……そろそろここを出よう。
目が覚めてまず思ったことはそれだった。
穴だらけの殲滅作戦
人身売買グループに攫われてからもう3日。
4日には大規模な競りがあると聞いていたし、そろそろ彼らが私に追いついている頃だろう。
攫われた理由は…たぶん、容姿が珍しいから。
私のような黒目黒髪はこの世界にはいないらしいし、ここでは典型的日本人の顔立ちも珍しいらしい。
まぁ、私は元の世界でも美人と言われる部類ではなかったのだけれど。
……そう、私はこの世界では異世界人。
この世界の人たちと容姿や顔立ちが違っているのは当たり前のことだ。
牢の中でむくりと起き上がった私は、周りに人目がないことを何度も確認した。
…他の牢にとらわれてる女の子たちにこれからすることを見られるのも困るから、眠ってもらうことにする。
ぐるっと周りを見渡せば、それだけで私に集まる小さな視線。
この世界に来てから、見えるようになったモノたち。
精霊と呼ばれるものの類だと、人々の話を聞いて知った。
……もっとも、普通の人には見えないはずのモノらしいのだけれど。
『…眠って。次の朝日が昇るまで深く、深く』
久しぶりに出す声は、ひどくしわがれた響きがした。
それでも精霊たちは私の意を汲み取って動く。
そう、精霊たちは私の言うことを怖いほどきいてくれる。
寒いと言えば、暑くなり、晴れればいいのにと呟けば、その瞬間雲ひとつない晴天が現れる。
それらをコントロールする術を持たないから、私は極力喋らないようにしていた。
周りの人は多分、私が喋れないのだと思っているに違いない。
『見せて』
そう呟けば、目の前に水蒸気が凝り固まって、鏡ができる。
その鏡の中に、私は求める人たちの姿を見つけた。
(よかった…すぐ近くまで来てる)
鏡に映っているのはこの世界で私を保護してくれている2人の姿。
迷惑をかけているのは分かりきっているのだけれど、今の私には2人の厚意に甘えるほか生きる術がない。
(ごめんね、迷惑ばっかりかけて)
2人の姿に両手を合わせて、鏡を消す。
せめて2人が怪我をしないよう、この組織は私が壊滅させておこう。
そう決心した私は
『壊して』
手始めに牢の鍵をぶち壊した。
「ヴォラト、中の様子はどうだ?」
物陰からとある建物の様子を窺っている青年はその言葉に首を振った。
「いや……やけに静かなんだ。勘付かれて逃げられたか?」
「中に入ってみるか?」
「それは……いや、お前なら客として通りそうだな」
首を振りかけたヴォラトは、自分の隣で同じく様子を窺っている青年を見て考えを変えた。
彼が着ているのは金糸で刺繍が入った上着に、上等なベルベット生地のズボン。
とてもではないが、これから人身売買組織に乗り込む服装ではない。
正面から堂々と入っていけば上等な客として出迎えられるだろう。
「入ってみるか」
即興で主人とその護衛という役割を決めて、ヴォラトとコチニールという青年2人は建物の中へと入っていった。
人身売買組織を壊滅させるのは結構あっという間だった。
『捕まえて』
その一言で、地下にあった牢屋の番人は半分以上土に埋もれた。
死なないように顔だけは出しておいたから叫ばれたけれど、軽く首を蹴ったら静かになった。
番人の悲鳴で集まってきた男たちは、まとめて牢屋に放り込んでおく。
顔は見られると困ると思ったから、適当な布を裂いて髪と顔だけ覆っておいた。
なんに使われていた布なのか、ちょっと臭い。
ボスは最上階にいるもの。
そう思って2階に上がったら、でぶった男がなにやら喚いている部屋を見つけた。
「なんだお前は!何者だ!?」
『私は正義の味方。お前達を退治しに来た』
つい悪ノリしてそう言ったら無茶苦茶恥ずかしくなった。
赤面した私の感情に反応した精霊達が、でぶった男の周りに炎を生み出す。
しまった。
『やめて!』
慌ててそう言ったら瞬く間に炎は消えた。
あとには気絶した、でぶった男。案外肝っ玉が小さい男だったらしい。
『いちおう、動けないようにしておいて』
そう言って私はきびすを返す。
この建物の中にはもう動けるものはいない。
あとはあの2人を、牢の中で待つだけだ。
地下牢に戻ってきた私が見たのは、粉々に吹っ飛ばされた鉄格子だった。
……しまった、牢の鍵は壊していたんだっけ。
鍵を吹っ飛ばした牢屋の前で、私はしばし自分の行動を悔いた。
……壊すんじゃなくて開けてもらうんだった。
どうするか考えていると精霊たちがあの2人が建物の中に入ったことを教えてくれた。
組織の人間達が無力化されてるのに気付いたのか、慌しい足音が地下の牢にも聞こえてくる。
ままよ。
『入れて!』
私は空いている牢にそう叫んだ。
「ハルナ!無事か!?」
駆け込んできたヴォラトとコチニールの声に、体育座りをしていた私は顔を上げた。
今起きた、という演技も忘れない。
まばたきを頑張って我慢した成果の涙もいい感じで跡として頬に残ってくれた。
「待ってろ、今助ける」
そう言ってヴォラトは私がこじ開けた牢の鍵を開け始めた。
……よかった、牢の番人の鍵束目立つところに置いておいて。
「いったい何があった?」
ヴォルトがそう尋ねたけれど、それは答えを求めるものではない。
私は喋れないと思われているから。
コチニールに助けられて立ち上がった私は、震える手で自分が破壊した牢を指差した。
無言なのはあたりまえ。
手が震えてるのは……実際寒いんだから仕方がない。
人間にはありえない怪力で吹っ飛ばされた鉄格子を見て、2人は何を思ったのだろう。
次に私に向けられた笑顔は、なんだかぎこちなかった。
自分でも苦しい理由付けだったことは分かる。始めは、なぜか上の階の悪人だけやっつけられてる…ていう状況を作りたかったんだけど。
ついついストレスが爆発しちゃって。
「ともかく良かった、無事で」
「残りは憲兵に任せて、俺たちはとっとと家に帰るぞ」
うん、と頷いて先を進む彼らに付いていく。
私が必死に喋るのを避けてるのは、彼らのため。
この世界で最初に安らげる場所をくれた彼らを、傷つけたくないから。
だから私は、今日も沈黙を続ける。
|