明け方と恋に堕ちた少女 　深呼吸する。 　すぅーーーーーーはぁーーーーーーーーーー。 　すぅーーーーーーーーーはぁーーーーーーーーー。 　長く長く吸って、長く長く吐く。 　深呼吸にはリラックス効果があるのだという。 　それはきっと本当だ。 　女子高生A、詩鶴はそう思う。 　だって、緊張してる。 　すごい、緊張してた。 　でも、深呼吸をなんどもなんども繰り返してたら、少し落ち着いた。 　手鏡を取り出して、身だしなみチェック。 　動きやすいジーンズに、ちょっとだけ洒落たお気に入りのＴシャツ。 　髪はぼさぼさになっていたのを、お気に入りのピンでとめる。 　それだけ。 　それだけでも、昨日とは大違い。 　だって、昨日はすごかった。 　っていうか、新聞配達中はいつもそんな。 　だって早起きで余裕ないし、寝ぼけてるし、そこらへんにある服着るし、下手をすれば寝間着のまんまで出てくる。 　女子高生としてあるまじき行為だ。 　でも、寝間着はちゃんとジャージだし、上はフリマで買った変な柄のＴシャツだし。 　うん、別に、死ぬほどおかしくはない、と思う。 　でも、髪はぼっさんぼっさん、目にはクマ、リップの一つも塗ってなくて、だぼったい変な服で、足だけは動きやすいスポーツシューズ、なんて、やっぱり変すぎるって！　うん！　分かってるっっ。 　…だから、今日は、ちゃんと、一応装った。 　っても、そんなワンピとかスカートとかはいて新聞配るわけにもいかないし、パンプスやブーツなんて考えるだに恐ろしい。 　時間がないから走らないわけにもいかないし、そうなったら髪だって綺麗にまとめちゃいられない。 　朝っぱらだから化粧なんてやっちゃいられない。 　第一化粧は下手だからやたらめったら時間かかるし、そんなことしてたら日がくれるし、大体寝不足の顔はズタボロだ。ちゃんと顔洗って化粧水つけただけで上出来。うん。 　だから、昨日の格好はある意味不可抗力なんだけど、今日はなんとか頑張ってその中間。 　少しでも肌を復活させようと思って、寝る時間は早くしたんだけど、緊張してたのか何度も何度も起きて、朝は結局ズタボロだった。惨敗だ。 　でもまぁなんとか、お姉ちゃんのたっかい石鹸と化粧水で体裁は取り繕った。うん。大丈夫。 　鏡に映る自分の顔はちょっぴり強張ってる、ような気もする。 　面白みのない黒い髪と、黒い目。 　そんなにおっきくない目だし、唇は薄いし、輪郭はちょっと面長すぎる気がする。 　コンプレックスまみれの顔だけど、すっ、って通った鼻筋だけは気に入っている。 　いつもどおりの自分の顔。 　うし、と気合を入れて、手鏡を小さなベルトポーチに突っ込む。 　よし、いざ出陣！ 　『開店中』の扉を開く。 　カラン、と涼しい音がして、その音に、店内の人物が振り向いた。 「いらっしゃい」 「いらっしゃ〜〜〜ぁい」 　昨日とおんなじ、爽やかで涼やかで、低い声。 　……………と、なんでか変な抑揚がついた、甲高い声。 「へ？」 　固まる。固まっちゃう。 　だって、なんでこんな超早朝にこんなにちっちゃな子供がいるんだろう。 　っていうか、完全に、油断。 　油断っていうのもおかしいけど、びっくりした。 　中にいるのはホスト店主だけだと思ってたから、びっくりした。 　うんでも、まぁ、喫茶店なんだし。 　たんまーーーーーーーーーーーーーーーにしか開いてないけど、喫茶店なんだし。 　ものすごく確立は低そうだけど、こういうこともあるのかもしれない。 　安くて美味しくて店主はかっこよくて、とっても人気がありそうな喫茶店なんだ。ちゃんと開いていれば。 　子供は、くりくりしたお目目でこっち見てる。 　少年かと思ったら少女だ。ん？　幼女かな？　この場合。 　つばのおっきな帽子を被って、レースの縁取りのついた真っ黒なワンピース着て、なんだか可愛らしいんだけど、昔話の魔女っ子って感じ。 　いまどきレトロな箒を抱えるようにして持ってる。 　なんで？ 　くりくり子供は三つ編みにしたなんがい髪をくるくると首の回りにマフラーみたいに巻いて、にっこり笑う。 「へぇ、可愛いね、おねぇさん」 　………。 　うん、なんだろう、この変な感じ。 　最初の「へぇ」はとっても低くて、「可愛いね」からは高くなった。 「え、えっと、あの、こんにちは」 「うん、こんにちは！」 　なんかとってもご機嫌で、にっこり笑ってくれた。 　うん、うん、うん、なんかすっごい可愛い！ 「お客様、こちらへ」 　声に、顔を上げたら、ホスト店主がどこか呆れたような顔で見てた。 　……………っ、はっ、恥ずかしいっ。 　慌てて顔を上げて、普通の客っぽく装ってみる。手遅れだけど。 　そんな女子高生Ａに魔女っ子は笑って、ホスト店主の脇腹をつつく。 　…つつく、というよりは、ぶん殴るって感じだった気がしたけど。 　腰を折り曲げて諦めたように魔女っ子の顔に耳を寄せるホスト店主。 　とっても自然な動作なのに、なんでか優雅だ。うん。 「なんだよお前は」 「えーだってさー変だとは思ったんだよねー君が２日連続で朝まで開店する、なんて」 「うるさいな、つかお前さっさと帰れよ。飯が不味くなる」 「えーそういうこと言うわけー？　………抹茶クリーム入り米粉ロールケーキ」 「…今度作ってやる。ってか米粉買ってきとけよ、あと抹茶。ついでにコーヒー豆頼む。切れてたわ」 「おうよ、任された」 　声はよく聞き取れない。ぼそぼそっと２人は呟きあって、どうやら話がついたのか、がっしりと拳と拳をぶつけ合った。 　………なんなんだ一体。 「それじゃお姉さん、また今度ねー！」 「えっ、あ、はい？」 　つむじ風。 　ぽん、と単語が浮かんだ。 　だってほんとそんな感じ。 　あっという間に魔女っ子は店の奥に引っ込んでしまった。 　って、店の奥に！？ 「……えっ？」 　じっ、と店の奥を凝視してたら、やれやれといった顔のホスト店主がお膳持って見下ろしてきた。 　既に使われたティーカップと何枚かの皿。 　きっと魔女っ子のだ。 「悪いな。まぁ気にせず座っといて」 　あ、今日は最初っからこの口調なんだ。 　ぱちぱち瞬きを繰り返す。 　なんだろう、驚きの連続で、緊張吹っ飛んだかも。 　詩鶴は昨日と同じように１人用のテーブルにちょこんと座る。 　なんだか、昨日とちょっとだけ物の配置が違う。 　あ、もしかすると、さっき魔女っ子が座ってたのかも。 　くりくりの目をした、可愛らしい子供だった。 　生き生きとした表情が印象的な…なんでか魔女っ子だったけど。 　ってか、箒はなんのために持ってたんだ。…掃除？ 　改めて、じっと奥を見る。 　ホスト店主が姿を消した場所であり、魔女っ子が引っ込んでいった場所でもある。 　っていうか、一体どういう関係なんだろう………。 　考えてみる。 　ホスト店主と、魔女っ子の姿を頭の中で並べてみる。 「……………こっ、子供？」 　………違う違う違う。 　いくらなんでも店主若いし！　子供でかいし！ 　うん。違う！ 　………でもホストだし、かっこいいし、気障だし、恋人いそうだし………で、出来ちゃった婚とかっ！？ 　……なんか落ち込むかも……。 　想像すればするほどホスト店主と美女が横に並ぶ構図が出来上がる。 　そりゃ、私は別に絶世の美女なんかじゃないし？　極々普通の一般人だし？ 　そりゃ…ホスト店主と釣り合う訳は………！！！！！ 「ってちがーーーーーーーーうっっ！！！　違う、違うって、そんなんじゃんくて」 「何が？」 「べべべ別に、なんか一緒にいたいとかそんなん考えてるんじゃないもん、そんなずうずうしいこと考えてるわけないじゃんってぎゃーーーーーーーーーっっ！！！」 　ぎゃーーーぎゃーーーっっ。 　何でいるの！？ 　なんでいるのーーーーっっ！？！？！？ 　よいしょ、とホスト店主はテーブルに皿を並べる。 　おそろいのベーグルサンドに、ツナサラダ、ポテト、きのこスープにグレープフルーツ。 　うん…見るからに美味しそうっっ。 　真っ赤になって固まってる詩鶴に、ホスト店主は椅子を引く。 「今日はこっちに座らない？　せっかく２人席があるんだから」 　そう、にっこり、笑うから。 　もうこれ以上赤くなりようの無い筈の顔にガンガン血が上る。 　どうしよう、聞くべきかな。 　…聞いて、いいのかな。 　ちらりと目を合わせる。 「食べないのか？」 「あっ、いっ、頂きます！」 　そりゃもう是非っ。 　美味しいのは昨日で証明済みだし！ 　お腹だって勿論空いているし！ 　というか、空かせてきたし！ 　手を合わせて、スープカップを手に取る。 　うわあつあつだぁ。 　ふーっと息を吹きかけて一口。 　―――ああ、幸せ。 　ちら、と顔を上げると面白そうに笑いながら同じ内容の食事をぱくつくホスト店主。 　なんだろうな。この気持ち。 　ああ、もう天にも昇っちゃう。 　幸せで幸せで幸せで。 　私、今すごく満たされてるんだ。 「あ、あのっ」 「ん？」 「名前、聞いてもいいですか？」 　さっきの魔女っ子、子供ですか、とはさすがに聞けないよ！ 　でもでもこれおかしくないよね！？ 　自然。うん。超自然！ 　一緒にご飯食べたりしてるんだもん！ 　名前ないと不便だもん！ 　それだけの話だから…図々しくなんて…ない…よね？ 「俺？　ウルスって呼んで」 「う、ウルスさんですか？」 　え、姓？　名前？？ 　ウルスさん、ウルスさん、ウルスさん。 　何度も頭の中で繰り返してみる。 　当然だけど思い浮かぶのはカタカナ。 　漢字は違うだろう。 「なんかご満悦のとこ悪いけど、君の名前は？」 　うわやば。顔にやけてた？ 　だって嬉しかったんだもんっ。 　仕方ないと思います！ 「私、私は詩鶴ですっ。来澤詩鶴です！」 「ん。詩鶴な」 「―――はいっ」 　呼び捨てっ！　呼び捨てだよっ！ 　うわぁうわぁっ！ 　えへへへへへ。 　もー幸せすぎるよぉ！ 　なんて、にやにやしながら美味しい美味しいご飯を食べていたら、いつの間にか食べ終わっていたウルスさんが不意に笑って。 「…っっーか、ホント、楽しそうだなー」 　小さくぼそっと呟いた。 　その声音がなんだか凄く優しくて、なんだか凄く切なくて、なんだか凄く寂しそうで。 　なんて言ったのか聞こえなかったけど、心臓捕まれたみたいに動けなくなってしまった。 　どくどくどくどくうるさい心臓。 　なんだか私はどうもおかしくなってしまったらしい。 　ああ神さま仏さま。 　私はどうしたらいいのでしょうか。 　このホスト店主、ウルスさんの顔を見てるだけで幸せだ。 　幸せで幸せで。 　こんなのおかしい。 　まだ２回。 　たったの２回しか会ってないのに。 　今もほら、ウルスさんの少しだけ違う声音にもう泣きそうになってる。 　私、こんなに感情の揺れ幅激しかったかな？ 　毎日毎日悔しかったり悲しかったり楽しかったり嬉しかったり、小さな感情の動きは幾らでもあって、でも。 　こんなにも、こんなにも強い感情の波は初めて。 　知らない感情。 　何もかも忘れてしまいそうになる。 　ううん。 　忘れて、しまいたいんだ。 　学校もバイトも、何もかも忘れて、ずっと、ずっと、一緒にいれたらきっととんでもなく幸せだ。 　今でもこんなに幸せだから、それはもう思いもよらないような至福なんだろう。 　甘くてとろけるような、天にも昇る心地なんだ。 　想像するだけで、どきどきして身体がしびれる。 　ずっと、ここに。 　一緒にご飯食べて、話して。 　それが世界の中心。 　 　ああ、それはすごく、すごく魅惑的な考えだ。 　絶対にしちゃいけないこと。 　恋に堕ちるってこんなに危険なことなんだ。 「あの、ウルスさん…」 　喫茶店の入り口で昨日と同じように向き合う。 　昨日よりもっと強い気持ち。 　強すぎて怖いくらい。 「何？」 「…明日も、いいですか？」 　聞くのが昨日よりもずっとずっと怖くて。 「勿論。針千本飲みたくないしね」 「はいっ！！！！」 　ああ、昨日よりもずっとずっと嬉しい。 　恋はとても甘くて幸せで、とてもとても怖い。 　だって、きっと彼の為にならなんでも出来てしまう。 　そんな気分になってしまう。 　彼の傍に入れるなら。 　彼が笑ってくれるなら。 　もう、おかしいくらいに好きになってしまったんだ。 　それが、なんだか怖いけど。 　それでも。 　それでも。 　女子高生A、詩鶴は笑った。 　―――ああ、明日も楽しみだな。 　２０１３年４月２１日 　空空汐