『群青と藤』
真紅が抜けた、と頭領は言った。
ある意味とてつもなく予想済みの言葉であったがために、群青は深々とため息をついた。頭領はそれを意外そうに見て、首を傾げる。
「驚かないのか?」
「…真紅は椿姫に甘かったですから」
椿姫は頑固で強情で我が侭のとんでもないはねっかえりだったし。
口には出さなかったが、しみじみとした群青の表情に頭は察し、深く深く頷いた。
椿姫の性格に振り回されているのは、何も真紅だけではなかったのだ。
「ええと、それで真紅を追おうと思う」
のほほんとした口調で頭が言ったので、群青はしっかり頷いた。
その後の言葉は全然予想通りではなかったので、まじまじと頭領を伺ってしまったのだけど。
群青は考えていた。
考えて考えて考えていた。
何故なら群青には好きな人がいたからだ。
群青は忍者だ。隠密行動を得意とする集団の一味だ。
群青は薬師だ。調合を得意とする町でも有数の薬師だ。
「群青?」
女にしては低い声が耳元で聞こえたので、群青は僅かに動揺しつつ息を吸った。
吐き出して、言う。
「藤…いきなり話しかけるなよ。びびったろ」
「驚いてるようには見えない」
「…あっそ」
はぁ、と分かりやすいため息をついた群青は、じっ、と藤を見つめる。
真っ黒な髪と真っ黒な瞳。小柄で華奢なその身体は人懐っこそうで、すばしっこそうで…実際は人見知りするし鈍重。はっきり言って運動音痴。素早い行動なんて全く期待できない。
それでも腕はいい。薬を調合するのに必要なのは素早さより確実さ。知識のたくわえもなかなかのもの。
「なぁ、藤」
「何?」
「お前さ、俺のこと好き?」
とりあえず聞いて見ると、藤が持っていた薬草調合用のすり鉢を落としたので、完全に落ちて割れる前に腕をすりこませて受け止める。
そういえば、こういう事を藤に告白した事はなかった気がする。結構態度には出してたし、藤も満更ではないように見えたけど、今回の件がなければ口にするのはまだまだ先になった事だろう。
なんせ今の状況はとっても心地よくて、恋人のようで恋人でない、けれど好き合っているような曖昧な駆け引きは中々楽しいし刺激的だ。
第一、藤は群青の元で働いているから、あんまり変なことを言ってぎくしゃくしたら仕事がなんともやりにくい。
「な、なに、いきなり…?」
ぎこちない動きで群青を見上げる。明らかな動揺に、群青は笑った。
「俺、お前の事好きだから」
だから聞いておきたかったのだ。
彼女の答えが、きっとある種の決断を群青に促してくれるから。
「なぁ、藤」
どうなんだ? と先を促す。群青はひょろりとした長身なので、小柄な藤と並んで立つと大人と子供ほどの差がある。その群青を見上げて、揺らめく瞳で藤はほのかに笑う。
藤のことは誰よりも知っている、と自負する群青ですら、見惚れてしまいそうな、柔らかくて、可愛らしくて、奇麗な笑顔。
「…あのね」
「ああ」
「………あっ、あのね」
「おう」
「……………………あっっあの」
―――― 中略 ――――
相変わらずとろいなぁとか、仕事終わってから言って良かったなぁとか、そんな事を群青は考える。
きっと藤は気づいてない。
外はもう暗くて、いつもならもう帰る時間だということ。
もっとも研究熱心かつ勉強熱心かつ鈍重な藤はよくよく店に引きこもる。群青の店は、実家でもあるから客間はいつでも藤の部屋と化している。
そこで藤が寝泊りすることを群青の家族(忍じゃないし血も繋がってなかったりする)も全然気にしないし、むしろ喜ぶ。藤の親御さんも我が家に預けておけば安心、なんて状態で。最早勝手知ったる我が家というか、うちの子状態というか。
ああ、勿論手を出したりなんてしていない。
今日の今日までは。
「なぁ、藤」
いつまで経っても返ってこない返事に、待つ群青よりも藤の方が焦れて半泣き状態。
顔を真っ赤にしてどうして一言が言えないのかパニック直前の藤に呼びかける。
群青の至って平静な声に藤は我に返って、目の前の男を見上げる。
ずっと見上げていると首が痛くなるけど、群青が自分の為に腰を屈めて覗き込んでくる動作が、藤はとても好きだ。
群青はいつも恐ろしく平静だ。
感情の波が少なくて、でも何故かため息だけはわざとらしくつく。
淡々とするべきことをしているだけなのに、一つ一つの動作は素早くて、いつの間にか仕事が片付いている。
調合の腕は確かで、新しい配合の研究も欠かさないし勉強だって欠かさない。その腕前は城主にだって認められるほどだった。
同じ道を志すものとして惹かれない筈がない。
藤はこの場所で働き始めるずっと前から群青に憧れていて、働き始めたら、いつの間にかとんでもなく好きだった。
群青が呼ぶ声はいつだって藤を確かな場所に連れて来てくれる。
「藤、俺の事好きなら、手、握って」
そんなことを群青が言うから、あ、これは最後のチャンスなのかもしれない、と思う。
群青はいつだって淡々と藤の先を行くのだ。きっと藤がいてもいなくてもそう。
1人でも生きることが出来る人。
だから。
勇気を振り絞る。
今示さないと終わってしまう。
よく分からないけどそう思う。
群青の目はそんな目をしてる。
差し出された手を握る。
どうしてだかそれは驚くぐらいに自然に出来て、藤はほっと息をついた。
もしかしたら藤は気持ちを言葉にするのがどこまでも下手なのかもしれない。
群青の目を見つめて、強く強く手を握り締めたら、世界がくるりと回った。
「え?」
あっという間に藤は群青に抱きかかえられていた。
「ええ!?」
目を白黒させて何が起こったのか分からないでいる藤に、群青は笑う。
そうして、藤を抱えたまま歩き出す。
調合途中の薬は放置。こんな日くらい仕事なんて忘れてしまえ。
なんて思いながら群青はちらりと本業のことを思い出し、頭の片隅へと埋めた。
「ぐ、んじょう…?」
「なぁ、藤。俺、お前のこと好きだわ」
「っっ」
「藤の髪も目も顔も指も手も足も胸も腰も声も性格も全部―――好きだから」
客間に辿りついて、とろくて可愛らしい獲物を群青は解放する。
―――ただし、一瞬だけ。
「だから、貰うよ」
そう笑った群青の手は綺麗に客間の扉を閉じたのだった。
「えーまぁ。そういうことで、俺残ります」
やたらと爽やかにきらきらしくいい笑顔で言い切った群青に、頭領はやれやれと苦笑した。
「あ、やっぱり? 藤ちゃん可愛いからなぁ」
「拾って頂いてご飯を頂いて世話をして頂いて訓練して頂いて親まで頂いて、頭領にはホント感謝しきれないほど感謝しているのですが」
「うん。ありがとう」
「ですが俺には守りたいものが出来たので頭領についていくことは出来ません。真紅に会うことがあれば、俺は超幸せだと伝えておいて下さい」
「超幸せなんてヤングでナウな言葉はおっちゃんには厳しいなぁ」
「頭領今めっちゃ言いましたから大丈夫です」
なんて、2人の忍者は笑い合い。
「じゃあ、まぁ、幸せにな」
「はい。頭領も忍者辞めてもお元気で」
軽い言葉の癖して、群青は深々と頭を下げた。
捨てられた群青を拾って育ててくれた頭領は師であり父親であり母親だった。
それから数月が経って群青はため息をつく。群青にとってため息は癖のようなものだ。意味があったりなかったり。それは最早群青にも分からない。
覚えのある気配がして、薬の在庫一覧から目を離す。店の前に男が立っていた。やたらと大荷物をかかえて、人の良さそうな笑顔で手を振ってくる。
軽く頭を下げたころには、藤が男に気がついて、店の中に導いた。
藤に頼んでお茶を入れてもらって商談の話をする。採取してきた珍しい薬草を目の前に並べられては、それはもうそろばんを弾かないわけにはいかない。
群青は満足のいく商談結果に心を潤しながらお茶を飲む。
藤の入れたお茶はいつもちょっと温い。
「それで、どうよ」
ようやく一段落着いたので、群青は聞いてみる。
薬草を定期的に仕入れて卸してくるこの男もまた忍者だ。
「何が?」
「真紅たち」
「あー元気元気。朝入った情報によれば賞金稼ぎの3グループ、あわせて34人ばかりが返り討ちに合ったそうだ」
「頭領たちは?」
「真紅たちと合流したって手紙がきた」
「あー無敵だな」
「だろ? まったくもって堂々とした抜け忍だよな」
しみじみ言う男に群青も頷くしかない。
はっきり言って忍者とか名乗ってる割にまったく忍者らしくない頭領だった。まぁ、その頭領に育てられた自分達だって全く忍者らしくはない。
いやまぁ、人の家に忍び込んだり毒盛ってみたり情報聞き出してみたりはお手の物なのだが。
「確かに。さすがの俺も頭領が忍者辞めるわーとか言い出したときは焦ったけどな」
「群青は基本焦ってるようには見えねーよ」
「あーよく言われる」
主に藤から。
「てか頭領、真紅殺すの嫌だしー、なんかもうめんどいしーとか言ってたぞ」
「………さすがだな」
「ああ、さすがだ」
しみじみと2人は頷きあう。
頭領が辞めた後、大きな混乱があったかといえばそうではない。
もっとも城の人間は上から下まで大騒ぎだっただろうが、それはまぁ別の話だ。
忍者を辞めて野に下ったのが、頭領についていって真紅と合流した者達。
群青のように忍者ではない職業のまま、街に残った者達。
忍者そのものがいなくなったのだから抜け忍を追って始末する人間なんている筈がないし、いきなり人手不足になった城としてはそれどころではないだろう。
娘はいなくなるわ忍者はいなくなるわ人はいなくなるわで大騒動。そんな中でもお姫様を連れてきたら賞金が出るなんてお触れが出たりもしたのだが。
だからまぁようするに。
「平和だな」
「平和だ」
そう、元忍者達は笑い、当たり前の日常に戻る。
群青は薬師、男は薬草売り。
店先で男を見送って群青が振り返ると、ちまちまちまちまと薬を整理する藤がいた。
相変わらず仕事が遅い。無駄に仕事の速い群青とはある意味バランスがとれているのだろう。
「なぁ、藤」
「何?」
「ありがとな」
いきなりのお礼に、完全に仕事の手を止めてしまった藤に、群青は笑って。
ああ平和だなー幸せだなー俺、としみじみ息をついたのだった。
2010年6月9日
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群青26歳、藤20歳くらいで。
オリジナル短編の『真紅と椿』の姉妹品。
実のとこ『真紅と椿』書いたすぐ後に形だけはあったんですよねー。
ようやっと仕上げてみました。
群青ほんとに悩んでんのかと言いたくなります(笑)
振り回される藤は可愛そうです。
そして頭領はやる気なさ過ぎです(笑)
ゆるゆる忍者集団は忍者ですらなくなりましたとさ。
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