花を、手向ける。
 それは死者を悼む行為。

 花を、手向ける。
 ここではそれは、種をまくこと。
 まいた種は根を張り、芽を出して、やがて白い花を咲かせる。





「なんだか今こうしていても信じられないの、あの人が死んだということが。なんだかまだ悪い夢を見ているかのよう」

 彼女の恋人はつい昨日までは元気に笑っていた。
 彼女の作る手料理をおいしそうに食べ、おかわりをし、うまいうまいと顔にパン屑をつけて笑っていた。

 朝はわざわざ彼女の家の前を通って仕事場に行き。
 夜、仕事が終わってからは真っ先に彼女の家へ訪れた。

 2人は村でも評判の仲睦まじい恋人同士だった。

「もうすぐ結婚しようって話していたの」

 私の両親も結婚に賛成してくれて。
 彼の両親も私達の結婚に賛成してくれた。
 新しく2人で住む家も決まって、まさに順風満帆の2人だった。
 なのに。

「どうして死んじゃったのよう……」

 あっけなく、あまりにあっけなく。
 馬車に轢かれて彼は天国へと逝ってしまった。
 駆けつけた時には既にその身体は冷たくなっていて。
 彼女は泣きながらその身体に種をまいた。




「神父さま……神様は、あの人を生き返らせてはくれないかしら」

「それは、自然の理に反すること。たとえ神でもその願いは聞き届けてはくださらないでしょう」

 やわらかな赤毛を振り乱し、棺に顔を伏せて涙にくれる女性の傍らに立った神父は、静かな声音でそう言った。
 彼女の恋人にまかれた種は未だ固く、根を出す気配も見せない。
 昨日まかれたばかりなのだから当たり前だ。

 彼女の悲しみも、この種が芽吹き、成長するにつれて鎮まっていくだろう。
 神父は早く種が芽吹くことを祈りながら、その部屋を後にした。










 10日後。死体にまいた種が芽吹いた。

 神父が様子を見にいくそのたび、棺の傍らには常にあの女性がいた。
 しかしその様子は以前とは全く変わってしまっていた。

 ちゃんとした食事をとらない所為だろうか、頬はこけ、眼窩はくぼみ、はしばみ色の瞳が異様な光を放っていた。
 やわらかな曲線をえがいていた美しい赤い髪はきちんと手入れされていない所為だろう、もつれ絡まってしまっている。
 そんな身なりを構わぬ壮絶な姿で、女性は死体を日光にあて、死体を突き破って生えてきた芽を愛しげに撫でていた。

「ああ、神父さま。見てください、もう芽が出たんですよ」

 神父にそう言う彼女の顔に浮かぶのは本当に幸せそうな笑顔。










 20日後。芽は蔦になり、さらに蕾がついた。

 いくつもの『花』を見てきた神父は気付いていた。この人の『花』は成長が早すぎることを。
 まるで、死者が早く彼女を自分の喪の期間から解放してやりたいと、そう願っているかのようだった。

 神父が様子を見に行くと、棺の傍らに座った女性はゆっくりと振り向き、神父に会釈した。
 一時期、彼女を覆っていたあの異様な雰囲気は跡形もなく、女性はかつて恋人が生きていた頃とほぼ変わらない様子に見える。
 心配した家族が気を配ってくれているらしい。

「よかった、きちんと食事できているようですね。以前のあなたはあまりに取り乱した様子だったので心配していたのですよ」

「ご心配おかけしてすみません、神父さま。もう大丈夫です。」
「私思ったんです、せっかくあの人の傍にいるのにみっともない姿は見せられないわって」

 そう言って恥ずかしそうに微笑う彼女。
 それは全く以前と同じ笑顔に見えたが、どこかずれが生じているような印象を神父に与えた。

 彼女から視線を、棺へとうつす。
 20日前にまいた種は蔦となり、棺からそとへ飛び出す勢いだ。
 そして、1本の蔦の端に、小さな白い蕾がついていた。

「…蕾がつきましたね」

「ええ、でも私にとっては早すぎるような気がするんです」

「どんなに蕾が付くのが早くても、早過ぎるということはないはずです。これは、もう何も言う事が出来ない死者からの、確かなメッセージなのですから」

 もう弔いは充分だから、普段の生活に戻って欲しい。
 自分のいない新しい人生へと、踏み出していって欲しい。
 それはこの村で長く務めている間に、多くの死者を見ていて感じたことだった。
 周りのことを深く思いやる人だったほど、その『花』は早く咲くように思える。

「………はじめに蕾に気付いたのが、私だったらよかったのに」

「え?」

 物思いに耽っていた神父は、女性がぽつりとそう洩らした言葉を全て聞き取る事が出来なかった。
 怪訝そうな顔をした神父に、彼女は微笑みながら言った。

「もし私がはじめに蕾に気付いていたら、きっとその蕾を摘んでしまっていたと思いますわ、神父さま」
「だって、そうすれば花が咲くことはないもの」
「ずっとずっと、この人の傍にいられる」
「私が気を付けていれば、こんなに早く冷たい土に埋めることはなかったのに」
「こんなに早く、この人から離れることはなかったのに」

 愛しげに死体の頬を撫でる彼女からは、10日前のような雰囲気を感じる事はない。
 だけどその彼女の言葉からは、彼を自分の傍から離したくないという強い執着を感じる。
 それは巧みに隠されて気の所為とも思えたけれど、神父はそう感じたのだ。
 けれど、きっとそれも時が解決してくれる。
 20日前、身を切るような悲しみにくれていた彼女が、今はこんなにも穏やかじゃないか。
 神父は自分にそう言い聞かせ、祈りを捧げて部屋を後にした。

 喪が明けるまで、あと数日。










 彼女の愛しい恋人が死んでから、3年の月日が経った。

 彼女は彼と結婚してから暮らすはずだった新しい家で、明るく穏やかに暮らしている。
 花が絶えない、明るい家。



 毎日、彼女は墓地へ出かける。
 目的はもちろん、彼女の愛しい恋人の墓。

 そこは死体にまいた種が、蔦を伸ばして墓を包みこむように生えていた。
 蔦の濃い緑色に、白い花が映える。

 彼女は毎日その花に水をやり、肥料を与え、雑草をぬく。
 そうして咲いている花を摘んで家に帰るのだ。
 食卓、寝室、応接間に台所。
 ありとあらゆる場所に、彼女はその花を飾る。
 そして花を見るたび、微笑むのだ。

「ずっと一緒ね、あなた」

 だから彼女が住む家は、白い花が絶えることはない。 









2007年6月3日

これもまた、正しい『花』の使い方。
死者を忘れられない者には、その花を。