小さい頃から、家には毎日のように異国の商人が出入りしていて。
彼らはとても珍しい目や髪の色をしていたから、彼女の黒髪も、金色に見える瞳も、そう大したことじゃないと思ったんだ。
「今日からこの街に配属となりました、グラトルと申します!よろしくお願いします!」
着慣れない制服の帽子をとって、グラトルは挨拶した。
ここは、大きな森の横にある街。
生まれ故郷から離れたこの街で、グラトルは新しい生活を始める。
彼が育ったのは、この街の隣の隣の港町。
父は貿易商をやっていて、彼はその末の息子。
上に兄が2人、姉が1人。跡継ぎは充分だったから、小さい頃から僕は何か別の仕事につくことにしていた。
そして学校を卒業して郵便局の採用試験に合格した彼は、この街にやってきた。
「ま、まずはこの街をざっと案内するよ。んで、ついでに配達エリアの確認な」
「はい」
郵便配達員の先輩が、初めての街を案内してくれる。
住んでいた港町のほうが活気があったけど、皆が穏やかに暮らしてる静かな街だと思った。
街の真ん中には広場があって、子供達が遊んでいる。
街の名所や、生活に便利な市場なんかを教えてもらって、街の出口へ向かった。
そのまま先輩は、街外れの森の方向へ歩いていく。
「あの、配達エリアは街の中だけじゃないんですか?」
「ん?ああ、新入りは森までなんだよ。」
振り返った先輩が、気まずそうな顔をする。
焦ったようなその様子に、不安になる。
「森までって…迷ったりしませんか?」
来る途中に見たのは背の高い木が密集した黒々とした大きな森。
とても人が住んでいるようには見えたかったが…。
「あー、入り口までだから大丈夫だよ」
迷ったように視線を泳がせた彼は、怖がらせるつもりじゃないんだけどな、と苦笑いして言った。
「この街には、皆に恐れられている魔女が住んでいて、代々新入りがそこの担当なんだ。
人嫌いでな。森の奥に住んでるんだが、そこまで行くのは大変だってことで森の入り口にポストを作ってある。
そこまで持っていって置いておいてやれば、魔女が勝手に持っていくから」
一回遠くから姿を見たことがあるけど、いっつもフードで顔を隠していてさ、不気味な奴だったよ。
そう言った僕の前の新入り、つまり僕が入る前までそこの担当だった彼はほっとしているように見えた。
「そら、着いたぞ」
先輩配達員についていった先には、木でできた小さい家みたいなものがあった。
地面から1mぐらいの高さに、1m四方の正方形の箱。雨避けのためだろうか、屋根がついている。
色は白く塗られてて、なんだか学校にあった百葉箱(正確な気温を測るための箱)を思わせる。
そして、屋根の上には何故かカラスがとまっていた。
「こんにちは、新入りを連れてきました。これからここの担当になります」
先輩が上を向いてそう言ったので、グラトルは不思議に思った。
視線をたどると、その先にはカラスがいる。
「先輩?」
「ほら、お前も挨拶しとけ。あのカラスは魔女の使い魔だ」
カア、という鳴き声に振り返ると、カラスがこちらを睨んでいた。
「郵便物を盗む奴を襲う恐ろしいヤツだ。しっかり顔を覚えてもらえ」
人気のない場所にポストがあるのだからそういう警戒も必要なのだろう。
なるほど、と頷いたグラトルはカラスに挨拶した。
「これからここの担当になります、グラトルです。よろしくお願いします」
カァ、と鳴いたカラスは満足げに頷いた…ように見えた。
次の日。グラトルは、早速森に向かっていた。
彼の初仕事は、魔女の手紙を届けること。
魔女宛の手紙は、意外なことだがかなり頻繁に届くらしい。
先輩達は、お前も初日からとは運がないな、と笑っていた。
昨日、先輩に連れて行ってもらった道を今日は一人で歩く。
森の入り口へ差し掛かった時、彼はポストの近くに人影があるのに気付いた。
「あれ…あの子」
背格好からするとどうやらまだ子供のようだ。
街の子供が遊びにでやってきているのだろうか?しきりに、ポストの中を調べている。ポストの屋根には、使い魔のカラス。じっと子供を見つめている。
…もしかしなくても、危ないんじゃないだろうか。
郵便物を盗むやつを襲う、という先輩の言葉を思い出してグラトルの血の気が引いた。
「ちょっと君ー!危ないよ!」
走りながら叫ぶと子供が驚いて振り返った。
声に反応したカラスが翼をはためかせる。
グラトルはとっさに、子供の頭を抱え込んで地面に伏せた。
しかし、いつまでたってもカラスの攻撃はやってこない。不思議に思った彼がゆっくりと身を起こすと、庇っていた子供がもぞもぞと動いた。
「…痛い」
「ああっ!ご、ごめん」
慌てて手を離して子供を立たせたグラトルは驚いた。
子供だと思っていたのは、15、6ぐらいの少女だったのだ。
まだ幼さが残る顔をつつむのは艶やかな黒髪。はしばみ色の瞳は光の加減で金色にも見える。
珍しい色だと思った。髪も瞳も。
思わずじっと見つめてしまっていたのだろう、少女はグラトルの視線に気付くと慌てた様子でフードを目深にかぶった。
突然知らない男が出てきて地面に倒されたというのに、少女は泣き出すこともなく無表情で服の埃をはらっている。
「…大丈夫?突然ごめんね」
こくん、と少女が頷くのを見てグラトルは安堵した。
「アレは魔女のポストだから、覗いたりしたら危ないよ」
「…危なくなんか、ないわ」
そう小さい声で少女は答えると、無造作にポストの扉を開けて中の荷物を取り出した。
使い魔のカラスは身動きもしない。
それどころか少女が手を伸ばすと、甘えるように頭をすりつけた。
呆然とそれを見ていると、少女はこちらを向いて手を差し出した。
「あなたは昨日来ていた新入りね。さ、ちょうだい」
「な、何を?」
「手紙に決まってるじゃない」
「ああ、手紙ね…」
言われたとおりにカバンから手紙を取り出そうとして、ふと気付く。
魔女宛の手紙を欲しがるこの少女ってつまり。
「君が、魔女?」
半信半疑で問いかけると、少女はフッと鼻で笑った。
「当たり前じゃない。今ごろ気付いたの?」
そしてグラトルが差し出した手紙をひったくるように取って踵を返す。
森の中へ走っていくその後姿は、どう見てもただの女の子で、とても恐ろしい魔女なんかには見えなかった。
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