1月 着物
「正月といえば着物だよなっ!」
「いきなりどうした」
部屋に入るなり叫んだ仙人に、小説に夢中だった吸血鬼は振り返らないまま返事をしてやった。あともうちょっとでクライマックスだ。
「いやさー、さっきこの国の神様に新年のご挨拶に言ったんだけどさー。なんか30人くらいの着物美人さんたちが集団で来襲してたんだよ!いやぁ迫力だった」
「30人!?なんでそんなに」
「なんか、着付け教室のイベントだったらしいよー。でさ、挨拶に行った神様も鼻の下伸ばしててさー。いやもう僕、いやわたくしも神様にあんな顔させてみたいわ!って思った訳なのよ」
きらきらと悪巧みに瞳を輝かせながら、どこからか借りてきたらしい大量の振袖を広げて「似合う?」とかやりだした仙人を振り返り、吸血鬼は思った。
……いつの間に女になった。
振り返った先にいたのは妖艶な美女。つり上がり気味の目じりに朱をさせば、絵に描いたような花魁になれそうだった。
「いや振袖着るんだったらもうちょい初々しい少女の方が似合うだろう。妖艶な雰囲気で振袖なんて邪道だ!お父さんは許さんぞ!!」
「だったらどうしろって言うの!?お父さんのばか!」
「もういっそ七五三の着物とかどうだ?女児用の振袖なんて、大人と変わらないくらいきらびやかだぞ!」
「それはお父さんの趣味でしょう!?」
よよよ、と泣き真似をしだした仙人を前に、はっとわれに帰った吸血鬼は手に持っていた小説を置いて頭を抱えた。
……しまった、ついくだらないお芝居に付き合ったうえに見ても面白くもないコイツの女児姿だなんてモノを『どうだ?』だなんて!!
敗北感と屈辱とその他もろもろに精神力を削られまくった吸血鬼を見下ろし、妖艶な仙人はふふふ、と含み笑いをした。
「これなら神様もイチコロだね!でも確かに振袖よりは訪問着とか付け下げとかの方がいいかな!アドバイスありがとうウルス君!」
「……どういたしまして仙人さん」
口から魂(あるのかどうか分からないが)が出てきそうな表情の吸血鬼に、軽やかに手を振って、仙人はスキップしながら部屋を出て行った。
神様の鼻の下を伸ばさせることができたかどうかは、まさしく神のみぞ知る。
2月 豆まき
「今年の節分は豪勢だよ!!」
という仙人の言葉に誘われて、2月3日に仙人と吸血鬼の家に呼ばれた千鶴と小夜は、それぞれに渡された籠におおいに戸惑っていた。
「豆、撒くんですよね……?」
「なんかお金が混じってるんですが…」
戸惑う少女たちに、今日は少年姿の仙人はにぃっと笑った。
「さ、みんな陣地決めてー。このじゅうたんの周りね!」
と、一辺2メートルくらいのじゅうたんを指し示す。そのじゅうたんを囲むようにして座った仙人と吸血鬼、千鶴と小夜はそれぞれ小銭と豆の入った 籠の中身をを順番に投げることになった。
「じゃ、暗くするよー」
仙人の明るい声で、部屋が暗くなる。
暗闇に慣れない少女たち2人は目を瞬かせた。
「始めは僕だったよね。んじゃ、いっくよー」
という台詞とともに、パラパラとじゅうたんに何かが落ちる音。
と同時に、隣の吸血鬼が素早く動いたのを小夜は風の動きで感じた。
「みんな!かき集めるんだ!!」
なぜだかものすごく鬼気迫っている吸血鬼の声に、一つ一つ拾い上げていた千鶴と小夜はなるほど納得した。
確かに、そちらの方が早い。
それからは1人ずつ、籠を空にして他の人が拾う。を繰り返し−−千鶴も小夜もお金を思いっきり投げるという普段しない行為をとても楽しんだ−−いよいよ最後の吸血鬼の番になった。
「じゃ、いくぞー」
のんびりとしたかけ声の後、パラパラとじゅうたんに何かが落ちる音。
急いでかき集めた千鶴は、手に当たった小銭でも豆でもない感触に首を傾げた。
よく触ってみるとそれは、紙で包まれた飴らしい。
「お菓子……?」
「あ、それおまけなー。手作りの飴、干し果物入り」
……それはすごく美味しそうだ。
千鶴は小銭そっちのけで紙の感触を追った。
千鶴が飴に夢中になっている間、小夜には気になっている音があった。
それはひゅっ、という風を切る音。仙人の近くに行ったときに聞こえる気がする。
注意して聞いていると、時々キンッという何か金属同士がぶつかるような音や、何かが突き刺さるような音も聞こえる。
何が起こっているのか、なんか想像できた小夜は仙人がいるであろう場所から離れようと涙目で思った。
そしていよいよ結果発表。
「電気、つけるよー」
眩しい光に一瞬、目をつむった2人を待っていたのは、散々たる惨状のじゅうたんとその周囲の床だった。
仙人と吸血鬼の陣地の周りに集中して、小銭が床に刺さってたり、じゅうたんを切り裂いてたり、どうやったんだというような状態になっている。
そしてにらみ合う仙人と吸血鬼。
なんとなく音で予想がついていた小夜は、深いため息をつき、驚いて真っ青になっている千鶴を連れて、その部屋から非難したのだった。
触らぬ仙人と吸血鬼に祟りなし。その言葉を覚えた千鶴はその日少し、大人になったという。
3月 卒業式
ここはとある場所にある、とある夜間学校。
ここには、真夜中にしか活動できない者たちが人間社会に溶け込むための勉強をしにやって来る。
いつもは教室の机に整然とならんで授業を受けている生徒たちだが、今日は少し様子が違った。
「ショッツ・タルゼル。第3期の学科を修了したことをここに証する。……いつでもこの学び舎に帰ってくるといい。私達は君を歓迎するよ。卒業おめでとう」
「ありがとうございます、校長」
求められた握手を返して、微笑み返した少年は祝いの為に集まったクラスメイトの方を振り返り、お辞儀をして壇上から降りた。
歩き出した彼は、自分の席に戻って前を向き……後ろから誰かに肩を叩かれた。
思わず振り向いた彼は、自分の間抜けさと相手の幼稚さに盛大に顔をしかめる。小学校高学年くらいの容貌を持つ彼の柔らかな頬には、背後の人物の人差し指が突き刺さっていた。
「よーショタっち。卒業おめでとー」
「おまえか、ウルス」
ほっぺたに指を突き刺したまま、にこやかに挨拶するウルスにショッツは呆れ混じりでため息をついた。
このクラスメイトは、最後まで自分をショタという屈辱的なあだ名をつけ、からかったりふざけたりするどうしようもない奴だった。
だがもういい。大人な自分はそれらのことを全て水に流そう。
自分はこの学校を今日で卒業。彼はまだ在学中。この学校に近づきさえしなければ、もう接点などないであろう。事実上、これで彼とはお別れなのだ。永い人生とはいえ、どこかで偶然に出会うようなことは滅多に起こらないものだ。ならば、今までの恨みつらみは全て忘れて、穏やかな別れをしよう。
「さらばだ、ウルス。お前とはもう会うこともないだろうが、元気にやるといい」
「ショタっち、卒業しちゃうんだね……。元気でな」
至極寂しそうに呟く彼に、手を振り学び舎を旅立った少年は晴れやかな気分で空を見上げた。
もうこれで彼の言動に不愉快な思いをすることもないだろう。
彼にとっては親愛の表現だったようだが……多少は引っかかる言動もあったのだ。
とっても満足げなショッツは知らなかった。
この数時間後、初めてのバーに足を運び、再びの忌々しい再会をするということに。
カウンターに座って裏メニューをちびちびやっていたホスト風の青年は、ニヤリと笑ってショッツにこう言ったという。
「よーショタっち、ひさしぶりー」
……と。
4月 露天風呂
「4月26日は『よい(4)風呂(26)の日』なのだよ諸君!!」
「ほー。で?」
「せっかくだから日本一の露天風呂を作ろうかと思ってね!富士山に穴を掘ってきたんだけどなかなか温泉が湧かなくてね!意地になって掘っていたらなんか方向間違えちゃって…。てへ★」
「てへ、じゃねーよお前。なにやらかしたんだ」
「知ってた?富士山って実は活火山なんだって。んで今日僕ちょっとマグマを掘り当てちゃったから噴出してくるかもよ★みんな逃げろー」
「可愛く言えばいいってもんでもないだろ!てへぺろ★は使う人を選ぶツールなんだぞくっそう逃げろー!!」
5月 会社事情
「美味しい…」
お馴染み無表情の専務の言葉に、副社長はにんまり笑った。
「だろ? いやーやっぱ新茶の味わいはまた格別だよなー」
何故か副社長自らお茶を入れて渡されたので、専務としては恐縮しきりなのだが、件の副社長は全く気にせずご満悦である。
「で、新入社員どうよ? 可愛い子入った?」
「今のところは何の問題もないようですが。もっともまだ研修を含めてもようやく一ヶ月程度なので、何か起こるとしたら今からですが。それと可愛いかどうかは私には判断つきかねますので想像にお任せします」
「えーそこいっちゃん大事だろー」
残念、と肩をすくめる様は、なんと言ってもただのホストである。
彫りの深い顔立ちにキメの細かい白い肌。ばっちり整った髪形に着崩したスーツ。ついでに言うなら甘い声。
こんなんが会社のナンバー2だと知ったら、新入社員が卒倒しかねない。
というか会社が崩壊する。
しみじみとこの会社が続いていることの不思議をかみ締めて、専務はお茶を飲む。
いきなり滅多に来ない副社長からお呼びがかかったと思えばこれで、まだまだ仕事は山積みなんですが、と言いたいところだ。
「あーで、こないださーあったじゃん? あの○■会社が云々ってヤツ?」
「ああ。会社ぐるみで訴訟を起こそうとしてきた件ですね。今うちの者が表沙汰にはしないように交渉中ですが」
「うん。あれ、話がついたから、担当のヤツに言っといて」
「…………………………………は?」
「あっちの社長とちょいちょい話して、んで、向こうが言うにはちょっと下の方が勝手に言い出してとっとと実行しちゃったもんだから、会社としては後戻り出来なくなったらしく、社長的にはうちと事を構えるのも面白くないし、なかったことにして欲しいんだよねーってことで、下の方に探りいれてな、ま、中心人物的なのに色々交渉して、そいつもまー事が大きくなりすぎたけど抜き差しならない状況だし、もうやるしかないって崖っぷちだったみたいだから、どうにかなるんならどうにかしてください的な」
「………………はぁ」
「まーそういうわけでどうにかしといたから、担当のヤツのフォローはてきとーに頼むわ」
お茶を飲みきって、軽い伸びを一つ。
副社長は持ってきたバッグから、とあるものを取り出す。
「あっちの社長から貰ったんだけど、食べる?」
どっからどうみても超高級和菓子店の、一品だった。
芸術作品と断じてもいい細工の施された和菓子に、目を奪われる。
見た目の美しさ、上品さは、食べるのをためらわせるほど。
一体どんな顔で向こうの社長と顔を合わせて話してきたのか。厳格そうな、いかにも頑固そうなやり手社長の顔を思い浮かべて、ため息をついた。
世の中はとことん不思議だ。
第一いつ会いに行ったんだ。絶対門前払いさせるだろ。
ただ、まぁ。
「いただきます」
たった今解決したらしい問題は、ここしばらくの間専務の頭と胃を悩ませていた案件だったので。
色んなことを深く考えることを放棄して。
とりあえず不意打ちのお茶会にとことん付き合うことに決めた。
6月 父の日
「今月は父の日があるよウルス君!」
「あー、あの母の日に比べて地味という噂の父の日か」
「なんて言いざまだい!世のお父さん方が嘆いているよ、まぁ事実だけどね!」
「そこで肯定しちゃうのか」
「そういう訳で父の日を盛り上げるためになにかしちゃおうかと思うよ!何がいいかい?」
「じゃぁ俺は『父の血の会』でも立ち上げるか。そういうのが趣味の知り合いがいるんだ」
「そういうのが趣味、って……」
「毎日仕事で疲れきっててさらに家では鼻つまみ者、さらに酒とタバコをやってるストレスと哀愁漂う中年男性の血が好みという奴がいるんだ」
「血の味が分からない僕が言うのもなんだけど、それって美味しいの?」
「珍味らしい」
「そ、そうなの…」
「一度は味わってみたいよな、って話にこの間なってな。父の日にかこつけてやってみるか」
「親父狩り!?……世のおとーさんがたー!!逃げてー!」
「人聞きの悪い」
「誰がだ!?」
9月 バー
からん、と涼やかな音の鳴り響く店内。
ショッツ・タルゼルがカウンターに座ると同時、すぅ、と音もなく桃色の可愛らしいカクテルが流れてくる。桃色といえば可愛らしいが、結局はどっかの誰かの血をアルコールで薄めた割と邪道なカクテルだったりする。
そんな恐ろしいものをいきなり出してくるバー。闇の生き物対応ばっちりの裏メニューが、通常のメニュー表と同じデザインで出てくる。
頼んでもいない、しかも自分が良く飲むカクテルに、ショッツは眉をひそめた。
馴染みのマスターがグラスを拭きながら、意味ありげに笑う。
「あちらのお客様からです」
カウンターの何席か向こうに一人で座る女。赤いカクテルドレスを着た、長い髪の女。化粧を施した白い面は美しく、唇は柔らかく笑んでいた。
妖艶。
一言で言うならそれ。
女は自然な動作でショッツの隣に来る。
まるで最初からショッツと待ち合わせしていたように。
だがそんな事はない。
彼にとって目の前の女は見知らぬ存在そのもの。
ふっくらとした白い胸が目に入る。闇に生きるものには眩しいほどの白さ。
その白さは中にある血管を引き立たせていて。
彼女の首筋から伸びる頚動脈から胸にいたる大動脈のラインは、脈々と流れる大河のようだ。
気が付いたら、ごくりと、唾を飲んでいた。
女は悪戯っぽく笑って、自分の持つグラスを傾ける。
ショッツもまたグラスを持ち上げる。
カツン―――と二つのグラスがぶつかり合った。
「―――乾杯」
「―――乾杯」
カクテルを飲み干す女はより扇情的で、より妖艶だった。
会話は弾んだ。
彼女が夜の人間だという事は分かっていた。
夜の眷属。
人間とは異なるもの。
何杯もグラスを交換して、女は笑う。ショッツの耳元で、息を吹きかけるように。
「ねぇ」
ショッツは笑う。
傍から見れば、恋人達の睦まじい姿。
ショッツもまた女の耳に囁く。
くすぐったそうに、色っぽく吐息を漏らす女。
「―――で、誰に頼まれた?」
「―――あらぁ?」
右手で女の手を拘束し、左手で女の首に異常に伸びた爪を這わせて、更に問いかける。
「何者だ」
眼光は鋭く、女の目を貫く。女の目の中に写るショッツの姿。こんなバーにいるには不釣合いの、少年。
女はなぜかとろんと目を潤ませて、笑う。
「もーかわいーー!!!! ねーウルスーこの子お持ち帰りしたぁあい!!!!!」
がばりと、ショッツの爪が首筋をなぞって血が噴き出すのも構わず女は抱きついた。
目の前の鮮血についつい目を奪われてしまう。
「おいおい勿体ねーな」
「呼ばれて飛び出すぜじゃじゃんじゃーーん仙人だよー!!!」
「やっぱりお前らの仕業か………」
ひっじょーーーーーに耳に慣れたコンビの声に、ショッツは大きく、実に大きく嘆息した。
「まま、それよりとりあえず、この勿体ない血を飲んでやれ」
にやにや笑うウルスに顔を顰めながらも、女の首筋に顔をうずめる。
確かにいたく勿体無いし美味しそうだったので。んでもって飲んでみたらやっぱり美味しくて、「いやぁん」とかやたら色っぽく喘いでいる女を無視して血が止まるまで飲み干す。
で、目が合った。
顔馴染みの少女と、その両手の人形。
「ふっ、ふっ、不潔です!!!!!!!!!!!!」
このときほど、少年の姿をしたウン何歳の吸血鬼の胸をえぐった瞬間はなかっただろう。
「いやー悪い悪い。なんかさーショタっちの好みの話になってー」
「絶対年上好きだよなみたいな?」
「んで、試してみようかーみたいなノリでー」
「このショタ大好きMっ子属性のサキュバスさんに手伝ってもらいましたオーケー?」
「うんで、バーって行ったことないーって可愛らしい娘さんについてきてもらいましたぁーオーケー??」
「お前ら一片マジブチ殺す!!!!!!!」
こめかみに四叉路とか五叉路とかを発生させつつショッツは怒鳴った。
が、その瞬間彼は見てしまった。
馴染みのマスターが少し恥ずかしそうに、『どっきりだよ(はぁと)』と書いた看板をカウンターの下に隠したのを。