明け方と朝ごはんと約束






 恐ろしくたまにしか開いていない喫茶店がある。
 どのくらいたまになのか、というと、1週間に1・2回、といった感じ。
 しかも開く時間もとことんまだらだ。
 朝早くから開店していたり、昼過ぎにはしまってたり、真夜中に開いていたり。
 それも聞いた話で全く一貫性はないらしい。
 開店時間も閉店時間もどこにも書いていないし、休日についても一切書かれていない。
 メニューだって外には書かれていない。
 店内はブラインドでさえぎれてよく見えない。

 こんな喫茶店、めちゃくちゃ怪しい。怪しすぎる。
 でも、あまりにも怪しいその様が、人間を惹きつける。

 新聞配達を終えて一息ついた女子高生A、詩鶴はその喫茶店の様子がいつもと違うことに気付いて、目をむいた。
 何がどう違うのか、それはとても簡単なことで。
 いつも扉にかかっている『準備中』の木札が、『開店中』になっているのだ。

 その驚愕を一瞬誰かと分かち合いたくて、目をむいたままに周囲をものすごい勢いで見渡した。
 しかし残念ながら人影はどこにも見当たらない。

 唾を呑んで、深呼吸する。
 ポケットにある、小さな小銭入れ。
 自転車での新聞配達はなかなかの重労働なので、仕事帰りに自販機かコンビニでジュースを買うためのもの。ついでに学校での弁当を買うためのもの。

 でも、もう、この機会を逃したら、こんなのいつめぐって来ることか。

 興奮のあまり、思わず携帯で写真を撮る。
 いつもは絶対に見ない側の木札。『開店中』の方。
 ここが開いていた証明写真。もしかしたら、かなり自慢になるかもしれない。

 バクバクバクバクとうるさい心臓を押さえてもう一度深呼吸。
 震える手で喫茶店の扉を開ける。

 カラン、と涼しい音がして店内へと来客を告げた。

「いらっしゃい」

 穏やかな声。涼やかで、爽やかで、低い男の声。

 深呼吸、した意味あったんだろか?
 いやもう本当心臓は絶好調。
 ドキドキバクバク、いろんな意味で破裂しそう。

 だって、目の前にいる店の人らしき男の人、やたら爽やかな美青年だったから。

 ………こんな風変わりな喫茶店だから、勝手に一風変わったお爺ちゃんな店主を想像してたのだ。

 口をあわあわとさせながら硬直している詩鶴に、美青年はにこりと笑いかける。
 やっぱりやたらと爽やかで、もうなんていうか…ホスト、って感じの笑顔。
 っていうか、ホスト。
 だってちょっと着崩した感じのスーツとか、無造作っぽく見えてバッチリ決めた髪形とか、笑ったら歯が光りそうな感じとか。
 でも顔のほりが深くて、肌の色が根本的に違う白さだから、きっと日本人じゃない。

 どうしよう、すごい、写メりたい。

 かっちり固まった女子高生A。
 そして爽やかな笑顔でそれを見守る怪しい店主(っぽい人)

 無言の攻防は何十秒何分続いたのだろう。
 さすがに詩鶴は我に返って、ぎこちなくホスト店主から視線を逸らして店内を見回す。

 外からうかがえなかった店の中は、シックなカントリー調。
 広さは大体予想していた通り。そんなに広くない。
 温かみのあるウッドデスクにウッドチェアー。テーブルクロスはしてなくて、木枠のついた花瓶が脇を飾ってる。そんなに大きな花瓶じゃなくて、こじんまりとした感じの…文庫本くらいの高さ? 飾られてる花は色とりどり、可愛くて綺麗だし、どっかで見たことがある気がするけど、名前は分からない。っていうか、花の名前なんてチューリップとか、バラとか、そんなのしか知らない。あ、たんぽぽとか。

 カウンターが10席もないくらい。テーブルは2人用が1つと4人用が1つ。あとなんでか1人用のテーブル。カウンターじゃダメなのか。

 喫茶店によくある感じの雑誌コーナー、なんだかやたら充実しているように見える。お洒落なマガジンラック一杯に所狭しと並べてあるのだ。
 …ほとんど開いてない喫茶店の癖に、なんか生意気な。

 なんだか、洋風と和風が混じってて変な感じ。

「お1人ですか?」

 ぼけっと店内観察していたら、ホスト店主が視界に入り込んできた。
 うう、やっぱりやたら爽やかで、やたらとかっこいい。
 お1人だなんて見ればわかんじゃん。

 とか思ったけど、頷く。

「お好きなところにどうぞ」

 そう店内を示される。
 どうしよう。
 正直、一番居心地が良さそうなのは店内奥のはしっこにある何でか1人専用のテーブルだったりする。

「あちらですね」

 視線の居場所を見透かされて、椅子を引かれた。
 なんだこれ。
 なんだこれ。

 執事喫茶かここは。
 や、ホスト喫茶?

 絶対普通の喫茶店じゃ店の人が椅子引かないってっっ!
 それとも今日びの喫茶店じゃこれが当たり前なわけ!? 常識なわけ!?

「ご注文はいかがしましょう?」

 どっから出てきたのか、いつの間にかホスト店主の手にはメニュー表。
 ふらふら座った詩鶴に見えるように差し出されて、ぼんやりとそれを見る。
 っつか、値段安っ。
 なんだそれ。
 丸が一つ足りないんじゃないか?

 喫茶店のコーヒーって100円で飲めるもんなのっっ?

 めっちゃ小さいとか?
 しかもなんか種類多いし!
 名前長いし!
 舌噛みそうだし!

 なんでミネラルウォーターまであるんだっ。
 何種類あるんだよ!

 目の前がぐるぐるぐるぐるしてきたので、

「ぉ、ぉ、お、お勧めでっっ」

 一番楽な方法を選んでみた。
 しかしはたと思いなおす。

「500円以内で!!」

 一番重要事項だ。
 っていうか、500円で喫茶店て無謀だった?
 めっちゃ無謀?
 実は丸一つ抜けてたらどうしようっ。

 ぐるぐるぐるぐる頭の中で考えてたのに。

「それではしばらくお待ちください」

 あっさり引かれてしまった…。
 どうしよう…逆に怖い…怖すぎる。

 スマートに去っていったホスト店主の後姿を見ながら考える。
 あんな爽やかな外見してるけど、実は、悪の総締めとかなのかもしれない。
 実は詐欺喫茶で、ここに入った人間は売られるのかも。
 おっ、お金足りてないから確実っっ。

「やっ、やばすぎ…っっ」

 全身さーと血が引くという貴重な体験をした。
 そんな体験が出来たことで良しとしよう!
 よし、帰ろう!

「お客様どこへ?」

 にこり。

 にへら。

「いっ、いや、ちょっ、ちょ、ちょっとばかり………とっ、トイレに!!!!!」
「お手洗いはあちらとなります」

 そう、ご案内されちゃったりして。

 …どうする、私。

 …どうするよっ!

 ……タイミング逃したよっ。

 っていうかいつの間に帰ってきたんだ!

「あ、いい匂い…」

 あわあわしながらトイレに向かおうとしたら、ほんとにほんとに良い匂いがして。
 したので。
 ついうっかり足を止めてしまった。
 や、止めても別にいいとは思うんだけどさ。
 なんか、なんとなくさ。

「ロイヤルミルクティーとサンドイッチです」

 そう、お盆を差し出すホスト店主。

 …………絶対500円越えてるって!
 や、でもさ。
 ……美味しそうなんだよね。

 一番シンプルでオーソドックスなサンドイッチだと思うんだけどさ、具はハムとレタスにトマトとチーズ、ゆで卵のスライス。一枚のパンを2つ折りに切ったサイズ。それが2つ。要するにパン2枚分。それとこんもり盛られたポテトサラダに八つ切りオレンジ。
 ま、美味しそうなわけですよ。
 ロイヤルミルクティーもさ、香りが、こう、スゥーーーーっと鼻に吸い込まれてさ。

 …や、ほら、私さ、朝ごはんまだじゃん?

 今から食べるつもりだってさ。

 だったからさ。

 うん。

 なんていうかさ。


 ―――ぐぅるるるる


「うぎゃっっ」

 鳴った!
 今なんか鳴った!!
 鳴り響いた、鳴り響いたよ!!!!

「ちっ、違いますよ?!」

 何が!?
 や、違うんだって!
 違うんだってば!!

「いっ、今のは、その、くっ、口で言ったんですよ! ぐぅって! ぐううって!!!」

 …………や、なんでやねん!!!!!
 意味わかんないし!
 ホント意味わかんないし!

 何言ってんのさ自分!!!!!

 かなり挙動不審女子高生A。
 呆気に取られるホスト店主。

 だらだらと汗を流して固まる女子高生A。
 お膳をよっこいしょとテーブルに置いて、ぷっ、と吹き出すホスト店主。

 ………吹き出す?

「くっ、ふっ、ははっ」

 笑ってる…。
 めっちゃ笑ってる。
 ホストが笑ってる……。
 しかも爆笑。

 わっ、笑い、過ぎじゃない!?
 ひどくない!?
 乙女のピンチにひどくない!?

 やっぱり悪だよ!
 この人は悪だよ!

 ちょっともう、死にそうなんですけど!
 恥ずかしいんですけど!
 穴に埋まりたいんですけど!!

 ああもう恥ずかしすぎて泣きそうだし!

 血圧上がりっぱなしだよもうっ!!

「はは、いやー悪い。笑った笑った」
「わっ、やっ」

 口調違っっ!!!!!!!!!

「良い感じに笑わせてもらったから、そのお茶サービスな」
「…………………はっ?」
「朝食、まだだったんだろう?」

 だから、それ朝ごはん。

 そんな感じでサンドイッチとロイヤルミルクティーをホスト店主は指差した。
 畜生無駄に長くて白い指しやがって。

 なんで見抜かれてるわけ…?

「朝はやっぱ牛乳を取らないとな。チーズとハムで動物性蛋白だろ? パンで炭水化物、野菜でミネラル、オレンジでビタミン」

 うんうん、とホスト店主は頷いて。
 女子高生A、詩鶴は唐突に気付いた。

 うん。この人変な人なんだ。

 悪とか、ホストとか、そんなんじゃなくて。

 うん。変なんだ。

「ついでに、俺も朝ごはん食べてい? まだなんだよね、実は」

 よいしょ、って椅子を移動させて、1人用のテーブルに移動させて、ぽかんとしてる詩鶴を放置して奥に引っ込む。
 そういやトイレに行くタイミング逃したまんまだ。
 ってまぁ、別に行きたい訳じゃないんだけどさ。

 お盆を持ってきた変人ホスト店主。
 机の上に置かれたお盆には、日本人大好き真っ白ご飯山盛りと、豆腐とたまねぎとわかめの味噌汁。目玉焼きとたこさんウインナーが2個、こんもりポテトサラダにうさちゃんりんごが2つ。

 …さては日本で生まれたハーフだな?!

「あとこれを君に」

 そう、差し出されたスープカップ。
 たぶん、コンソメスープ。
 四角切りの野菜が沢山入ってて、みょーーーに食欲そそるやつ。

 うわ、ちょっと今よだれでそうだった。

「い、あ、あの、お金、は…」
「いらないけど?」
「………」

 だから逆に怖いんだってばっ。

「そうだな、君と一緒に朝ごはんを食べれる、っていう事が一番のお代だよ」

 にこり。

 にこりって。

 ちょ。

 こっ、このホストめぇえええええええええええっっ。

「ああ、折角のお茶とスープが冷めるから早く食べない?」

 促されて、仕方なくゆっくりスープに手を伸ばす。
 伸ばしてみたら、そりゃもう食欲そそりまくりなんですよ。
 熱そうだったからちょっと息を吹きかけて。
 とりあえず一口すすってみる。

「美味しいっ」

 や、ほんとによ。
 口にふわって、いい香りが広がって、塩加減も丁度良い感じ。

 したら、ほんとにさ、今までだって血圧上がりまくりなんだけどさ、一気に上がったの。
 だって、だってさ、ホスト店主が、笑ったのよ。
 や、今までもさんざん笑ってたんだけどさ。

 でも、でも、にっこり爽やかな笑顔じゃなくて、すっごくやわらかーい感じの微笑でね。
 ほんとに、ほんとに嬉しそうだったの。

 心臓がね、鳴ったの。
 ありえないほどガンガンガンガン鳴ったの。

 なにこれなにこれなにこれ。

 なんでかな。
 どうしようもなく、幸せっていうかね、満たされた感じ。
 なんでだろうね。

 嬉しくて、嬉しくて、もっとその顔が見たいなって思ったの。

 だから、なんかね、どうでもよくなっちゃったよ。
 ホストとか、悪とか、変人とか、そんなのどうでもよくって。

「あの、ほんとに、ほんとに美味しいですっ」

 気がついたら食べて、食べて、何回も何回もそう言ってた。
 だって本当に嬉しそうに笑うんだもん。

 ずっと、ずっと、この時間が続いたら良いのにな。

 最初っから食べる速度をあわせていたみたいで、2人、同時にご馳走様をして、笑った。
 多分、やっと、笑えた。




 代金を払って(ちなみに代金はたったの300円だった)店を出て。

 外に出たら、そんなに時間は経ってないように見えた。
 時計を見たら15分しか経ってなくて、店を振り返ってみたら、何もかもがなかったことみたいだった。
 恐ろしくたまにしか開いていない喫茶店は、いつもみたいに開いていなかったし、木札は『準備中』だった。

 なんで、開いている時間とか聞かなかったんだろう。
 なんで、たまにしか開いてないのか聞けなかったんだろう。
 なんで、次に開いている時間聞かなかったんだろう。

 名前も、聞けなかった。

 こんな新聞配達中の変な格好で、髪とかぼさぼさで、すっごく挙動不審で。

 なんでかな。
 すごく、悲しくなった。

 幻みたいだった。
 夢みたいだった。

 でも、本当だった。

 だって携帯にはちゃんと『開店中』の写真があるから。
 だから、またいつかこの店は開いて、ホストみたいな店主が迎えてくれて、やたらめったら安い値段で美味しいご飯を作ってる。

 だから。

「また、来るから」

 って、言ったら。

「うん、また来てね」
「―――っっ!!!!!?????」

 えっ、ええええ?
 ちょ、なっ、えええええ…っっ!?!?
 突然ガチャリと『準備中』の筈の扉が開いて、ホスト店主がそうのたまって。

「気が向いたらまた開けるし、君さえ良ければまた一緒にご飯が食べたいしね」

 なーーーーーんて、言い出すから。
 なんか、もう、なんていうか、驚愕とか、色々通り抜けまくってさ。

 もう、笑うしかないよね。あははは。

 したら、ホスト店主がにこりって笑って。

「約束が、必要?」
「っっ、必要!!!!!」

 めちゃくちゃ嬉しくて、心臓鳴りまくりで、ドッキドキしながら明日の今日と同じ時間を告げて、震える手を伸ばしてみる。
 約束、って言ったらさ。
 あれでしょ?
 日本人なら、さ。
 日本人じゃないと思うけどさ。

 とっても綺麗で、長くて、細くて、白くて、でもちゃんと男の人の指が伸ばされて、小指と小指を繋ぐ。

「指きりげんまん」
「嘘ついたら」
「針千本のーます」
「指切った」

 離すのが淋しかったけど、そう、小指と小指を離して。
 
 うん。
 絶対、来るから。

 今度こそちゃんと閉まった店をパシャリと携帯で写して。

 女子高生A、詩鶴は笑った。

 ―――さぁ、明日は何着ようかな。







 2008年5月5日


 空空汐