ざあっ、と前触れもなく大粒の雨が降ってきた。
「あ〜、さっきまで晴れてたのに…」
部屋の中で本を読んでいた瑞月は、慌てて窓を閉めに行った。
寝室、キッチン、書斎、実験室。
瑞月と彼女の師匠が住んでいるだけの小さい家には、意外と窓が多い。
最後に居間の窓を閉めようとしたとき、森の中から黒猫が一匹走ってきて家に飛び込んだ。
「あ、師匠。お帰りなさい」
間に合いましたね、とさして驚くでもなく最後の窓を閉めた瑞月に、彼女の師匠は「うむ」と頷く。
床に降り立ったその場で毛繕いを始める黒猫。彼についている水滴を布でぬぐってやりながら、瑞月は呟いた。
「なんかいきなりですねー」
「うむ」
薬草とか何も干してなくてよかった、などと言った弟子に、黒猫は訝しげな目を向けた。
「外に突っ立っておった郵便屋は、おまえが干してたんじゃないのか」
「郵便屋って…あのひとですか?干した覚えはありませんけど。…って、外にいるんですか!?」
「帰ってくるときに玄関にいたぞ」
なんでもないことのように言った師匠を思わず放り出して、瑞月は駆け出した。
「郵便屋さん!?」
思わず勢いよく開けてしまった扉にごん、と鈍い振動が伝わって、瑞月はおそるおそる外を見た。
そこには、郵便屋の制服を着て頭を押さえてうずくまっている少年が一人。
「当っちゃいました…?」
小声で問いかけると、うずくまっている少年から搾り出すような声が聞こえた。
「当っ…ちゃいまし…た」
心底痛そうにしている姿に罪悪感がつのったが、彼相手に素直に謝るのもしゃくだった瑞月は唇を尖らせて言った。
「そんなところに突っ立っているから悪いんですよ。ご近所さんに変な噂がたったらどうしてくれるんですか?さ、早く中に入ってください」
森の奥に建っている一軒家にご近所があるのだろうかと少年は思ったが、痛さで声が出ないまま強引に瑞月の家へと押し込まれたのだった。
「お、取り込んできたか」
「取り込んできたって…そんな洗濯物みたいに。回収って言ってください師匠」
「どっちだって似たようなもんじゃないか。んで、なんであんなところにいたんだ?ストーカーか?」
だったら面白いんだが、と言った師匠を嫌そうな顔で見て、瑞月はお茶を入れたポットとカップをお盆にのせた。
「理由は今から聞き出します」
居間に入ると、頭のたんこぶに濡れタオルを乗せた郵便屋さんことグラトルさんが、椅子に座ってぼーっとしていた。
どっか変なところでもぶつけたのだろうか。
「大丈夫ですか」
一応、礼儀として聞いてみるとぼーっとしていた顔がにへら、と崩れた。
「だいじょうぶです〜。すみませんねぇ、雨宿りさせてもらっちゃって〜」
「どうしてあんなとこにいたんですか?」
「いやあ、ちょうどこの家に着いたあたりで降り出しましてねぇ。すぐにノックしようかと思ったんですけど…」
無言で続きを促すと、へらへらしていた笑顔が照れくさそうなものに変わった。
「届けたときにどしゃぶりだったら、雨宿りさせてくださいと言っちゃってるようなもんかなぁとか、一人暮らしの女性の家に僕みたいなのがいると恋人同士だとかいう噂がたっちゃうかもしれないなぁとか、むしろそれは望むところだなぁとか、いやそれ以前に僕の理性が持つかなぁとかいろいろ考えちゃいまして」
「そうですか」
いろいろ、不穏な言葉が聞こえたような気がしたが、とっさに気付かないふりをする。
用事がない限り、この男を家にあげるのは危険だ。
心の中で盛大に冷や汗をながしながら、なんとか平静を装いつつお茶をふるまった瑞月は、雨が上がるやいなや、郵便屋さんを外に追い出したのだった。
2008年8月9日
グラトルさん、頭を打って思わず本音がぽろりと(笑)