『真紅と椿』





 外に出たい、とお姫様は言った。

 いつもの戯言に真紅はこれ見よがしなため息をついたが、相手は気づかない。
 真紅は忍者だ。
 忍、とも呼ばれる。
 忍者とは領主に仕えて隠密行動を主体とする集団だ。真紅も領主に仕え、ひいては目の前にいるながーい黒髪を持つお姫様に仕えていた。

 お姫様の名を椿という。
 椿とは冬から春にかけて咲く大輪の美しい花だ。
 お姫様を産み落とすと同時に命を落とした母親の、一番好きな花だったという。
 ちなみに椿の種子を絞った油は髪にとてもよく、同じ名前をしたお姫様の愛用品である。

 真紅と椿は幼馴染だ。
 正確に言えば、椿の警護役として真紅があてがわれた。真紅が5歳のときだ。
 だから真紅と椿の間に遠慮というものは存在しない。…存在しなければいけないのだが、椿の独断と偏見にて却下された。以降2人きりの時のみ、という形で許されている。

「当たり前ですけど駄目ですよ」

 真紅の言葉に、椿はむっとして、長い長い髪を乱暴に梳る。ついさっきまで淑やかに髪をなで、くしけずっていた姫君はどこにもいなくなった。髪は綺麗だから勿体無い。椿も長い長い黒髪はご自慢で、いつも大事に手入れしているのだ。
 髪が傷むから、と、真紅が櫛を奪い取り、長い長い艶やかな黒髪に指を通す。いつでもやわらかく滑らかで、上質の絹のような手触り。櫛を通せばどこにも引っかかる事無くするりと通る。女性からしてみれば余程羨ましく、憧れて止まない対象だろう。
 男である真紅には、椿に注がれる女達の憧れのまなざしは理解できないが、感嘆ならいつもしている。真紅にはどこぞ他国の血が混じっているらしく、顔立ちは一般的なものだが、髪が錆のように赤い。真紅という名もそこからきている。もっとも、本来の名ではないのだが。ともかく、真紅のように髪色から違う存在にとって、当たり前の黒髪であり、長く、美しく、触り心地の良いそれは、とてつもなく素晴らしいものだ。宝であるとすら感じる。

 もっともそんなことを口にしようものなら、お姫様の口がまん丸に開いて戻らなくなってしまうのだろう。このお姫様は全身で構ってくださいオーラを出している癖に、構いすぎるとあっという間に固まるのだから。
 気難しいのか気位が高いのか扱いが難しいのか簡単なのか。真紅にとってはどうでもいいことだ。

 真紅が髪を梳る、その慣れた感触に椿の機嫌が少し戻る。単純なものだ。
 くるりと椿は振り返って、真紅の顔を覗き込む。ごくごく普通の青年の面差しに、深い紺の瞳が印象的だ。もっとも、その紺碧色は余程近くで覗き込まない限り分からない。少し離れると、あっという間に当たり前の黒い瞳になるのだ。
 だから椿の癖の一つは真紅の目を覗き込むことだ。深い深い紺碧の色は、椿しか知らない宝物。
 椿はいたずらに瞳を輝かせて、両手をパチリと打ち合わせる。

「ねぇ、真紅」
「何」
「ちょっと後ろ向いて」

 小首を傾げた椿のかわいらしいお願いに、真紅は逆らわない。何をされるのかと思いつつも、あっさりと後ろを向いた。
 途端、髪を引かれる感触。短い髪のてっぺん辺りで椿の細い指が動く。
 真紅は抵抗せず、その指の動きを頭の中で追う。どうやら椿は、真紅の短い髪で三つ編みをしようとしているようだった。当然、失敗する。真紅の髪は短いし不揃いなので、たとえ編めたとしても髪が至るところから飛び出てみっともないことになるだろう。

「あーできないーー」

 真紅の髪で三つ編み計画実行を諦めた椿は、そのまま体当たりが如く目の前の背中に体重を預ける。椿がどれだけ力を入れて真紅を押しても、真紅の体はびくともしない。
 やっきになって真紅の体を体全体で押して、けれども急に真紅が力を抜いて振り返ったので、そのままバランスを失った。ぶつかる、と目を閉じた瞬間、ふわりと真紅が椿を抱きかかえた。予想通りの衝撃は無くて、椿は幾度も目を瞬かせた。

「…びっくりした」
「うん」
「なんでいきなり振り返るのよ!」
「らちが明かないかなー…って思って」
「うっ…そっ、そうかもしれないけど!」
「うん」

 これは何を文句として言っても「うん」で流されそうだ、と椿は口を引き結ぶ。子供の頃のように頬を膨らまして、真紅の胸を突き放してからそっぽを向く。
 分かりやすい"機嫌を損ねました"のポーズに、真紅は微苦笑して、よしよしと頭を撫ぜる。
 今の今まで機嫌を損ねていたのに、椿はあっという間に力を抜いて、目を細める。日向ぼっこをする猫のように。
 のどを撫ぜればごろごろと音がしそうだ、と真紅はこっそりと思った。

「椿、話をしようか」
「…ん。なぁに?」
「"お姫様"と"忍者"のお話」
「聞くっっ!!!!」
「それじゃ、昔々…」

 我が侭でお転婆な"お姫様"と "お姫様に"仕える"忍者"がいました
 "お姫様"はとってもお転婆で けれども"忍者"がとっても好きでした
 "忍者"はとっても優秀で けれども"お姫様"がとっても好きでした
 あるとき"お姫様"にとても良い縁談が持ち上がって 皆して喜びました

 けれども"お姫様"は憂い顔
 "忍者"がその理由を聞くと "お姫様"は言います

 ―――わたくしは貴女が好きなので お嫁にはいけません
 ―――姫様 私と貴女では身分が違います どうかそのようなことを仰らずに
 ―――いいえ いいえ お願いします どうかわたくしを攫ってください
 ―――何を仰いますか姫様 どうかお考え直しください
 ―――いいえ わたくしが貴女を好きなのだけは 変えられません お願いです!

 どんな言葉を重ねても "お姫様"は折れません
 とっても我が侭でお転婆な"お姫様"に"忍者"は折れてしまって 新月の夜に2人は抜け出したのでした

「うん! うん! それで!?」

 あんまり無表情で"好き"とか"お嫁"とか言い出す真紅が可笑しくて怖くて、瞳を閉じて話を聞いていた椿は、ここぞとばかりにきらきらと瞳を輝かせる。
 真紅は一つ首を傾げて、とてもとても不思議そうに聞いた。

「聞きたい?」
「聞きたい!」

 真紅の態度がかもし出す空気など全部完全に無視して、椿は両手を挙げて先を促す。

「そうして抜け出した2人は国から逃げて逃げて逃げて逃げて、それでも結局は捕まって、"忍者"は拷問にかけられた挙句に市中引き回し打ち首さらし首、"お姫様"は嫁ぎ先にて自殺して、そうして国は滅びかけました、とさ」

 最初っから最後まで同じ口調で、同じイントネーションで、真紅は言い放つ。
 聞いていくにつれてどんどんどんどん椿の両手が落ちていき、最後は首までしっかりうなだれた。全身でぐったり感を表現している。
 しかしガバリと突然起き上がり、真紅に掴みかかった。

「物語は、幸せになりましたで終わるものでしょ!!!」
「俺に言われても」
「ああ、もう! 真紅ひどい!」
「だからそう言われても」
「ひどいったらひどい! でも私は外に出たいんだからね!!!!」
「………」

 はぁ、と真紅はため息をついて、椿の手を引き剥がす。
 何のための話だったのか考えて欲しいものである。

「どうしても?」
「どうしても!」
「俺が拷問にかけられて引き回されて打ち首にされてさらし首にされても?」
「そっ! それは駄目! 絶対に駄目!」
「じゃあ諦めてよ。椿が抜け出したら殿様のお小言大変なんだからさ」

 父親のことまで持ち出されて、椿は一瞬口を引き結んだが、すぐに顔を輝かせた。

「大丈夫! 捕まらなければいいんだもの! 真紅なら絶対大丈夫!」
「簡単に言うね」
「真紅なら捕まらないし、絶対に私を守ってくれるもの!」
「俺の主君は殿様なの。椿よりも殿様が上」
「でも、守ってくれるって信じてるから」
「信じられても困るけど」

 ああいえばこういうやり取りに椿は段々と焦れてきて、真紅の面倒そうな瞳を覗き込んだ。紺碧色にムッとした顔のお姫様。

「何でもいいからさっさと私を攫いなさい!!」

 なんて、とんでもない台詞に、真紅は大きな大きなため息。

「じゃあ髪切りなよ。服も邪魔。もっと庶民の服着て」

 適当な感じで言った真紅の言葉に、椿が真面目に頷いて。
 どこからともなく普段は持っていない懐刀を取り出し、あっと思うより先に髪の一部分を切り裂いた。
 珍しく…本当に珍しいことに真紅が目を見張り、驚愕の表情を顔にのせる。
 ザクザクザクと、それこそ無造作に長い、長い髪を切り落として、呆然と、真紅はそれを見ていた。唖然としすぎて体が追いつかない。
 勿体無い、と一房を手に取る。
 大事に大事にしていた髪を、あっさり切り落とすなんて、真紅には考えられないこと。
 真紅が呆然としている間に全部の髪を切り落として、肩までの長さになった椿は、見事なまでの素早さで服を脱ぎ、どこからともなく小姓の服を取り出して着る。
 どう考えても準備がよすぎる。

「じゃあ行こう真紅!!」
「……………仕方ない、か」

 しっかりため息をついた真紅は、手に取っていた一房を手首に巻きつけ、紐でくくる。もう一度ため息をついて、椿の手をとった。

「絶対に喋るなよ」

 その真紅の言葉に椿は頷いて。
 そうして2人の逃避行は始まったのであった。





 それからまた幾月も巡る頃、どこかの国のどこかの街道で、旅装の男女が歩いていた。
 片方は椿という名の黒髪の女の子。
 片方は真紅という名の赤髪の青年。
 恋人同士と言うよりは、兄妹のような雰囲気。
 唐突に真紅は口を開く。

「本当は、あの話の最後、幸せになりましたで終わるんだ」
「……………え? ええっ?」
「でも椿が抜け出すの困るし、諦めさせようと思って俺が最後付け替えた。逆効果だったけど」
「なっ、なにそれ! 真紅ひどい!」
「椿がひどいよ。俺結構命がけだったし、今生きてる方が不思議」
「でも生きてるもん! 絶対に逃げ切るんだから! だからちゃんと真紅が守ってね」
「今となっては仕える人間が椿しかいないんだから守るさ」

 そうしてこうして"お姫様"と"忍者"は幸せになりました、とさ。





 



 2007年8月4日
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 椿15歳、真紅20歳くらいで。
 唐突に浮かんだ緊張感のない忍者とお姫様のお話。
 ゆるーくゆるーく。
 最初は、ゆっるーーーーーい規則の忍者集団書きたかったんですよ。

 忍者『頭領! 俺今日から商人になりたい!』
 頭領『ほう、そうか。行ってきなさい。ちゃんと連絡はするんだぞ』

 みたいな(笑)
 お前ら絶対忍者じゃねーだろ、みたいな感じで。

 でも大分違う風になりましたuu
 ゆるさは残りましたけど(笑)