい おおおぉい それは次第に大きくなって。 いつしか、木立を震わせるような”叫び”へと。 気がつくと、私に覆いかぶさっていた男がいなくなっていた。 逃げたのだろうか。 半身を起こして辺りにだれもいないことを確かめると、私は走った。 一目散に、家へと。 次の日。 私は何事もなかったかのように仕事に行った。 その帰り道、あの雑木林の小道を通る。 追いかけてくる、あの足音。 ひたひた ひたひた 「昨日はありがとうね」 ひたひた ひたひた 「助けてくれたんだよね?」 ひたひた ひたひた 返事は無かったけれど、私はそれで満足した。 だから、この足音は怖くない。 |