真夜中のかき氷
「へーい!そこのお嬢さーん♪僕とお茶しませんかー?」
金曜日の放課後。ちょっと本屋にでも寄ろうかと思いながら歩いていた小夜は、校門を出た瞬間突然かけられた声にびっくりして思わず辺りを見渡した。
「こっちこっち!車ー」
声の方へ視線を向けると、仙人が小夜にひらひらと手を振っていた。……なぜか、長くて高そうな車の中から。
「あれ……?スーツとかじゃないの?」
高そうな車から降りてくるから結構ちゃんとした服を着てるのかと思っていたけど。
意外というかやっぱりというか、降りてきた仙人はTシャツにジーンズ、パーカーをはおったという格好だった。
しかも、Tシャツには『喝!』とかおっきく書かれている。
そして、長い髪を後ろで一つのみつあみにしていた。
13歳くらいの少年がそんなラフな格好で道端にとめた長くて黒塗りの車から降りてくるもんだから、当然周囲の注目の的である。
そんな周囲の視線を全く気に留めていない様子で、仙人はファッションショーのモデルのようにその場でくるりと回った。
「普段着に決まってるジャン♪これが僕のマイ・スタイルだし」
ハートマークとか付きそうな調子で仕事帰りだしねー。なんて言いつつ、仙人は小夜の手をとり見事なエスコートで車の中に連れ込む。
「え!?仕事帰り?」
思わず小夜はスーツ姿の少年仙人を想像したが。
「何いってんのー」
あっけらかんと否定された。
「仕事場でもマイ・スタイルに決まってるジャン!」
「なんか、いっつも夜に会ってるから制服ってのが新鮮でいいねー」
連れ込まれたリムジンの中。
向かい合って座った仙人は、目の前にいる小夜を上から下まで見つめて嬉しそうに笑った。
少々、制服マニアっぽい発言である。
「若いっていいよねー」
見た目だけは小夜より年下ではあるが。
どんな年齢でも、男でも女でも自在に姿を変えられる彼には、見た目の年齢など関係ないのだろう。
「変態臭い発言ばっかりしてんじゃないよこの見た目詐欺師が」
小夜の右手から小夜に取憑いている天使、クリスが突然現れて仙人を威嚇した。
小夜に憑いている天使のクリスも悪魔のデュラも、仙人を警戒している。
曰く、普通の人間ではないと。それは彼がいろいろな姿に変身するところからも一目瞭然であるが。
特にクリスは仙人とそりが合わないようだ。
「こんにちは、クリス。今日はデュラは一緒じゃないの?」
歯をむき出して威嚇するクリスもなんのその。にこやかに挨拶した仙人は、彼女の片割れの姿が現れないと訝ったが。
「今は寝てる」
愛想の『あ』の字もない態度で答えられた。
「クリスって冷たい…」
「きょ、今日はどこに連れてってくれるんですか?」
よよ、と泣くフリをした仙人にクリスが怒りを爆発させないうちに、慌てて小夜は話題を変えた。
この頃何気にこういう状況に慣れつつある小夜である。
「今日はねー♪おいしいかき氷屋さんに一緒に行こうと思って」
夏にしか開店しないかき氷屋さんなんだよー。みぞれが最高でねー。
「わぁ、それは楽しみですね」
うきうきと語りだす仙人に相槌をうちながら、小夜は仙人の車に連れ込まれた現場に思いをはせた。
あそこには、下校途中の生徒がたくさんいた。クラスメイトも、友達もいた。
仙人のお誘いはとっても嬉しかったけれど……。
あれだけ目立ったのだ。きっと、噂になるだろう。友達からは問い詰められるだろう。
月曜日の騒ぎを想像して、小夜はちょっと憂鬱になった。
「おいしい!」
「でしょでしょー♪」
仙人に連れてこられたのは、テーブルも座るところもない、屋台のようなかき氷の専門店だった。
道端に立てられたメニュー表には普段屋台では見ることができない、マンゴーとかミックスベリーなんていう変わった種類まである。
ちなみに仙人はイチゴの練乳がけ、小夜は仙人の勧めでみぞれを注文した。
仙人と2人、ガードレールに腰掛けて食べる。
かき氷を口に含むとすうっと汗が引いていった。
「ウルスにも買っていってやろーっっと」
僕ってなんて優しいやつなんだろ〜、なんて自分で言いながら、小夜より早く食べ終わった仙人は再び店に向かった。
あれとこれとそれとー。なんて注文する声を聞きながら小夜はかき氷を食べ終わる。
冷たいものの食べすぎでちょっとお腹が冷えた気がする。
「さ、車にもどろー」
「ウルスさん、そんなに食べるんですか…?」
戻ってきた仙人の手には合計4つのかき氷。容器の高さほどに山盛りになった氷を、どうして崩さずに持てているのか不思議なほどである。
車で2人の帰りを待っていてくれている運転手の分だろうか。
「運転手は僕が紙で作った式神だから食べないよ」
「え、式神だったんですか?」
行ってらっしゃいませとうやうやしくお辞儀した姿はどう見ても初老の執事といった風情だった。
……どこからどう見たって人間だった。紙には見えない。厚みもあった。
「んで、これは小夜と僕の夜食用ー。ウルスには2つねー」
「わ、私の分まで……」
気持ちはうれしいが正直お腹いっぱいである。
だいたい、夜食と言われても帰るまでに溶けてしまうのではないだろうか。
「だいじょーぶ。僕が術をかけてるからねー」
ははは、と笑って仙人は言った。小夜は時々忘れそうになるが、仙人は仙人なのである。
「車にもどろ?冷えたでしょ、あったかいお茶入れてあげるよー」
お茶にうるさい吸血鬼直伝だよー。なんて得意げに話す仙人の気遣いを有難く思いながら、小夜は仙人の手には多すぎるかき氷を引き受けるべく、手を伸ばした。
「ウルスー?起きてるー?」
住宅街にある15階建ての高級マンション。その最上階にウルスと仙人の住居はあった。
「……すご」
広い、高そう。小夜は玄関に入った瞬間、そう思った。
玄関だけで小夜の部屋と同じくらいの広さがありそうだ。
そんな小夜を尻目に仙人は鍵を開けてカーテンが閉め切ってある部屋にずかずか入っていく。
そして両手にかき氷を持ったまま冬眠用、と札が下がっているドアを足でズガン、と蹴り開けた。
「ウルスー。入るよー」
もう入ってるけどね、なんて言いながら部屋に入る仙人の後をついていった小夜は、部屋の中を見て絶句した。
部屋の中央にはでん、と迫力満点の大きな棺桶。
他に家具らしい家具はない。
それだけならばまだいい。吸血鬼らしいではないか。ちょっと不気味だが。
問題は、壁が鏡張りになっていること。そして床にはにんにくと十字架がばら撒かれていること。足の踏み場もない。
「なに、これ……」
小夜が呆然とつぶやくと、今まさに棺桶に足をかけようとしていた仙人が振り向いた。
「あー、これー?鏡はヤツの趣味。ナルシストだからねー。にんにくと十字架はただの嫌がらせ。ここ数日起きないんだもん」
ま、ここはヤツの冬眠用の部屋だから特殊なんだけどね。
どうやら無性に眠りたい日ってのがあるみたいでさ。それ用の部屋なんだ。
そう説明してくれる仙人。長期睡眠用に別の部屋とは、また贅沢なことである。
「ちゃんと、他にまともな部屋もあるよー」
「鏡、意味があるんですか…?」
吸血鬼は鏡に映らないと聞いたことがある。
「ヤツは特別製だからねー」
さらりとそう言って仙人は再び棺桶に向き直り、足でその大きな蓋をずらした。
「さぁ、皆様お立会いー。寝起きの吸血鬼だよー」
なんて嬉しそうに言いながら、自分で作った棺桶の蓋の隙間に向かって囁く。
「かき氷買ってきたよー。宇治抹茶の練乳がけ。早く起きないとキミの大事な寝床にかき氷ぶちまけるよ…?」
「それはやめろ。練乳でべたべたになるじゃねぇか」
隙間からにょっ、と男の腕が伸びて今まさに棺桶にかき氷を流し込もうとしていた仙人の腕をがしっと止める。
寝起きは悪くないようだ。
「ちっ、残念」
心底悔しそうに仙人が舌打ちする。
棺桶の蓋がさらに動いて、黒目黒髪のヨーロッパ風の美青年が現れた。
起き上がった瞬間、うっっと顔をしかめる。
「何だこの匂いは…」
「にんにく。好きだったでしょー?10日以上起きてこないんだもん。好物が近くにあったら早く起きるかなって」
満面の笑みでにっこりする仙人の言うことは果てしなくうそ臭かった。
「あー、改めて始めまして。ウルスだ。…姓は忘れた。職業は吸血鬼兼こいつのお守り」
「はじめまして、小夜と申します。……こっちは天使のクリス、悪魔のデュラ」
吸血鬼と同じように眠りから醒めたばかりのデュラがふぁぁ、と大きなあくびをして小さく「……よろしく」と呟いた。
まだ寝ぼけているようだ。
そんなデュラとは対照的に、数分で完璧に身だしなみを整えた吸血鬼は優雅なお辞儀をしてみせた。
「我が住まいにようこそ、小夜。……来たばかりだがしかし、一度帰ったほうがいい。まだ明るいが、結構な時間だ。ご両親が心配なさる」
言われて時計を見ると、6時半だった。面白いことが続きすぎてすっかり時間を忘れてしまっていたようだ。
「いけない、門限は7時なんです」
「じゃぁ僕が送ってあげるよー。小夜はいろいろウルスに質問したいだろうけど、また夜にでも来ればいいでしょ?」
「ええ。質問ノート持ってきます」
「じゃぁ、ちょっと待っててー」
そう言って奥の部屋に消える仙人を見送って、吸血鬼は小夜に向き直った。
「あいつが何か迷惑をかけなかったか?自己中なヤツだから振り回されたんじゃないか?何かあったら遠慮なく私に言ってくれ」
「大丈夫ですよ。今日はお茶に誘っていただいて。とっても楽しかったです」
にっこりすると、吸血鬼はほっとしたように微笑んだ。
見た目の年齢差といい、まるで保護者のようである。
「さーお待たせー。小夜、送ってくよー。」
現れた仙人は少年の時と同じ格好だったが青年の姿だった。手にはヘルメットが2つ。
長いみつあみは青年の姿だと似合わなそうなのに、なぜかよく似合っていた。
「下にバイク置いてあるから、いこー」
「えっ、バイク!?」
「そっ、バイクー」
なんだか仙人のイメージとそぐわない気がする。金斗雲で送られるのかと思ってた。
「まだ日が高いからねー。金斗雲はさすがに目立つっしょー」
それに小夜ってバイクの後ろに乗ったことないんじゃない?乗せてみたいとおもってさー。
にゃはは、と笑った仙人と共に、小夜は地下にあるという駐車場へと向かった。
バイクというものは非常に怖い。
小夜は愛しい大地を踏みしめてそう思った。
乗った瞬間、強く吹き抜けていく風が気持ちいいと思ったのもつかの間。車道に出た途端、小夜は心の中で悲鳴をあげた。
車が近い。近すぎる。
身を守るものもないことが怖かった。車体がバイクにまたがった足から数センチのところを走り過ぎていく。
しかも仙人は無理だろうと思うような隙間に車体を滑り込ませ、どんどん前に行ってしまう。
自分で運転しているわけでもないから、自由がきかず、ひやりとした場面が幾度もあった。
「ま、初めてだからねー。慣れたらきっと大丈夫になるよ」
あっけらかんと言う仙人を軽く睨み、小夜は動悸を抑えるために深呼吸をした。
もうすぐ7時になってしまう。家に帰らなくては。
「送ってくれてありがとう。また夜にお邪魔してもいいですか?」
「うん、歓迎するよー。絶対来てね、屋上からなら誰にも見つからないはずだから」
にこっと微笑む仙人は、傍から見ると非常に好青年であった。
こんな場面を他人に見られたら、恋人同士と勘違いされるだろうな、などとどうでもいいことを頭の片隅で思いながら、小夜は家の門に手をかける。
仙人は小夜が家の中に入るまで、ずっと手を振り続けていた。
|